大学生だった1999年、韓日学生交流で東京に行き、歴史問題を討論する機会があった。日本の学生たちは1998年の韓日共同宣言(金大中〈キム・デジュン〉大統領と小渕恵三首相による宣言)を機に「21世紀のパートナーシップ」をテーマにしようとしたが、われわれ韓国の学生らは従軍慰安婦問題を取り上げた。討論は支離滅裂だった。日本の学生たちの「私たちは責任認定も補償もすべて行った」との言葉に感情が高ぶり、「あなたたちがああいう目に遭ったと考えてみてよ。あれで済んだと思えるの?」と問い掛けた。すると突然、日本の女子学生の一人が冷たい床で土下座を始めた。「こうすれば気が済むの?」と。
その時に感じた戸惑いは、彼女が相手の言葉を遮ろうととっぴな行動をしたからだけではなかった。私たちも無理やり謝罪させようなんて気持ちは最初からなかった。事実、加害者でも被害者でもない人たちが謝罪する準備も、受ける準備もなく向かい合って座ったのが間違いと言えば間違いだった。
今回の韓日慰安婦交渉は「政府としては最善を尽くした結果」だという。屈辱交渉だの外交惨事だの言われているが、この点は認めなければならない。人権問題を交渉のテーブルに上げること自体が不合理だった。交渉というのは、交通事故時に保険算定人が出てきて、双方の責任割合や修理代を算出する時にでもやることだ。それなのに、政府は元慰安婦の生存者が年々減っていることを考慮して交渉というものに乗り出した。しかも、相手は安倍晋三首相の率いる自民党政権だった。
日本は謝罪したが、どんな理由について、なぜしたのか分からない。安倍首相の後の世代は自分たちも戦争被害者だと考えている。ただし、国際世論や韓米日の安保・経済同盟を考慮し、日本の「『普通の国』化」という宿願に向けて、彼らも交渉の対象になり得ないと思っていることを交渉の議題として受け入れた。これまでの政権が言っていた程度の謝罪を繰り返し、10億円を拠出することにしたのは、将来の利益のための、それなりの投資だと思っているからだろう。日本が過去の問題で足を引っ張られる可能性がある「法的責任」と「賠償」という言葉を必死に避けたのはこのためだ。こうした状況で、韓国が国内で悪口を言われないようにするには、交渉を決裂させるしかなかった。