小豆島から山口県の祝島へ
今週も、福山市のシーカヤックインストラクター「村上泰弘」さんにお話を伺いました。
大海原をグランドに、気ままにカヤックを漕ぎ出す村上さんですが、時には過酷な時もあります。それは「瀬戸内カヤック横断隊」です。香川県の小豆島から山口県の祝島へカヤックで漕ぐイベント。1週間かけての横断ですが、時には海が荒れたり、強い風に行く手を阻まれたり!と過酷な自然に出会う事もあるとか。「自然への対応を学ぶ絶好の機会」と語る村上さんです。
ところで村上さんが子供の頃は、高度経済成長期で瀬戸内の海や川は汚いイメージがあって当時背を向けていましたが、自分が海へ出るようになり、綺麗な場所が沢山あって感動したそうです。カヤックを通し生徒に海を汚してはいけない事を感じて貰いたい!と語る村上さんでした。
時の旅人 公開録音イン・ウッド・エッグお好み焼き館
今週の番組は、ウッドエッグで行なわれた公開録音の模様その2をお送りしました。
2週目は広島出身のシンガー「玉城ちはる」さんのライブをお送りしました。曲目は「風になれば」、以前佐々木さんが聞いて感動した「悲しくてやりきれない」と「君が愛の種」でした。手話を交えながら歌う玉城さんのライブは来場者全員に大きな感動を与えました。現在東京でホストファミリーをしている玉城さん。彼女の人柄が出る素晴らしいライブでした。
自転車を乗り換え海へ
今週は、福山市のシーカヤックインストラクター「村上泰弘」さんにお話を伺いました。元々広島市内のテレビ局で働いていた村上さんでしたが、釣り番組で出会った「シーカヤック」に魅せられ転職を決意!現在しまなみ海道を拠点にシーカヤック教室を開いています。自転車が大好きで時間があれば自然の中をサイクリングしていた村上さん。「カヤックは海の上なので道が無くても自由に移動できる」と自転車から乗り換えたそうです。最初は個人の趣味でパドルを漕いでいましたが、人に教えるようになってからは「危険にさらしてはいけない!人の命を預かっているから」とプロ意識をしっかり持ちシーカヤック教室を運営しています。話を伺いながら広い海原に漕ぎ出す村上さんの姿が浮かんできました。
時の旅人 公開録音イン・ウッド・エッグお好み焼き館
今週の番組は、ウッドエッグで行なわれた公開録音の模様その1をお送りしました。1週目は番組エンドテーマ「蜃気楼」でお馴染みの「春秋楽団」の一人「佐藤弘之」さんのライブをお送りしました。演奏楽曲は春秋楽団のオリジナル「カントリーをうたおう」と佐藤さんが大好きなジェームス・テイラーのヒット曲「ユーブ・ガット・ア・フレンド」でした。ウッドエッグは音響的に素晴らしい室内で、「演奏していて気持ち良かった」と佐藤さん。当日公開録音に来たリスナーさん達も、満足していました。
料理作りが楽しくて、楽しくて
今週も、広島市中区西十日市のレストラン「ポットラック」オーナーシェフ「黒田千晴」さんにお話を伺いました。
御主人が病気をしたため、「ポットラック」を開業した黒田さん。最初は「何事も、一歩踏み出さないと何も始まらない」と開業に踏み出しますが、後になって続ける事の大変さに気づいたそうです。料理作りが大好きなので、ついつい作りすぎてしまう!と黒田さん。材料の質にこだわる為儲けに繋がらない事もあるようです。料理は、仕事、ライフワーク。10年経った今、これからの10年に向けて、今度こそ、きちんと考えたスタートをきりたいです。寝たきりの人など、外食を普段出来ない人たちのために、何か出来ないか・・・と考えている、黒田さん。これからの活躍に期待したいですね。
主婦の手料理が人気メニューに
今週は、広島市中区西十日市のレストラン「ポットラック」オーナーシェフ「黒田千晴」さんにお話を伺いました。店の開店は今から10年前。何かお店をやれたらいいなと漠然と思っていたのがきっかけでした。料理の道を志した経験も無い黒田さんでしたが、「主婦の料理でよかったら」と思い切ってオープンに踏み切ります。因みに黒田さんの実家は鮮魚店で、「魚料理なら出せるかな・・・」とメニューをあれこれ考えたそうです。以前、母親から「お前は商売だけはするな」と固くいわれていた通り、儲けるのが下手な黒田さんですが、お店に来られた人の喜ぶ顔を励みに料理の腕を振るっています。正に料理は人と人をつなぐコミュニケーションのツールですね。
自分の感性でスタイルを作り上げる
今週も、広島で活躍するスタイリスト「うえただに 誠」さんにお話を伺いました。この仕事のキャリアは30年。
この道でプロになるのは、有名な先生に付きアシスタントをやり、先生に認められ1人立ちするのが普通ですが、うえただにさんは違っていました。タレントさんの衣装を作る仕事をしている時、「今日からスタイリストをやる!」と突然思い立ったそうです。自分のチョイスした服を着て、タレントさんがステージで歌う姿を見て、嬉しさを感じるうえただにさん。現在は広島県内企業のユニフォーム製作を手掛けています。
プライベートでは大の車好き!「仕事柄普通は嫌なんですね。ついついホイルを変え、内装に手を加えてしまうんです」と語るうえただにさんでした。
スタイリスト ダニー!日本人です
今週は、広島で活躍する「うえただに 誠」さんにお話を伺いました。名前の「うえただに」から「ダニー」のニックネームで呼ばれているそうですが、顔が外人風なので海外の人に間違えられる事が多かったとか。勿論彼は広島生まれの日本人です。
スタイリストになったきっかけは?という南田の質問に「母親が服を作る仕事をしていて、小さい頃から服に興味があった」とうえただにさん。それから数年経ち、東京でファッションの勉強をしていた頃本格的にスタイリストの仕事を意識したそうです。当時酒屋配達のバイトをする傍ら、クラブの女性に頼まれ洋服のイージーオーダーの仕事をしていました。「洋服のデザインが好評で当時はとてもリッチでした」と語る「うえただに」さんでした。
木下さんから見た広島とは
今週も、ゲバントホール支配人「木下 純」さんにお話を伺いました。滋賀県彦根に生まれた木下さん、東京に憧れ、上京した話題は先週伺いましたが、今週は東京から広島に来たきっかけを聞きました。ヤマハのポピュラーソングコンテストで自作曲が選ばれた事がきっかけで、東京のヤマハに入社!広島に来たのは、ヤマハの転勤命令でした。これまで広島を全く知らなかった木下さんでしたが、唯一の関わりはヤマハのコンテストに応募していた「春秋楽団」メンバーの「佐藤」さんが、横浜出身だった事が関係しています。当時の広島の印象に関し「夜が暗い町、波が止まっている海、雪が降る夕暮れ時の空がきれい、食べ物が美味しく、小イワシの天ぷらは特に感動した」と木下さん。最後に、広島の音楽シーンを長く見てきて、個性、オリジナリティがもっとあれば良いのに・・・と広島を締め括っていただきました。
ヤマハポプコンからディレクターに
今週も、現在ゲバントホール支配人「木下 純」さんにお話を伺いました。滋賀県彦根から東京に憧れ、上京!先日聞いたように芸能・放送界の名門と言われる日大芸術学部、放送学科に入学した木下さんは、音楽業界へ進む事を夢見、日夜勉強に励みました。卒業後CM制作の仕事をしながら作曲に興味を持ったそうです。その後バーテンダーの仕事である店に勤めていた時、店の人に勧められギターの弾き語りを始めます。自作の曲を人前で演奏し、それが音楽関係者の耳にとまったそうです。その曲を吹き込んだ1本のテープが回り回って、ヤマハポプコン応募に入り、作曲家森田公一さんの目に止まったそうです。結果それが縁でヤマハの音楽ディレクターとして活動を始めた木下さん。当時出会った谷山浩子、佐野元春さんは、今や一流ミュージシャン。こんなに有名になるとは思わなかった!と当時を振り返る木下さんでした。
滋賀の彦根から広島へ
今週のゲストは、滋賀県彦根から広島にやってきた「木下 純」さん。現在ゲバントホール支配人の仕事をしています。ゲバントホールは、コンサートのみならず、パーティー会場としても利用できる施設で、特にピアノの響きが素晴らしいホールです。木下さんは滋賀県出身。高校時代、
GS事グループサウンズ、特にブルーコメッツが大好きで、ドラムを始めました。生まれ育った場所が滋賀県彦根の田舎だった為、東京に憧れ、上京し大学受験!めでたく日大芸術学部、放送学科に入学します。この学部は芸能界の名門育成コースといっても過言ではない所で、多くの有名人を輩出しています。同期だった「およげ!たいやきくん」作曲の佐瀬寿一氏と学生時代はバンド活動も一緒でした。木下さんは団塊世代、親が好きな事をやらせてくれて感謝している!と語る木下さんでした。
クランチャーズというバンド知っていますか
今週も先週に引き続き、サラリーマン&バンド活動をしている「三宅靖」さんにお話を伺いました。学生の頃から音楽活動をしていた三宅さんですが、広島工業大学ロック部に在籍した頃が音楽的にもピークでした。その時加入した「クランチャーズ」は当時人気のバンドで、その中には現在プロミュージシャンとして活動する「西村ヒロ」さんがいました。ブルースハープの第一人者として活躍していますが「音楽を捨てきれず今だ現役で活動するのは凄い」と語る三宅さんです。プロミュージシャンにはなれなかったが、音楽は死ぬまで続けたい!と三宅さん。最近は親父バンドに入り、長く楽しく音を奏でて行きたい!と語る三宅さん。今後何処かのステージでベースを弾く姿に出会えそうです。楽しんでいるとか。
ベーシストサラリーマン?!
今回のゲストは、三宅靖さん。サラリーマンをしつつ、バンド活動中。バンド歴、約35年のベーシスト。始めたきっかけは、高校生の頃、邦楽では「キャロル」洋楽は「レッド・ツェッペリン」「ディープ・パープル」等のロックを聴いた事でした。現在は、ブルースのセッションを主に音楽活動を楽しんでいるとか。ブルースのコード進行はシンプルですが、その人の生き様、歓び、苦しみを表現出来る事が素晴らしい!と語る三宅さん。いまブルースの魅力に夢中です。年をとっても情熱をかたむけられるのが、音楽。音楽を通じて多くの人と知り合えるのも1つの楽しみ!三宅さんの音楽人生はまだまだ続きそうです。
東京、広島仕事の仕方
今週も、広島で活躍しているスタイリスト「畠山 ちえ」さんにお話を伺いました。先週は21年のスタイリスト歴に関してお話を伺いましたが、今週は東京と広島の仕事の違いをお聞きしました。スタイリストの仕事は様々。
「ヘアーさん」は、ヘアーのみ。「メイクさん」はメイクのみ。「スタイリストさん」のみに分かれますが、広島ではその垣根を越え「手伝いましょうか?」の一言で、仕事をシェアします。一方東京は、ハッキリ仕事のテリトリーが分かれているそうです。
所で長いキャリアの中で畠山さんは、ジャニーズタレントのスタイリストをした事があります。バレーボールワールドカップ広島大会で「嵐」と一緒でした。「仕事を離れると無邪気な子供なのに、仕事となるとガラリと変わる!さすがプロだと思った」と熱く語ってくれた畠山さんでした。
仕事・育児の両立
今週は、広島で活躍しているスタイリスト「畠山 ちえ」さんにお話を伺いました。この仕事に就いて21年になるそうでうすが「お金は貯まらなかったけど、人脈が貯まった」と畠山さんです。元々美容師の仕事をしていたそうですが、友人が仕事先から帰れなくなり変わりに面接を受けたのがきっかけ、スタイリストの仕事に出会い面白さの虜になってしまったとか。直ぐ美容師を辞め、広島の放送局でスタイリストの仕事を始めたそうです。所で子供を育てながら仕事をこなす畠山さんですが、子供に対して厳しく接してきました。仕事・育児の両立はそこまでやらないとうまくいかない!と語る畠山さんです。結婚前は子供嫌いだったそうですが、実際母親になって、その気持ちが変わったそうです。育児は今の自分に大きく役立っているそうです。
広島の印象
今週も、広島市在住。広島交響楽団主席チェリスト「マーティン・スタンツェライト」さんにお話を伺いました。日本に来て11年のマーティンさん!広島は、自然に囲まれ公園が多いのが好き!平和公園も気に入っているそうです。毎年1回はドイツに帰っているマーティンさんですが、ドイツから両親が広島に来た事がありました。母親は広島駅に到着し、駅の綺麗さに驚いたそうです。ドイツの駅は日本のように改札が無いので、誰でも乗り場に行けますが、その為ゴミ等が散乱している駅が多いとか。逆に街中電信柱の電線がゴチャゴチャしていて「黒いスパゲティ」と母親が印象を語ったとか。両親とも広島名物のお好み焼きを食べ、ファンになったそうで「ドイツ人は好きになるメニューと語る」マーティンさん、これからも広島交響楽団主席チェリストとして活躍を期待したいですね。
番組はインターナショナル!ゲストはドイツの方
今週は、広島市在住。広島交響楽団主席チェリスト「マーティン・スタンツェライト」さんにお話を伺いました。日本に来て11年のマーティンさんは、とても日本語の上手な方です。奥様が広島出身という事で、最初は遊びで広島に来たそうですが「なんか面白い街!住んでみたい」と感じたのが広島に移り住むきっかけでした。奥様と知り合ったのはマーティンさんの母国「ドイツ」 留学中の奥様と大学が一緒だったのが縁だったとか。ピアニストの奥様とチェロを弾くマーティンさん、音楽によって結ばれたカップルです。スタジオに愛用のチェロを持参したマーティンさん。南田のリクエストに応え、生演奏を披露してくれましたが、さすが広響主席チェリスト、本物の音がスタジオ中に響き渡りました、来週もスタジオ演奏があるので、楽しみにしてください。
歩くって本当に楽しい
今週も、広島市で「ウォーキング・スタイリスト」として活躍している「高市 のりこ」さんにお話を伺いました。「デューク更家」さんとの出会いは、高市さんに歩く楽しさを再認識させたそうです。デュークさんとの出会いはモデルを辞め、企業等でウォーキングを教えていた時でした。偶然「デューク更家」さんのウォーキングセミナーに出掛けた高市さんは、ウォーキングの楽しさに開花したそうです。正しい歩き方を習得すると、高いヒールの靴を履いても膝や腰は痛くならないそうです。男性も正しい姿勢の歩き方を知れば、身体の中心軸がしっかりするので、ゴルフのスコアがアップするとか。歩くことは人間の基本!正しい歩き方は奥が深いんですね。
大企業研究員からモデルへ転身
今週は、広島市で「ウォーキング・スタイリスト」として活躍している「高市 のりこ」さんにお話を伺いました。
元々、広島の事務所に所属しモデルとして活動していた高市さんでしたが、当時色んな所から「歩く事を教えて欲しい」と依頼され、ウォーキングを教えていました。それが本業になったのは「デューク更家」さんと出会った事でした。「人に歩く事を教える楽しみを知った」と高市さん。以降、ウォーキングの楽しさを再認識したそうです。
ところで、高市さんはモデルになる前は、広島の大手車メーカーの社員でした。「女性初の実験研究員として採用され、仕事場はウルトラマンの基地かと思った」と高市さん。もしそのまま会社に所属し車つくりに携わっていたら、女性に優しい車つくりの助けになっていたかもしれませんね。
人生のターニングポイントは色んな所にあるようです。
音楽活動を振り返って
今週も、広島でコンサートプロデューサーとして活躍する僧侶「遊水」さんにお話を伺いました。今週は「遊水」さんミュージシャン時代の話です。
1975年にポプコンこと「ヤマハポピュラーソングコンテスト」の全国大会に出場した「遊水」さん。同期のシンガーとしては、「中島みゆき」「因幡晃」等、その後プロソンガーとして活躍しているアーティストがいました。「中島みゆき」さんと喋る機会があったそうですが、「当時は暗い印象が強かった」と遊水さん。当時は、ミュージシャンとして活躍しそのピークを迎えていた遊水さんでしたが、「その時は有頂天になりすぎ、回りが余り見えていなかった」と当時を振り返ります。先週の話題にありましたが、その後約20年近く音楽から離れた事の背景には、当時の自分の姿が関係しているのかも知れませんね。遊水さんの活躍を期待したいと思います。
50歳で僧侶の道へ
今週は、広島でコンサートプロデューサーとして活躍する僧侶「遊水」さんにお話を伺いました。
10〜30代はミュージシャンとして活動していましたが30代のある時期より、音楽から離れたそうです。そして再び音楽と向き合ったのは50歳になってからでした。同時に僧侶になろうと決意したそうです。「遊水」さんは次男として生まれますが、昔から「あなたは長男のけがある」「お墓を守る人」等など色んな人から言われ、冗談で「お坊さんになろうかな」と軽い気持ちで友人の僧侶に言ったそうです。結果!それがきっかけになり「僧侶」になった今がある!と「遊水」さん。50歳を過ぎて「僧侶」になるとは、何かのきっかけが無いと出来なかったと語る「遊水」さんでした。
夫婦で陶芸
今週も、東広島市黒瀬町で陶芸の窯「保田窯」を開いている、「中屋 新平」さんにお話を伺いました。先週は中屋さん1人でしたが、今週は「保田窯」で創作活動をしている中屋さんの奥様、そして女流陶芸家として活躍する「中屋公弥子」さんも一緒です。ご夫婦出会いのきっかけは、中屋さんが広島で開催した個展でした。そこに訪れた公弥子さんを一目見て恋に落ちた!と中屋さん。付き合いの始まりは、公弥子さんが20歳の時。当時銀行に勤めていた公弥子さん、先輩の推薦でミス・ユニバース中・四国代表に選ばれる程の美人。中屋さんが一目惚れしたのもうなづけますね。さて、仲睦まじく創作活動を続けるお二人ですが、陶芸教室に是非来て頂き、手作りのピザ釜で焼いた美味しいピザを是非味わって欲しいとおっしゃいました。興味のある方はホームページで「保田窯」と検索し教室に参加しては如何でしょうか?
マティスに魅せられて
今週は、東広島市黒瀬町で陶芸の窯「保田窯」を開いている「中屋 新平」さんにお話を伺いました。
現在洋画家、陶芸家として活躍する中屋さんですが、小学生の頃は絵描きになるのが夢だったそうです。その実現のためにパリへ行ったのは1975年の事でした。その時大好きだった芸術家「マティス」の企画展がパリ・現代美術館で開催されていて、中屋さんは毎日のように通ったそうです。そこで中屋さんの人生を左右する運命的な出会いがありました。それは画家だと思っていたマティスのブロンズ像。ブロンズ像に凄い衝撃を受けた!と中屋さん。絵にはない立体の世界に凄い興味を持ったとか。結果その出会いが、陶芸家になるきっかけになったそうです。日本に帰ってから独学で陶芸を勉強した中屋さん。「最初は失敗に連続でした」と、その時の苦労を楽しそうに語ってくれました。
長崎で生まれ広島が活動拠点
今週も、60歳 還暦にプロ演奏家としてデビューしたギタリスト「長野 文憲」さんにお話を伺いました。
これまで色んな場所で演奏活動をしている長野さん。昨年は広島で「ピースチャリティコンサート」を開きました。広島の平和への心を直接伝えていきたい!と企画したコンサートでしたが、長崎で生まれ、現在広島で演奏活動をしているからこそ、自分がやる仕事だと思っている長野さん。原爆で多大な被害を受けた広島・長崎ですが、ここまで復興し、今素敵な街になっていますよ!と伝えていきたいと語る長野さん。その思いがギターの音色によって世界に届くよう願いたいですね。
好きだからこそ続けられる
今週は、60歳 還暦にプロ演奏家としてデビューしたギタリスト「長野 文憲」さんにお話を伺いました。ギターの出会いは16歳高校生の時。両親が誕生日にギターを買ってくれたのが最初だったとか。当時長野さんはマンドリンに興味を持っていましたが、友人から、マンドリンはソロでは難しいとアドバイスされギターに変更したそうです。その後ギター弾く毎日を送り、プロになろうと決意したのは25〜26歳の頃。広島の店でアルバイトでギターを弾き、演奏で生活出来るようになったのが理由です。当時広島大学生でしたが、大学紛争の激しい時で、授業が無い日が多く、ギターにのめり込み、結局大学を辞めた長野さん。その後地元広島の音楽大学にギター科が出来再入学する迄ギターを弾く毎日だったとか。「勿論ギタリストとして大成出来るか?という不安は有りましたが、ギターを弾く事が大好きだから続けられると思った」と語る長野文憲さんでした。
多くのミュージシャンとのセッション
今週も琴演奏家「榊 記彌栄(さかき・きみえ)」さんにお話を伺いました。これまで多くのミュージシャンとセッションを行なっている榊さん。色んな楽器と琴のコラボレーションは、ワクワク、ドキドキの連続だそうです。ステージに上がる前はお互いの手の内を見せず、開演と同時に発散させるとか。印象に残っているのはロシアの演奏家とのセッションで「出会い頭に、もの凄い音が出て、琴を弾きながら感動した」とおっしゃる榊さんです。一方若いミュージシャンとのセッションも増えたそうですが、若い人は遠慮しているのか、中々自分自身を出さないのが残念と榊さん「若いんだからもっともっとはじけて欲しい」とおっしゃいます。是非榊さんのセッションを聞き、出会い頭に位置がぶつかり合う演奏を体験してみたいですね。
綺麗な日本で歌うアーティストが好き
今週も琴演奏家「榊 記彌栄(さかき・きみえ)」さんにお話を伺いました。新年も早10日、「榊さんの今年はどんな年に?」の南田の質問に「今、生徒が面白い」と榊さん。今年も演奏活動をしながら色んな人に出会い、生徒に琴を教えて行きたい」と語る榊さんです。
所で日々、琴に向かう機会の多い榊さんですが「琴を離れた時、どんな音楽を聴いているのか?」という問いに「綺麗な日本語をリズムと旋律に旨く乗せるアーティストが好き」と榊さん。特に同じ広島出身アーティスト「ポルノグラフティ」は大好きなアーティストなんだそうです。いつか榊さんの琴とポルノグラフティがコラボするステージが実現すれば是非、聞いてみたいですね。
師匠の一言
2009年最初のゲストは、琴演奏家「榊 記彌栄(さかき・きみえ)」さんにお話を伺いました。琴を弾き始めたのは子供の頃からですが、プロになるきっかけは後の師匠になる「沢井忠夫」の言葉。
ある日榊さんは、沢井忠夫の前で演奏する機会を得ます。演奏したのは広島でした。その時、沢井から「この人は東京に出てくればプロの琴演奏家になれる」と言われたそうです。その時榊さんは「東京に出て演奏家?広島では駄目なのかしら」と思いましたが、後になって沢井忠夫の言葉が頭から離れなくなり、弟子に教えるのではなく人に聞いてもらえる演奏家になろう!と決意したそうです。後の師匠になる「沢井忠夫」の言葉が無かったら私の生き方は変わっていた!と語る榊さんでした。
子供と一緒の原爆劇
先週の引き続きダンスインストラクター、そして振付師「木原 世宥子」さんにお話を伺いました。
さて様々な場所で踊りを教えている木原さんですが、10年前から子供達と平和をテーマに原爆劇を毎年上演しています。広島育ちの木原さんですが、昔母や祖母から聞いた原爆の話が上演のきっかけになっています。子供の頃は飛行機が空を飛ぶだけで怖かったそうですが、大人になり平和の為に何かしなくてはいけない!と、子供達と原爆劇を上演しています。出来れば日本だけではなく世界中の子供達と原爆劇をやってみたい!と木原さん。是非世界が平和になるようにその夢を達成して欲しいですね。
幼少期から聞いていた洋楽
今月12月は女性ゲスト特集!後半2週は広島で活躍のダンスインストラクター、そして振付師「木原 世宥子」さんにお話を伺いました。踊る事が大好きな木原さん。「多分、子供の頃からポップス、ソウル等を聴いていたから自然に体に踊りが染み込んだ」とおっしゃいます。その影響は一緒に住んでいた従姉妹からで、彼女がいつも聞いていた音楽がそういったジャンルだったそうです。もし、その従姉妹が演歌を聞いていたら今の自分はどうなっていただろう…とその頃を振り返る木原さんです。
所で、木原さんは広島の有名ディスコ「ファンキー・ファンク」を作った人。回りの反対を押し切っての開店でしたが、何とか広島に洋楽をヒットさせようと頑張ったそうです。木原さんの従姉妹はあの「雪村いづみ」。彼女の存在は今の自分にとってとても大切!と語る木原さんでした。
NYで幸運の女神が
今月12月は女性ゲスト特集!先週に引き続き、クラビオーラ奏者「折重 由美子」さんにお話を伺いました。
先週「クラビオーラ」は世界的にも珍しい楽器で、ハーモニカメーカーのドイツホーナー社製!という内容でしたが、今年折重さんは、NYで幸運の女神に出会ったそうです。先日リリースされた折重さんのアルバム「パーペチュアルドリーム」はNYで録音されました。その時のスタジオオーナーがドイツ楽器メーカーまで問い合わせをし、何とクラビオーラを作った職人を見つけてくれたそうです。既に高齢の職人でしたが、折重さんの熱意が伝わり、新しい楽器作成を約束してくれました。既に生産が終了し現存する楽器が少ない中、幸運にも新しいクラビオーラが折重さんの元に届くかもしれない!何時になるかわからないけど、ウキウキしながら待ちたい!と語る折重さんでした。
番組初の女性ゲストはクラビオーラ奏者
番組開始以来、ゲストは男性が登場していましたが、今月12月は女性ゲスト特集!初の女性は、クラビオーラ奏者「折重 由美子」さんです。まず「クラビオーラ」とは?
ピアニカのように管から息を吹いて鍵盤でメロディを奏でる楽器で、鍵盤ハーモニカの1つです。世界的にも珍しい楽器で、有名なハーモニカメーカードイツホーナー社製が折重さんの楽器です。クラビオーラの製造は既に終了していて、日本にも2台しか残っていないとか。その1つが広島に存在し、音が聞けるのは嬉しいですね。
さて折重さんとクラビオーラの出会いは8年前。折重さんはピアノを弾く傍ら、鍵盤ハーモニカのピアニカを演奏していました。ある日、チューニングの狂わない良いピアニカを買おうと楽器店に行った時、カタログで不思議な楽器を発見!結果、日本中を探して中古のクラビオーラを手に入れた折重さん。初めて弾いた時「求めていた音!」と実感したそうです。
今中十平 流川の記憶
今週も、南田の高校時代後輩「今中十平」さんにお話を伺いました。今中さんは昼は弁当屋さん、夜は流川でクラブを経営し、そして広島市久地にあるコーヒーハウス「休日の家」のオーナーです。「休日の家」は十平さんの父、今中敏幸さんが建てたものです。しかし建築家ではなく、父親の本業は「洋服屋」。その世界では知られた人物で、1着の洋服にも凄いこだわりを持っていたそうです。「洋服の生地が無ければ在る場所に向かい手に入れる」。それは、何も無い場所に1から建物を建てる事と同じ!と語る今中さん。同じように、子供の頃暮らした広島・流川にも父の建てた建物が数多いそうですが、今でも流川は大好き!と今中さんはおっしゃいます。「現在、流川でクラブ経営をしているが、子供の頃の記憶がこの街へ僕を呼んだと感じます」。既に他界した父の姿は、今中さんの心にずっと存在しているようです。
休日の家オーナー・今中十平さん
今週は、南田の高校時代の後輩・今中十平さんにお話を伺いました。今中さんは高校時代、サッカー部に所属し、その時ディフェンスというポジションでした。そして彼の後を守っていたゴールキーパーが南田です。さて、青春の日々から十数年経ち再会した二人。現在、今中さんは昼は弁当屋さん、夜は流川でクラブを経営、さらに広島市久地にあるコーヒーハウス「休日の家」のオーナーでもあります。「休日の家」は知る人ぞ知る店で、この放送を聞いている人の中には、「休日の家」に足を運んだ方も多いと思います。店は今中さんの父親が建てたもの。今中家は何も無い場所に行き、1から家を作り何かをはじめるのがスタイル。高校時代、何も無い場所に連れられた今中さんは、「何もないじゃない」と父親に文句を言ったそうです。しかし父親が他界した今、彼の建てた家を観ると父のこだわりが伝わる!と語る今中さんでした。
ちょっと早口な俳優
今週は、南田の2つ年上の俳優「ロビン・ウィリアムズ」を取り上げました。彼はアメリカの大企業「フォード」の重役を父に持つ裕福な家庭に育ちます。幼少期はデトロイトで暮らし、高校卒業後はニューヨークジュリアード音楽院の演劇科で3年間、演技を勉強します。そして、サンフランシスコでスタンダップ・コメディアンを経験! テレビの「ハッピー・デイズ」で演じた宇宙人役が話題になり、注目を集めます。映画は1980年の作品「ポパイ」がデビュー作! その後、何本かの作品に出演しますが、特に話題になったのは1987年の作品「グッドモーニング・ベトナム」。軍放送のDJに扮し、ベトナム人女性とのやりとりがストーリーです。当時、アメリカとベトナムは国交を回復していなかったので、タイで撮影されました。この映画でアカデミー賞にノミネートされますが、受賞はかなり先になります。彼が晴れてオスカーを手にしたのは「グッドモーニング・ベトナム」から10年後、1997年の作品「グッド・ウィル・ハンティング」の精神科医役で最優秀助演男優賞を獲得します。一時はアルコール依存症に陥るなど大変な時もあったようですが、現在はアメリカを代表する俳優の1人として活躍をしています。
人のやらないことを見つける 人のやらないことを見つける
今週も画家、そしてテルミン奏者の「船田 奇岑」さんにお話を伺いました。
世界で最初に発明された電子楽器「テルミン」。数十年前演奏者は少なかったそうですが、最近は弾く人も増えてきたそうです。人のやらないことに興味を持つ船田さんは、昔この楽器に魅了され飛びつきました。これは本業の絵の仕事でも同じで、10,20年先のビジョンを考え行動している!とおっしゃいます。テルミンと同様、その時は誰も知らない楽器を見つけ演奏したように、絵も現在誰もやらない世界を描きたいそうです。因みに、テルミンを弾く変なおじさん!と呼ばれるのもそのビジョンの一つのようです。
生涯人間の出来る事は限られる!だからこそ、面白いことや人のやらないことを見つけ、それに挑戦して行きたい!と語る船田さん。まずは10年後の船田さんの仕事を見てみたいですね。
画家 船田 奇岑
今週も、画家そしてテルミン奏者の「船田奇岑」さんにお話を伺いました。
先週は「テルミン」という珍しい楽器のお話でしたが、今週は本業 の「画家」の話題。
絵をいつ頃から描き始めたのか?という南田の質問に「物心ついた ころには自然に描くことはしていました。絵を生業にしようと思っ たのは比較的遅く、20代後半です。」と船田さん。画業に関わるきっかけは、画家だった父が病に倒れた時の事。看病しながら「父に絵を描かさなくては」と画家である父の補佐を決意してからだそうです。
父親は「船田玉樹」という日本画家で、アートディレクター北川フラムさんからも父親から学ぶべき!とアドバイス。
そして父親の死とともに、補佐役はお役御免となり作家として絵を描くことになったそうです。
50歳も年の違う父親だったが、これほどまでに厳しい人に会った事がない!と船田さん。その厳しさが今の船田さんの確固たる軸になっているようです。
テルミンという楽器
今週は、画家「船田 奇岑」さんにお話を伺いました。本業の画家活動とは別に「テルミン」という珍しい楽器の演奏者でもあります。「テルミン」の歴史は約100年前ロシアで生まれ、発明した科学者「テルミン」の名前が付いた楽器です。船田さんがテルミンに出会ったのは、
デジタル楽器が登場した時、アナログな音が懐かしくなり、その音を求めている最中、アメリカの通販で組立式のテルミンを見つけ、即輸入したそうです。当時誰も知らない楽器で不気味な音が特徴でした。因みにヒッチコック等のサスペンス映画等によく使われた音です。現在15台のテルミンを保有している船田さんですが、「人のやっていない事が好き」がこうじ、楽器収集にはまってしまったとか。
一方本業画家は、東京ペニンシュラホテルのホワイエに船田さんの作品が飾られています。もし行かれる機会があれば見て欲しい!語る船田さんでした。
人が好き!音楽が好き!
今週も、広島佐伯区湯来町、ジャズ・カフェ「ラ・カスエラ」オーナー「藤岡繁明」さんにお話を伺いました。店オープンから7年、振り返って見るとその歳月は決して楽では無く大変な毎日だった!と藤岡さん。支えになったのは店で行なうライブでした。「人が好き!音楽が好き」と語る藤岡さんです。さて、藤岡さんのジャズとの出会いは人に勧められたジャズのレコードだったそうですが「今考えると、そんな入り方は駄目」と藤岡さん。先入観無しに聞きたいジャズを、自然に聴くのが一番!構えて聞く人は聞かなくてもいい!と熱く語る藤岡さんです。今後もジャズライブを湯来町の店「ラ・カスエラ」で末永く行ってゆきたい!と藤岡さん。南田も店に足を運び、ライブを楽しみたい!と約束を交わしました。藤岡さん頑張って下さいね。
夢は元気な時に
今週は、広島佐伯区湯来町でジャズ・カフェ「ラ・カスエラ」を開いている「藤岡繁明」さんにお話を伺いました。今年55歳の藤岡さん!店を始める前はサラリーマンでしたが、いつか自分の店を開きたい!という夢を持っていました。当時の計画では定年退職してからのプランでしたが「自分が元気な時が良い」と40代で開店を決意!奥様や友人の協力で開店にこぎつけたとか。
「ラ・カスエラ」はジャズ・ライブの出来る店ですが、最初はジャズ=都会の音楽!と街中での開業を予定していました。所が湯来町の自然の魅力に惚れ、現在の場所に決めたそうです。「ラ・カスエラ」でライブをしたミュージシャンには「気持ちが良い」「回りの空気が違う」と好評だそうです。藤岡さん自身も都会に出ると直ぐに疲れて湯来町に帰りたくなるそうです。是非お店でジャズを聞いてみたいですね。
鳥の声を奏でるパンの笛
今週も、広島在住のパンの笛奏者「岩田英憲」さんにお話を伺いました。元々フルート奏者だった岩田さんは、フルートでホルンのような音を出したかったそうです。
ホルンは牧場のシーンが思い浮かぶのがその理由。そして運命的な出会いのパンの笛は、正しくホルンのように牧場の草原が浮かぶ音色だったそうです。スタジオにパンの笛を持参した岩田さん「パン笛は2オクターブがメロディ、残りの1オクターブは鳥の声を奏でられる」とスタジオで音を出してくれました。現在は長年務めた教職を辞し、パンの笛奏者に専念している岩田さん。今後も「人の心を震わせ、自分の心を震わせる音を出して行きたい」と抱負を語る岩田さんでした。
パンの笛奏者
今週は、広島在住のパンの笛奏者「岩田英憲」さんにお話を伺いました。岩田さんがパンの笛に出合ったのは30数年前でした。元々フルート奏者だった岩田さんは、勉強の為オーストリア・ウィーンに音楽留学をしていました。その時偶然に耳にしたパンの笛の音。フルートの都会的な音に比べ、パンの笛の音はとても素朴な音だと感じた岩田さん子供の頃風の中で遊んだ風景が甦りその音色から風を感じたそうです。以来自分の求めた音色はパンの笛と直感し現在までパンの笛奏者として活躍する岩田さん!広島に拠点を置き、東京、大阪等大都市で演奏活動を続ける岩田さん、広島はとても住みやすい場所!ここを離れたくないというのが理由です。広島を愛しパンの音色を愛する岩田さん、広島にはパンの笛が響き渡る素晴らしい自然が残っているようです。
映画サークル“ダイヤルM”
今週も、広島市南区宇品の「ひらた眼科」院長「平田壽雄」さんにお話を伺いました。
平田さんが立ち上げた映画サークル「ダイヤルM」平田さん自ら冊子「ダイヤルM」を発行していて、広島市内の幾つかの映画館、そして映像文化ライブラリーに置いています。サークルメンバーは好きな映画を2本見てその感想を冊子にのせるそうですが、参加は自由!原稿を書かなくても映画を見るだけで良いそうです。因みに「ダイヤルM」はヒッチコック監督作品からの名前ですが、映画の原題は「ダイヤル・エム・フォー・マーダー」サークル名は最後のマーダーを「ムービー」に変えて付けたそうです。
平田さんの大好きな俳優は?の質問に「男優はスティーブ・マックイーン、女優はクラウディアカルディナーレ!」と語る平田さん。今後も映画サークル「ダイヤルM」の活動を続け、映画の楽しさを広めて欲しいですね。
映画大好きなお医者さん
今週は、広島市南区宇品にある「ひらた眼科」院長「平田壽雄」さんにお話を伺いました。
眼科医の仕事に就いて30年の平田さんですが、趣味は落語,プロ野球カープ応援、音楽等ですが、特に大好きなのが「映画」です。現在映画好きの仲間と共に映画サークル「ダイアルM」を作り、定期的な集まりをしています。
所で平田さんが映画好きになったのはお父様で、子供の頃映画館に連れて行って貰い映画に魅せられそうです。南田の「青春時代大好き映画ベスト3は?」の質問に、1位は「マーフィーの戦い」2位「キャバレー」3位「モダンタイムス」と答えた平田さん。大好きな映画ですが唯一ホラー作品は駄目!と平田さん。昔は洋画一辺倒だったそうですが、最近は邦画を見るようになったとか。映画の話をする時は目がキラキラ輝く平田さんでした。
トロンボーン40年ぶりの音
今週も、60歳還暦グラフィックデザイナーとして活躍する「清水昭和」さんに話を伺いました。
最近若いデザイナーの活躍を嬉しく思う清水さんですが、その一方で、自分の培ってきたデザイナー経験は若い者に負けないとおっしゃいます。
私生活では最近友人に誘われバンドに加入!高校時代吹奏楽部で吹いていたトロンボーンを40年ぶりに吹きました。最初は音が出るか心配だったけど、うまく鳴ってくれて凄く嬉しかった!と清水さん。今はバンドでの楽器演奏が楽しくて仕方ないそうです。
所で昔ファッション関係のグラフィックデザインを担当した事もあって、服装にこだわる清水さん。若い頃はチェック&チェックの難しい着こなしにトライしていましたが、最近はブラックしか着られなくなったそうです。デザイナーのこだわりは服装にも表れているんですね。
還暦のグラフィックデザイナー
今週は、60歳の今も現役グラフィックデザイナーとして活躍する「清水昭和」さんに話を伺いました。清水さんは広島市内の広告代理店に入社し、デパートウィンドウの装飾、店舗設計、テレビ・ラジオCMの制作をしてきました。それらの仕事の中から、グラフィックデザイナーの仕事を選び、60歳になる現在も数々のデザインを手掛けています。因みにグラフィックデザインとは印刷物のデザインをする事が基本だそうです。さて、学生時代からデザイナー志望だったのか?と言う質問に対し「学生時代吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたので音楽の道に進みたかった!」と清水さん。しかし絶対音感等音楽の難しさを知り断念。そして、昔誉められた絵の事を思い出し、グラフィックの道を選んだそうです。一見派手な仕事に思われがちだが、昼・夜関係ない過酷な仕事!と語る清水さんでした。
来年90歳コンサートをアルゼンチンで
今週も、89歳の現役バンドネオン奏者として活躍する「佐川 峯」さんがゲストです。
バンドネオンを弾き始めて73年、振り返ると戦火で何もかも無くなった戦後直ぐの頃が一番良い時だった!と佐川さん。人の人情があつかったそうです。
所で15年前アルゼンチンに、90歳でコンサートを開く予定の友人ピアニストがいましたが、コンサート開催目前で惜しくも亡くなってしまいました。「さぞかし悔しかっただろうと」と佐川さん。彼の思いを引継ぎ、90歳になる来年、アルゼンチンでコンサート開催を決めました。その思いの背景にはバンドネオンへの愛情とピアニストの悔しい気持ちがあるようです。
バンドネオンは今でも楽器店に並んでいますが、昔作られた楽器の音にはかなわないそうです。因みに佐川さんの楽器は80年前ドイツで作られたモノです。その楽器を抱えアルゼンチンでのコンサートの成功を祈りたいですね。
広島で途中下車した事が運命を変えた
今週も、15歳でバンドネオンに出会い89歳の今も現役バンドネオン奏者として活躍する「佐川 峯」さんがゲストです。
バンドネオンとの付き合いは70年以上と言う佐川さん。東京で活動をしていた佐川さんが広島に来たのは九州博多に移り住んだのがキッカケでした。博多のダンスホールから誘いで、活動の場を移した佐川さん!昭和24年25年間住んだ博多を出ることを決意!昔から好きだった街、神戸へ向います。所が以前広島でライブを開催した時、お世話になった人に挨拶しようと、途中下車!そこで佐川さんのファンに出会い、店で演奏してくれ!と頼まれたのが広島に住むきっかけになりました。
死ぬまでバンドネオンを演奏したいと語る佐川さん。最近の日本人は感謝の心が無い!昔は義理、人情が一杯あった!と苦言で話を締めて頂きました。
楽器バンドネオンと運命の出会い
今週は、15歳でバンドネオンに出会い89歳の今も現役バンドネオン奏者として活躍する「佐川 峯」さんに話を伺いました。
佐川さんが楽器と出会ったのは昭和9年。偶然に通ったダンスホールの扉が開いていて、バンドネオンの音色に聞き入ったのが最初!その時バンドネオンの音に全身が痺れたそうです。直ぐ父親に「バンドネオンを買ってくれ!」と頼みますが、余りの値段の高さに父親から叱られます。因みに当時家が買える程の価格だったそうです。
しかしバンドネオンへの思いは日一日と強くなり、佐川さんは中国・大連のお金持ちの家へ嫁いだ姉を頼り、夢の楽器バンドネオンを手にします。しかし誰も弾き方を知らないので、独学で人の演奏を聞いてマスターしたそうです。以降様々なバンドで演奏活動を行ないますが、音楽学校の先輩に当たる「淡谷のり子」さんのバンドへの誘いを断った事が今でも心に残る佐川さんでした。
発想は歳を取らない
今週も、元広島テレビカメラマンで、現在広島テレビ文化情報センター常務執行役員、そして広島市立大学芸術学部版画工房の生徒「落田 克二」さんにお話を伺いました現在61歳の落田さん、日頃思う事は「発想は歳を取らない」。これは色んな物、色んな曲を聞き感動する事だそうです。最近のヒット曲を知るのも、音楽を絶えず聞いているから!とおっしゃいます。因みに昨年は歌好きから南田と一緒にライブを開催!「人前で歌を歌うことは凄く緊張した」そうです。画家のピカソも90代で創作活動を続けたように、自分も好きな版画を作って行きたい!「発想は歳を取らない」をモットーに前向きに生きて行きたい!と語る落田さんでした。
カープ初優勝をグランドで撮影
今週は、元広島テレビカメラマンで、現在広島テレビ文化情報センター常務執行役員、そして広島市立大学芸術学部版画工房の生徒「落田 克二」さんにお話を伺いました。
昔から版画に興味が有り、趣味として製作を続けていた落田さん、61歳になって再び勉強することを決意!偶然耳にした、広島市立大学社会人枠の事を聞き応募!見事合格したそうです。
所で広島テレビ入社当時はカメラ素材はビデオではなく、モノクロフィルム時代で、入社して直ぐにカラー時代を迎えたそうです。一番の想い出はカープ初優勝の瞬間当時後楽園球場のグランドに降りて胴上げシーンを撮影しました。感動で体全身が震えていたの瞬間を今だ甦る!と語る落田さんでした。
これから日本の食生活はお米
今週も、中区東白島のスーパーマーケット「フレッシュパントリー白島」の店長「鼻岡義典」さんがゲストです。
広島東区在住の南田は仕事帰り「フレッシュパントリー白島」店で買い物をする事が多く、ワインコーナー担当者が「美味しいワインを勧めてくれる」と大満足しています。さて、最近食品価格が値上がりしていますが、特に小麦の高騰は、大きな影響を与える!と鼻岡さん。「将来パスタは高級メニューになるのでは?」と鼻岡さんはおっしゃいます。だからこそ日本はお米が食品価格高騰の鍵になるようです。今後お米を使った色んな商品が登場し、小麦に変わる存在になるのでは?と鼻岡さんは予想しています。日本の主食お米ですから「皆さんしっかりお米を食べましょう!」と語る鼻岡さんでした。
食べる事が大好きなので仕事は楽しい
今週は、中区東白島のスーパーマーケット「フレッシュパントリー白島」の店長「鼻岡義典」さんにお話を伺いました。「パントリー」とは食材庫の意味で、新鮮な食材庫からネーミングされたお店です。実は南田が良く行く店で、パントリーこだわりの商品を良く知っていました。
鼻岡さんのお店は、折り込みチラシをしないので、口コミで広がるお客様が頼り!その為この店にしかないこだわり商品を仕入れています。現在39歳の鼻岡さんですが、家族と一緒の時はどうしても食べ物にうるさくなってしまうそうです。食べる事が大好きなので食材に関して神経を使うのでしょうか?子供の頃から家族が商売をしていたので、現在の仕事は理想通り!食べる事が好きなので食材を扱う仕事は楽しい!と語る鼻岡さんでした。
声たるもの、すなわち芸術
今週も、元広島大学学長、現在広島市現代美術館館長、広島文化財団常任顧問理事をされている「原田康夫」さんにお話を伺いました。原田さんがオペラと出会ったのは中学校2年生の時。戦後の闇市で買ったオペラレコードがきっかけでした。以来50年以上、オペラに魅せられ歌い続けています。昭和40年、オペラを歌う事を目的にイタリアへ渡った原田さん。本来は医者としての留学でしたが、その合間を縫ってミラノの音楽学校でオペラを学びます。「本業の医者以上に本場オペラの勉強は財産になった」と振り返る原田さんです。
オペラとは?という南田の質問に「オペラとは音楽の中の総合芸術!オーケストラの真ん中で歌える!こんな楽しい事はない。人間の持つ一番力の強いもの、それは1万人の聴衆に届く声、更に人の心に感動を与える素晴らしい能力」「声たるもの、これすなわち芸術」と熱く語る原田さんでした。
オペラとの出会い
今週は、元広島大学学長、現在広島市現代美術館館長、そして広島文化財団常任顧問理事をされている「原田康夫」さんがゲストです。広島大学の学長退任後広島市民病院の改築を担当したのは原田さん。「アクセスの良い場所にある病院だからこそ駐車場多くした」の言葉通り、便利な病院になりました。
さて、南田が初めて原田さんに出会ったのは「市民オペラ」今も50年以上オペラを歌い続けています。原田さんは、今年77歳。生まれは呉の天応で、広島一中(現在の国泰時高校)に在学中広島の原爆を体験しています。幸運にもその日は学校が休みで、自宅にいた原田さん!広島市上空のきのこ雲を目撃したそうです。その日以来「今でも生かされている」と語る原田さんです。
さて、オペラとの出会いは原爆が落ちた年の暮れ、闇市で入手したオペラのレコードでした。以来、オペラを愛し歌い続ける原田康夫さん素晴らしいかなオペラ人生ですね。
走る!とは人生そのもの
今週も、中国電力陸上部監督「坂口 泰」さんをゲストに招きました。さて先週も紹介したように、今年の北京オリンピックに、中国電力から3人の選手が代表として出場します。まず卓球の福岡春菜選手、そしてマラソンの尾方剛選手佐藤敦之選手です。特にマラソンを指導している坂口さんは「まさかこの二人がオリンピックに出られるとは夢には思わなかった」とおっしゃいます。中国電力陸上部に入部した頃の尾方選手は、とても走れる状態ではなかったそうですが、「何とかなる!」と直感が働いたとか。佐藤選手も同じような状態でしたが、二人とも強い精神力を支えに練習を積み、出場を手にしたそうです。坂口さんにとって走るとは人生そのもの!その思いが二人に伝わったのでは?と語る坂口さんでした。是非!メダル獲得を期待したいですね。
北京オリンピックマラソン競技
今週は、中国電力陸上部監督「坂口 泰」さんに話を伺いました。今年中国電力陸上部は、素晴らしい快挙を手にしました。それはマラソン競技で尾方剛選手・佐藤敦之選手が選ばれ、北京出場が決まった事。又中国電力の卓球部からは福岡春菜選手が選出されています。「決まるまで、ドキドキの連続だったが、選ばれたことは素晴らしい」と語る坂口さんです。さて、坂口監督自身は広島の「世羅高校」から「早稲田大学」に進み、マラソンの名選手「瀬古 利彦」を育てた「中村 清」監督に師事し、「中村学校」に入ります。その時を振り返って「中村学校は世界一厳しかった!何度も怒られたその裏側には世界で頑張って欲しい!と願う先生の思いがあったのでは」と語る坂口さん。中村学校で学んだ事が、中国電力陸上部の監督としての現在に生きている!ともおっしゃいます。北京で是非!マラソン競技のメダルを期待したいですね。
音へのこだわり
今週も、安芸郡府中町で「スタジオM」を経営している「鹿村和正」さんに話を伺いました。先週は自宅新築を機に夢だったスタジオを作った話でしたが、今週は鹿村さんの日頃の楽しみを聞きました。スタジオオープンから22年!今の楽しみは、録音した音のミックス!と鹿村さん。プロもアマも作るものは同じ1枚のCD。アマチュアのバンドでも、プロと同じ音作りにしたい。その背景には、鹿村さんが青春時代に聞いた音楽への感動があります。
最近感動する曲が無くなった!と語る南田に、「昔の曲はいつまでも新鮮!古くならない」と意見が一致した二人でした。これからも広島のバンドの為に素晴らしい音作りをして下さい!鹿村さん。
自宅がスタジオに
今週は、安芸郡府中町で「スタジオM」を経営している鹿村和正さんがゲストです。長年、楽器店に勤めていた鹿村さん。自宅新築を機に、念願のスタジオを作ってしまいました。楽器店を辞め、練習・録音・楽器レンタル業務の「スタジオM」を経営しています。
ところで1958年生まれの鹿村さんは、吉田拓郎神様!の世代。楽器レンタルの仕事で拓郎のステージに行けた事が、夢のような時だった!とおっしゃいます。
最近「スタジオM」には、団塊世代の人達が再びバンドを結成し練習に来ているそうですが、昔のフュージョン等々、鹿村さんにとっては懐かしいサウンドが聞けるとか。
「スタジオM」を作って22年。好きなアーティストのライブに楽器レンタルでいけるのが何よりの楽しみ!楽器セッティング等でミュージシャンとの距離が近いのが特権!とおっしゃる鹿村さんでした。
山口百恵大ファンの磯野さん
今週も、「磯野製麺」社長「磯野 晃」さんがゲストです。磯野さんは中学時代から「山口百恵」の大ファン!お気に入りの曲は「曼珠沙華」(マンジュシャカ)で、歌詞を今でも覚えているそうです。殆どのレコードを持っている磯野さんですが、昔も百恵チャンが出演しているテレビ番組を前に、カセットで収録した事を懐かしく思うそうです。
さて、家業を継ぐのは30過ぎの予定でしたが、家の都合で早く引き継いだ当時は、他にやりたいこともありとても辛かった!と磯野さん。ソバはお好み焼きの一部だと思っていたそうですが、ある時、ビルのエレベーターの中でお好み焼きを食べ終わったお客さんの「おソバが美味しかったね」の言葉を聞き、ソバに対する気持ちが一新!お好み焼きが美味しかった!ではなくソバが美味しかった、の言葉を今でも大事にしている磯野さんでした。
磯野さんの幅広い交際の輪
今週も、「磯野製麺」社長「磯野 晃」さんがゲストです。磯野さんの交友の輪は幅広く、番組レギュラー佐々木社長もお仲間。知り合って2年位、良くお酒を飲む付き合いです。先週は、プロ野球を目指していた磯野さんは、高校時代肩を壊して、夢を断念!家業の製麺会社を継いだ!という話でした。現在は麺作りの面白さを知り、楽しく仕事をしていますが、磯野さんの一番下の弟さんは、お好み焼き屋を広島市白島で開業しています。お好みの麺を作る磯野さんと、その麺を使ったお好みを焼く弟さん。磯野一家はお好み焼きと深い関わりがあります。関わりと言えば、中学時代の後輩は「奥田民生」。磯野さんは今も付きを続けています。その奥田さん行き付けの店が弟さんのお好み屋。ある日奥田さんが、「井上陽水」連れて来店!野球好きの話で盛り上ったとか。交際範囲の広い磯野さんならではの話ですね。
出産を見て感動!進路は決まった
今週は、広島廿日市市の「ひさまつ産婦人科医院」院長「久松和寛」がゲストです。久松さんは夜9時に寝て朝3時近くに起床!という睡眠時間。急な出産に対応する為だそうです。所で久松さんの実家は、戦中戦後広島八丁堀で中華料理屋を営んでいたそうです。当時を振り返って「店の裏側に広場があって、そこには折れ曲がった瓶が沢山あった」と久松さん後になって原爆の熱で変形した事を知った!とおっしゃいます。所で久松さんの父親は医者志望で、戦中は海軍の衛生兵をしていました。結局医者になれなかった父親は久松さんに夢を託したそうです。父の思いを継ぎ医者になった久松さん。研修医時代は内科を目指していましたが、実習で初めてお産を見て感激!進路を産婦人科医に決めたそうです。出産した母親に「おめでとう御座います」と声をかけられるのは産婦人科しかない!とおっしゃる久松さんでした。
日本酒は人の恵み
今週も、酒都西条の造り酒屋「亀齢酒造株式会社」社長「石井英太郎」さんがゲストです。
先週は親に家業を必ず継ぐと約束し、1年間のアメリカ生活体験談でしたが、今週は、石井さんの日本酒に対する思いを伺いました。
「日本人は米の国に生まれ、昔から日本酒を飲み、お米、味噌汁、納豆等の発酵食品を食べてきた。所が最近の食生活は欧米化が進み、日本酒を飲む人が減ってきている。理由の一つに、造り酒屋があんのんとしていたのではないか」と石井さん。まずはビールではなく、世界に誇れる日本酒をもっと飲んでも貰いたいともおっしゃいました。
ところでワインはその年に収穫される葡萄の出来不出来で味が決まるので、天の恵み。一方日本酒は原料の米に左右されず、当時の業で味が決まるので「人の恵み」と語る石井さん!造り酒屋6代目の深い言葉ではないでしょうか。
西条の造り酒屋に生まれて
今週は、酒の都西条の造り酒屋「亀齢酒造株式会社」社長、「石井 英太郎」さんをゲストにお招きしました。亀齢酒造6代目の石井さん。社名に亀齢の名が付いたのは明治の頃で、それ以前、江戸時代には「吉田屋の酒」と言われていました。現在6代目として会社を切り盛りする石井さんですが、自ら「私は6代目ではなく6人目」とおっしゃいます。造り酒屋に生まれた石井さん!大学時代「直ぐ家に帰ると酒屋を継がなくてはならない」と親には家業を必ず継ぐと約束し、1年間アメリカで生活をしました。「酒屋を継ぐ運命だから、その前に色んな事を見て、体験したい」というのが、アメリカ行きの理由でした。1年間のアメリカ生活は石井さんに様々な刺激を与えました。そして帰国!又親を説得!「もっと世の中を見てみたい」と繊維商社に入社します。色んな体験が今の会社経営にヒント与えている、造り酒屋に生まれた石井さんのこだわりでした。
趣味はボーリング!アベ180の久松先生
今週も、広島廿日市市の「ひさまつ産婦人科医院」院長、久松和寛さんにお話を伺いました。先日、映画「チーム・バチスタの栄光」で、南田から「監修に来た医師達の中に3日位寝ていない人もいた」と聞き、久松さんも大学卒後した直ぐの頃は同じような状態で、病院に寝泊りしていたと話してくださいました。若い時は、色んな患者さんを観るのが勉強!沢山経験を積む事が目的だったそうです。
そんな忙しい時代、唯一の気分転換は「ボーリング」。当時は、マイボール&マイシューズで、アベレージが180だったと久松さん。女子プロボウラー須田開代子さんの本を読んで、ボーリング技術向上の研究をしたそうです。
ところで、最近産婦人科を目指す医師が少ない事に関して、「出産の感動は生まれたばかりの子供を見て得られる!是非あの感動を味わって欲しい」と語る久松先生。今も久松産婦人科から元気な赤ちゃんの産声が聞こえてきそうです。
出産を見て感動!進路は決まった
今週は、広島廿日市市の「ひさまつ産婦人科医院」院長、「久松和寛」がゲストです。久松さんは夜9時に寝て朝3時近くに起床!という睡眠時間。急な出産に対応する為だそうです。ところで久松さんの実家は、戦中戦後広島八丁堀で中華料理屋を営んでいたそうです。当時を振り返って「店の裏側に広場があって、そこには折れ曲がった瓶が沢山あった」と久松さん後になって原爆の熱で変形した事を知った!とおっしゃいます。
ところで久松さんの父親は医者志望で、戦中は海軍の衛生兵をしていました。結局、医者になれなかった父親は久松さんに夢を託したそうです。父の思いを継ぎ医者になった久松さん。研修医時代は内科を目指していましたが、実習で初めてお産を見て感激!進路を産婦人科医に決めたそうです。出産した母親に「おめでとう御座います」と声をかけられるのは産婦人科しかない!とおっしゃる久松さんでした。
原爆詩人 峠三吉
今週も、広島をベースに活動をしている役者「高尾 六平」さんにお話を聞きました。広島には専門劇団が無かった為、昭和40年頃、アマチュアの劇団「月曜会」に入った高尾さん、その劇団で運命的な出会いがあったそうです。それは昭和60年に亡くなった座付作家「土屋清」さん。彼の作品、生き様に感銘を受けた高尾さんは、芝居への向き合い方が変わったそうです。現在66歳の役者高尾さんにとって印象に残る役は?の質問に「土屋清」さんが書いた「河」と言う作品!と高尾さん。これは原爆詩人「峠三吉」を描いた作品で、高尾さんは峠三吉を演じました。芝居を通し、峠三吉に出会い彼の生き方に近づこうと今も頑張っているそうです。広島にこだわり、この地で役者人生を送る高尾さん!これからも素晴らしい役者人生を送って欲しいと思います。
一生貫く役者人生
今週は、広島で活躍する役者「高尾 六平」さんにお話を聞きました。66歳の大先輩高尾さんですが、役者の道に出会ったのは、意外にも遅く23歳の時でした。それまでは小学校の学芸会位しか芝居の経験は無かったそうです。きっかけは友人の「今夜飲み会があるから500円持ってきなよ!」の言葉。飲み会に出てみると役者の集まりで、彼らの目のギラギラに魅了されてしまいます。それが高尾さん役者人生の始まりで「芝居に惚れて世界に飛び込んだのではなく、芝居をする人に惚れて役者を始めた」という高尾さんの言葉が印象的です。ところで役者を目指し東京に出て行く人が多いそうですが、高尾さんは生まれ育った広島にこだわり、役者として広島を語り継いで行きたい!とおっしゃいます。広島には専門劇団が無いので、それだけでは暮らして行けない!そんな状況でも生涯役者として頑張って行きたい!と語る高尾六平さんでした。
十八番の千の風になってを聞いて見たい
今週も、キリンビール株式会社広島支社長「井川 厚」さんにお話を聞きました。声も良い「井川」さん。大学時代はグリークラブで置き喉を鍛えていたそうです。社会人になっても歌う事は大好きで、十八番は「千の風になって」番組で冒頭を歌って頂きましたが、かなりレベル!是非フルで聞いてみたいものです。さて、キリンビール入社21年の井川さんですが、最近お酒の強い女性が増えてきた!その為女性の声をしっかり聞く事が、これからのビジネスに欠かせないそうです。井川さんにとっての広島は、丁度良い規模の都会で、とても暮らしやすい場所!広島の好物は「牡蠣」特に「牡蠣」入りのお好み焼きが大好きだそうです。現在単身赴任で、休みは会社に行って、月曜からスムーズに仕事が運ぶよう整理をしているとか、支社長の大変さを伺える話でした。
サッカー 紫か?赤か?
今週は、キリンビール株式会社広島支社長「井川 厚」さんにスタジオにお越しいただきました。インタビュースタートと同時に「井川 厚」さんの余りの声の良さに驚く南田。聞けば元々マスコミ志望で、キリンの内定よりマスコミが早かったらアナウンサーになっていた!とコメントする井川さん。その声を裏付けるような美声に南田は感動の連続です。声の良さはトークだけでなく歌にも生かされ、現在お仲間と歌を趣味にしているそうです。一方身体を動かす事が好きな井川さん!現在自宅のある「さいたま」が縁で、サッカーも趣味。ボールを蹴るのが楽しみなんだそうです。さいたま同様広島もサッカー王国!ビッグアーチでの浦和戦は、ニュートラル!と言うか、微妙な応援席にしているそうです。サンフレッチェ 浦和レッズ本心は赤?紫?なんでしょうかね。
安藤忠雄さんと海外建造物視察旅行
今週も、広島を拠点に建築デザイナーとして活躍する山嵜雄二郎さんがゲストです。山嵜さんは、安藤忠雄さんと外国建造物を回る旅に10ヶ国を旅してきたそうです。ところが建築物ばかりみているので、自分が今どこの国に居るのか分からなくなる時もあるそうです。師匠の安藤忠雄さんは、気遣いの人で、大きな建物を作った時、完成した後、建築に携わった職人さんを集め、労をねぎらっています。安藤さんの人柄がわかるエピソードですね。さて最後に「山嵜さんにとって広島は?」という質問に対し「広島は海・山と自然が素晴らしい場所!こんな所は他には無い!大切にしたい」と答えてくださいました。日々、車移動より自転車に乗る機会の多いそうですが、風を切り颯爽と走るシーンが浮かぶ話でした。
師匠安藤忠雄にU2のボノから建築依頼
今週も、広島を拠点に建築デザイナーとして活躍する山嵜 雄二郎さんがゲストです。
山嵜さんは建築家の仕事を選んで20年になりますが、東京時代からお世話になっている安藤忠雄さんの面白いエピソードを紹介してくれました。
それは、U2「ボノ」からの電話です。安藤さんの所にある日1本の電話が・・・「先生、建築の依頼みたいですが」に「誰からや!」と安藤さん。「何かロックバンドのボノとか言う人ですわ」に対し「知らん!断れ」と電話を切ったそうです。後になって有名なロックバンドU2のボノからと分かり、結果諦めずに何度も電話してきたボノの依頼を引き受けたそうです。
当時山嵜さんもボノの事をよく知らなかったそうで、仕事の世界が違うとあの有名なボノも「誰や!知らん」の一言で片付けられてしまうんですね。
はらみちを美術館の設計者
今週は、広島を拠点に建築デザイナーとして活躍する山嵜 雄二郎さんをゲストにお迎えしました。
広島での仕事は20年になりますが、先日ゲストに迎えた「君田温泉森の泉支配人 古川 充」さんの話に出た「はらみちを 美術館」や「戸河内道の駅」の設計などを手掛けています。その前は東京の設計事務所に所属し、渋谷の「オンエアー」というライブハウスを設計しています。
学生時代から建築に興味を持った山嵜さんは、「母親が絵を書いていた事が大きく関係している」と言われます。
東京の設計事務所は世界的著名な建築家、安藤忠雄の弟さんが運営していたため、山嵜さんは、安藤忠雄さんとも交流があります。毎年、安藤さんが世界の建物を視察する旅行に同行しているそうです。「建物だけを見る旅なので、時々今どの国にいるのかわからなくなる」と、いかにも建築家らしい話でした。
ヴァイオリンがベースギターに変わった
今週も、株式会社井口家具百貨店の代表取締役社長、井口喜典さんをゲストに迎えしました。
音楽との出会いはヴァイオリンだそうですが、習い始めの頃、ビートルズが出現!彼らの音楽を当時岩国放送で聴き、ビートルズの凄さにはまってしまいました。
それ以来洋楽を聴き続け、高校時代にはバンドを結成したそうです。
それが拓郎さんや広島フォーク村との出会いでした。
さて、今年フォーク村結成40周年を迎えますが、井口さんのところへ多くの村員から連絡が入るそうです。
何をやるか?の内容は固まっていないそうですが、日程は8月2日に決定しています。
さらに、今月公開の映画「結婚しようよ」を取り上げ、今年はフォーク元年再来!とふたりで盛り上がりました。
広島フォーク村40年前を振り返って
今週は、井口家具百貨店 代表取締役社長の井口喜典さんをゲストに迎えしました。
井口さんは、今から40年前、広島フォーク村で吉田拓郎さんと出会いました。フォーク村は僅か2年位の活動でしたが、解散した後も拓郎さんとの付き合いが続いているそうです。
さて、広島から東京に出た時井口さんも東京で大学生活を送っていました。広島弁が染み付いていた拓郎さんを生かそうと、レコード会社のディテクターは広島のメンバーを集めました。東京で電話を受けた井口さん!楽器を持ってきて欲しいと言われ、ベースを持ち御苑スタジオでテストを受けることになったそうです。
「震えましたよ」と当時を振り返る井口さん、始めてスタジオに入った感覚は今でも鮮明に覚えているそうです。そのまま音楽業界に残る道もあったそうですが、広島に帰ってきた井口さんは、あのまま東京にいたら音楽関係会社の社長になっていたかも・・・。
音を分解する能力
今週も、(株)ステージユニオン広島の取締役、福嶋洋一郎さんをゲストに迎えしました。
福嶋さんは、「一級舞台機能調整技能士」という資格を持っています。あまり知られていない資格ですが、音響に関する勉強が出来た事が良かったそうです。
ところで野外コンサートの時気温で音の伝わり方が異なるそうです。「一級舞台機能調整技能士」の試験にも出たそうですが、晴れていると音は上に飛んで行き雨などが降り気温が下がると音がカーブを描きながら下りてくるんだそうです。
また、音響担当者の耳は良い訳ではなく、分解する能力が高い!ということです。具体的には、CDに収録されている楽器の数を聴き分けるようにトレーニングしているそうです。日頃から耳を鍛える努力が大切ですね。
音響は舞台のインターフェイス
今週は、(株)ステージユニオン広島の取締役、福嶋洋一郎さんをゲストに迎えしました。舞台音響の仕事に就いて、約30年。「お客さんと舞台パフォーマンスの間に入るインターフェイス役」、その言葉がこの仕事に就くきっかけでした。以来、多くの舞台音響をこなし、去年徳島で行なわれた「国民文化祭」の音響を担当するなど大きな仕事をしています。音響の仕事は、引き出しを多く持っていないといけない!と福嶋さん。新米の頃、日本舞踊の音響をしたそうですが「今日は2丁(ちょう)」と師匠さんに言われ、何のことか分からなかったそうです。後になって2丁とは三味線の事。2本の三味線の意味だったそうです。知っていて当り前の世界だから、日頃から引き出しに知識をストックしているそうです。音に関してはアナログだろうとデジタルだろうと、イメージがあるので使いこなせるということです。
「備後のスター」高橋逸爾さん
今週も、尾道でカレー専門店「雁木カリー」をしているアウトドアインストラクターの高橋逸爾さんをゲストに迎えしました。高橋さんのアウトドアとの出会いは、高校時代のゴミ拾い奉仕活動でした。
最近、海のゴミが減っている!ということですが、恐らく色々なクリーンキャンペーンの効果ではないかということです。ところで高橋さんにはイギリスに住む友人が居るそうですが、イギリスではゴミを分別していないそうです。外国は自分本位なのかもしれませんね。高橋さんは、これからもアウトドアの面白さを多くの人に伝えたい!とおっしゃいます。道端の雑草ですら酸素を作っているという事!だから植物は抜くのではなく、他の場所に植えよう!この考え方がアウト・ドア・ライフだそうです。
アウトドアの達人
今週は、カヌー、キャンプ等アウトドアインストラクターで、尾道でカレー専門店「雁木カリー」をしている高橋逸爾さんをゲストに迎えしました。カヌーの魅力について「水面に一番近い乗物じゃないですか、パドルを漕ぎながら風を受けると最高なんですよ。一番感動するのは夜!満月の夜にシーカヤックで海に漕ぎ出すと、月の光に照らされて海が金と銀色に輝く」ということで、その光景が浮かぶ話です。一方、アウトドアでは、子どもは今も昔も変わらないそうです。子供、両親一緒に、イベントに招かれるそうですが、火の付け方を知らない子供がいるそうで、子供の両親も火を付けられませんでした。結局子供は親を見ながら育つ!ということです。アウトドア大好きがこうじて今の仕事をしている高橋さんですが、目がキラキラしているのが印象的でした。
はらみちを美術館
今週も、三次市君田町の「君田温泉森の泉」支配人古川 充さんをゲストに迎えしました。
君田温泉は開業10年ですが、温泉に入った方の数は180万人位になるそうです。当時温泉施設が少ない広島でしたが、最近の県北は、温泉銀座と言われるほど温泉施設が増えました。
ところで君田温泉森の泉には「はらみちを美術館」がありますが、この施設は平成18年にオープンしました。美術館の建築に関わった古川さんは、設計をあの「安藤忠雄」さんに依頼したそうです。
お願いのため大阪に、足を運んだ古川さん!あの時の感激は一生忘れられない!ということです。安藤さんは、2時間も古川さんの話をしっかり聞いてくれました。結果、安藤さんの知り合いが広島に居る!という事で、当時の村長宛に紹介状を書いてくれたそうです。古川さんの行動力も驚きますが、安藤忠雄さんの懐の深さに感動する話でした。
君田の温泉、知ってる?
今週は、三次市君田町の「君田温泉森の泉」支配人、古川 充さんをゲストに迎えしました。昨年開業10周年を迎えた君田温泉ですが、古川さんは「まさか10年持つとは思わなかった。最初は3ヶ月、3年で潰れる声もあった」と言われました。開業当初の来客予想は7万人でしたが、嬉しい事に20万人の人が君田温泉を訪れました。最大の理由は温泉の湯が他にはない泉質だったからだそうです。温泉を掘る前の君田はめぼしいものがなく、温泉施設開業は大きな転機になりました。開業して5年の時、東京のテレビ局が全国の第3セクターの黒字施設として取材やって来て、それをテレビで見た青森のご両親も喜んでくれました。出身地の青森も君田町も大事な故郷とおっしゃる古川さんでした。
カープ地元市民球場で胴上げ
今週も、広島テレビでアナウンサーとして活躍した加藤進さんがゲスト!3週目の登場です。カープ初優勝の時、選手全員にインタビューしたことが今でも一番の思い出です。
その次は昭和54年にカープが2回目の優勝をした時。地元広島市民球場で初めての胴上げは、最高でした。幸運にもその時の実況が出来たのは自分に運・ツキがあったからではないかということです。放送席の解説は、濃人渉さん、村山実」さん。不思議な事に、村山さんはサングラスをして解説をしていたそうです。ナイターなのにどうしてなのか?と思いましたが、その理由は優勝が決まった時に分かりました。最後のマウンドにたった江夏投手と村山さんは師弟関係。そして当時の古葉監督と濃人さんも師弟関係。優勝した瞬間二人の鼻をすする音が聞こえたそうです。涙を見せたくなかったからなんですね。
顔が良くて、声が良いアナウンサー?
今週も、広島テレビでアナウンサーとして活躍した加藤進さんがゲストです。今週は加藤さんの好きな映画の話で盛り上がりました。映画好きの母親に連れられ幼少の頃から映画館に通った加藤さん。想い出に残る作品はチャールトン・ヘストン主演の「ベンハー」だそうです。数々のスペクタクルシーンに感動したそうです。また、好きな俳優、男性はスティーブ・マックイーン、女性はオードリー・ヘップバーン、音楽はヘンリー・マンシーニということです。話はアナウンサーに移り「ライバルがいたから頑張る事が出来た」と加藤さん。ライバルとは、今は亡き脇田義信アナウンサーのことで、「彼がいたからこそアナウンサーになれた」そうです。
アナウンサーは第二志望だった
今週は、広島テレビでアナウンサーとして活躍した加藤進さんをゲストにお迎えしました。
元アナウンサーだけあって声の通りはさすが!スポーツ中継をイメージしてしまいました。最初からアナウンサーを目指していたのか?と言う質問に「実は新聞記者になりたかった」と加藤さん。きっかけはNHKの番組「事件記者」を見て以来、その世界に憧れたそうです。ところが加藤さんの大学時代の教授が「加藤君は新聞記者を希望しているようだが、ニュースはこれからテレビの時代」その言葉でテレビ局入社への転機が訪れました。最初は報道部門を希望した加藤さんでしたが、第二希望をアナウンサーと答えたのがきっかけで、入社。結果!第二希望のアナウンサーに決まったそうです。今振り返るとカープ初優勝のインタビューが出来た事が素晴らしい財産になっていると語る加藤さんでした。
シンガー長谷川きよしに弟子入り
今週も、広島市中区袋町「栗林ビル」オーナー、カフェ・ローマ経営、そしてバンド「ラ・パッソ」でギタリストとして活躍する栗林周史さんがゲストです。
栗林さんにとって、50歳を過ぎて今のメンバーと出会い、バンド「ラ・パッソ」を結成した事は、夢の実現でした。現在、月1回のライブを行い精力的なバンド活動をしています。ところで栗林さんは、東京で、曲を聞いて憧れたミュージシャン長谷川きよしのもとを訪ね、何と弟子入りを許可されたそうです。長谷川さんから音楽の厳しさを教えて貰った栗林さんは、その経験を今も大切にしています。これからも出会ったバンド仲間と共に音楽を続けていきたいと!と語る栗林さん。「ラ・パッソ」今後の活躍を期待しましょう。
バンド仲間応募で全国大会出場
今週は、広島市中区袋町「栗林ビル」オーナー、そしてカフェ・ローマの経営する傍ら、バンド「ラ・パッソ」でギタリストとして活躍する栗林周史さんをゲストに迎えしました。
幼い頃から音楽の魅力にのめり込んでいた栗林さん。ギターを弾き始めたのは小学生の時でした。中・高校時代はバンドを組み、大学時代も音楽三昧の日々を送りました。
広島に帰ってからはカフェの経営をし、音楽から離れていましたが、ある事がきっかけでバンド「ラ・パッソ」を結成します。そのある事とは、子供のPTAで出会ったボーカルの「アユミ」さんでした。彼女の声に惚れこんでバンドを結成し、今年で結成4年目になります。以降ライブ活動を精力的に行い、バンドメンバーが勝手に応募した「全国ナイスミドル音楽祭」に出場し、見事中国地区代表に選ばれ、全国大会で入賞してしまいました。1100以上の応募だったそうですから、凄い事ですね。
昼寝好きの蕎麦打ち名人
今週も、新蕎麦の季節!という事で、広島市西区手打ち
「蕎麦屋はっぴ」店主、菊池幸治さんをゲストにお迎えしました。
菊池さんは、サラリーマン時代と今では気持ちの持ち方が違うそうです。蕎麦打ちは重労働だけど、ストレスが無いから楽です。人生を変える強い決意があれば、道は開ける!ただ、まわりの人間関係や環境を無視すると、良い結果は得られないということです。実際、蕎麦屋を開業して、始めることはそんなに難しくはありませんが、継続することが難しいそうです。今考えるととても苦しかったと開業当時を振り返ります。
菊池さんの楽しみは、定休日にビールを飲んで昼寝をする事です。人が働いている時にお酒飲む優越感が好きなんだそうです。
勇気ある転職
今週は、新蕎麦の季節!という事で、広島市西区手打ち「蕎麦屋はっぴ」店主の菊池幸治さんをゲストにお迎えしました。菊池さんが蕎麦屋を開いたのは今から6年前。それまでは、事務職という普通のサラリーマンでした。昔から何かしたい!という気持ちを持ち続けていましたが、蕎麦好きも手伝い、思い切って脱サラをしました。47歳で開業した時は家族に迷惑をかけた!と当時を振り返り、特に中・高校生だった娘二人には不安な思いをさせたのでは?とおっしゃいました。
ところで菊池さんが蕎麦打ちの魅力に出会ったのは、北広島で蕎麦屋を開業している高橋邦弘さんの蕎麦打ち教室。蕎麦を中心におにぎり、定食など色々なメニューを考えていた菊池さんでしたが、ざる蕎麦だけで商売をしている高橋さんの凄さに驚き、考え方を変えました。高橋さんに出会わなかったら、今の自分はなかったのでは?と振り返ります。
62歳になっても舞台に立ちたい
今週も、広島演劇界の重鎮、青野光臣さんをゲストにお迎えしました。思い出に残る芝居は?という質問に対し、アガサ・クリスティが書いた「ねずみとり」と答えた青野さん。台詞の長い役で、ほとんど舞台に出っぱなしの芝居だったそうです。その後アガサ・クリスティを生んだ国イギリスに行く機会があり、現地でこの芝居を見ました。英語は苦手の青野さんでしたが、広島でこの役を経験していた為、ストーリーは分かったそうです。一方、若い時の失敗談として、台詞を忘れた事があったそうですが、プロンプターという舞台のそでで、忘れた台詞を言ってくれる役があったものの、全く役に立たちませんでした。今は役者を休止している青野さんですが、また舞台に立ちたいな!と目をキラキラさせながら語る青野さんでした。
生涯役者
今週は、広島演劇界の重鎮、青野光臣さんをゲストにお迎えしました。青野さんの生年月日は1945年8月5日、広島の運命を変えた前日です。父親は呉で軍艦を作る仕事に従事していて、空襲で亡くなったそうです。青野さんは父親を知らずに育ちました。今振り返っても大変な時代だったと当時を振り返ります。現在は、「オフィス青野」の代表を務め、コマーシャルのキャスティングと役者の養成をしています。中学時代、先生から「芝居をやれ!」と言われた青野さん。元々目立ちたがり屋だった性格も関係し、以降芝居の魅力にとりつかれ、40年以上芝居と関わっています。運命の出会いは中学時代だったようです。
音楽に対する熱い思い
今週も、南田の高校の先輩であり、柳ジョージ&レイニー・ウッドのリーダー上綱克彦さんをゲストにお迎えしました。萩原健一と運命の出会いがあり、大ブレイクした柳ジョージ&レイニー・ウッド。ピークの頃は、年間コンサートツアー120本、しかも同じ年にアルバムを2枚リリースしたそうです。今では考えられない過密スケージュールだった!と上綱さんは当時を振り返ります。その経験が今のアーティスト活動の原動力になっているそうです。南田の最近のミュージシャンに対して何か感じますか?の問いに、洋楽を聴かないアーティストが多い!僕らは本物のミュージシャンの曲を必死に聴き、それをコピーしてきた。本物に出会わないといいサウンドは生まれない!と話を締め締め括ってくれました。11月30日は上綱さんの誕生日!その日はバースディライブを開くそうです。今後の活躍を応援したいですね。
上綱克彦運命の出会い
今週は、南田の高校の先輩であり、柳ジョージ&レイニー・ウッドのリーダー上綱克彦さんをゲストにお迎えしました。高校時代に全国大会の音楽コンテストに出場!審査員から絶賛を浴び、プロミュージシャン生活が始まったようです。昭和50年カープ初優勝の年に東京へ出た上綱さん。大のカープファンですから、勿論チケットを買いその瞬間を見ていました。一方バンド活動は、仕事が無く苦労の時代でした。バンドポリシーとして音楽以外の仕事!例えば食べる為のアルバイトはしなかったそうです。徳間音工レーベルからアルバムをリリースしますが、英語の歌詞しか歌わない!の姿勢で全く売れませんでした。音楽の道をあきらめた時、萩原健一と運命の出会いがありました。彼のテレビ番組の主題歌を日本語で歌い、大ブレイク!日本を代表するグループになります。
オルゴールは人を救う
今週も、ギタリストであり、日本唯一の「オルゴール作曲家」橋本勇夫さんをゲストにお迎えしました。
オルゴールの曲で、多くの人から嬉しい声を貰った橋本さん。「自殺をオルゴールの音を聞いて、やめた!」「受験勉強中にオルゴールの音を聞いて、見事合格した」等々です。
先週、「子供の頃から頭にメロディが浮かぶ」と言われましたが、「心の駆け引きを始めたらメロディは多分出なくなるだろう」ともおっしゃいました。自分に正直に生きているから、今でもメロディが浮かぶのではということです。ところで2週にわたりスタジオに来られた橋本さんに、「南田をイメージするメロディが浮かびましたか?」の質問に対し、スタジオで即興演奏!是非このメロディをオルゴールにして欲しい!と南田。「次回は完成したオルゴールの箱を持参してください!」で話を締めくくりました。
蜘蛛と会話する作曲家
10月最初のゲストは、ギタリストであり、日本唯一と言っても過言では「オルゴール作曲家」橋本勇夫さんをゲストにお迎えしました。作曲家になったのは1台のオルゴールとの出会いだったそうです。出会う前は事業の失敗等で自宅を売り払う状況でしたが、オルゴールが自分の人生を大きく変えたそうです。橋本さんには、1つの信念をお持ちで、それは「70歳になった時に、自分の年齢や家族の事を公表する」というモノ。理由は年齢を明かすと「そんな年なんだから、止めておけ!」挑戦できなるからだそうです。挑戦の無い人生なんてつまらない!と橋本さんは言い切ります。話は「蜘蛛」とのある実験の話に。ある日、スケッチの為山に行ったそうです。川土手に座りギターを弾いていた橋本さん。するとギターのネック部分に一匹の蜘蛛を発見したそうです。橋本さんがギターを弾くと様々な反応をしたそうです。「蜘蛛はギターが好きなんだ」と会話を楽しんだそうです。橋本さんらしいエピソードです。
弁護士の妻に対する対応は・・・
今週も、広島で活躍する弁護士、久保豊年さんが3週目のゲストです。今夜は、豊年さんの好きな女優の話題から話がスタート!
女優は、カトリーヌ・ドヌーブ、男優は、スティーブ・マックインが好きなんだそうです。一方、日本人では、当時のアイドル、南沙織、天地真理、小柳ルミ子の3人のうち小柳ルミ子のファン。「南沙織」が一番の南田とアイドル・バトルになりました。
話はアイドルから「離婚」へ、熟年のケースや相談を受けた事例などコメントしてくれました。特に豊年さんの友人の場合、玄関に妻が離婚届を張り、旦那を締め出したそうです。
豊年さんのプライベートでは、妻とトラブッた場合、何も話さず寝るそうです。弁護士なので不利な自白はしない!それに納得した南田でした。
久保さんの子育て
今週も、広島で活躍する弁護士、久保豊年さんがゲストです。今夜のテーマは「教育」。前回、子供を“たまごっち”だと思ったと久保さん。また、教育現場で先生は毅然とした態度を取って欲しいと言われました。
昔はお爺さん、お婆さんが一緒に暮らす大家族が多く、家庭の中で自然に教育が行なわれていたが、最近は家庭規模が小さくなっているのでは?ということでした。
南田の「子供を怒ったことありますか?」の質問に対し「一度だけ客が自宅を訪ねた際、挨拶をちゃんとしなかった娘に対し怒った」そうです。以降、娘さんはちゃんと挨拶をするようになりました。やはり家での教育が大切なんですね。
2回目の登場!
今週は、番組登場2回目!広島で活躍する弁護士、久保豊年さんがゲストです。萩原健一が弁護士役の映画「青春の蹉跌」を見てこの道を目指した久保さん。「弁護士カッコいいジャン」と今週も独特の口調で話がスタートしました。
今回のテーマは「娘」。ボーイフレンドとの別れ話や、初めて娘を女性と感じた時等を、クールに話す久保さん。
印象に残ったのは娘さん中学生のエピソード。久保さんの「どうやって彼と別れたの?」の質問に対し「距離を置こう」と娘さん!それをカッコいいと久保さんはおっしゃいます。そして「ボーイフレンドから貰った沢山のぬいぐるみを返せと言われるのが怖かった」と聴いて、初めて娘さんを「女」と感じたそうです。
どちらにしても久保さん風の子供との接し方!参考になるでしょうか?
映画の魅力
今週も、広島市安佐南区「TOHOシネマズ緑井」支配人安藤公一さんをゲストに映画の話を伺いました。先週、2006年にアメリカ・ハリウッドと立場が逆転!今や邦画がシェアを伸ばしているという話をしましたが、大ヒットした「世界の中心で愛を叫ぶ」から、若い人が映画館に足を運ぶようになったそうです。安藤さんは夫婦50割引を利用し、年配の人も映画館に来て欲しい!と熱く語ります。「日本の映画チケットの値段は高い」という南田に対し、「アメリカはチケットを安くし売店のコーラ等の値段が高い!」と安藤さん。アメリカとの違いを説明してくれました。映画最大の魅力は、歴史を勉強出来たり、自分がヒーロー、ヒロインになったり出来る事だ!と安藤さん。今後の話題作として、オールウェイズの続編!正月には黒澤監督の名作「椿三十郎」のリメイクが公開予定だそうです。主演の織田裕二に首をかしげる南田に対し、「時代劇版踊る大走査線」と話を締めた安藤さんでした。
映画好き同士の話は当然、盛り上がります。
9月最初のゲストは、広島市安佐南区「TOHOシネマズ緑井」支配人、安藤公一さんをゲストに映画の話で盛り上がりました。
映画関係の仕事にかかわって30年以上!という安藤さん。出身は名古屋、その後、大阪、松江、そして現在、広島で映画館支配人をしている安藤さんは、南田同様、大の映画好き!「網走番外地」という映画を見て邦画が大好きになったそうです。昭和40年代から日本の映画界は勢いを失い、洋画全盛の時代に向かっていきました。ところが、アメリカハリウッドがオリジナル作品を作らなくなり、2006年立場が逆転!今や邦画がシェアを伸ばしています。洋画俳優の出演ギャラの高さも関係しているとか。
安藤さんがはじめて映画を見たのは父親に連れられて行ったチャンバラ映画!当時のスター、嵐勘十郎、長谷川一夫、片岡千恵蔵の話で盛り上がりました。
ワインの事は任せてください!
今月は「元気な親父」がテーマ。今週も、お酒を楽しむ店「めんばーず新」の代表取締役、新本節夫さんをゲストにお迎えしました。先週の「仕事はいつも楽しむモノ!」という言葉に感動した南田。今回も新本さんの元気を貰いながらトークが進みました。新本さんは、昔の洋酒メーカー時代に日本ソムリエ協会認定ワインアドバイザーの資格を持っていますが、試験は大変だったと振り返ります。約100問の筆記試験に続き、ワインの産地年代を言い当てなくてはなりませんでした。最初は全く駄目だったそうですが、毎日努力をして葡萄の品種が分かるようになったそうです。最後にこれからの夢を聞いた所「3年一区切り!現在の店、“めんばーず新”を良くし、お客様にもっと満足をして貰いたい!」と言い切る新本さんなのでした。
仕事は楽しむもの!
今月は“元気な親父”がテーマ。今週は、お酒を楽しむ店「めんばーず新」の代表取締役、新本節夫さんをゲストに親父の元気トークで盛り上がりました。
新本さんは元々洋酒メーカーの営業マン!その経験を生かし約2年前に店を開いたそうです。30年間洋酒販売の為夜の店を回った新本さん。ひらがなで「めんばーず」と付けたのはお客さんですが、これは、従業員への感謝の気持ちからだそうです。広島では“めんばーず”と言う名前をなかなか付けないそうで、理由は会員制と思われるからだそうです。もちろん新本さんの店は会員制ではありません。仕事は楽しむモノ!と言い切る新本さん。入社当時、新製品の洋酒が発売になり、売り込みに行った店でだんだん増えて行くのが楽しい思い出だったそうです。店を開く時一番気をつけたのはママの選び方!新本さんはそれに人生を賭けた!と話を締めくくりました。
元気な親父!は弁が立つ!?
今月は「元気な親父」がテーマ。今週も、ライブハウスバッドランズ・オーナー松浦 奨(すすむ)さんと親父の元気トークで盛り上がりました。高校生、大学生にバンド活動の指導をしている松浦さんですが、気になるのはチューニングをしっかりしない高校生が多い事。理由は各自持っているチューニングメーター!それぞれがメーターの振れで音を合わせるので微妙な狂いに気がつかないそうです。松浦さんはミキサーから440ヘルツ Aの音を出し一緒にチューニングさせるそうです。松浦さんの今後、実現したい事は、広島にアマチュアの野外ロックコンサートを根付かせる事。昨年トライしましたが、今年はバンドが集まらなくて断念!日頃から学生と接している松浦さんらしい夢ですね。プロの野外ロックコンサートも良いですが、アマチュアのコンサートは必要ですね。それが実現すれば広島のバンド・レベルはきっと上がる事でしょう。
元気な還暦オヤジ!いつまでもロックなココロ
今月は“元気な親父”がテーマ。今週は、ライブハウス「バッドランズ」オーナー、松浦 奨(すすむ)さんをゲストに親父の元気トークで盛り上がりました。ライブハウスを広島市内東白島にオープンして、今年で15年目。オープンしたのは「自分のバンドの練習がしたい!バンドの出演場所が欲しい!」という理由だったそうです。バンド活動が長い松浦さんですが、現在は高校生、大学生を相手にバンド活動の指導をしているそうです。ところで喋りまくりのトークでしたが、関西での大学時代はあの吉本興業に声をかけられたそうです。「もしあの時、吉本に入っていたら、三枝さんやつるべさんから兄さんと呼ばれていたかもしれない」と松浦さん!来年還暦を迎えるとは思えない熱いトークでした。
ホッケーと家具作りはチームワークで!
今月は「ものづくり」がテーマ。今週も、広島伝統の家具造りの「ミヤカグ」最高経営責任者、宮本隆三さんをゲストにお話を伺いました。
将来の家具製造に関し質問したところ「これからはインテリア産業」と宮本さん。お客さんの欲しい家具を作る事だそうです。
ところで団塊真っ只中世代の宮本さん!青春時代、陸上ホッケーに夢中になり、中・高・大学時代を通してホッケーをしていたそうです。しかも大学入学の年が昭和39年、東京オリンピックの年!宮本さんはオリンピックのホッケー競技の手伝いをしたそうです。その後もホッケーとの関わりは続いていて、94年に広島で行われたアジア大会の手伝いもしたそうです。
ものづくりを皆でする事と、スポーツとは通じるモノがあると宮本さん!チームワークは仕事でも大事なことだと話を締めて頂きました。
アメリカン家具が見たいなら・・・
今月は「ものづくり」がテーマ。今週は、広島伝統の家具造りをしている「ミヤカグ」最高経営責任者、宮本隆三(みやもとりゅうそう)さんをゲストに2代目の苦労話を伺いました。
昭和58年、38歳で社長に就任した宮本さん!当時は家具が売れに売れ、会社の規模は拡大していました。その状況を見て創業者の父親は「こんなに家具が売れるのは自分の時代には考えられない!それはおかしい」と言っていたそうです。
先代の予想は見事に的中し、昭和59年から手のひらを返したようにタンスが売れなくなったそうです。その状況の中、当時110人もいた社員を整理し、自分の身の丈にあった会社規模に変更した「宮本」さん!結果大量生産から注文家具製造に変えたそうです。その判断は今考えると成功だったとおっしゃる宮本さん!今は5人の社員で会社を運営しているそうです。
昔と比べると少ない生産量ですが買った人からの意見が返ってくるのが嬉しいと話を締めて頂きました。
休日はバイク・ツーリング
今月は「ものづくり」がテーマ。今週も、南田が広島で一番うまい広島菜!と豪語するまじめな漬物「西漬」の社長西村俊一(としかず)さんをゲストにお迎えしました。種から広島菜を畑で育て、秘伝の漬け方で自慢の広島菜漬けを作っている西村さん。畑で作業している時は電話にも出ない程集中しているそうですが、仕事を離れた時は大阪の修行中時代に購入した750バイクを乗るのが唯一の楽しみだそうです。奥さんはバイクが嫌なので一緒に出る事は少ないとか。毎日仕事場で会っているため、休日は一人でバイクツーリング!夫婦関係はとてもうまくいっているそうです。
西村さんにとって「作る!」とは何か?と言う質問に対して「やり続けること、ある意味、命のようなもの!」と、その言葉には良い物を作りたい!という思いがこもっていました。
漬物へのこだわり
今月は「ものづくり」がテーマ。今週は、南田が広島で一番うまい広島菜!と豪語する“まじめな漬物”「西漬」社長西村俊一(としかず)さんをゲストに、美味しい漬物へのこだわりを伺いました。
西村さんは2代目の社長!お父様が昭和25年に始めた、西村商店が漬物づくりの始まりでした。最初漬物ではなく佃煮を作っていたそうです。佃煮と言えば東京が浮かびますが、広島も佃煮づくりが盛んな場所で、生産量は全国で3位だそうです。
西村さんのものづくりへのこだわりは、「美味しいものを作りたい」が原点!お客さんから「美味しい」「美味しくなかった」の声を真面目に受け止め、日々広島菜と向かい合っているそうです。
結果!種から広島菜を畑で育て、秘伝の漬け方で自慢の広島菜漬けを作っているそうです。
あなたなら市民球場跡地はどうする?
今月は「広島」がテーマ。今週もオタフクソース社長「佐々木茂喜」さんの友人「河野上 和廣」さんがゲスト。起業を目指す人の指導講師をやっている河野上さんは、有限会社レボ・リューション社長です。広島をもっと良くしたい!と河野上さんは、広島市民球場の跡地に市場(マーケット)を誘致したらどうか?と企画書を書き上げたそうです。それに対し南田も「凄いプラン、是非実現を!」と意気投合しました。
今週インタビューに同席したオタフクソース社長「佐々木」さんも、出来る事があれば実現したいと、盛り上がりました。広島にもっと活気を!まだ計画段階ですが、こう言った市民の熱い思いを広島県、市が受け止めてくれれば広島の未来は明るい!そんな話でした。
さすが!社長は時間管理が違います
今月は「広島」がテーマ。今週もオタフクソース社長「佐々木茂喜」さんの友人「河野上 和廣」さんがゲスト。
河野上さんは有限会社レボ・リューション社長です。河野上さんは起業を目指す人を指導する講師をやっていますが、その延長にイベントのプロデュースもしています。この秋に広島で開催予定の“ドールフェア”(人形関係のイベント)や“えべっさん”等に関わっています。
河野上さんの1日は早く、朝は4時起床!お風呂に30分くらい浸かり、仕事のプランを湯船で考えるそうです。そして出社!誰よりも早く会社に出るとか。24時間を有効に使う河野上さんです。
ともにAB型で意気投合
今月は「広島」がテーマ。今週は有限会社レボ・リューション社長「河野上 和廣」さん。河野上さんもオタフクソース社長「佐々木茂喜」さんの友人です。最初は美容学校出身と言うこともありインターンとして美容院に勤めたそうです。その後食品関係、ゲームソフト制作会社と様々な仕事をしたそうです。面白いことが好きでしょうがない!と語る「河野上」さん!声が大きいのは話す機会が長かったからかなぁ?とおっしゃいます。現在は教育事業!各自治体の機関や学校等で「プランナー」を育てる講師をしています。話は変わってお互い血液型がABだと分かり意気投合した二人!ストレス解消は家に引きこもっているのが一番!とおっしゃる「河野上」さん!ABは陰気なんですよ!と話を納めた南田でした。
岡田社長、佐々木社長と南田の三つ巴
今月は「広島」がテーマ。今週もサンリック国分株式会社社長「岡田昌樹」さんです。
今回はオタフクソース社長「佐々木茂喜」さんの友人!という事でスタジオに佐々木さんにも入ってもらい、番組初の3人トークです!
佐々木さんと岡田さんはプライベートで良く会う仲だそうですが、いつも話すのが「広島」に関する話題だそうです。広島をもっと盛り上げたい!というのがお二人の想い!
広島市内1000軒のお好み焼き屋さんがあるそうで、来年の春広島にオープンする「お好み焼きテーマ館」を作って観光客を広島に呼びたい!と佐々木さんが熱くコメントしてくれました。
FFの「よさこい」の仕掛け人は岡田さんだったんですね。
今月は「広島」がテーマ。今週はオタフクソース社長「佐々木茂喜」さんの友人「岡田昌樹」さんです。
岡田さんは「サンリック国分株式会社」の社長!お二人の出会いはビジネスが最初だったそうです。
岡田さんは2002年度、広島青年会議所「広島JC」の理事長を務め、広島に対し熱い想いを持って行動したそうです。中でもフラワーフェスティバルを市民が燃えるような祭りにしたい!と広島版よさこい「きんさいよさこい」を導入したのは岡田さん主導の「広島JC」だったそうです。
貴重なお話や音をありがとうございます。
今月は「親父のコレクション」がテーマ。
今週も中区幟町で中古レコードショップ「ジスボーイ」を営む「菅田泰治」さんがゲスト。結局1ヶ月に渡る出演になりました。
最終週の今夜は、ビートルズを知る為イギリスへ行った話や、60年代の和製ポップス「グループ・サウンズ」の話で盛り上がりました。
洋楽が一番と語る「菅田」さんにとって当時のGSは物足りない存在だったそうですが、例外はモップス、ゴールデン・カップスとスパイダース。彼らのサウンドはかなりのレベルだった!と絶賛しています。持参したスパイダースのビートルズ・カバー・アルバムやモップスの曲を紹介してくれました。
えっ!浜田省吾さんが借りたの?
今月は「親父のコレクション」がテーマ。今週も中区幟町で中古レコードショップ「ジスボーイ」の「菅田泰治」さん!番組始まって以来のロング・ゲスト!3週目のトークです。
ビートルズの出会いから60年代洋楽にはまった菅田さんですが、自ら楽器を手にすることなく、ただ音楽を聴き続ける毎日だったそうです。ところが日本を代表するミュージシャン「浜田省吾」と同級生で、お互い音楽の情報交換をしていたそうです。菅田さんにとって浜田省吾との出会いは大切なモノだそうです。菅田さんの家に浜田省吾が訪れレコードも貸したそうです。
今週は浜田省吾に貸したレコードを持参し、浜田省吾が現在ステージで歌っている「ヤングラスカルズ」の「太陽の当たる場所」を紹介してくれました。
レコードのレアな話!
今月は「親父のコレクション」がテーマ。今週も中区幟町で中古レコードショップ「ジスボーイ」の「菅田泰治」さん!2週目のトークです。今夜は先日紹介した最高価格「ビリー・プレストン」のレコード「神の掟」の話から、日本の元祖女性アイドルシンガーの話題になりました。
菅田さんがスタジオに持参した「梅木まり」は、1962、3年頃のアルバムで25㎝盤8曲入り!と言う珍しいレコード。因みに菅田さんの店では、35万円位でピーク時は60万円の値が付いたレコードだそうです。他にも「広田三枝子」のジャズアルバム、長沢順が在籍していた「スリー・ファンキーズ」等の珍しいレコードを紹介してくれました。
1枚、210万円のレコード!
今月は「親父のコレクション」がテーマ。今週は中区幟町で中古レコードショップ「ジスボーイ」を経営する菅田泰治さんがゲストです。中学1年の時出会ったビートルズの大ファンになり、以来彼らのレコード集めを始めたそうです。東京での大学生活で中古レコード店の存在を知り、この商売を始めます。家業のお米屋さんの一角でリサイクルショップを始めたのが最初!以来コツコツ全国から集めたレコードがコレクターの間で話題になり、最高の値段が付いた「ビリー・プレストン」のレコード「神の掟」をスタジオに持ってきてくれました。何と210万円で売れたそうです。今週は菅田さんの60年代洋楽ポップスへの熱い想いを伺いました。
ポジティブなシルビアさん
今月は「親父のお洒落」がテーマ。今週も広島の流川でバー「ジャマール」を経営する「シルヴィア」さんをゲストにお迎えしました。シルヴィアさんは、今病気と闘っています。25年間おかまを演じてきたシルヴィアさんですが、病気にかかっているとは思わないで元気な自分を演じているそうです。皆さんからパワーを貰う事を目的に、5月27日 全日空ホテルでディナーショーを開くそうです。彼?いや彼女のポジティブさを象徴する行動ですね。
シルビアさんのファッション考
今月は「親父のお洒落」がテーマ。今週は広島の流川でバー「ジャマール」を経営する「シルヴィア」さんがゲスト。「ジャマール」とはスペイン語で人を集めるという意味の言葉だそうです。番組で初めてオカマさんゲストですが、南田とは十数年の付き合いです。ファッションにこだわるシルヴィア」さん、イタリアまで服を探しに行き、イタリアの女性のファッションを取り入れています。ファッションアドバイスとして頭、ヘアースタイルを整え靴をピカピカに磨く事だそうです。
長く仕事をやってると・・・
今月は「親父のお洒落」がテーマ。今週も市内で自動車販売会社を経営する「酒井保明」さんがゲストです。我慢する事が好き!とおっしゃる酒井さん。自分が選んだお客さんだから、ひどい事を言われても我慢出来る!それが仕事成功のコツだそうです。20代から車販売をしていますが、当時知り合ったお客さんは既に70,80代!当時助けてくれた大事なお客さんだからこそ酒井さんは「もう車はいらないのでは?」とアドバイスしているそうです。
クルマもファッションの入口
今月は「親父のお洒落」がテーマ。ゲストは市内で自動車販売会社社長の「酒井保明」さんです。
車もファッションの要素!という事で年齢や趣味にあった選び方を伺いました。所で20代の時この世界に入った酒井さん!仕事を選んだ動機は、当時大好きなドイツ車があってそれに乗りたい為に販売会社に入ったそうです。高額な車を買えないのならそれを売る会社に入ろう!酒井さんの意見に頷く南田でした。
今週も“お酒”がテーマ、吉長孝衛さんの登場!
今月は「酒」がテーマ。広島市中区舟入本町で創業80年の酒屋を営む「吉長孝衛」さんとのゲストトーク3週目です。
今週はシャンパン好きの元イギリス首相チャーチルの名前から取った葉巻の話。カンヌ映画祭で出されるシャンパンの話等で盛り上がりました。
57歳の吉長さんは、これからも美味しいお酒を飲み人生を送りたい!と締めくくってくれました。
ミモザがカクテルに!
今月は「酒」がテーマ。今週も広島市中区舟入本町で創業80年の酒屋を営む「吉長孝衛」さんとのゲストトークです。
今週は平和大通り沿いに今から開花する「ミモザ」に因んだカクテルの話がメインになりました。シャンパンにギュッとオレンジを搾って入れると「ミモザカクテル」の出来上がり!これを飲んで春を感じて欲しい!と、吉長さん。
今週も「シャンパン&ワイン」の話で盛り上がりました。
シャンパンの飲み方ってあるんですね
今月は「酒」がテーマ。今週のゲストは広島市中区舟入本町で創業80年の酒屋を営む「吉長孝衛」さんです。吉長さんは酒屋を経営する傍らワイン&シャンパンのアドバイザーをしていらっしゃいます。今週はシャンパンの話がメインになりました。飲む時のポイントはシャンパンの泡が消えていく早さで飲む事。ゆっくり冷やすより急激に冷やした方が美味しく飲めると、吉長さんがアドバイスしてくれました。
なんでもオッケー!桶本さん
今月は「酒」がテーマ。今週もバーテンダー協会広島支部長「桶本英治」さんをゲストをお迎えしました。
広島市中区堀川町の「バー・オールディズ」店内で話を聞きました。今週は桶本さんが心掛けている、お酒の注ぎ方等、バーテンダーの所作に関して話を伺いました。また、桶本さんがウィスキーの講習会で知ったおつまみは何と「柿羊羹」だったそうです。合う合わないはご自身で確かめて下さい!と桶本さんはコメントしています。
最後にマティーニを注文した南田は、かなり酔っぱらってしまいました。
今週のゲストは、お酒がテーマなので、この方です!
今月は南田さんの大好きな「酒」がテーマ。
3月最初の週は、バーテンダー協会広島支部長「桶本英治」さんをゲストにお迎えしました。バーの雰囲気で!という事で、桶本さんの広島市中区堀川町にある「オールディーズ」というお店でお話を聞きました。今人気のシングルモルト・ウィスキーの話題で盛り上がりました。
バーテンダー協会には70名が所属し、広島でこだわりのバーを営業しているそうです。桶本さんが伝授してくれたお洒落な飲み方は、「トゥアイス・アップ」で、ウィスキー&水1対1で氷を入れない飲み方です!参考にしてみては如何でしょうか?
渋いコンサートを数々ご覧になっています
今月も広島の伝説をテーマに、ゲストは広島中新地にあるライブハウス、カフェジャイブ店長「河村真作」さんの2週目です。今年の夏に開店7年を迎えるカフェジャイブですが、今年はこだわりのステージを予定しているそうです。今週は広島で行われたロックコンサートの話を伺い、ジェスロ・タルのコンサート話からスタート!ディープ・パープル、サンタナ、エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート&フェィセス、マイルス・ディビス等々コンサートの思い出で盛り上がりました。
やっぱりレッドツェッペリンは忘れられない!
今月も広島の伝説をテーマに、広島中新地にあるライブハウス、カフェジャイブ店長「河村真作」さんをゲストにお迎えしました。河村さんと音楽との係わりは70年代見たロックコンサートだったそうです。コンサートの記念に集めたチケットやチラシを今も保存している「河村さん」!特に思い入れのあるチケットは広島県立体育館(現 グリーンアリーナ)で行われたレッドツェッペリンのコンサート!この話はコーナーにお招きしたゲストからよく出る話です。
拓郎さんの逸話が・・・
今月も広島の伝説をテーマに伝説バンド「ダウンタウンズ」のドラマー「小松則男」さんをゲストにお迎えしました。
吉田拓郎の在籍したバンドですが、現在も小松さんと親交のある吉田拓郎は、音楽に対し常に向き合い、どう生きていくかを考えているそうです。そんな拓郎に対し「一人のファン」と語る小松さん。毎回ライブに足を運んでいますが、いつも感動するそうです。
今年広島フォーク村は誕生40周年を迎えますが、何か催しが決まったら番組に出演すると、約束してくれました。
今月は広島の伝説をテーマにゲストをお招きしました。
今週のゲスト「小松則男」さんは、広島の伝説バンド「ダウンタウンズ」のドラマーです。このバンドは、吉田拓郎が広島で作ったアマチュアバンド!彼のルーツとも言えるバンドです。
小松さんはエレキギターを担当したかったそうですが、吉田拓郎の「俺が歌いたい!」の一言でドラムに転向!1年かけ猛特訓をし、ドラムをマスターしたとか。「ダウンタウンズ」メンバーとの交流は今も続いていて、年に一度同窓会をやっているそうです。
団塊の世代は熱い!
広島市西区観音でライブハウスを経営する「吉田敏幸」さん。
彼のお店「クロスロード」では、毎月第4土曜日、誰でも参加できる「親父ライブ」を開いています。飛び入りで出演バンドに交じりギターを弾いたり、音楽という共通のツールで参加者が出会えるのが楽しい!と吉田さん。これからの夢は団歌世代の音楽ファンと48時間ぶっ通しでライブをしたいそうです。
ライブハウス「クロスロード」ご存知?
今週は、広島市西区観音でライブハウスを経営する「吉田敏幸」さんがゲストです。彼と音楽の出会いはビートルズ以降、音楽と離れられない人生を送っています。学生時代にはベンチャーズに代表されるエレキギターにハマりバンドを結成!数々のコンテストに出場したそうです。一度は音楽とは全く無縁の生活を送りましたが、やはり音楽を忘れられず、結局ライブハウス・オープンという夢を実現した「吉田」さん!彼と音楽との歴史を伺います。
今週も、ちょい悪親父の代表「久保豊年」さんをゲストにお迎えしました。豊年さんが弁護士事務所を開いたのは平成になってから、以来広島で弁護士として活躍しています。所で豊年さんは、過去色んな女子に一目惚れをして来たそうですが、人生のターニングポイントに必ず女子が関わっていたそうです。野球少年だった豊年さんはその時好きだった女子の言葉で野球の道を諦めたとか、「今も野球を続けていればプロになっていたかもしれない」と語る久保豊年弁護士です。
2007年最初のゲストは、ちょい悪親父の代表「久保豊年」さん。彼は広島で活躍する弁護士です。
この道を選んだのは、萩原健一が主演した映画「青春の蹉跌」を見た事。いつも六法をかかえ女の子と遊ぶ姿に影響されたとか。結果!萩原健一に憧れ司法試験に挑戦!見事弁護士になったそうです。久保さんが好きなのは「M&A」企業の合併や買収に関する仕事が楽しいそうです。
平和が一番・・・
大好きなカントリーミュージックを30年以上演奏活動を続けている「西谷英夫」さんの3週目!
これまで色んな場所のステージに立った西谷さん!東京・横田基地のステージが忘れられないそうです。ベトナム戦争で傷ついた兵士が嬉しそうに演奏を聴いてくれたとか。「西谷」さんは、その時戦争の悲惨さを痛感し、平和が一番と!改めて思ったそうです。今年最後のゲストの西谷さんは、新しい年も色んな場所でカントリーを歌い続けていきたい!とおっしゃいました。
カントリーは一生の友
今週もカントリーミュージックを30年以上も愛し、自ら演奏活動をしている「西谷英夫」さんがゲスト!
20代の頃一緒にバンドをやっていた仲間は、みんな音楽から離れてしまいましたが、西谷さんは続ける事が大事!と一人になってもカントリーを演奏しています。56歳になった「西谷」さんの楽しみは、ステージに立つ事。友人から「歌っている姿が一番楽しそう!」と言われているそうです。
やさしく歌ってカントリーソング
カントリーミュージックを30年以上も愛し、自ら演奏活動をしている「西谷英夫」さんがゲスト!
彼はスマイリー叔父さんというニックネームで呼ばれています。本業は毎朝4時に起きて、青果市場で野菜を売っています。毎朝大声で「ハイ!ナンボ!ナンボ!」と張り上げている為、声が枯れていますが、カントリーソングはとても優しい声です。
切ないメロディーが好きな鉄森さん
今週もミュージシャンそしてテレビカメラマンという2つの顔を持つ「鉄森利美」さんがゲスト!
彼は切ないメロディーが好きで、ギルバート・オサリバンに影響を受けたそうです。オサリバンの「アローン・アゲイン」がかかっている間に、鉄森さんのバンドメンバー「大瀧」さんがスタジオに乱入!話は「チャオバンド」の活動へ飛びます。この日チャオバンドは市内のライブハウスで演奏していたそうで、ステージが終わって後から「大瀧」さんが駆けつけました。
フォークは未だに健在です!
ミュージシャンそしてテレビカメラマンという2つの顔を持つ「鉄森利美」さん(写真左)がゲスト!30年近くバンド活動を続ける彼ですが、きっかけは当時広島市内にあったフォーク喫茶「レモン」で唄うようになった事だそうです。このレモンには当時アマチュアだった「村下孝蔵」さんが出演していて、鉄森さんは影響を受けたそうです。現在は「チャオバンド」「洒落」という2つのバンドに在籍している「鉄森」さん!因みに「チャオバンド」は南田がゲストボーカルとして時々唄わせてもらっているバンドです。
一緒に写っているめがねのヒトは、バンドの大滝厳弘さん。
スカジャンって知ってる?
広島で「理髪店」「車のディーラー」「眼鏡店」「カフェ」を経営している「垣野内秀樹」の2週目。今週はスカジャン=横須賀ジャンパーのルーツを語って貰いました。
アメリカ兵がお土産としてパラシュート生地に刺繍をしたのが始めだそうで、当時のスカジャンは燃えなかったとか。確かにパラシュート生地ですから高熱に強いはずです。垣野内さんは試しに、自前のヴィンテージスカジャンを燃やしたそうで、アッという間に駄目になったとか、彼のスカジャヤンはサテン生地だったようです。
ロックンロールが良く似合うチョイ悪?
今週は、広島で「理髪店」「カーディーラー」「眼鏡屋さん」「カフェ」を経営している垣野内秀樹さんがゲスト。
学生時代一番興味を持ったヘアースタイル「リーゼント」にこだわり、現在の道に入ったそうです。彼のライフスタイルは50年代の良きアメリカ!その頃のファッションに身を包み、大型のアメ車でカフェに来て欲しい!とコメントしてくれました。垣野内さんならではの選曲もお楽しみに。
イタリアーノな話
広島で活躍するプロカメラマン「桐田和雄」さんの2週目。USA FOR AFRICAのウイー・アー・ザ・ワールドを初めて聞いた時の感動!そしてイタリア車のデザインに魅せられ、写真を撮りにイタリアに行った話で盛り上がりました。イタリア職人のバカな事を一所懸命する姿に感動!「バカな事を死ぬまでやり続ける爺さんになりたい」とコメントする桐田さんの人生観に感動しました。
カメラマンはあこがれますねえ
広島で活躍するプロカメラマン「桐田和雄」さんがゲスト。彼はカメラマンになって30年だそうですが、今もこの仕事が大好き!との事。四角いフレーム越しに人を見るとその人の性格が伝わる!写真を撮るのは人を覗き見する感覚と似ているそうです。カメラマンならではのコメントでした。リクエストもミュージシャンであり写真も有名な「渡辺貞夫」さんの「マイ・ディア・ライフ」です。
原田真二さんが「鎮守の森コンサート」を開催
広島を代表するミュージシャン「原田真二」さんの2週目。
原田さんが11月広島護国神社で行う「鎮守の森コンサート」に関してと、原田さんの芸能生活を南田が伺いました。昔「8時だよ全員集合」に出演予定だった原田さん!何と事務所の指示で生放送をドタキャンしたそうです。
原田真二さんが登場!
今週から、広島を代表するミュージシャン「原田真二」さんが登場!
原田さんの今年NYで出演した「ピースコンサート」の話題から「広島で生まれたのだから、世界平和を訴える義務がある」と熱く語ってくれました。又原田さんが11月広島護国神社で行う「鎮守の森コンサート」の内容を南田が伺いました。
意外なドイツ事情
今週も、元広島交響楽団のコンサートマスター「上野眞樹」さんにお話を伺いました。クラシックの大作曲家「バッハ」「ベートーヴェン」「ブラームス」等々を生んだドイツ。
ここでのクラシック音楽は、伝統芸能だと語る「上野」さん!しかし最近ドイツでクラシック離れが起こり、国営の音楽学校の生徒はアジアからの生徒が増えているそうです。ヴァイオリンのスタジオライブも楽しんで下さい。
秋の夜長はクラシカルに!
10月最初のゲストは、元広島交響楽団のコンサート
マスター「上野眞樹」さんです。子供の頃は大嫌いだった「ヴァイオリン」との付き合い!何と49年もヴァイオリンを弾いているそうですが、ピンクレディの曲に関わった事があるそうです。そして日本からドイツに渡り、今広島に住んでいる経緯を聞きました。この番組初めてヴァイオリンのスタジオライブも楽しんで下さい。
春秋楽団の最終回です
先週に引き続きエンドテーマ「蜃気楼」を唄う「春秋楽団」のお二人の3週目。
彼らは広島を始め全国で定期的なコンサートを行っていますが、何と10月14日 土曜日広島市東区牛田にある「国宝・不動院金堂」でライブを開催する話題で盛り上がりました。今年で4回目だそうで、地道な音楽活動をしています。
今週がラスト!藤本頼男さんと佐藤弘之さん(ヒゲ)
先週に引き続きエンドテーマ「蜃気楼」を唄う「春秋楽団」のお二人がゲスト。
高校で社会を教えている藤本さんのギター弾きながら授業をするエピソードや、佐藤さんが開いている「ジモギタースクール」のビルにライブが出来るスペース「ジモカフェ」をオープンした話で盛り上がりました。
広島じゃあ名の知れたデュオです!
今週のゲストは、エンドテーマ「蜃気楼」を歌うデュオ
「春秋楽団」の登場です。広島出身の「藤本頼男」さん、
横浜から広島にやってきた「佐藤弘之」さん!
お二人の出会いをお聞きしました。また藤本さんは歳を
重ねる事に、被爆地「広島」への思いが強くなり、広島を歌った曲が増えているそうです。
ディスコは深く広い!
DJ「島本」さんの2週目。チークタイムの話から70年代から現在までのディスコの歴史、流行したステップの話題で盛り上がりました。DJ「島本」の心の中にはいつもディスコサウンドが流れているそうです。
ディスコにこだわり続けるDJシマ!
今週は、来年キャリア30周年を迎えるDJシマさんをお招きしました。70年代ディスコブームから現在まで一貫してターンテーブルに向かうDJシマさんのディスコDJへのこだわりを伺いました。因みにDJを長く続けるには音楽が好きであること以外にない!−とのことです。
眼科医兼ヴォーカリスト
今回は、前週に続いて2回目の、眼科医兼ヴォーカリスト・・・戸田慎三郎さん。
もちろん本業が目医者さんで趣味がバンドなんですが、どちらもプロ!
ただし長い間、家族にはバンドの事、内緒だったそうです。どうしてなんでしょうねぇ。
また、スノーボードもプロ並みですが、長野五輪出場を本気で考えたものの骨折で断念!
ホントにダンネン!でした。
趣味は、オールディーズ・バンドのヴォーカルとスノーボード
今週は、広島県眼科医会会長の戸田慎三郎さんをお招きしました。
広島市南区的場町「戸田眼科」の院長でもいらっしゃるわけですが、趣味は、オールディーズ・バンドのヴォーカルとスノーボードと多彩。
まずは、専門の老眼の話からプレスリーのファッションなど伺いました。
阿蘇の大自然
先週に続いてカントリー談義に花が咲きます。ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの来日したときの写真がお店に飾ってあります。
毎年、阿蘇で行われる日本最大のカントリーイベントのようなものが、この広島でできたら・・・・。しかし、阿蘇の大自然、あれは日本じゃあないですよ。
カントリー・ライブ・ハウス「クレメンタイン」川手康弘マスター
今週と来週(8/12)は、川手康弘さんが記念すべきゲスト第一号です。カープが初優勝した翌年にオープンしたお店の話、当時の学生(川手さんは修大のウエスタン部OB)は、熱かった話、カントリーのメッカ阿蘇の話など盛りだくさんです。
「クレメンタイン」:広島市中区流川町4-22 第3津田ビル3F
レギュラーオヤジ(376)
広島で活躍するオヤジ(1)
オタフクソース社長のこだわり(376)
ファッショントーク(13)
プロフィール(2)
ゲスト(161)
番組からのお知らせ
2011年12月9日時の旅人 公開収録イベント(1)
小豆島から山口県の祝島へ
時の旅人 公開録音イン・ウッド・エッグお好み焼き館
自転車を乗り換え海へ
時の旅人 公開録音イン・ウッド・エッグお好み焼き館
料理作りが楽しくて、楽しくて
主婦の手料理が人気メニューに
自分の感性でスタイルを作り上げる
スタイリスト ダニー!日本人です
木下さんから見た広島とは
ヤマハポプコンからディレクターに