社会学というのは世の中の諸問題を論理的に示して、解決策は示さない学問なのかよくわからないものだと考えている。
皆が醜いと思う、でも言わないで黙って避けるような子供と、おそらく無痛分娩するであろう美男美女の夫婦を見た。
みんな醜い子供が嫌いだから、お金があって結婚できた「勝ち組」の妊婦は上のフロアでは羊水や血を採ってリセットマラソンをしている。
おそらく、社会学とかいうクソみたいなことをやっている輩はこの状況をなんて言うのだろうか。
貧しい家庭に醜い子供が生まれて、金持ちはその前に検査で堕ろせるのは不公平だ 検査の補助金を貧しい家庭にも出すべきだとでもデータを出していうのだろうか。
馬鹿大学生協の人文系の新刊の棚をぼんやりと眺めていたり、ツイッターを見ているとそんな気がしてならない。
こんなこと、わかりやすく問題を示されたところで、醜い子供が救われない。
皆が幸せになるには解決策が必要だが、このどうにもならない状況を見て自分は人文の大抵はゴミで解決するには技術と金だと感じた。
そんなこと誰も否定しないだろう。
結局制度なんかよりも皆、魔法のように問題をどうにかしてくれる技術革新を欲しているに決まっている。
社会学者は社会学は必要だと現代思想などの人文系の雑誌で言っているが、それだけである。
正直ツイッターのvioに社会学とか入れる人間は、居酒屋の世間のトークを小難しくしているだけだ。
いざ、本場の社会学者の皆さんは違うことをしているのかというと、あまり変わらないことをしているような印象が否めない。
多くの人を傷つけて、どうにもならないことを言っている。世間の受けをよくするためできる限り綺麗なものへ媚びることもよくある。
自分の通う馬鹿大学も社会学は必要ないと思っているのか、沢山の付属校の馬鹿たちを社会学系の学部に押し込む。そこで容姿が普通以上の学生はセックスでもやるのだろう。
それよりも救ってほしい。