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綾小路 翔(氣志團)

孤高のヤンクロックバンド「氣志團」の誇り高き團長。
1997年、千葉・木更津にて氣志團を結成。「大胆かつ破廉恥に、Vのベルトはバレンチノ!!」を合い言葉に、熱いGIG活動を展開。2001 年、まさかのメイジャーデビュー。自ら企画の大型野外ロックフェス、全国アリーナツアー、ロックバンドとしては最速での東京ドームGIG成功な ど、まさに「氣志團現象」を巻き起こし、NHK紅白歌合戦へも2年連続で出場を果たす。ジャンルレスにアンダーグラウンド、オーバーグラウンドの 両サイドを行き来する、天下無双のツッパリ・クリエイター。

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COBRAと私

December 21, 2012

この綾小路 翔の人生において、最も影響を与えたロックバンドは誰かと問われれば、
JAPANESE Oi PUNK BANDの雄・「COBRA」であると即答致します。

出逢いは1990年。
時はまさに世紀末。
淀んだ街角のCDレンタルショップで僕らは出逢いました。

兎にも角にも音楽に飢えていた中学生時代。
外タレだろうが、邦楽だろうが、メジャーだろうが、インディーズだろうが、
ロックだろうが、パンクだろうが、ハードコアだろうが、
ノイズだろうが、フォークだろうが、スカだろうが、レゲエだろうが、
アイドルだろうが、ニューミュージックだろうが、コミックソングだろうが、
もう全く関係なく、ただただ貪り聴いていたあの頃。
言うたら、何でも良かったのです。
空っぽの脳味噌の中に、何かを詰め込みたかった。
空っぽの心の中を、何かで埋めようとしていた。

愛読書は宝島とDOLL。
そのどちらもが、田舎の中学生の精神状態に悪影響を及ぼすには充分すぎる、禁断のバイブルでした。

確か、その中で何気なしに見かけた広告だったと思う。
oioioi.JPG
この辺りの写真を使った広告だったような。

正直、初見では何とも思っていなかった。
派手な人は一人いるけど、前にいる人は何か冴えないなぁ、
ちょっとおじさんみたいだなぁ、ロックバンドの人なのかなぁ?ぐらいに思っていた。
その人こそが、その後の人生において、まさか自分のファッションに対する指針的存在になるとは露知らず。

何せ、その頃はホコ天で大ブレイクし、鳴り物入りでメジャーデビューを果たした「THE FUSE」に夢中だったわけで。
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それに比べたらCOBRAは
OIOIOI2.JPG
どうしたって、地味なバンドにしか思えなかったのです。

しかし、それは間違いでした。
何気なしにレンタル店で借りた1st ALBUM「Oi Oi Oi」を聴き、彼らのストロングかつポップな楽曲にKOされた私。

小学生の時、従姉に貰ったテープに入っていたLAUGHIN' NOSEというバンドの
「GET THE GLORY」という曲の中でも連呼されていた「Oi」という言葉。
この文字面と響きが何とも不思議に胸を熱くさせる。
気になって調べたら、どうやらギターのNAOKI氏とベースのPON氏は、
そのLAUGHIN' NOSEを脱退してCOBRAに加入したということを知り、勝手に運命を感じたのでした。
ちなみに、このアルバムに収録されている「トゥーリア」という楽曲を給食の時間に流したところ、
放送部室に飛び込んできて「これ、誰の曲?」と聞いてきた同級生がいました。
それが後の氣志團のドラマー・白鳥雪之丞との出逢いでした。


名曲「あの娘はエイリアン」。
このPVの中でメンバーが意味不明に着用しているヨーランが何ともコミカルで、
その後やり過ぎな学ランを着ているヤンキーの事を「エイリアンの先輩」と蔑称したものでした。

ちなみにやり過ぎな行動を取るヤンキーの事はすべて「本屋の先輩」と総称していました。

0.55秒辺りから登場する先輩にご注目下さい。

そして、1990年10月10日に発売されたこの作品を聴いて、
自分の青春の全てをこのバンドに捧げようと誓ったのでした。
(しかし、前作が1990年5月5日発売だったということは、恐ろしく早いスパンで制作されたということか。)
CAPTAINNIPPON.jpeg
このPONさん(右上)の出で立ち。
坊主頭に眼鏡、黒いMA-1にスーパースリムのデニム、ベン・シャーマンのボタンダウン、
フレッドペリーのカーディガン、サスペンダー、そしてドクター・マーチン。
それがトラディショナルなスキンヘッズ・スタイルであることを知らなかった我々からすれば、相当な衝撃でした。

何せ時代はジュンスカが「Let's Go ヒバリヒルズ」がオリコンチャート2位、
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ユニコーン「ケダモノの嵐」がオリコン1位を獲っている1990年。
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しかし、我らがPON兄貴は何処吹く風。
CAPTAINPON.jpg
時代を席巻したビートパンクスタイルを完全に無視し、
独自のOiファッションで僕等を魅了したのでした。

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THE LAST RESORTのROYを知った時、「あぁ、これがもしや元ネタでは!」と騒いだものでした。

まずはこちらJAPANESE Oi PUNKS達のアンセム
「CAPTAIN NIPPON」(このタイトルのセンスに最早脱帽)

PONさんの坊主頭にレイバンのティアドロップ、そして白いサンダーバード。
ライフルを構えた時の大門部長と見紛う程にカッコ良すぎます。

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そして希代の名曲「オレたち」。

YOSU-KOさんの持つポップセンス、NAOKIさんのメロディアスなギターワーク、
超絶テクニシャンであるKI-YANさんの安定感抜群のドラム、そしてPONさんの独創的な歌詞。

あれだ オレたちだって バカじゃないぞ OH オレたちだって
あれだぞ オレたちだって バカじゃないぞ アタマいいんだぞ

この曲こそが僕の心を鷲掴みにしたのです。

この歌詞にこの曲、一体他に誰が書けるというのだろう。

COBRAに夢中になった理由を自己分析すると、楽曲やメンバーのキャラクターは勿論の事ながら、
時に意図的に見え隠れさせる、彼らを取り巻く音楽とファッションにまつわる膨大な情報量だったように思います。
男気を前面に出しつつも、実はセンシティヴで知的なところに憧れ、深い影響を受けました。

そして1991年1月7日、COBRAは遂に日本武道館ライヴへ。
ハードコアシーンから出てきたバンドとしては初めてのことだったのでは無いでしょうか?
しかもこのジャンルで。しかもデビューして半年で。
ありえない。
よくよく考えたらとんでもないことだったわけです。

CNB.jpg
この時の模様が収められたVHS「CAPTAIN NIPPON BUDOKAN」
は、まさにテープが伸びるほどに、何度も何度も観ました。
そして最近DVDで買い直しました。
何度見ても新しい発見があり、何度見ても同じ所で感動してしまいます。
人生で一番観たLIVE映像であることは間違いありません。


デビューアルバム「Oi Oi Oi」から丸一年後、
1991年5月5日にリリースされた「STAND STRONG STRAIGHT」。
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音楽性もファッションも一気に変貌し、当時我々をドギマギさせた作品でしたが、これもよく聴いたなぁ。


確かCOBRAのバンドスコアはドレミ出版から出ていて、他では見られない写真なども乗っているので、
とにかく夢中になって見た事を思い出しました。
ギターも一生懸命コピーしました。
そうそう、中2の二月ぐらいだったかな。
COBRAのコピーバンドを結成したんです。
名前は...

「Oi」と「COBRA」をミックスさせた...

「OiRA」!!

...今言葉にしても震えます。

どうか笑ってやって下さい。

ボーカルは現氣志團のドラマー・白鳥雪之丞。
私はギターでした。

デモテープなども作っていたので、今回載せようかなと思っていたのですが、
まだ捜索中なので、そのうち見つかり次第、是非。


そしてPONY CANYON期、最後の作品となる「BOOTS BOY」。

この時期にCOBRAの活動休止が告げられたのでした。
後にも先にも、この人生において、アーティストの事であんなにショックを受けたことはありません。
ジャケットの裏の粉々になったロゴマークを見て、泣いたことを今でも忘れません。

そして1991年12月。渋谷公会堂2DAYS。
この最後のライヴに我々「OiRA」の四人はいました。
オープニングに流れた、ベートーヴェンの交響曲第9番『歓喜の歌』 が今も耳から離れません。
みんなで牛丼を賭けて予想した一曲目は全員の予想を裏切り、「WE ARE THE CHAMPION」でした。
この熱狂のステージを最後に、COBRAは僕達の前から姿を消しました。

あの日、AOKIの安全靴にドクターマーチンの赤いシューレースを付けて向かった僕は、
帰り道に渋谷公園通りの靴屋に立ち寄り、いつか絶対に本物のマーチンを買うんだと決意しました。
センター街の、当時僕らにとっては珍しかった松屋で、四人で食べた牛丼の味は一生忘れません。
(結局賭けは成立しなかったので、それぞれ自腹でした。)

で、これがやっと手に入れた10ホールのマーチン。
修学旅行.jpg
履き過ぎて、高2の修学旅行の時には既にボロボロ。


その後、YOSU-KOさんとPONさんはまさかのハウスユニット「COW COW」を結成。

このアルタ前でのゲリラライヴ、行きたかったな。
この日に配布されたプロモーション用のCDは友人から譲り受け、今も持っています。


COBRAが好きすぎて、当時は受け入れられなかった事も憶えています。
だからOZMAを受け入れてくれなかった氣志團ファンの方々の気持ちもわかっていました。


このかっこよさに気づいたのはCOW COWが解散した後。
「結局俺達はYOSU-KOとPONを信じきっていなかったんだ。
裏切ったのはYOSU-KOとPONじゃない。俺達だったんだ。」
と雪之丞と嘆き、語り合ったものでした。

彼らが見ている景色はいつも世界の最先端で、何もかもが早過ぎた様に思います。
あの頃の僕等では、とても追いつけないぐらいのハイスピードで遠くに行ってしまった。

それにしても、この曲が収録された2nd ALBUM「2イノセント」のブックレットの中の二人のファッションにはぶっ飛びました。
YOSU-KOさんのダウンベストにオレンジのパーカー、首から下げた鍵、そしてボンデージパンツ。
(JIM'S INNで売ってた、ヴィヴィアン&マルコムとは関係ない方の「S.E.X」というブランドの緑のチェックのやつ)
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そうそう、この緑のやつ。てか、俺の顔...(涙)。

PONさんが着ていた、ジョニー・ロットン仕様のモヘアセーターにも憧れました。
A STORE ROBOTで同じ柄のを見つけた時は、飛び上がるぐらい嬉しかった。
MOHEAIR.jpg
これ。
砂壁じじい.jpg
前にも乗っけた写真だけど。これが真似して買ったセーター。
そういえば確か「バンドやろうぜ」に載っていたBOSSのエフェクターの広告の写真漫画に東京SEX PISTOLSが出演していて、
その中でジョニオさんが着ていたモヘアセーターも同じ柄だった記憶。(当然、あれはきっと本物のSED'Sなのだろうけど...)
憧れたんだよなー。このモデル。
しかしこの部屋、悲しいほどに砂壁じじい。

で、これも前に乗っけた写真だけど、COBRAに影響を受けすぎ、
更に行きすぎてしまった雪之丞率いる、THE BULL WORKERS。
嫌な高校生。てか、誰もWORKERじゃねぇし。
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こんな風にEVERLASTやLONSDALEをやたらと着ていたのも、そこからの影響だったわけです。
18歳 冬.jpg
雪之丞と私 on the 内房線。


上京してからはYOSU-KOさんのソロライブにも行きました。

この頃YOSU-KOさんが履いていたブーツがめちゃくちゃカッコ良くて、アメ横を必死になって探しました。
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それがこれ。
CHIPPEWAの70'S BOA BOOTS。
その後も見つけるたびに購入し、計三足所有。

99年のCOBRA再結成にも足繁く通いました。
YOSU-KOさんとNAOKIさんは紺色のロンジャンをお揃いで着ていました。
あの頃履いていた、やたらゴツイブーツの詳細だけはわからず終いでした。

2005年には再休止するも、2007年に再復活。
ライブにこそ行けませんでしたが、精力的な活動の様子は追い続けていました。

こちら、すんごい名曲。


そして、2012年12月16日、あの涙の渋公から21年。
遂に僕はCOBRAと同じステージに立ちました。
それも、COBRAの対バンツアー『オイ!オイ!トゥエルブ・ラウンズ』の最終戦の相手としてご指名を頂いたのです。

オープニングの曲はあの日のライブの一曲目、「WE ARE THE CHAMPION」をカバー。
大好きだったけど、結局生では聴けず終いだった「LAW THE JUNGLE」もカバーさせて頂きました。
自分達の曲も、特にCOBRAから影響を受けた楽曲を中心に演奏しました。
無我夢中だったけれど、最高に楽しかった。
アンコールでは、かの名曲「Oi TONIGHT」をデュエット。
打ち上げでは、終始YOSU-KOさんに
『みんなが知りたかった、でも意外と聞けず終いだった、あの頃のCOBRAにまつわるエトセトラ〜ファッション&歌詞編Vol.1〜』
というテーマでのインタビューを敢行いたしました。
感無量とはまさにこの事だと思いました。
また、COBRAのセットリストの最後の曲が、まさかの「WE ARE THE CHAMPION」。
「WE ARE THE CHAMPION」に始まり、「WE ARE THE CHAMPION」に終わる、という奇跡のライブであったことも付け加えておきます。

COBRA.JPG
そんなわけで私、「夢は叶う」、こちらをまたも実証してしまいました。
GIG中にもMCで言いましたが、これはGLAYとU2が対バンをすることぐらい、歴史的な快挙だと思っています。

僕の人生を変えてくれたバンド「COBRA」。
彼らに逢わなければ、今の僕など存在しておりません。
つまりは氣志團も。
ってことはDJ某も。
NHK紅白歌合戦の規制もまだ緩かったに違いありません。

そんな伝説のバンドは、年内で再び活動休止をすることを発表しました。

オファーを受けた際には、そんな話は全く聞いておりませんでした。
まさに、このタイミングでしか僕の夢は実現しなかったのだと思いました。

心から御礼を言いたいです。
本当にありがとうございました。

また、余談ではありますが、当時このMVを観ては憧れ続けた京都の老舗ライヴハウス・磔磔。
今年のツアーで、遂に初めてステージに立つことが出来ました。
少年時代の自分にとっては、ある意味新宿LOFTよりも憧れていた場所だったかも知れません。
本当に感動しました。


氣志團結成15周年イヤーであり、自分にとっても大きな節目の年であった2012年。
これで心置きなく、新たなる地平に向かって歩き出せます。

さぁ、残すところ今年もあと10日ばかり。

マヤ暦では本日にも地球が滅亡するという噂もありますが、日々思いを残すこと無く、全力で行きていこうと胸に誓う私でした。

【おまけ】
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COBRAにとって初の音源となった、1983年リリースの名盤「BREAK OUT」。

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こちらをモチーフに氣志團Tシャツを制作、ライブ会場にて限定販売しました。
モデルには盟友まちゃまちゃを起用。
この完全再現ぶりに、何とメンバー様からもお褒めを頂くことが出来ました。うぅ...。

因みに打ち上げでのインタビューにより、これまで永遠の謎とされてきたこのジャケットの女性のお話も伺うことが出来ました。
また、先に書いた、YOSU-KOさんが99年ごろに履いていたゴツイブーツは、
何と当時のご自宅の近所のゴミ捨て場に落ちていたスノーボード用のブーツだったとの事。
...そりゃわかんねーや!


その他にも我々が毎月楽しみにしていた「月刊Oi!!」については、殆ど記憶がないことなども発覚。
また、あのコーナーに掲載され、我々を悩ませ続けた「12ホールのドクターマーチン」の実在の有無についてや、
歌詞やタイトルの意味などについては「PONに聞いてくれ」とのことでした。
そのお答えを頂けただけでも感動。
ファンってそういうものです。


【おまけ2〜オールナイトフジでのCOBRA〜】
ライヴ
トーク

僕らファンにとっては、資料としても非常に貴重な映像。
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このロゴマークの名前が「ニョロ吉くん」であること、
「Oi Oi Oi」がオリコン初登場9位であること、
デビュー当時からかなりの動員力を持っていたこと、などがわかります。


それでは最後に1990年の尼崎頂上対決を観て、お別れ致しましょう。

FOREVER
COBRA
COBRA
FOREVER

綾小路 翔
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December 21, 2012 , 5:39 AM

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