扉の影の女

2015.11.15

横溝正史(金田一耕助)

扉の影の女

2015.11.15  渡邉達朗

扉の影の女

築地の橋下で若い女の変死体が発見される。被害者はハットピンで首筋を一突きにされ、そばには謎めいた手紙の切れはしが残されていた。金田一耕助の事務所を訪れた女性はしばらく逡巡したのち、この事件を目撃したといって助けを求める。依頼人の供述によると、犯行現場は築地ではなく、西銀座にある人けのない路地だという。俄然、闘志を燃やした金田一は事件解決に乗り出していくが……。

横溝正史は1957年ごろ、週刊東京に「~の中の女」という表題の作品群を続けて掲載している。いずれも名探偵・金田一耕助が登場する短編シリーズで、必ず物語に女が絡んでいるという特徴があった。「扉の影の女」もその中の一つで、単行本刊行の折に加筆して長編化された作品である。

この時期の著者は明らかに新たな創作を行う気力を失いつつあった。そのような状態のなか少しでも読者の期待に応えるべく、短編を加筆修正し作品の質を上げつつ、引退の時期を探っていたように見受けられる。実際、「扉の影の女」は事件自体が短編向きといえるもので、長編化に成功しているとは言いづらい内容だ。

いきなり否定的なことを書いてしまったが、この作品に見るべきところが何もないわけでは決してない。金田一耕助の日常生活を浮き彫りにした異色作ともいえ、煙草銭にも窮する金田一とそれを気遣う等々力警部のやりとりなど、ファンであればかなり楽しめるだろう。人物描写が丁寧なのも本作の良い点なのだが、その影響か重要な人物が最後まで登場せず、犯人当てがほぼ不可能なのはいただけない気がした。

なお、本書は表題作のほかに「鏡が浦の殺人」という短編を収録している。金田一と等々力警部が美人コンクールの審査員を務める中で殺人事件が発生するというもので、双眼鏡と読唇術、毒の針が仕込まれたゴムまりなど小道具の使い方が面白い。事件の真相は切なくやりきれないものであったが、最後は金田一らしいハッタリもあり、温かい気持ちにさせてくれる素敵な終わり方だった。

<「扉の影の女」登場人物>
夏目加代子 … 西銀座のバー「モンパルナス」の女給。事件を目撃した。
江崎タマキ … お京というバーに出ていた女。ハットピンで刺殺される。
臼井銀哉 … ミドル級世界王者の人気プロボクサー。タマキの情人。
マダムX … 銀哉が赤阪のナイトクラブ「赤い風車」で知り合った女性。
岡雪江 … 新橋の「サンチャゴ」というキャバレーに出ているダンサー。
金門剛 … 戦後派の怪物と噂される財界の大物。タマキのパトロン。
加藤栄造 … 東亜興業社長。金門剛が取り入った財界の巨頭。
藤本美也子 … レストラン「トロカデロ」のマダム。
広田 … レストラン「トロカデロ」のコック長。
沢田珠実 … 数寄屋橋付近で自動車に跳ねられた高校生。
沢田喜代治 … 珠実の父親。弁護士をしている。
沢田綾子 … 喜代治の妻。
佐伯三平 … 喜代治の甥。
多門修 … ナイトクラブ「KKK」の用心棒。金田一の助手を務める。
安井警部補 … 築地署の捜査主任。
古川刑事 … 築地署の刑事。
川端刑事 … 築地署の刑事。
堀川刑事 … 築地署の刑事。
新井刑事 … 警視庁捜査一課所属の刑事。等々力警部の腹心。
等々力警部 … 警視庁捜査一課所属の警部。金田一耕助の相棒。
金田一耕助 … みなさん先刻お馴染みの、もじゃもじゃ頭の探偵さん。

<「鏡が浦の殺人」登場人物>
一柳悦子 … 鏡が浦にある「望海楼ホテル」の女主人。
一柳子爵 … 悦子の亡夫。ホテルは子爵の別荘を改装したもの。
一柳芙紗子 … 子爵の先妻の娘。
一柳民子 … 子爵の妹。
岡田豊彦 … 芙紗子の友人。子爵の遠縁。
江川市郎 … 児童心理学者として有名な大学教授。
江川晶子 … 市郎の長女。
江川ルリ子 … 晶子の娘。生まれつきの聾唖。
加藤達子 … 江川教授の助手。
加納辰哉 … 電気関係のエンジニア。江川教授の旧友。
都築正雄 … 辰哉の甥。
久米恭子 … 正雄の恋人。
古垣重人 … T大教授。法医学の最高権威。
等々力警部 … 金田一と静養に訪れた警視庁捜査一課所属の警部。
金田一耕助 … 雀の巣の頭にくたびれた着物袴。静養中の名探偵。


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