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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ

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鍛錬の場か、それとも養豚場か

この記事のこの一節が好きだ。

http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-633.html

「いわゆる古典が読みづらいのは、あなたのために書かれたものではないからだ。古典を読むことは、あなた宛でない手紙を盗み見るようなものだ。彼らの書いたものは、あなたの知らないことを前提とし、あなたが共有しない文脈(コンテクスト)に基づいている。だから読みにくい。
しかし古典を読むことで得られるご利益もまた、同じところに存する。あなたのために(ボキャブラリーを調整し、あなたが知らなそうなことはできるかぎり説明し、込み入った話を噛み砕いて)書かれたものは、うまくいけば、あなたを面白がらせ、時には知らなかったことを教えてくれもする。
だが、それだけだ。あなたのために書かれたものは、滋養になる場合であっても、あなたを太らせてはくれるが鍛えてはくれない。あなたのために書かれたものは、滋養になる場合であっても、あなたを太らせてはくれるが鍛えてはくれない。」


この「古典」という言葉を「他者」に置き換えてみるとこんな感じかな。

「いわゆる他者が理解しづらいのは、あなたのために存在するのではないからだ。他者を理解するということは、あなた宛でない手紙を盗み見るようなものだ。彼らの考えや行動は、あなたの知らないことを前提とし、あなたが共有しない文脈(コンテクスト)に基づいている。だから理解しづらいし対応しづらい。

しかし他者とつきあうことで得られるご利益もまた、同じところに存する。あなたのためにボキャブラリーを調整し、あなたが知らなそうなことはできるかぎり説明し、込み入った話を噛み砕いて対応してくれるサービスは、うまくいけば、あなたを面白がらせ、時には知らなかったことを教えてくれもする。

だが、それだけだ。最初からあなたのために誰かがチューニングされただけのサービスは、心の滋養になる場合であっても、あなたを太らせてはくれるが鍛えてはくれない。」

私は人付き合いがすごくめんどくさいと感じたりすぐ疲れてしまうタイプだ。
最初は楽しくつきあっていても途中ですぐ疲れてしまうことが多い。だんだん口数が少なくなり動けなくなってしまう。
こんなしんどい思いをしてまでも思い通りにならない他者と付き合う理由というのを考てみると多分こういうことなのだろう。

「他者」を求めなくなったら、後はここに書かれているように
自意識がブクブク太って千と千尋に出てきた両親のようにブタになるだけなのだ。


ネットは自己完結がし易いインフラだ。
嫌なものをブロックして存在しないことにすることも容易だし
自分がお気に入りのものだけが集まってくるようカスタマイズすることも出来る。
そもそも頼んでなくてもグーグルさんはそのように合わせてくれる。

SNSで同じタイプの、意見を否定しあわない友達と付き合うことは楽しいが
それだけをやっていると、自意識がブタになりやすい気はする。


まぁ、意識しなくてもネットなんて普通の人は1日1時間か2時間もやれば十分だし
ビジネスやプライベートでリアルでの人付き合いをちゃんとやってれば問題ないことでは有るのだけれど。