固窮庵日乗

2016-01-01

研究する生活

まだ年度が替わっていないので振り返るには早いのだが、2015年は研究する生活が軌道に乗ってきた年だったと思う。

30歳で子宝に恵まれてから、研究者としてはペースダウンしてしまった。子供を産むことが女性研究者にとってハンディになることはわかっていたが、周囲の例を見て大丈夫だと踏んでいた。私は母か姑をあてにしていた。また、常勤になればお金で解決するつもりだった。

しかし実家では弟が家業を継ぐことになり、母はその手伝いに必死で孫の面倒を見る余裕がなくなった。そして全く予想できなかったことに、義理の両親が乗っていた車が飲酒運転の車に追突され、舅は長らく意識不明、姑は亡くなってしまった。婚家で乳飲み子を抱えて遺品整理をしながらの病院通いがしばらく続き、研究どころではなかった。後から振り返るとこの時から自分の人生のあれこれが狂ってしまったと思う。

保育所には入所することができたが、時間外や病気の時に頼れる人がいないという状況ではまともな研究はなかなか難しかった。常勤職に就けていなかったので、シッターさんなどを頼むということもできなかった。非常勤のコマも少なく、ささやかな貯金は瞬く間にゼロになった。

そうこうしているうちに奨学金返済の猶予期間が切れ、非常勤の合間を縫って必死でアルバイトをする生活が始まった。週に一度は徹夜するような毎日で、案の定身体を壊してしまった。やっと病院通いが終了したとき、40歳は目前だった。

糸の切れた凧が風の吹くまま滅茶苦茶な飛び方をしているような30代だったが、40代はその凧が墜落していくような日々だった。収入は生活費と奨学金の返済で消えてしまい、研究に当てる分など残らない。遠方の学会に行くこともできず、研究会なども次第に欠席しがちになった。

恩師の黒川洋一先生は、お金のないときはテキストに深く深く下りていくような研究をしなさいと言っておられた。そのことを思い出して博士論文はなんとか書き上げ、もがくようにぽつぽつと論文を書いていた。先生が仰ったように、どんな環境であれ、そこでできることを研究し、論文を書き続けるのが研究者だと思う。しかし私はあの本を買って手許に置けたら、新幹線に乗ってあの資料を調査に行けたら、という気持ちも押さえきれない。

もう自分はまともな研究はできず、非常勤講師としての講義をこなすだけで一生を終えることになるかもしれない――、考えたくなくてもそういう考えが頭を過ぎった。このままでは絶対に後悔する。私は自分の生活を抜本的に変えようと思った。ちょうど非常勤のコマが増えたので、それには手を付けないことにして、ある程度貯まったところで部屋を借りた。物理的にはそれまで5畳ほどの部屋が物置のようになっていたのが、使いやすく本をレイアウトすることができたし、精神的には家にいる時間は心穏やかに研究に思考を巡らせることができるようになった。

新しい暮らしを始めてからコンスタントに論文を書けるようになった。相変わらず専業非常勤なので遠くは無理だが、近場の研究会や日帰りできる学会には積極的に参加するようにもなった。プロジェクトにも声を掛けていただき、初めて研究費で本を買い、諦めていた中国にも行くことができた。まだ誰も取り上げていない資料を読みながら自分が翻字できることを喜び、わからないことがあると調べ物の勘が失われていないことを確認して安心する。こういうとき細々とでも研究を続けていてよかったと思う。

思い起こせば、私は20代の頃から自身の近世漢文学史を構想していたのである。迷走の30代と諦めの40代を経て、このままフェイドアウトしそうだったが、なんとか50代で再び研究する生活を軌道に乗せることができた。このまま書けるだけ書きたい。私しかしないような近世漢文学史を構築したい。ガンガンいきます。皆さま方、何卒よろしくお願い致します。

SeaSea 2016/01/02 00:51 菅茶山研究楽しみにしております。

masudanorikomasudanoriko 2016/01/02 01:05 夏休みに…お正月までに…と言いながらまだで情けないですが、粗々できております!

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