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「すみません、ただのオンナに戻ります」。

「ただのオンナで幸せになれるわけがない。愛されるはずがない」と良い子に徹した結果。ついに何かがプツンと切れ、オンナ人生再出発。

【続き】がんばらずに幸せになるのは悪いこと?もしくは「調子に乗りそうでコワイ」について。

前回の記事の続きです!

※前回の記事

santasantasan.hatenablog.com

 逸れに逸れた本題の話です。

自分に自信がないことなどで、苦手なことを克服・できないことを努力する、自分を責めたりいじめたりする生き方をしていた方が、それを止めると決める。

止めると決めて、他人ではなく自分を大切にすること、ありのままの自分を大事にしていく方向に進む。

するとだんだんと、物事がスムーズに行きだしたり、自分は自分のことに一所懸命なのに世界が途端に優しくなったかのようなステージというのが出てくる。

そうなった時に、
「調子に乗りそうでコワイ」、もしくは「調子に乗ってると周りから思われるんじゃないか」、もしくは「そういう人は、調子に乗っているようで嫌悪感がある(自分を大事にできるようにはなりたいけど、でもそんなふうにはなりたくない)」などなどの話です。

・「調子に乗る」の怖さよりも実はコワイこと。

 実際、今回のように良いこと嬉しいことがあったらわたしは調子に乗ってしまいます。全力で喜んでしまいます。でもこの生き方が好きだなあってわたしが思うのは、その中に、ヒトをバカにしたり見下したりする要素がないところです。
そして、調子に乗ることよりもコワイことがあるとわたしは思っています。

どういうことか?と言いますと、何か自分に無理をしたり、どこかで自分自身に嘘をついて努力をするとき(=意味は結果にあって、それゆえ過程自体が楽しいからそれでいいやとは思えていないとき、というのでしょうか)というのは、結果が出なかった時には、自分を責めたり、自分を卑下したりしてしまう気がします。この責めるとか卑下するとかは一番自分にとって良くないことで、要は一番大事な自分(=安心の世界を作っているもととなるもの)を、自分がパーンチ!!破壊!!している感じなんですね。

そうすると苦しくなって、場合によっては次に起きること。
ほぼ同時(瞬間的無意識的に)自分が出来ていないことを出来ている他人のアラを探したり、心のなかで責めたり、文句を言いたくなったりします。
これは当たり前で、自分が自分をパーンチ!!しているのですから、苦しくて外にその矢印を持って行きたくなるのです。自分を守っているのです。でも、そういう風を繰り返しているとなかなか、ココロの中も物事もよい方向には持って行きにくく、ひどい場合は周りが敵ばっかりと感じたり、孤独と感じたりするようになったりします。

・結果が出たら、オールOK?

次は逆に、結果が出たときです。
自分が自分にどこかでムチ打ってがんばって、思う結果を出せた。
そうすると万事OKな気がしますが、今度は逆に、出来ないヒト、出来ていないヒトをバカにしたり、責めたり、見下したりすることがあります。場合によっては、
「なんでできないんだ!わたしはこれだけ大変だったけどやってきたぞ!(だからできないわけがない!できなくて許されるわけがない!!)」
みたいなことになります。これが上司と部下の関係、親と子の関係だったらタイヘンです!
でもこれも仕方なくて、がんばった自分を自分が認めてあげたいがために、無意識でやってしまうことなんです。ただ、そうなっていくともちろん他人に嫌われるだけでなく、自分が苦しくなってきてしまいます。他人=自分なので(←なぜ?というのはサクッと説明割愛しますが)、他人をジャッジしているようで自分がどんどん苦しくなります。顔が怖くなります。


結果が出るパターンも出ないパターンも双方、努力することが悪いのではもちろんなく、そこに自分に対する嘘や無理が含まれているとき、その度合いによって起きる可能性があるパターン、という話となります。
そしてそんな風に一所懸命がんばっているからこそなのに、超コワイことですが、これらほど人生にマイナスを与えるものはないかと思われます。自分に対しても、大切な周りのヒトに対しても。

そんな大げさな、と思いますよね。
でもこれ、本当に小さなことでもやってるヒトがたくさんいます。
働く会社や仲間や部下に対して。
家族に対して。
社会に対して。
有名人に対して。
ニュースに出てくる、悪いことをしたヒトに対して。
などなど。ただ、たくさんのヒトが当たり前にやっているから、鈍感になっているだけかもしれない。本当はよっぽどコワイこと、なのに。。。

・自分を大切に波乗りジャーニー的生き方で調子に乗ることの恩恵。それは肚の底から謙虚な自分になれること。

さて、そこでお待ちかねのジャーニーの登場です!!(待ってない?)
ジャーニーももちろん、大きな波に乗れると調子に乗ってズッコケたりすることはあります。でも、反省してまた来る波を信じて待ち、そこに備えておけばいいだけです。ようはアッサリしてるというか、周りにも自分にも与える傷が浅いのです。


そしてジャーニーは、お調子者になるときもあるかもしれませんが、根底に一番ステキなことは、肚の底から謙虚な自分になれることではないかとわたしは思います。

どういうことか?と言いますと、自分は来る波に乗るだけだから、自分のチカラで起こした波ではないと心底わかっているから、その「見えない何か(とそれが縁してくれた誰か)」に対して、感謝と謙虚な気持ちしか湧いてこなくなるということです。ものすごく大きくかっこよく言うと、「自分のチカラで生きている」じゃなくて「生かされている」としか思えなくなってくるということかと思います。

そしてそうなって誰が一番嬉しいか?というと、自分なんです。
自分にムチ打つことも、人をジャッジすることも無くて、有難い。お蔭様、っていうことが本気で思えるココロというのは、わたしは一番居心地がいいです。そしてそれは、そのようになってみると誰もがそう感じるとわたしは思います。

もちろんジャーニーを見て、「なんだあのやろう、調子に乗りやがって」というヒトも出てくるかもしれません。でも、批判するヒトのココロの中は上記(自分が苦しくて)のような可能性が高いことを肚の底から理解していると、あんまり気にならなくなってきます。
結局は自分が見えているものをみんな、真実だと思うからです。
その人はその人の目でわたしを見ているだけ。
それをだんだん明らめてくる感じになってきます。
(とかっこ良く言いましたが、要は慣れてくるというやつです)

そのことと、自分を大好きになれて、周りに肚の底から謙虚(感謝)できる自分を感じ取れるふか〜い喜びとは、やっぱり比較にならないと思うんです。
だから結論としてはいつもの、
「コワイと思いつつ、それも抱きかかえながら抜き足差し足で進んでみてください!」
となります。

・まとめ

では、今日のまとめです。

・ジャーニーも調子に乗る。
・調子に乗るけど、それよりもステキな恩恵がある。
・それは肚の底から謙虚な自分になれること。


以上、2回に渡る記事を読んでくださり本当に有難うございました。
それでは、今日もお読みいただき感謝を込めて!


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↓ 

santasantasan.hatenablog.com