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2016年01月03日

聖和 対 野洲 〜 生き方は誰にも批判できない


聖和 対 野洲。高校サッカー史に残る試合を目撃
(ニッパツ三ツ沢球技場)

12月31日(大晦日)
第94回全国高校サッカー選手権1回戦「聖和学園 対 野洲」を観に行ってきた。

10年前、ドリブル、逆取り、駆け引きを駆使したサッカーで全国優勝し日本中に衝撃を与え、育成年代に大きな波紋を投げかけた野洲。高校サッカーのみならず小中カテゴリーの育成現場を語るにおいてでも、野洲の優勝前・優勝後、で分けてもいいくらい、あの野洲の優勝はエポックメイキングな出来事だった。
第84回全国高校サッカー選手権決勝戦・野洲高校決勝ゴール

対して聖和はこれでもかというくらいにドリブルとボールタッチに拘り、そのボール技術を極めている、超異端の存在。この保守的な日本で聖和の異端が当たり前になることはきっとないのだろうけれど(なったら逆につまらない)そんな事は百も承知で、自らの拘りにきっと大きな誇りと自信を持って取り組んでいるのだろう。そこには、外からは決してわからない、尋常じゃない忍耐力と努力があるのだと思う。
聖和学園 テクニック動画

高校サッカー界では共に異端。今大会出場チームの中でもボールと技術への拘りでは群を抜いて飛び抜けた存在であろうこの両校が、まさかの1回戦で当たってしまうという意地悪すぎな運命。野洲のあの優勝から10年経ち、野洲を見てずっと追いかけてきた聖和がその引導を渡すのか、それとも野洲が返り討ちにするのか。それ以上に、両チームがどんな魅力的なサッカーを見せてくれるのか、そしてこの両チームが当たることで、今まで見たことのないものが見られるんじゃないか。そんな期待に溢れる、夢の対戦カードとなった。

約ひと月前、この組み合わせが決まった翌日にはもうチケット買っておいた。この試合は絶対満員になると思って。
ずっと1人で行くつもりだったけど、試合の3日前にもう1人一緒に行くのが決まって、即、その日のうちにそいつの分もう一枚前売り買っておいた。

試合前日、前売りチケット売り切れ。買っといて良かった…(どやっ)

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試合当日
お目当ての「聖和 対 野洲」は2試合目。例年なら、三ツ沢で行われる1回戦なんていつも駐車場スカスカなんですよ。でもさすがに今日は早く行かないと良い席で見れないし駐車場もそのうち満車になるだろうなと思って、仕方ないので1試合目から観よう、と早めの出発。でもまぁ1試合目の1時間前に着くように行けばいくらなんでも余裕っしょ、と思って11時前に三ツ沢着いたら…いつもならこの時間ガラガラの駐車場が、どこも満車の嵐。やべぇ!マジかよ、って。三ツ沢を囲む道も、駐車場待ちの車で大渋滞。

三ツ沢の駐車場は諦めて他の駐車場を探す。あ、大きな病院ある。ここ停めちゃえ!と思って入ろうとしたら、警備員さんに止められた。

「今日は何のご用事ですか」
「見舞いですぅ」
「お見舞いの受付時間、13時からなんですけど」

一蹴された。たぶん僕らの前にも、この日は何台もこうして追い払っていたのだろう。この警備員さんに、完全に見透かされていた。駆け引きに負けた。切り返しの次の一手が出ない自分のアドリブ能力の無さを痛感した。警備員さんリスペクト。

諦めて周辺をぐるぐるしたけどどこのコインパーキングも満車。ある程度離れたところまで行きようやく穴場のコインパーキングを発見し、一安心。ふと気づいたら僕らの車の後ろにも、安堵の表情を浮かべて駐車場に入ってくるお仲間さんの車がいた(笑)

でもここからスタジアムまで歩くのはちと遠い。大晦日だし1人じゃないしということで、奮発してタクシー拾ったんです。

僕「三ツ沢までお願いします。すみません近くで」
運転手さん「いえいえ。今日は三ツ沢で何かやってるんすか?」

「高校サッカーやってて。超満員らしくて、駐車場がどこも満車なんですよ」
「サッカーといえば、私いま68歳なんですけど、中学時代サッカー部だったんですよ。県で3位にもなって」
「へぇー、すごい!」
「あの当時でサッカー部あるなんて珍しいでしょ。今でさえボランチだの何だのって色々あるけど、あの当時はそんな言葉なかったですもん」
「ですよねぇ」

運転手さん「じゃ、寒いから気をつけて!」
僕「ありがとうございまーす」

降車後
「駐車場が満車で停められなかったからこそ、あの運転手さんにも出会えたってわけやな…」としみじみ語り、いいこと言うだろ感 で満足してたら、一緒に行ったやつに失笑された。

三ツ沢での観戦ポイントは、席の前にコンクリの柵がある、そんな席を確保すること。ここ譲れない。お弁当とかお菓子とかを置けるし、前に人いないし、肘をついてノンビリ観れるから。
入場し、何とかお目当てのコンクリ付き席もGet。つくってきてもらったお弁当とかお菓子とか食べながら、まずはノンビリと1試合目「青森山田 対 大社」からの観戦からスタート。

スタンドは、この時点ですでに超満員。席を探す人でごった返し、通路に人が溢れてる。それどころか通路にすら入れない人で、ゲートが埋まってた。
こんな三ツ沢を観たのは、少なくとも自分は初めて。

予想外に大社が良いサッカーして2点ポンポンと取ったけど、前半は青森山田が悪すぎた。黒田監督も盛んに「コンパクトに!コンパクト!」って叫んでたけど、最終ラインとボランチの間をいつも空けてしまい、そこにうまく入られてポイント作られそこから崩されてた。強豪校でも初戦はこんなに硬くなっちゃうんだね…なんてノンビリ思いながら観ていたら、後半一気に逆転勝ち。青森山田ツェー、という率直な感想。後半途中から、大社は青森山田に前後に左右にといいようになぶられてるようで、これは時間の問題だなと…案の定、2-0ってやっぱり一番嫌なスコアだよなって、改めて思い出させる青森山田の したたかさ。ツェー。

ところで今書いてて発見したんだけど、したたか って、漢字で書くと「強か」なんですね。初めて知った。したたか=強さ。

そして青森山田のロングスローには素直に驚いた。あの子の肩専門のマッサージ師が必要だろー、って本気で思った。ホントにいたりしてなー。

大社は「中西メソッド」と言われていたけれど、スタンドから観てただけの僕の拙い観察眼では、いったい何がメソッドだったのか分からなかった。
ちなみに「メソッド」とか「スタイル」というフレーズを自分で使う人は、基本的に信用しないようにしてる。

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さぁ、お待ちかねの2試合目。

スタンドは、異様な雰囲気に包まれてた。高校サッカーであんな雰囲気は初めて。過去行われたあらゆる決勝戦以上のものでしょう。そして高校サッカーの1回戦でスタンドが超満員で埋まるというのは3年前の伝説の試合「野洲 対 青森山田」(@駒沢)でもそうだったけど、あの時の雰囲気以上に、スタンドの高揚感、そしてさっきも書いたけど、この2チームの対戦によりこれから何が起きるんだろう、何が見られるんだろうというゾクゾク感に覆われながら静かにその時を待つ、超満員の観客。今まで見たこともないものが見られるんじゃないかというワクワクと、こちらの想像は確実に超えてしまうだろうという怖さと。

もちろん僕らも、その一員だった。俺おにぎり4つ目食べてたけど。だってすげー美味しかったんだもん。


応援歌ではなく静寂が支配。息を飲むスタンド(©ゲキサカ)


超満員、立ち見もたくさん。隣接する団地にまで、観客が溢れてた(©ゲキサカ)

あっという間の80分。衝撃の7-1。

この試合を見終えた大晦日の夜から今日まで、この試合のことをどう書くか、ずっと葛藤してた。まぁ僕のBlogなんて別に誰が期待して待ってるというわけでもないのだろうけれど、自分の中で、この試合のことだけは生半可な軽い文章で終わらせるわけにはいかない、それではあまりにも両チームに失礼、という思いが溢れてしまって。なので頭の中で何度も描き始めては全削除し、また描いてやっぱりまたやめる…その繰り返し。それほどに、簡単には語れない試合だった。

でも
拙いながらも、この儚い芸術品のような試合で感じたことを何とか自分なりにまとめて、今から書いてみたいと思います。もう少し、お付き合い下さい。
(ここまで長くてゴメン)

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序盤から野洲が高いラインを設定して聖和の背後を果敢に突くための勝負を挑んでいた。しかし聖和も自信を持ってそこに挑みドリブルで返す。最終ラインの選手までも、まずはドリブル。それは野洲もわかっていただろうけれど、敢えて引かずに当然そこに襲いかかる。それこそ、野洲のプライドだったのだろう。
聖和が持つひとつのボールに対し、野洲の選手が4.5人集まるシーンも多々あった。

しかし
そこでも聖和はまずボールを奪われない。巧みで早いボールタッチで野洲の足をいなし、かわして引きつけて逆を取っていく。例え囲まれて足を出されて多少ボールがぶれたとしても、聖和の選手の方が、次の足が出るのが早い。だからやはり奪われない。そこから、引きつけていなして超ショートパスでギャップを通し少しづつ前進。それを繰り返しながら、徐々に野洲を無力化していく…そんな場面の連続だった。

つまり聖和にとって、一見数的不利だけど、実はそここそが圧倒的優位。これが肝。野洲を集めて集めたあげく、聖和の選手には見えている「背後の選手」へと、野洲の最終ライン裏を破るパスで急襲する。軸足の裏を通すパスをも駆使しながら。特に7番は巧かった…

象徴的なシーン。聖和のGKが叫んでいた 「いつでも裏は取れるぞ!」
まさにこれ。この言葉に尽きる。彼のこの言葉を聞いた時、僕は「あぁ、これは聖和が勝つ」と思った。

上述したように、聖和は決してドリだけじゃない。引きつけていなすパス、引きつけて間を通すパス、そしてラインを破るナイフのようなパス、そして奪った後の早いカウンターのパスも常に狙ってるから

この大晦日の夜に行われていた総合格闘技に例えるならば、闘争心剥き出しの野洲がマウントを取るけれど、殴りかかった拳をうまくいなされ、逆にその手を取り、握り、有効打を喰らわしながら下から首と腕を取って三角絞めや逆十字を極める聖和、という感じだろうか。それでも強気にKOを狙おうと殴り続ける野洲の手をうまくかわし、素早くサッと立ち上がって今度はカウンターというハイキックを喰らわせる。

野洲にしてみたら立ち上がって殴り合おうにもうまくかわされ、逆に有効打を浴びせられそしてまた聖和の寝技に引き込まれ、そこでまた殴られるのか極められるのか、どちらか分からずに今度は逆にマウントを取られてしまう。そんな状態に、じわじわと野洲が陥っていく。僕にはそう見えた。
格闘技知らない人には、この例え伝わらないかもしれない。ゴメンなさい。

野洲を翻弄し続けた聖和のドリブルは、決してドリブルだけじゃ終わらない。ただ魅せるだけのサーカスでもない。頭と目と身体が連動してしなやかに早く動き、野洲よりも先手、先手を打っている。奪われた後にすぐ2人目が囲んでまた奪い返してしまう、奪われることありきの距離感も、この日はほぼ完璧と言えるくらいの絶妙な間合いで連なっていた。そして、野洲の背後を取る「見えない味方」のことも、頭で見えていた。

もう一度「いつでも裏は取れるぞ!」(聖和GK)

この日の聖和のこと(野洲のことも)を「ドリブルだけ」と簡単に評していた人が何人かいたけれど、うーん、いったい何を見ていたんだろうか。目に見える現象だけしか見えないのならば、本質は決して見えない。事実と真実は違う。目に見えないもの、その現象の行間に流れてる「見えないもの」に想像力を働かせれば、この両チームが繰り広げた、攻守にわたるハイレベルな「時間の奪い合い」が、おぼろげながらでも見えてくると思うのだけれど。

守備の巧さ、早さ、強さ、賢さ、シュートの巧さ。
ドリブルという拳銃は、それらが伴って、初めて殺傷能力が生まれる。空砲ではなく、拳銃(ドリブル)に弾を込める。この日の聖和にはそれが全て備わっていた。だからこそ野洲を撃ち抜き、あそこまで観客を引きつけた。

そして忘れてはならないのが、野洲が、聖和の魅力を引き出したということ。対戦相手が野洲じゃなかったら、聖和の魅力があれ程までにあぶり出されることもなかったんじゃないか。
「野洲がリトリートするわけにはいかない」みたいなことを、山本監督が試合後に言っていたらしい。野洲にとってはその意地とプライドが、逆に仇となったのかも。でも野洲にとってそこだけは、決して譲れない一線だったのだろう。そこを嘲笑したり批判することは、誰にも出来ない。

野洲の10番・村上魁の野生味も、とても魅力的だった。牙を剥く闘争心と、少しでも歯車が外れたら崩壊してしまいそうな繊細さが同居しているようだった。だからこその魅力。生で観たのは初めてだったけれど、評判通り、彼には心奪われてしまった。これからの彼を、追っていきたいくらい。

繰り返すけど、高校サッカー史上に残る満員札止め、そしてあの雰囲気。刺激的なフットボールの香りが臭いすぎたあの三ツ沢の様相は、しばらく忘れられそうにない。

通路に人がはじき出されるほどにスタンドを埋め、隣接する団地にまで人を溢れさせ、超満員の観客を魅了したというこの事実こそ。
聖和と野洲。両チームともに、この試合の勝者だったのだと思う。

両チームともに圧倒的な魅力。簡単に「スタイル」なんて言葉で片付けるほどの生半可なレベルじゃない。野洲はもちろんのこと、聖和もあそこまで拘りを貫き高めてきたその過程では、あらゆる波風や高く厚い壁に何度も邪魔されてきただろう。後ろ指も刺されたに違いない。でもそこで挫けず妥協せず、自らの信じるものを捨てずに貫いてきた姿勢は、好きな服を好きな色で選び着飾るだけの「スタイル」なんていう、陳腐な言葉では片付けられないはず。

野洲も聖和も、あそこまでいけばもはや 生き方 の領域。生き方は、誰にも批判できない。真似もできない。口も挟んじゃいけない。

魅力的なサッカーを追求しながら選手を育て、人を育て、ましてやそれがたくさんの人を魅了する。
僕ら育成現場の指導者達が目指すべき、ひとつの理想でもあった。
両チームの選手達、関係者の皆さん、本当にありがとうございました。一年の最後に、本当に良いものを見させてもらいました。

そして僕は、大きな宿題をもらった気分だ。

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埼玉の拘り集団、昔からお世話になっているFC Cano・菊地さんのFB投稿より
↓↓
「繊細で美しい様式美を誇る、日本の茶道で使われる『茶碗』
その昔戦国の世では、領地を貰うに等しいとまで言われた。

聖和 vs 野洲 … まさに『名器茶碗』対決でした。

お互いが同質のぶつかり合いをして全力で正面衝突したので、片方が壊れてしまった…
美しく、繊細なモノ同士(同志)だからこそ起きてしまった「7-1」

多分、異質なモノとの対決ならば、柔らかく包んでしまえたであろうに…
(結果はわからないですが、あの様な完全崩壊には絶対にならなかった)

美しいモノとは、かくも儚きモノなのか。
まぁ、つい先だってのクラシコでも、あのレアルでさえ崩壊したのだから、高校生の真っ直ぐなプライドならば、尚更致し方ないのだと感じた」


両チームに理解の深い菊地さんならではの、美しい例えですよね。さすがです。


名器同士の繊細な対決(©ゲキサカ)

聖和 対 野洲、誰かがあげてた動画(スタンド目線)
http://youtu.be/zc-cMNyGBkM

スポナビコラム “7-1” が日本サッカー界に与える影響 〜 聖和学園が野洲に完勝した意味

この日はおそらく50人以上の知り合いサッカーコーチが観に来るだろうなと思ったし実際に観に来てたんだけど(全国から)
今日は全てスルーして誰にも会わずにこっそり帰ろう計画を立ててた。でもやっぱり無理だった(笑)

終わった瞬間、すぐにボール蹴りたくなった。実際、試合後に三ツ沢の広場でボール蹴ってる人たくさんいた!その数、間違いなくいつもより多かった。
みんな、ボール蹴りたくなったんだろうな。

そういうことなんだよね。

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2016年
年が明けて1月2日、聖和の「続き」を観に行ってきた。「青森山田 対 聖和学園」
(等々力競技場)



青森山田が「強か」なサッカーで覆いかぶさってくるその前にトントーンと点を取ってしまい、試合を決定づけてしまってほしい。そう思いながら観戦してました。
1回戦では野洲も地上戦を、しかも局地戦を真っ向から挑んできたから、聖和の「2人目」の距離感が尚更ハマり機能して、そのドリブルがさらに生きていた。
でもそれ青森山田は付き合わないだろうなぁと思ってたから、それをどう攻略するのかって、その興味もすごくあったんですよね。

僕は聖和にこのまま優勝してほしいと思っていたし、野洲に勝ったのならば、こんなところでは絶対に負けてほしくないと思っていた。

ただ単に巧さで圧倒すればいいのではなくて、あくまでもこのサッカーで勝つ、日本一を獲るという「結果」をも一緒に持ってくることで、その正しさも万人に証明される。異端を選ぶならば、そこにはいつも「証明するための戦い」が付きまとう。そこに本気で挑む聖和が見たかった。
野洲はそれを、10年前に成し遂げたのだから。

しかし、青森山田が粉砕%