こんにちは。
何気なく読んでいたこのブログから、思わず考え込んじゃいました。
この場ではっきり言います。僕はミニマリストです。
ミニマリストについては昨年、あるブログが炎上していたことから
僕もこんな記事を書いてみたりしました。
これは僕の考えですけど、ミニマリストは以下の3つに分類できます。
①物欲はあるけど意図的にモノを持たない自発的ミニマリスト
②物欲を持っているけど金銭的な事情で欲しいモノを買えない非自発的ミニマリスト
そして②をこじらせた先の3つ目
③欲しいモノを買えない生活に慣れた結果、モノを欲しいと
思うのがめんどくさくなった環境適応型のミニマリスト。
僕は③に当てはまるんだろうなと、この間つくづく思いました。
だけど誤解しないでいただきたいのは、別に物欲にまかせてモノを買う人たちや
物欲に抗ってモノを持たない人たちを否定などするつもりはないという事です。
現実ってのはあらゆるモノで溢れており、自分の抱く欲求とせめぎ合って
生きていくのが本質でしょう。そういう意味ではモノを持つ、持たないの間で
逡巡しているのはミニマリストであろうと、そうでなかろうとも正しいし、うらやましい。
自分だったらたとえほしいものがあっても、
モノを買っても部屋が散らかるだけだしお金が減るだけだし
どーでもいいという思考になり、結局モノを買わない。
こういうのってすげー寂しいなぁと思ったりします。
もしも昨年の宝くじで10億円当たっていたらどうなるだろう?
物欲に目覚めて高級外車や美食に走ったりするんだろうか?
仕事をやめたりするんだろうか?
いや、結局面倒くさがって車を買うとしても軽自動車。
美食も有名店を2,3店食べ歩いたらもう飽きちゃうだろうな。
たぶんだけど現在の仕事も辞めない。自分が社会に関わっているという
実感を味わえないのも苦痛だろうから。
物欲が乏しいとかいってもお金は欲しい。だけどそれも
モノを買うためじゃなくてあくまで生活の安定に必要なだけだしなぁ・・・。
あ。ほしいものあった。
時間。
仕事をこなしたり、家族と遊んで過ごすほか
自分の自由にできる時間が一日あたりあと2〜3時間欲しい。
なんだかんだいって、「欲しい」ものがあるってことは
僕はミニマリストじゃなかったのか。わからなくなってきた。
ってな具合いに、僕のあたりさわりない日常は続いていくんでしょう。
結局のところ、人間は誰も欲しいモノがあって、それが物質的なものか
観念的なものかという違いでしかないんじゃないのだろうか。
観念を重視する人たちは「ミニマリストである自分」への承認欲求を欲するだろうし
そうでない人たちはそれに反発するだろう。
ミニマリストであることを自慢されたら確かに鬱陶しいけど、
そういった他人の自慢をキツく感じるんだったら読まなきゃいいだけのこと。
物欲を否定するようなことが書いてあったって、なにも名指しで否定が
書かれているっていう話でもないんだから、気にする事もない。
この2つのブログを読んでいてそんなことを考えました。
無印良品とはじめるミニマリスト生活(仮) [ やまぐちせいこ ] |
※ミニマリストを資格制にして、どっかの通信教育会社で
資格講座をはじめたらめっさ儲かるんじゃね?とか思う。