2016-01-05

社会学問題を解決しないし、必要ではない

社会学というのは世の中の諸問題論理的に示して、解決策は示さな学問なのかよくわからないものだと考えている。

今日自分は小児病院に持病を抱えているため行った。

皆が醜いと思う、でも言わないで黙って避けるような子供と、おそらく無痛分娩するであろう美男美女夫婦を見た。

みんな醜い子供が嫌いだからお金があって結婚できた「勝ち組」の妊婦は上のフロアでは羊水や血を採ってリセットマラソンをしている。

おそらく、社会学かいうクソみたいなことをやっている輩はこの状況をなんて言うのだろうか。

貧しい家庭に醜い子供が生まれて、金持ちはその前に検査で堕ろせるのは不公平だ 検査補助金を貧しい家庭にも出すべきだとでもデータを出していうのだろうか。

馬鹿大学生協の人文系新刊の棚をぼんやりと眺めていたり、ツイッターを見ているとそんな気がしてならない。

こんなこと、わかりやす問題を示されたところで、醜い子供が救われない。

皆が幸せになるには解決策が必要だが、このどうにもならない状況を見て自分は人文の大抵はゴミで解決するには技術と金だと感じた。

そんなこと誰も否定しないだろう。

結局制度なんかよりも皆、魔法のように問題をどうにかしてくれる技術革新を欲しているに決まっている。

社会学者社会学必要だと現代思想などの人文系雑誌で言っているが、それだけである

正直ツイッターvio社会学とか入れる人間は、居酒屋世間のトークを小難しくしているだけだ。

いざ、本場の社会学者の皆さんは違うことをしているのかというと、あまり変わらないことをしているような印象が否めない。

下手したら学者twitterバトルをしている始末だ。

多くの人を傷つけて、どうにもならないことを言っている。世間の受けをよくするためできる限り綺麗なものへ媚びることもよくある。

自分の通う馬鹿大学社会学必要ないと思っているのか、沢山の付属校の馬鹿たちを社会学系の学部に押し込む。そこで容姿普通以上の学生セックスでもやるのだろう。

社会学必要ない。

それよりも救ってほしい。

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