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【3】
ギルドをでて歩くこと25分。
シンの目の前には熊の手が描かれた看板があった。セリカの言っていた通りなのでここが穴熊亭なのだろう。
「ここで間違いないな」
念のためもう一度確認してから扉に手をかける。ゆっくりと扉を開くと聞こえてくる笑い声が一段と大きくなった。
穴熊亭の中にはカウンター席と多人数用のテーブルが七つ。テーブルは五つが埋まっていて、どのテーブルも冒険者と思しき集団がジョッキ片手に騒いでいた。
シンがその様子を眺めていると、頭上から影がおちた。何かが光をさえぎっているようだ。
はて、と思いつつ背後に人の気配を感じたので振り返る。
「ん?」
視界に入ってきたのは花の刺繍がされたエプロンとシンの3倍はあろうかという太さを誇る腕だった。
「いらっしゃい! お一人様か?」
声が頭上から聞こえてきたので、視線をあげると巌のごときいかつい顔に凶悪としか言えない笑顔を浮かべた人物と目があった。
「でけぇ……」
返事もせず出てきたのはそんな一言。シンの身長も180セメルを超えているため一般よりはでかいが、シンの目の前にいる人物はおそらく230セメル近くある。もはや巨人だ。
「どうしたあんちゃん。元気がねえぞ」
「はっ! ええと、あなたは?」
男の言葉に我に返る。答えになってはいなかったが。
「俺か? 俺はこの穴熊亭の店主にして看板親父! ドウマ・ベアーだ!」
「……親父……だと?」
そこは普通、看板娘ではないだろうかとシンが思ってしまったのは無理からぬことだろう。
「そう! そいつ目当てに人が集まる 人気親父! それこそ看板おや――」
「それは看板娘だ!」
「――ぬぅ」
耐えきれずついツッコミを入れてしまうシン。
「うむ。ナイスなツッコミだ!」
そしてなぜかサムズアップしてくる自称看板親父。
「入る店を間違ったか……」
「そうてれるな、青年」
「いやてれてねぇよ! どう見たらそうなるんだよ!」
いつの間にやら漫才のようになっていた。
「いいぞニイちゃん!!」
「もっとやれ!!」
酔っ払い集団の掛け声にため息をつくシン。完全に酒の肴状態だ。
「はぁ、別のや――」
「ちょっと何やってるの!!」
「――ど?」
別の宿を探そうかと割と本気で考えだしたとき、シンの呟きにかぶさるように女性の声が酒場に響いた。
声の聞こえた方向から考えるにドウマの後ろにいるようだ。その巨体のせいでシンからは声の主が全く見えない。
「父さん? いつも変なこと言わないでって言ってるわよね? 妙な噂がたったらどうするの?」
聞こえてくる声。その口調は穏やかだが、それが怒気を抑え込みながら発していることは明白だった。
「いやこれはだな、ちょっとしたドッキ――」
「うるさい」
「……はい」
言い訳すら一蹴されてしまっていた。さっきの発言から察するに言葉の主はドウマの娘なのだろうが、説教する側とされる側の立場が逆な気がする。
「ここはあたしがするから、父さんは厨房で母さんの手伝い!」
「わ、わかった」
肩を落としながら厨房へと消えていくドウマ。一回り小さくなったようにシンが感じたのは気のせいではないだろう。
「いきなり変なものを見せてごめんなさいね。今日は食事? それとも泊まりかしら?」
ドウマの存在がもはや物扱いである。
ドウマが厨房にむかったことで説教をしていたドウマの娘をやっと目にすることができた。
茶色の髪をショートにした少女だ。浮かべた笑顔は営業スマイルなのだろうがそれでも十分魅力的だった。きれいよりかわいいという言葉が似合う。
「あー、泊まりで、頼む。それとさっきみたいなのはよくあることなのか?」
「できれば忘れてほしいけど、ときどきね。冒険者の人とかは割とノリがいいからいいけど、商人の人とかだとフォローがつらいわ。泊まりは夕食と朝食つきでJ銀貨二枚ね。浴場が使いたいときはその都度申し出て。料金はJ銅貨四枚。朝食は九の鐘がなるまでならいつでも出せるわ。それでいいなら宿帳に記帳して」
「はいよ」
宿代のJ銀貨二枚が高いのか安いのかわからないが、今の手持ちなら問題ないので了承する。
「いつまでいるかわからないんだが、そういうときはどうすればいいんだ?」
「それなら一日ごとに支払ってもらうか、ある程度の日数分まとめて払ってもらって足りなくなったら追加で支払ってもらうかのどちらかね。確認だけど、あなた冒険者よね?」
「ああ、今日登録してきたとこ。セリカさんにここを紹介してもらったんだ」
「セリカさんの紹介!? それを早く言ってよ。それならJ銀貨一枚とJ銅貨九十枚でいいわ。冒険者ならまとめて支払う方をお勧めするわ。依頼で何日も宿を空けるなんてことはよくあるでしょうし。料金未払いのまま部屋を空けたら中のものはこっちで処分しちゃうから注意してね」
冒険者にとって長期の依頼というのは珍しくないので何日も宿を空けることになる。そうなれば一日ごとの支払いなどできないだろう。
「ならまとめて払っておくか。とりあえずこれで」
そう言って懐(のように見せかけてアイテムボックス)からJ金貨を一枚取り出して手渡す。
「50日分ね。あまりの分はどうする?」
「浴場使うと思うからそこから使用料を引いといてくれるか?」
「わかったわ。足りなくなったら言うわね。じゃあ宿帳に名前を書いて。もし代筆が必要ならJ銅貨二枚よ」
「いや、大丈夫だ。……これでいいか?」
「……うん大丈夫。シンさんね。じゃあこれ、部屋は二階の二〇一号室よ。貴重品を入れるボックスのことは知ってる?」
「ボックス? いや、初耳だが」
記帳した宿帳を確認すると部屋の鍵を手渡してくる。
しかし、ボックスというのは聞いたことがなかったので宿にそんなものなかったなと首を傾げるシン。
「なら知っておいて損はないわ。ボックス付きの宿は優良店の証拠なんだから。ボックスっていうのは一言でいえば貴重品を預ける金庫みたいなものよ。入れた本人か管理者しか開けられないボックスは物理攻撃に魔法、スキルといったものから中の物を守ってくれるの。ボックス自体もマジックアイテムなんだけどとにかくそれに入れておけば宿が全壊したって中身は無事って代物なのよ。どう? すごいでしょ! その辺の宿じゃなかなかお目にかかれないんだから」
ボックスの説明をしつつ店の宣伝を付け加えるあたり、たくましいなあとシンは思った。少なくとも周囲の店よりは優良なのは間違いないだろう。看板親父がなければ完璧だったのにな、とつい余計なことを考え苦笑しかけるが何とかこらえる。
鍵を受け取るとシンはそのまま二階へ上がった。とくに荷物があるわけではないが、部屋の確認だけしておこうと思ったのだ。
シンの泊まる二〇一号室は二階の一番端にあった。
十畳ほどの室内には机に椅子、ベッドにクローゼットなどがあり広さも一人で泊まることを考えれば十分といえた。部屋の奥には貴重品を預けるためのボックスがある。他にはそれらしきものもないので間違いないだろう。
部屋には備え付けの家具類のほかにトイレがあった。それも水洗トイレが。
それを見て驚くシン。
別段、トイレがあるというのはさほど驚くほどのことではない。ただシンの場合は少々事情が違った。
そもそも、THE NEW GATEにはトイレというものが存在しなかったのだ。
いくらリアリティを追及したといっても、ゲームの中でまで排泄行為をしたいなどと考えた者は製作者の中には誰もいなかったのだろう。広いフィールドを駆け回っているときにもよおして、その最中にモンスターに襲われるなどしたら雰囲気ぶち壊し、興醒めもいいところである。
デスゲームとなってもそれは変わらなかったので何気にシンがトイレを目にするのは一年ぶりくらいになる。しかも、それが水洗ならなおさらだ。
穴熊亭の宿としての質から考えれば部屋ごとにトイレがあるというのは当たり前といえるが、トイレなし生活を送っていたシンとしては驚きと懐かしさが入り混じった妙な気分になる。
「まさか、トイレを見て懐かしさを覚える日が来るとは……」
驚きつつも何とも言えない微妙な心境のシンだった。
◆◆◆◆
部屋の中を一通り確認するとしっかり鍵を閉めて階下に降りる。
理由は食事をするためと、情報収集だ。食事はギルドでもしてきたのでとらないという手もある。しかし、せっかく料金に食事代が含まれているのだから食べないのはもったいないという小市民的考えのもと料理を頼む気満々のシン。
一階では先ほどと変わらず、冒険者の一団が騒いでいた。【分析・Ⅹ】によると冒険者の平均レベルは120といったところだ。
そういえばと月の祠で見た騎士のレベルを思い出す。あまり詳しく見はしなかったが、あの時の集団はおおよそ100~110くらいだったはずだ。最後に残った三人はその限りではなかったがこの国において冒険者と騎士の力関係はどうなっているんだろうかと益体もないことを考えてしまう。
空いている席について料理を注文し、料理が来るまで周囲の喧騒に耳を傾ける。一定範囲内の声や音を鮮明に聞くことのできる【聞き耳】や使用者の選択した音を聞こえなくする【ノイズ・キャンセル】といったスキルを使い聞こえてくる声のみを選択して聞き取っていく。おかげで離れた席にいる相手の呟きまで聞きとることができる。
本来は使用すると聞き取りやすく、もしくは聞こえなくする声や音を選択するメニューが出てそこに表示されるもの以外は選択できない。しかし、この世界に来てからは選択は使用者、つまりはシンの考え一つで決められるようになっていた。
聞こえてくるのはそのほとんどがどうということのない雑談だ。だが、こういった場所で手に入る情報というのもばかにはできない。ゲームでもそうだが、こういった場所で思わぬ情報が手に入るというパターンは多いからだ。それが異世界で通用するかは分からないが、そもそもシンにはこの世界の常識すらわからないのだから些細なことでも聞いておいて損はない。
「聞いたか? またヴィルヘルムが魔物の群れとやり合ったらしいぞ」
「腹へったぁ~。飯だ、飯」
「北の森でスカルフェイスが出たって噂聞いたか」
「最近、ヒルク草がよく取れるんだ」
「ビールがうめぇ」
「注文いいですか~?」
「看板親父……だと?」
「ツグミちゃんお酌して~、ちょっ、まったドウマこれはじょうだあ゛ーーーーー」
聞こえてくる情報を脳内で整理しながら料理を待つ。
何やら男性が一人宙を舞ったが反応するものは皆無。いつものことなのだろうとシンも眺めるだけにとどめた。
いくつか気になる単語が聞こえたので頭の片隅に記憶しておく。特筆すべきはスカルフェイス。
これはアンデッド系のモンスターでスカルフェイスのあとにポーンやジャック、クイーンなど等級を表す単語がつく。等級によって個体のレベル帯が異なるのでしっかり確認しないと全滅の憂き目にあうモンスターだ。
「おまちどうさま、ご注文の料理になります」
その声に我に返ったシン。いつもと勝手の違うスキルを使用するのに集中しすぎたようだ。
声のした方を向くとドウマの娘が料理をテーブルに置いているところだった。
「ボーっとしてたけど、どうかしたの?」
「ああ、ちょっと考え事をな。ええと……」
「あ、自己紹介してなかったわね。ツグミ・ベアーよ。父さん達は厨房にいることが多いから何か用があったら私に言ってね」
「わかった。知ってるだろうが俺はシン。一応冒険者だ」
「一応?」
「まだギルドカードもらってないからな」
「そういうこと。ところでさっき何考えてたの? 早くランクを上げるにはどうしたらいいか、とか?」
料理を並べたら仕事に戻ると思っていたシンだが、ツグミはテーブルのあいている椅子に座ると興味津津という顔で質問してきた。新人の冒険者というのは珍しいのだろうか。
「ランクはのんびり上げてくさ。人里離れたド田舎出身だからこっちの常識ってやつがわからなくてな。周りを見て参考にしてた」
「そうなんだ。私はここしか知らないけど他の国から来た人もそんなに違いはないって言ってたわよ」
「そうなのか? まあ気をつけるにこしたことはないってやつだ」
「ふーん、あなた変わってるわね。冒険者になりたての人って早く強くなりたいとかランクを上げたいとかいう人がほどんどなのに。低ランクの冒険者ってけっこうなめられるらしいわよ」
「だろうな。つっても変り者だからな、俺。なめられたときは相応の対応をするさ」
自信ありげにニヤリと笑って見せる。冒険者のイメージが良くわからないが腕に自信のあるものが多いのだろうから、こうすれば少しは冒険者っぽいだろうという思いつきだ。
「へぇ、腕に自信あり?」
「それなりに。ヤバいときはとっとと逃げるけどな。死にたくないし」
そもそも騒ぎを起こす気はないのだが、何がしかあるだろうなというのがシンの予想だ。
「てかさりげなく椅子に座ってるが、他のテーブル見てこなくていいのか? ウェイトレスだろ?」
「注文があったら呼ばれるから大丈夫よ。ほら、今は母さんもでてるし」
ツグミの視線を追うと、ツグミと同じ茶色の髪を首の後ろあたりでまとめた女性が他のテーブルで注文を受けていた。
ツグミは母親似か、と納得するシン。ツグミが成長したらこうなるのではないかと思わせる美人だった。
「サボりじゃ……」
「サボってないわよ。情報収集よ情報収集」
「新人冒険者相手にか?」
「将来有望かもしれないじゃない。それに、これでもいろんな冒険者の人を見てきたから人を見る目はあるのよ」
胸に手を当てながらいうツグミの表情からは自信がうかがえる。
「へぇ、じゃあ俺はどうよ?」
「そうね……85点ってところかしら」
「……それは喜んでいいのか?」
高いと言えば高いのだろうが、採点基準はどうなっているのか。
「ちょっと期待できるってところね」
「厳しいな。マイナス点は?」
「向上心が低いこと、この一点ね。なりたてのわりに落ち着いてるし、実力を過信してる様子もなさそうだけど上に行こうって志がないとなかなか大成できないわ。あたしの経験則だけどね」
「向上心ねぇ。ま、そこはおいおいかな」
もともと冒険者として名を上げるためにギルドに登録したわけではないので、そこそこ頑張ろうという気概しかシンは持っていない。どうやらそこがツグミのお気に召さなかったようだ。
「のんびり屋ね。まあ、それがあなたらしいのかもね。さてと、さすがにそろそろ怒られそうだから仕事に戻るわ。ほどほどにがんばってね」
そういうとウインク一つ残して注文を取りに動きまわり始めた。どうやら客が増えてきたらしい。いつのまにかテーブルがすべて埋まっている。
テーブルを一人で占領しているのも気がひけたので素早く料理を平らげると部屋に退散した。人が多くなるとトラブルも多くなる。新米冒険者はなめられるというツグミの助言に素直に従っておくことにした。
部屋に戻ってもすることがそうあるわけではない。しいていうなら荷物整理くらい。この世界に来たばかりのときは大まかな確認しかしていなかったので持ち物の端から端まで目を通しておくことにした。
荷物の確認を終わらせた後は浴場を借り、軽く汗を流してから装備の一部を外し寝やすい格好になる。
部屋の内部に結界スキルを展開してからベッドに入るのはゲームの時からの決まり事だ。探知系のスキルもあるのでそうそう奇襲を受けることはないが、用心に越したことはない。
ベッドはふかふかで実に寝心地がよかった。心の中でセリカに感謝しつつ睡魔に身をゆだねる。
まどろみのなか、ぼんやりとした思考の中でふと、忘れていたことを思い出した。
そういえば、
「でんごん……してな……ぃ…………」
呪いのことで頭がいっぱいで伝言のことをすっかり失念していたことを。
目覚めて最初に目にうつったのは見覚えのない天井だった。
ここはどこだと口にしそうになったが、そういえばと昨日の出来事を思い出す。
最後の戦いから、異世界への転移、ティエラの呪いの解除、ギルドでの出来事。
夢であったならと願ったわけではないが、やはり目覚めたら病院かどこかのベッドの上にいて無事ログアウトできていたらと思わずにはいられなかった。
「そんな都合よく、いくわけないってな」
呟いて周囲を見渡す。
部屋の中はまだ薄暗く、日の出前だというのがわかる。
一階では人の動く気配。どうやらこの世界の人はかなり早起きのようだ。
「結界、探知系ともに異常なし。起床してまず周囲の警戒するとか、以前の俺からは考えられんな」
寝る時も警戒を怠れなくなったのはいつからだっただろうか、などと考えてしまった自分に苦笑し、布団からでる。
窓を開けると外の空気が部屋に入ってきた。少しひんやりしたそれを感じながら視線を下げると、通りを行きかう人の姿が目に入る。人通りはまばらだが、街がだんだんと活気づいていくのを感じた。
穴熊亭は他の建物より部屋の位置が少し高いので西区の街並みがよく見える。ゲームとは違う、プログラムではない街並みにしばし目を奪われた。
早めに寝たからか眠気はなく、頭はすっきりしている。二度寝する気も起きないのでしばらく外を眺めていると街を覆う城壁からゆっくりと太陽が顔を出し始めた。
薄暗かった街が次第に温かな光に包まれていくのを見つめる。
しばらくするとあたりはすっかり明るくなり、通りを行きかう人々も増え始めた。
シンもアイテムボックスからジャケットやズボンといった装備を取り出すとそれに着替え、部屋に鍵をかけて階下に降りた。
一階ではシンと同じく食事を取りに来たと思しき人や、既に食事をしている人、店から出ていく人などそれなりの数の人がいた。
見たところほとんどの人が冒険者だ。どうやら日の出とともに行動開始するのは珍しいことではないらしい。
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
挨拶をしてきたのはツグミだ。お盆をもっているところを見ると料理を運んできたところのようだ。
「おはよう。おかけでばっちり目が覚めた」
「それはよかったわ。朝食でしょ? すぐ持っていくから、座ってて」
「ああ、よろしく」
昨日は全体を見渡せるようにテーブル席にしたが、今朝はそこまで熱心に情報収集する気はないのでカウンター席にしておく。
出てきた朝食は黒パンにシチュー。黒パンはがちがちに硬いということはなくフランスパンくらいの固さ、シチューは色とりどりの野菜と肉がたっぷり入っていて見た目よりボリュームがある。
周りを見てみると皆パンをシチューにつけて食べている。やはり黒パンをそのまま食べるということはあまりしないらしい。
「うまいな」
しっかり煮込まれているのだろう。シチューの具はどれもしっかりと味が染みていて、かつ口の中で自然とほどける柔らかさだ。それをパンにつけて食べるとこれまた美味。
予想外のうまさに二回ほどおかわりをして一息つく。食べ過ぎてしまったと少し反省。
「朝からよく食べたわね」
「昨日もそうだったけど、ここの料理がうまくってな」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。そんなシンにちょっとだけサービス。ギルドにカードを取りに行くならもう少し待ってからにした方がいいわよ」
「この時間に行くと何かあるのか?」
「朝早くは特に込み合うのよ。低ランクだと割り込まれたり強引にパーティーに入れられたりすることもあるから気をつけた方がいいわ」
「なんか物騒だな。ギルドの職員は止めないのか?」
「あからさまなものは止めるけど、そういうことをする連中はばれないようにする方法も知ってるのよ」
「なるほど、手慣れてるってわけだ」
やる奴は間違いなく小物だなと思いつつ、時間をずらしていくことにする。絡まれたところでどうということはないが自らトラブルを起こす気はない。
「そういうのに限っていざというとき頼りにならないのよ」
「同感だな」
「ま、そんなわけだからもう少しゆっくりしていくといいわ」
そういうとツグミは注文を取るために客の待つテーブルにむかった。
ツグミの心遣いに感謝し、果実水を飲みながらしばらく時間をつぶすことにした。暇なので昨日と同じように情報収集しながら冒険者の持っている装備や道具を観察する。
何気なく使った道具が希少なものだったということもあると気付いたのは今朝のこと。伝言を忘れていたことは寝る前に思いだしたわけだが、着替えも兼ねてアイテムボックスを開いたときにふと月の祠に並んでいた武器や道具のことを思い出したのだ。
並んでいたのはどれも初心者が使う装備やそこから少し上程度の物。中級者が使うような装備もありはしたが片手で数えられるほどだ。
上級者用装備が並んでいたころを知るシンとしては少々悲しくなったりもした。
そんな理由もあり周りの装備にも注意を向けることにしたのだ。昨夜も多少は見たが、多くの冒険者が出入りしている今の方が参考にしやすい。
「…………」
果実水の入ったグラスを傾けながら、それとなく視線をテーブル側に向ける。
見たところ武器は銅や鉄製の武器が多く、それ以上の武器をもつものは少ない。防具も皮、もしくは鉄製の物が多く、魔法付与がされているような装備をしている者はほとんどいない。
恐らくではあるが、装備や道具もゲーム時代より質が低下しているのではないだろうか。そう思わずにはいられないほど―この世界の冒険者には悪いが―装備がひどいとシンは思う。
着替えの際になるべく低ランクの装備を選んだのもそういう理由からだ。今シンが着ているのは『土蜥蜴のジャケット』に『鬼蜘蛛糸のズボン』。どちらもレベルが70もあれば狩れるモンスターの素材を使用したものだ。とはいっても、どの装備もキャパシティ限界まで強化が施されているので性能だけなら素の状態の四倍はある。
腰に下げた刀『数打』もそうだ。『数打』は侍の職業につくと手に入る初期装備。当然、性能は低い。強化されていてもある程度レベルが上がれば、大概のプレイヤーは売るか倉庫に入れるかしてしまう。そんな装備でも周りの冒険者の武器より性能がいいのだから、武器の質については推して知るべしである。
バルクスが持っていた装備は相当な貴重品なのだろうなと思わずにはいられない。
その後、30分ほど暇つぶし兼情報収集をして、シンは穴熊亭を後にした。
◆◆◆◆
ギルドへの道を歩きながら、街の様子を観察する。昨日通った時は時間帯のせいもあったのかそこまで人通りが多くはなかった。しかし、今西区から南区、そして東区へとつながる通りは雑多という言葉が見事に当てはまる様相を呈していた。
道には様々な出店が軒を連ね、朝食をとる者や昼食を買い求める人々でにぎわっている。また、露店を開いている人も多く武具やマジックアイテムなど冒険に役立つものから、なにに使うのか見当もつかないものまでさまざまな道具が並んでいる。
まだ日が出て二時間ほどだというのが嘘のような光景だ。
露店を冷やかしつつ、ギルドにむかって歩く。武器を持っている冒険者も多いので、刀を帯びているシンに注目が集まることもない。
それでも【索敵】を使ってしまうあたり、警戒するのが癖になっているようだ。紹介状の件もあるのでまあいいかなとシンはスキル使用を止めなかった。
40分ほど歩くと、ようやく冒険者ギルドの看板が見えてきた。人込みを避けながら来たせいか昨日よりも時間がかかったようだ。
扉を開けて出てきた冒険者の集団と入れちがいに建物の中に入る。時間をずらしてきたが、まだ少し人が多いように感じられた。
受付にはセリカとエルフの女性がいる。ティエラと同じ細く尖った耳が見て取れるので間違いないだろう。シンは受付に近付くとまずはセリカに話しかけた。
「おはようございます。ギルドカードをもらいに来ました」
「おはようございます。シン様。ギルドカードですね、お持ちしますので少々お待ちください。それとこちらがお探しのエルスです。エルス、こちらがさっき話したシン様よ」
セリカが声をかけると、隣の受付に座っていたエルフの女性がシンの方へやってきた。
「おはようございます。シン様。エルス・バルトと申します。私を御指名とのことですがどのようなご用件でしょうか」
エルスは美形揃いのエルフの例にもれず、見た目24、5くらいの美女だった。腰まで届く髪は森の木々のような鮮やかな緑。湖畔を連想させる青い瞳。身長は女性にしては高く170後半くらいはある。モデル顔負けのスタイルと美貌。これで冒険者だというのだから世の中わからないものだ。
あまりじろじろ見るわけにもいかないので、シンは早速切りだした。
「これなんですが、おそらくあなた宛だろうと言われまして」
そういってアイテムボックスから月の祠の紹介状を取り出し、エルスに渡す。盗難防止の処置はすでにしてある。
「私宛……ですか?」
おそらく自分宛という妙な言い回しに首をかしげながら、エルスは紹介状を広げ内容に目を通す。
紹介状を広げたとき一瞬目を見開き、内容に目を通すにつれて信じられないものを見たとでもいうべき驚愕の表情を浮かべた。
「まさか……いや、しかし」
同僚の様子に少し心配そうな表情のセリカ。そして一体何が書かれてるんだ? と内容が気になるシン。ティエラがそれを書いたのなら呪いに関することなのだろうが、ティエラはそれを秘密にしているようだったのでシンには他に思い浮かぶことがない。
エルスはよほど驚いたのか、シンとセリカの存在を忘れてしまったかのようにブツブツと何かを囁いていたが、ハッと我に返ってシンに視線を向けた。
「えっと……なにか?」
じっと見つめられて若干たじろぐシン。射抜くような視線を受けながら、なんで睨みつけられてるんだと内心焦る。
「君が……ティエラを……ありがとう。私からも礼を言わせてほしい」
言うが早いか、唐突に頭を下げるエルス。何やら口調まで変わっている。
「すいません、状況がわからないんですけど……」
唐突過ぎてなにがなにやらわけがわからないシン。
「すまない、私も動揺していたようだ。セリカ、ちょっと席をはずすから受付を頼む。申し訳ないがここから先の話はここではまずい。奥の部屋に案内するから続きはそこでお願いできないだろうか」
「わかりました。受付の方には他の方に来てもらいます」
「了解です……」
素の口調なのか、慣れた様子で指示を出すエルス。
エルスの提案にまた何か問題があったのか? と若干肩を落としつつシンも了承する。
昨日と同じく受付奥の通路を通り応接室らしき部屋に入る。シンが部屋に入るとエルスは部屋の鍵を閉め、何か操作をしてからソファーに座った。
「あらためてお礼を言わせてほしい。ティエラの呪いを解いてくれて、本当にありがとう」
「ああ、やっぱりそういうことか」
どうやらエルスはティエラの呪いのことを知っていたようだ。紹介状にはそれについて書かれていたらしい。
「頭をあげてくれ、こっちとしてはそんなに大げさなことをしたわけじゃないんだし」
「それでもだ。こちらも解呪方法を探していたが手がかり一つ見つけられなかった。それを君がやってくれたんだ。礼を尽くすのは当然だよ」
解呪アイテムもあるのだがやはり手に入りにくいようだ。もしかすると冒険に出ていたのも呪いに関するものなのかもしれない。
「できればあまり大げさにはしないでほしいんだが。あとその口調は素か?」
「わかっている。森の精霊の名にかけてこの情報を他に漏らすことはしないよ。正直に言えばあまり公言できる内容でもないからね。あと口調についてはこれが一番話しやすいんだ。そういうことは気にしない人だと書かれていたけど、気に障ったかい?」
「口調はそのままでいい。こっちもそうさせてもらうしな。それで? この部屋に通した理由はそれだけじゃないだろ。さっき何か操作してたし」
「あれは盗聴防止の魔法さ。これからする話は同じギルド職員でも聞かせるわけにはいかないからね。と言っても個人的に聞きたいことがあるだけなんだけど」
いろいろ聞きたいんだろうなというのはエルスの様子からわかっていたが、シンとしては職権乱用な気がしなくもない。
「一応言っとくが、全てに答える気はないぞ」
「それは承知しているよ。でも50年以上探しててがかり一つ手に入らなかった解呪方法がわかるかもしれないと思ったら、どうしても我慢できなかったんだ」
知的好奇心もあるのだろう。だが、それだけではない羨望と渇望が入り混じったような感情がエルスの瞳に揺れている。
50年。その全てとは言わないが、それでもシンからすれば自分が生きた時間の倍以上の時間をティエラのために費やしてきたのだ。たとえ呪いが解けたとしてもその方法を知りたいと思ってしまうのだろう。
もしかすると他にも呪いにかかった人がいるのかもしれない。
「どうやったかは紹介状に書いてなかったのか?」
「急いで書いたらしくてね。そこまでは書かれていなかったよ。で、どうだろう。できる限りのお礼はさせてもらう。教えてはもらえないだろうか!」
身を乗り出しながら迫ってくるエルス。美人に迫られるのは悪い気はしないシンだが、若干鬼気迫るその剣幕に押されぎみである。
この世界の常識がわからないシンとしては安易に【浄化】のことを話していいのか、判断がつかない。
しかし、エルスはティエラの呪いのことを知っていて、そのティエラがわざわざ紹介状にまで書いて知らせる相手。加えてティエラのために解呪方法を探すくらいの人物だ。教えても問題ないだろうとシンは思った。
「わかったから座れって。ちゃんと教えるから少し落ち着いてくれ」
迫るエルスをソファーに座らせ、自身も座りなおす。
「呪いを解く方法、それは神術系スキル【浄化】を使うことだ。他にも方法はあるが今のところ俺が知る限りじゃこれが最も確実な方法だな」
知識として知ってはいるが、アイテムによる解呪はまだやったことがないのでそこは断言はしないでおいた。
「【浄化】か……まさかあのスキルにそんな効果もあったとはね」
それがわかっていれば、と悔しそうな表情をするエルス。
ティエラの話では【浄化】を取得しているのはほとんどが高位の神官ということなので、なにかつてがあったのかもしれない。
「【浄化】を取得……いやこの場合は継承? をしてる奴ってどのくらいいるんだ?」
「【浄化】を身につけるための条件は教会でもそれなりに地位のある者しか知らないからね。その効果も全てが知られているわけではないんだ。そもそも教会の人間以外で【浄化】を使える者なんて聞いたこともないし」
「なん……だと?」
エルスの言葉にまたか……と肩を落とすシン。教会内でも貴重なスキルを使えるなんてことが知られたらかなりマズイことになるのが容易に想像できる。スキルが使えるだけでも十分目立つというのに、そのスキルが貴重だとわかったら関わりたくもない相手がぞろぞろと押しかけてきそうだ。
「(面倒事の予感しかしない……)頼むから他にはもらさないでくれよ?」
「もちろんだ。私はスキル保持者だからギルドもそう強い態度はとれないし、無理強いされたらギルドを抜けるだけさ。だから安心してほしい」
なんでもないことのように言うエルス。組織に所属する以上、上の人間の指示には逆らいにくいだろうと思っていたシンだが、いらぬ心配だったようだ。
「ま、気をつけてくれればいい」
死んでも守れよ、などとは冗談でも言わない。冗談のつもりで言ったことを本気にされた、ということがないとはいえないからだ。どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、シンにはまだ分からない。そもそも面倒事はご免だが、さすがに命をかけて守れと言うほど厳守してほしい秘密というわけでもないのだ。
「それにしても君のおかげで肩の荷が一つ下りた気分だよ。安全とは言え、何年もあの家の中だけで生きるというのは酷だからね」
「だろうな。俺が呪いを解こうと思ったのも似たような理由だし。そういやエルスは何で呪いのこと知ってたんだ? ティエラが自分から話すとは思えないんだが」
里から追い出されるくらいだ。同じエルフならなおさら話そうとはしないだろうとシンは思う。
「私とティエラは同じ里の出身なんだ。冒険者になって世界を回って、その途中で里帰りした時に知り合ったのさ。その時はまだごく普通のエルフでね。きれいな銀髪の少女だったよ」
「なるほどな」
「ティエラが呪いにかかったと聞いて里に戻った時は既に追放された後でね。どういう呪いだったのか聞いたときは、シュニーと会うまで正直生きているとは思えなかったよ」
強力なモンスターを呼び寄せるような呪いを受けて、たった一人で生き延びられるとは思えなかったのだろう。実際、シュニーが保護しなければ生存率は0に等しかったはずだ。
「呪いにかかって、シュニーに助けられる……か。運がいいんだか悪いんだか」
「それを決めるのはティエラ自身さ。君のおかげで呪いも解けたことだし、これから幸せになればいいと私は思うよ」
「そうだな。俺たちが判断することでもないか。じゃあこの話はここまでってことで。他に聞きたいことはあるのか?」
「いや、聞きたかったことはもう答えてもらったよ。時間をとらせて悪かったね」
「別にいいさ。エルスの気持もわからなくはないしな」
時間にして三十分も話していないのでそこまで気になることでもない。
応接室を後にして受付に戻ると、セリカともう一人別の受付嬢が話をしていた。エルスが戻ってきたことに気づくとセリカを残して受付嬢は軽くお辞儀をしてから二階に上がっていった。
「もうよろしいのですか?」
「はい、話はすみました」
「すまないセリカ。おかげで助かったよ」
一言礼を言ってからエルスは隣の受け付けに移り、冒険者が持ってきた依頼書を処理し始めた。
「ではシン様、こちらがギルドカードになります。身分証も兼ねておりますのでなくさないように注意してください。紛失するとどのような場合でも再発行料としてJ銀貨10枚が必要になりますので」
「わかりました」
シンはセリカが用意していたギルドカードを受け取る。カードには名前、ランク、所属、パーティーなどが記載されている。シンはこれが本人か、専用の道具を使わなければ見えないようになっているというシリカの説明を思い出した。
「さっそく依頼を受けてみるか」
掲示板に張られている依頼書を見る。Gランクの依頼は採取や雑務のようなものがほとんどで、危険は少ないが報酬も少ない。それでも報酬の平均がJ銀貨一枚なのだからやはり冒険者というのは高給取りのようだ。
「これにするか」
貼られていた依頼書の内の一枚をはがすと受付に持っていく。情報収集するにしてもさすがに最低ランクでは話しにならない。少なくとも一人前程度には上げておくつもりだった。
「この依頼をお願いします」
「ヒルク草の採取ですね。この依頼は常時出ているものですので期限は設けられておりません。三十枚でJ銀貨一枚の報酬になります」
「六十枚だったらJ銀貨二枚になるんですか?」
「はい、ヒルク草はポーションの材料になりますので常に需要があるんです。他の依頼を受けたときについでに取ってくるという方もいますね。この依頼でよろしいですか?」
「お願いします。あ、ヒルク草がどんなものかわからないんですけど図鑑とかあります?」
「ありますよ。少々お待ちください」
実際はゲームで目にしているのだが、念のため確認することにした。セリカは受付奥に設置された本棚から広辞苑をさらに厚くしたような本を持ってきた。
抱えていた本を受付に置く際の小さな「んっ、しょ」という声に少しなごむ。
「ふぅ、こちらが植物図鑑になります。ヒルク草は……こちらですね」
わざわざヒルク草のページを開いてくれたセリカに感謝しつつ、形や群生地を確認する。見た目は特に変わらず、ぎざぎざした葉を持つ10~15cmほどの植物だ。まとまって生えているので三十枚集めるのもそれほど大変ではないだろう。
「分布は東から北の森にかけてか」
図鑑によるとヒルク草は東から北の森、とりわけ森の奥によく生えているようだ。
「ヒルク草の採取ではついつい森の奥に入ってしまう方も多いので気を付けてください。あまり進みすぎると凶暴なモンスターに襲われることもありますので」
「気をつけます」
月の祠にむかった際に東の森を突っ切ってきているが、そこは言わぬが花だろう。凶暴なモンスターは既に宿代となっている。
「お気をつけて」
セリカに見送られてギルドを出る。
地図も買っておかなきゃなとこれからのことを考えつつ、東門に向けてシンは歩みを進めた。
◆◆◆◆
――シンがギルドを出た後、ギルド内休憩室にて
書類整理を終えたエルスとセリカはお茶を飲みながらシンのことについて話していた。
「セリカ、今更なんだがあの人が何者か知っているかい?」
「そういえばまだ言ってなかったわね。と言っても私も詳しく知ってるわけじゃないけれど」
シンがギルドを訪れたのは昨日のことなのでセリカも特に何かを知ってるわけではない。紹介状持ちだというのはわかりきっているので、セリカがエルスに教えられるのはバルクスとのやりとりくらいだ。
「『青狼』が手合わせして軽くあしらわれたって言ってたくらいかしら。かなりの実力者だというのはわたしでもわかったけど」
同僚相手なのでセリカも畏まった話し方から話しやすい口調に戻す。内容ももともとエルスに伝えるように言われていたことなので話してしまっても問題ない。念のため固有名詞は出さないように二人とも気をつけている。
ちなみに『青狼』とはバルクスのことだ。
あの人――シンについてわかっていることはそれほどあるわけではない。エルスにシンのことを伝えるようにセリカが言われていたのはエルスの『役職』が関係している。
「なるほど、どうりで見えなかったわけだ」
セリカの話を聞いて納得した顔で頷くエルス。
「見えなかったって、それほんと?」
納得顔のエルスに対してセリカは信じられないという顔をしている。
エルスはギルド内でもサブマスターの次に権力のある幹部の一人。それはエルスがスキル【分析・Ⅶ】の保持者であり、同時に『観察者』の称号もちでもあることに起因する。その為、自分よりレベルの高い相手でも名前やレベルを見抜くことができるし、偽名を使ってもすぐに見抜くことができる。実際、バルクスのレベルも一目で看破している。
そのエルスをして見えないと言わしめるシンとはいったい何者なのか。
シンという名前すら本当かどうかわからない。
「まあ、それほど心配することもないだろう。ティエラが悪人に紹介状を渡すとは思えないし、実際に話してみておかしなところもほとんどなかったからね」
「『青狼』もそこは同じ意見だったわ。ちょっと変ってるとは思うけど」
セリカはシンに感じた不思議な安心感を思い出しながらつぶやく。
「変わっている……か。たしかにそうだ。実力と纏っている雰囲気がかみ合っていないというか、ちぐはぐというか」
「そうなのよ。私はなんていうか、安心感みたいなものを感じたわ」
のんびりとした空気の中、二人はどちらともなく言葉を紡ぐ。
『わからないな(わね)……』
考えれば考えるほどシンという人物像がぼやけていく。
本来なら不安を感じるはずのこと。だというのに、二人の胸中にそれがわきあがることはなかった。
ギルドを出た後、特に寄り道はせずにシンは東門を出た。しばらく街道を進み、さらに道を外れて森に入る。東の森は新人冒険者が出向くところとして定番で、凶暴なモンスターもほとんど出ない場所らしい。
らしい、というのは門を通りかかった時にベイドに教えてもらったからだ。今日だけでも何人かの新人が東の森へ向かったと言っていた。昨日は南門にいたベイドだが一定期間で警備する門が変わるらしい。しばらくは東門の警備をするようだ。
ゲーム時なら30分とかからずに終わるような簡単なクエスト。さっさと終わらせて図書館に行こうと考えながら、シンは歩みを進める。
新人が出向く場所といっても、森の中は鬱蒼とした木々によって薄暗くなっている場所もある。低レベルの魔物か、野生の獣くらいしかいないとベイドは言っていたが慣れていないとけっこう怖いだろうなというのがシンの感想だ。
情報を鵜呑みにせず、警戒しながらヒルク草を探す。
シンの記憶が確かなら、多少ひらけた場所か日の当りやすい場所に生えていたはずなのでまずはそこを重点的に探す。
ヒルク草がよく取れるという話も聞いていたので、早く終わるだろうとこの時、シンは思っていた。
◆◆◆◆
「……ない」
森に入って早三時間。
「……ない!」
収穫数……0。
「……なぁぁぁい!!」
ヒルク草、いまだ発見ならず。
意気揚々と森に入ったのも今は昔。記憶を頼りに森の中を歩き回ったにもかかわらず一枚も発見できていなかった。
「おかしい……いくらなんでも一枚くらいは見つかりそうなもんなんだが」
多少森の奥に入っているのでそろそろ見つかってもおかしくはない。周囲に冒険者の気配はないので先を越されたということはないはずだ。
「もう少し奥に行ってみるか」
森の奥の方が見つかりやすいという図鑑の情報を信じて、森の奥へと進んでいく。当然、周囲は薄暗くなり、野生動物と思しき気配がちらほらと感じられるようになる。
今のところモンスターと遭遇することなく捜索に専念できている。もう少し進めばモンスターが出そうだなと感じる場所まで行き、周囲の捜索を始める。
開けた場所も日のあたる場所も見当たらないので完全に虱潰しだ。草むらの中や木の根のそば、目につくところは片っ端から探していくが、どこにもその姿はない。
「腹へってきたな……」
すでに日は高く昇り、時間はちょうど昼過ぎくらいだ。延々と歩きまわったので少し前から腹の虫が飯をよこせと泣いている。
「飯にするか」
空腹のまま探してもらちが明かないと気持ちの切り替えも兼ねて昼食にすることにした。
ちょうどよく切り株があったのでそこにアイテムボックスから出した昼食を置き、食べ始める。メニューはホットドッグとコーラ。アイテムボックスに収納している料理アイテムは時間経過で腐ることはない。アイテムを整理しているときに料理アイテムが問題なく食べられることが分かったので、とくに昼食を買わずにここまで来たのだ。
本来ならステータス上昇やHP回復などの効果があるが、どうもそのあたりは無効になっているのか能力が上昇しているようには感じられない。
他にもいろいろと豪勢な料理アイテムもあるが、それらは完全に食料扱いになりそうだ。もっとも、効果があってもモンスターと戦いながら料理を食べる余裕などないだろうが。
「むぐ、っ、ふぅ。さて、探すか」
さしたる時間もかけずに昼食終了。ジャンクフードならではの早食いだ。匂いにつられて野生動物やモンスターが来ても困るので手早く食べられるものにしたのだ。
すぐにヒルク草探しを再開するが、やはり見つからない。
昼食をとってからさらに三時間。ここまで見つからないともういっそ清々しい。東の森一帯のヒルク草は採り尽くされてしまったんじゃないかとすらシンは思った。
そこからさらに一時間、さすがに疲れてきたのでシンは一旦宿に戻ることにした。肉体的にはまだまだいけるが、ここまで探して見つからないという状況に精神的な疲れを感じたのだ。
門につくと、ちょうど衛兵が交代しているところだった。どうやら見回りと門番をローテーションで行っているようだ。
見回りから戻ってきた兵士の中にベイドの姿を見つけ、ギルドカードの確認をしてもらいつつ軽く言葉を交わす。
「よう、なんだか疲れてるがなんかあったのか?」
「それがな。ヒルク草探しに東の森に行ってきたんだが、一日探して収穫なし……」
「おいおい、ありゃあ適当に探せば簡単に見つかる奴だろ。今日も何人か新人が戻ってくるのを見たがよ。しっかり取ってたぞ」
「な……に……?」
他の新人はしっかり取っていた。その言葉に愕然とするシン。そこにベイドによる追撃が見舞われる。
「どいつも昼前には戻ってきてたと思うが……お前、まさか丸一日探してたのか……?」
「………………ああ……」
顔を手のひらで覆い、シンはがっくり肩を落とす。ゲーム時はSSランクの冒険者だったシン。ここは異世界だとわかっていてもプライドは粉々である。
「まあ、その、なんだ。元気出せ」
「く、励ましの言葉が目に染みるぜ……」
ベイドもヒルク草がそこまで見つからないものではないと知っているだけに、何と声をかけるべきかわからずありきたりな言葉しか出てこない。
「まあこればっかりは運もあるからな。今日はそういう日だったんだと思って明日頑張れや」
「だな……明日はもう少し奥に行ってみるかな」
「あまり奥に行きすぎるなよ。お前はそんなへまはしないだろうが、安易に奥に進んで死ぬ新人は多いからな」
「わかってるって。じゃあな」
ベイドの心配もわかる。この依頼は期限が決まっていないので急ぐ必要もない。だが、ここまで見つからないと逆に意地でも見つけたくなるのもまた人の心理というもの。こうなったら北の森に行くか、とシンは既に明日の計画を練りはじめていた。
◆◆◆◆
翌日。
夜明けとともに目覚めたシンは早速行動を開始した。
装備を確認し、穴熊亭で朝食を取り、溢れる人波をかき分けて進む。途中、道具屋に立ち寄って王国周辺の簡単な地図を購入する。昨日は近場ですぐ戻れるだろうと思い購入しなかったのだが、そうも言ってられないと先に購入することいしたのだ。
地図といっても王国と周辺の見取り図のようなもので、そこまで詳しく書いてあるわけではない。まだ王国で調べたいこともあったので、北の森まで載っていればいいかと購入を決めた。
道具屋を出てしばらく歩くと門に人だかりができているのが見えた。何かあったのかと、シンも近づく。
門から入ってきたのはかろうじて馬車とわかる乗り物と御者が一人、あとは馬車のあとに続く数人の冒険者。御者は無傷だが、冒険者は一目で重傷と分かる者、腕がない者など無事な者は一人もおらず互いに肩を貸し合っている。命からがら逃げてきたと言われれば、素直に頷いてしまうだろうそんな風貌だ。
「なにがあったんだ?」
ある種、異様な集団に人だかりこそできているが、かかわろうとする者はいない。衛兵が話を聞いているのを遠巻きに見つめるだけだ。
(レベルは131に129,118に134か)
騎士団長が188。おそらくAランクくらいの能力はあるだろうと仮定すると彼らはCもしくはDランクあたりの冒険者だろう。遠目に鎧や馬車についた傷は刃物によるものと推測できるが、馬車の屋根が切り飛ばされているところをみると盗賊に襲われたと考えるのは少し早計か。
しばらくすると野次馬も散り、冒険者も治療をしに去って行った。
シンは門に近づくと、ベイドに話しかける。
「なあベイド、さっきの連中どうしたんだ?」
「ん? ああシンか。どうもこうもモンスターに襲われて逃げてきたんだと」
やはり盗賊ではないらしい。
「そうなのか。何に襲われたのか聞いても?」
「不用意に話さないなら教えてやる。まあ、お前なら大丈夫とは思うが、どの道すぐに知れ渡るのは目に見えてるしな」
「けっこう大物か?」
どの程度のモンスターだと警戒対象になるのか、それを見極めるべくベイドの言葉を待つ。
「……スカルフェイスだ。お前も噂くらいは聞いたことがあるだろ?」
「ああ、たしか北の森に出る……だっけか」
「そうだ。ほとんど目撃情報もなかったんでこっちもポーン級だと思ってたんだが、どうやらジャック級がでたらしい」
「ジャック級……パーティーは何人だったんだ?」
「フルメンバーで二パーティー、合計十二人。生き残ったのは見ての通り四人だ」
「そうか……」
スカルフェイス・ジャックのレベル帯は150~250。先ほどの冒険者のレベルを見るに平均120前後のパーティーだったのだろう。冒険者たちの装備にもよるが十二人がかりで倒せないとなると、スカルフェイス・ジャックのレベルは200に近いか超えていると考えるのが妥当か。
「今は上位の冒険者が出払ってる。場合によっちゃギルド長か騎士団長が出張ってくるだろうな」
「レベルを考えれば、その辺が妥当か。ん? 王女は出ないのか? かなり強いんだろ?」
第二王女がレベル200を超える強者だというのを思い出し、ベイドに聞く。
「出るわけねえだろ……。いくら強いっつったって王族がホイホイモンスター討伐に出てくるかっての」
「いや聞いてた話だとだいぶ好戦的っぽい感じがしたんでな。ホーンドラゴンも倒したとか」
「ああ……あれか……」
昨日とは逆に今日はベイドが片手で顔を覆い肩を落とす。どうやら触れてはならない話のようだ。
「ま、まあ北の森には近づかないようにするさ。んじゃな」
「わかってると思うが気をつけろよ」
空気を呼んで、そそくさと東の森に向かう。宮仕えも大変だ。
東の森につくと昨日探した範囲を突っ切り、一気に森の奥まで進む。【索敵】によってモンスターが徘徊しているのがわかるが、どれもシンからすれば軽くひねれる相手なので気にしない。
森の奥をヒルク草を探して歩き回る。森の奥に行くほど取れやすいという情報はあっていたのか、数枚ずつ生えているのを発見し、現在所持数は十三枚。それでもまだ半分にも達していない。
二時間ほど歩きまわったが結局十三枚以上は見つからず、北の森に行くことを決める。東の森と北の森は街道一本を挟んでほとんどつながっていると言っていい。なのでこのまま北の森の奥に入ってしまおうと進路を西にとる。
しばらく歩くと街道が見えてくる。馬車が何とかすれ違えるくらいの道幅だ。
冒険者たちがスカルフェイスに襲われたのはこの辺りかとシンは推測する。なぜなら切り取ばされた馬車の屋根が道の端に転がっているからだ。よく見れば血だまりの跡と思われるものや鎧の破片のようなものも見える。死体が見当たらないのは野生動物やモンスターが片づけたからだろう。
「この世界じゃ、スカルフェイスも強敵か……」
馬車の残骸を見ながらぽつりと呟く。ジャック級のスカルフェイス一体でこの騒ぎなら強力なモンスターが闊歩していたフィールドはもはや人の住めるところではないだろうという考えが浮かんだ。
「今考えても仕方ないか」
脳裏に浮かんだ考えを頭の片隅に追いやり、北の森に入っていく。
北の森は東の森よりも木々が茂っている。そのせいで日の光も半分以上が遮られ、日中だというのに森の中はかなり暗い。ただ進むだけでも注意が必要なほどだ。探すのに苦労しそうだと内心嘆息し、シンは歩みを進めた。
東の森と違い、北の森にはモンスターが多く存在した。マップがほとんど機能していない状態だが自身を中心として周囲に赤や黄色といった色のマーカーを表示するくらいの機能は残っており、索敵系のスキルと相まってシンの周りにいるモンスターはいくら隠れようと丸わかりである。
無益な殺生をする気はないが、今は自分の状態を把握することも重要なので襲ってくるモンスターには迷わず反撃する。どの程度なら大丈夫なのか、【制限】をかけながら戦う。
最初のうちはバルクスと戦った時のような手加減は一切せずに戦闘をしたので一撃でモンスターがはじけ飛んだ。月の祠にむかった際にも同じことがあったのでそこまで驚きはしなかったが、最大攻撃力がどこまで上がっているのかわからないのがネックだ。ステータスが以前のままなら大体の予想はついたのだが二倍以上になっているとなるとどこまで威力があるのかわからない。
結局、自身の能力については補助スキルの一つ【制限】を最大レベルのⅩまで上げてかけるしかないという結論に至った。
【制限】はもともと初心者と上級者が一緒に遊べるように作られたスキルで、スキルレベルを上げるごとに二分の一、三分の一というふうにステータスが制限されていく。これによってレベルやステータスに開きがあるプレイヤー同士でも共にゲームをプレイできる。最初からレベルⅩまで使用できるスキルだ。
ステータス上昇に伴う身体能力の変化については確かめる方法もあるにはあるのだが、それをすると周囲一帯が悲惨なことになりかねないのでおいそれと行動に移すことができない。なので目下危険防止策を依頼の遂行のついでに行っている。
現在、シンはSTRのみ最大レベルで【制限】をかけているのでステータスは1/10の223。他はそのままである。これは転生なしのヒューマンLv,255のSTRとほぼ同じ数値だ。ちなみに【制限・Ⅰ】はステータス1/1なので実は能力低下しなかったりする。あくまでステータス調節用スキルなので最大で1/10、最低は変化なしということらしい。
なぜSTRのみなのか。それは一般のヒューマンの攻撃でモンスターがどの程度のダメージを負うのか実験しているからである。武器が見た目一般的な量産品でありながら、強力なモンスターを軽々と倒していては目立つことこの上ないからだ。いわば、パーティーを組むような事態になった時に他のメンバーに不審に思われないようにするためのものである。
……うっかり全力攻撃して地形を変えないようにするという意味合いもあるが。
モンスターが思ったより多かったため、思いつきで始めただけなのでダメならダメでいいかと思いながらヒルク草の捜索がてらモンスターと戦闘を行っていく。アイテムを捜索するスキルがあればなあと思いながら。
ヒルク草は森の奥に進むほど発見できた。
現在、所持数二十九枚。あと一枚で依頼達成である。よし、あと一枚! と気合を入れなおし、注意深く森の中を歩き回っていたシン。そんな折、ふと視界の端に展開していたマップに奇妙な動きをするマーカーを見つけた。
色は赤。敵性存在を示す色だ。
だが、その赤マーカーの主はその場から大きく移動することはなく、10メルほどの範囲を時にジグザグに、時にクネクネと動いていた。
「なんだ? これ」
今まで見たことのないマーカーの動きに興味を惹かれる。少し様子を見てみるかと、マップを頼りにマーカーのある方向へ進んでいく。
数分もしないうちにマーカーのすぐ近くまで移動が完了し、木の影から様子をうかがう。
その姿を見たときシンは言葉を失い、その場に立ち尽くした。
視線の先にはスカルフェイス・ジャックの姿がある。ポーンより二回り以上大きいその体は骨だけでありながら3メルはある。それを鎧に籠手、具足が覆い、頭には兜を装備している。加えて左手に1メルほどのラウンドシールド、右手に2メルはある大剣を持っている。
ジャックの纏っている装備は大剣を除いてすべて黒一色で、見た目はどれも手入れが行き届いているようなしっかりしたもの。ポーンが纏っているボロボロの籠手や錆びた剣とは比べ物にならない。
瞳のあった場所には仄暗い紫の炎が灯り、全身から負のオーラとでも呼ぶべき黒い煙のようなものを発している。
地獄からよみがえった亡者の兵士の指揮官的存在。それがジャック級のスカルフェイスである。
この世界の住人ならば目があっただけで恐怖に凍りつくような存在だ。
だが、シンが言葉を失ったのも、その場に立ち尽くしたのも、そんな理由からではない。そもそもカンストプレイヤーのシンにとってスカルフェイス・ジャックはただの雑魚だ。ではなぜ攻撃も仕掛けず、相手を見ているのか。
それは、
「なんでスカルフェイスがブレイクダンスしてんだ……」
というシンの言葉がすべてを物語っている。
考えても見てほしい。アンデッド系モンスターというのは生者に恨みを持ち、己の側、つまりは死者の側へ生者を引きずり込もうとする存在である。その容貌は見る者に恐怖を与え、疲れを知らぬその体から繰り出す攻撃は周囲に死を振りまく。それがTHE NEW GATEにおけるアンデッド系モンスターという存在であり、その代表ともいえるのがスカルフェイスなのだ。
断じてだれもいない森の奥でブレイクダンスをしているような存在ではない。
「シュールだ……シュールすぎる。そんなに踊りたかったのか、おまえ」
スカルフェイスの周囲はそこだけ木々がなく、空から見ればぽっかりと穴が開いた状態になっている。それもそのはず、スカルフェイスは鎧を着た状態、かつ剣と盾を装備した状態でブレイクダンスをしている。そのため大剣で大木は切り倒され、盾によって草は薙ぎ払われ、鎧の凹凸で地面はえぐれている。
そもそも鎧を着たままでできるのかという疑問もあるが、できているのだからしょうがない。
シンの言葉には仄かな哀れみの感情が含まれていた。
なんだか見てはいけないものを見てしまったような、何とも言えない罪悪感すら感じたくらいだ。
だがそんなシンの思考も、かすかに聞こえた音とその正体によって一瞬で消える。
ピチャリと液体がはねたような音がシンの耳に届く。気になってその方向に目を向ければ、そこにあるのは一本の大木。そして、大木の幹に付着した赤い液体。
シンは即座に視線をスカルフェイスの方に戻し、その姿を注意深く観察する。大気を切り裂く音を響かせながら振るわれる大剣、骨格を覆う鎧、草を薙ぎ払う盾、それぞれに付着した、大木にはねたのと同じ色の液体がしかとその目にうつる。
視線を少しずらせば、真っ二つにされたモンスターの死体が見える。どうやら見つけた相手は何であれ問答無用のようだ。
北の森に出るスカルフェイス。襲われた冒険者。剣に付着している乾いた血と今だ滴る血。確信はない。されど、あのスカルフェイスが冒険者を襲っていないと考えられるほどシンは楽天的ではないし、放置もできない。
困惑していた思考が一瞬で統制される。呆けていた顔は引き締められ、身にまとう雰囲気が弛緩したものから鋭いものへと変化する。
「呆けてる場合じゃないな」
呟く間にも相手の情報収集は怠らない。ゲームと同じだと安易に考えるのは危険だ。
実際、ふざけているように見えるが幅30セメルはある大木を薙ぎ払っている。油断をしても得はない。
「まずは、仕掛けるか」
シンは刀の鯉口を切りタイミングを見計らう。そしてスカルフェイスの背がシンの方を向いた瞬間、体勢を低くしたまま僅か一足で間合いを詰める。
踏み込んだ姿勢のまま刀を抜刀。スキルは使わずに無防備な背中に向けて一閃する。
スカルフェイスは総じて斬撃に対して耐性を持つが背後からの奇襲となればそれなりのダメージは与えられるはずだった。しかし、その期待は裏切られる。
シンの刀がスカルフェイスの背にむかって放たれた瞬間、まるで気配を察知したかのごとくスカルフェイスは左腕を地面にたたきつけ、その反動を利用して回転を加速。そのまま左腕に持ったラウンドシールドで刀を弾き、お返しとばかりに大剣による薙ぎ払いをしかけてきた。
「なんだそりゃ!?」
シンは抜刀の勢いそのままにスカルフェイスの横を駆け抜け、薙ぎ払いの範囲から逃れる。
シンが驚いたのも無理はない。レベル250のスカルフェイスですら今のような奇怪な動きなどしなかったのだ。流れるような防御と剣による反撃、加えてそれだけの動きをしながら体勢も崩していない。ゲーム時には考えられなかった動きだ。
筋肉や関節にかかる負担を考えれば、それこそまともな肉体があっては逆にできないような動きだった。骨格だけの姿からは考えられない腕力を持ち、関節などの動きに縛られないスカルフェイスだからこその動きだろう。
想像を絶するスカルフェイスの戦闘力にシンは驚きを隠せない。
「何だあの動き。スカルフェイスの動きじゃないぞ」
そもそもブレイクダンスをするという時点でおかしいのだが、腑に落ちない点はそれだけではない。
「レベルもおかしい。それにあの剣、スカルフェイスが持ってるようなもんじゃないよな」
体勢を整えつつスカルフェイスを見る。【分析・Ⅹ】によるとスカルフェイスのレベルは359。ジャック級どころかクイーン級を飛び越えてキング級のレベルだ。
加えて問題なのがその手に持つ剣だ。ヒューマンなら両手でなければ扱えないであろう幅広の両手剣。柄には煌びやかな装飾がなされ、刀身は銀色の輝きを放ち、刃の中心を青い線が走っている。おそらく鉄よりも硬い魔鉄鋼と魔法と相性の良いミスリルを組み合わせているのだろう、刀身の輝きよりも強い白い光が刃の部分を覆っている。
白い光が現す属性は光。その意匠と相まって聖剣といってもいいだけの雰囲気を纏っている。
どう考えてもアンデッド系モンスターが持つ武器ではないし、付与されているような属性でもない。
「ユニークモンスターって考えるのが妥当か」
警戒レベルを一段階引き上げる。ユニークモンスターは元になったモンスターとは異なる属性や能力を持っていることが多い。だとしても弱点の属性をもつなど、シンでさえ聞いたことがないのだが。
様子を見るシンに対し、スカルフェイスの方もシンを強敵と認識したのか今は二本の足で地面に立ち、盾をやや前に大剣を若干引き気味に構えている。その様は紛れもなく剣術を修めた者の動きであり、ただ突撃を繰り返すだけのスカルフェイスとは一線を画している。
「あのダンスもふざけてたってわけじゃなさそうだ、なっ!!」
呟くと同時に再びスカルフェイスに突撃する。方向は盾を持つ左手側。
またしても一足で間合いを詰め、納刀していた刀を再度抜刀。狙うは相手の左足首。
「セィッ!!」
抜き放たれた一閃がスカルフェイスの足首にむかってひた走る。
スカルフェイスもシンの攻撃に反応し左手の盾を使って防御しようとするが、体格差とシールドの大きさが災いして防ぐには至らない。
キンッっという金属が擦れ合う音を残してシンは大剣の間合いから逃れる。防御不能と判断したのかスカルフェイスは斬られるのもおかまいなしにシンに対して大剣による攻撃を仕掛けていたのだ。
背後から迫る斬撃を受け止めるのは危険と判断して回避行動をとったシンのいた場所に大剣が振り下ろされる。それは地面を削るだけでは飽き足らず、大剣の延長上にある地面を3メルほど引き裂いた。
「持ってる武器も希少か特殊級か。聞いたことがないな」
魔法攻撃による射程の増加。シンから見ればありふれた攻撃だが、本来低級のモンスターが持つ武器にこんな能力はない。あそこまでアクロバティックな動きをするようなスカルフェイスがいれば記憶に残っているはずだ。
スカルフェイスは訝しむシンなどおかまいなしにお返しとばかりに大剣による攻撃をしかけてきた。左足首は先の一撃で両断されている。だが、痛みを感じないスカルフェイスにはさしたる問題でもないのだろう。足首などはじめからなかったかのように、残った足を地面に突き刺しながら距離を詰め強烈な横薙ぎを繰り出す。
シンも自分からスカルフェイスへと走り、刀術系武芸スキル【白刃流し】を発動させる。大剣の柄に近い部分に刀を当て、横薙ぎの攻撃を受け流す。
そのままがら空きになった胴体に刀術系武芸スキル【砕刃】を発動し、一閃。
斬撃耐性を持つ相手に通常ダメージを与えるスキルを纏った刃はスカルフェイスの鎧を砕き、本体にダメージを与える。
――はずだった。
「マジか!?」
シンが驚愕したのも無理はない。
剣を受け流されたスカルフェイスはシンの攻撃が当たる寸前、猛烈なバックステップを行い刀の軌道からその身をそらしたのだ。攻撃が掠った鎧は砕けているが、本体にはダメージがほとんどない。
まるで次に強烈な一撃がくることが分かっていたかのような動き。いくら本気を出していないとしても、シンの動きにここまで付いてくるというのはもはや異常だ。
「GeeEEEEaaaaAAAAAAAA――――――!!!!」
刃をかわしたスカルフェイスの口から獣のうなり声を歪めたような音が発せられる。聞く者を不快にする怨嗟の声だ。
至近距離での絶叫にシンも顔をしかめる。特殊な効果があるわけではないが大きな音というのはそれだけで生き物にとって恐怖となる。
固まりそうになる体に活を入れ、その場から飛び退く。シンの目に移るスカルフェイスのHPゲージはまだほんのわずかしか減っていない。スカルフェイスはコアに攻撃が通らないと大きなダメージは与えられない上、あたったのが鎧だけだったので大したダメージにはならなかったようだ。
「やれやれ、どうしてこう、早々に変なモンスターと会うかね」
スカルフェイスの動きに驚き半分、称賛半分といった具合の呟きが漏れる。
ちらりと自らの得物に視線を向ければ刃が欠け、所々にひびが入っているのが見て取れる。
武器や防具には耐久値というものが設定されており、それが0になると壊れて使えなくなってしまうというのはゲームにはよくある設定だ。だが実際は耐久値が減るということはガタがくるということで、耐久値がなくなる寸前まで武器として使用できる、なんてことはあり得ないのである。
現在装備中の数打の耐久値はすでに三割を切っている。おそらくスカルフェイスのレベルが高かったことと、スカルフェイスの持つ武器が強力だったせいで攻撃を受け流した際に刀身にダメージを負ったのだろう。
「まともな攻撃はあと一太刀くらいがせいぜい。なら、いっちょ試してみるか!」
シンとスカルフェイス。一人と一体の周囲はスカルフェイスの行動によって見るも無残に破壊されている。なので、ここなら大丈夫だろうと構えを改める。
左足を一歩分前に出し、僅かに前傾姿勢に。刀は腰の横にくるように下げつつ、後ろに引く。
そして、呟く。
「【制限・解除】」
その一言によって、スキルの効果で抑制されていた能力が解放される。
素人ですら、シンの纏う気配が変化したと感じ取れただろう。
刀ををつかむ手に力が加わり、ギシリと音を立てた。
「GuUUuuuUUuUuUUU――――――――」
シンの構えと変化した気配を警戒したのか。スカルフェイスが低く呻く。先ほどよりも盾を前に出し、防御に重きを置いた構えを取る。
シンはスカルフェイスの動きに感心しつつ、力をため、
「シッ!!」
短い呼気とともに全力で踏み込み、手に持つ刃を一閃した。
残像すら残さぬ踏み込みと、跳ね上げられた刃による一撃。
キ、ギィンという二種類の音とともに、かき消えたシンの姿がスカルフェイスの目の前に現れる。
起こった変化は二つ。
一つは、シンの持つ刀が柄を残して砕けていること。
もう一つは、スカルフェイスの持っていた大剣が弾き飛ばされ、空の彼方へ消えていったこと。
周囲に響き渡った二種類の音のうち、初めに響いた『キ』という音はシンの一撃が盾、鎧もろともスカルフェイスの心臓部たるコアを切り裂いた際の『キン』という澄んだ音の名残。そしてそれに続いて響いた『ギィン』というのがスカルフェイスの大剣とシンの刀が激突したときに発生した音だ。
よほど耐久値が高かったのか大剣は砕けることも折れることもなく、衝撃に耐えきれなかったスカルフェイスの手を離れ、どこへともなく飛んで行った。
コアを真っ二つにされHPゲージが全損したスカルフェイスは、今やただの骨と化している。バラバラに散らばったその姿からはついさっきまでの激しい戦闘を連想するのは難しい。
「やっぱり武器が持たないか」
柄のみになった数打を見つめながら、ため息をつく。それなりに力を込めた一撃だったがまだまだ全力には至らない。攻撃の余波でスカルフェイスの背後に生えていた大木が今まさに音を立てて倒れているが、そんなの当たり前とでもいうように欠片も動揺せずに柄をアイテムボックスに収納する。
「さっきの剣なら何とかいけそうだったんだが」
そう言って剣の飛んでいった方向を仰ぎ見る。そこには雲一つない青空が広がっており、どこに剣が飛んで行ったかなどシンには見当がつかない。
さすがにあそこまで盛大に吹っ飛ぶとは思っていなかったので、人に当たっていないことを祈るばかりだ。
「……帰るか」
どうにもこれからヒルク草を探そうという気にはならなかった。
亡骸の中に宝玉があったのでそれだけ回収しておく。
一応スカルフェイスの件をギルドに報告した方がいいだろうとシンは森を抜け門を目指して歩き出した。
あの剣が原因で、王国が騒ぎになるとも知らずに。
北の森を出て東門に戻ってきたシン。
あと少しで着くというところで何やら門のところが騒がしいことに気付いた。
「何かあったんかね」
昨日のように野次馬が集まっているというわけではなく、衛兵が通行人に聞き込みをしているようだ。見たところ、国に入国する人たちを中心に行われている。
いつもならギルドカードを持っている冒険者ならほとんど待たずに入れるのだが、一人一人に話を聞いているせいか列ができていた。仕方がないのでそこに並び、順番が来るのを待つ。
だんだん門との距離が近づいてくると、衛兵と冒険者の話し声が聞こえてくるようになる。
「北の森……東の森……飛ぶ、影……?」
断片的に聞こえてくる会話にさっきまでいた場所が含まれている。思い当たることがあるだけに嫌な予感がぬぐえない。
距離が近づき、はっきりと聞こえるようになった話をまとめると、空を謎の物体が飛んで行くのを街の住人が目撃し、さらにそれが王城の中へ落下したらしい。飛んできた方向が北の森か東の森の方角だということで目撃者がいないか、もしくは何か事情を知っている者がいないか聞き込み調査をしていたようだ。
(空飛ぶ謎の物体……それってやっぱりあの剣だよな……)
自分が吹き飛ばした大剣を思い出す。戦闘に集中していたので飛んでいった方向はわからないが、時間的にはピッタリだ。
重くなる足を引きずりながら、門にむかう。
「よおシン」
「ベイドか、何かあったのか?」
何事もなかったかのように話しかけてきたベイドに返事を返す。飛んでいったのがあの大剣とは限らないという自分でも信じられないような希望を胸に抱いて。
人はそれを現実逃避という。
「実は王城の方に剣が飛んできたと伝令があってな。方角が北から東にかけてらしくて何か知ってるやつがいないか聞き込みをしてんだ。おまえも東の森に行ってたんだろ? 何か見なかったか?」
「……いや、見てないな。被害とか出たのか?」
「壁に突き刺さったとかで人的被害はないって話だな。まったく、城壁飛び越えて剣を飛ばすなんざどこの馬鹿だってんだ」
「被害がなくて何よりだ」
人的被害がなかったという言葉に胸をなでおろす。さすがに誰かに当たっていたなんて事態になっていたら目も当てられない。
「方向はしっかり確認しよう」
そう誓った瞬間だった。
「ん? なんだって?」
「いや、なんでもない。もう行ってもいいか?」
「ああ、もし何か思い出したことがあったら見回りをしてる兵士に伝えてくれ」
「了解」
ポーカーフェイスを保ちつつ早足に門を離れる。門が見えなくなるまで歩くと歩調を緩め、ため息を一つ。
「はぁ、なんでよりにもよって王城に落ちるかね……」
異世界生活三日目にして早くも国を相手取ったトラブルの予感である。王族への攻撃などと思われたら反逆罪に問われる可能性も高い。はっきりいって非常にマズイ。
シンにつながるような証拠はないが、スカルフェイスのことをギルドに報告すると疑いの目を向けられるような気がしてならない。
「どうしてこうなった……」
人生ままならないものである。
◆◆◆◆
問題は一旦棚に上げ、ギルドへ向かう。スカルフェイスが出るという噂は本当だったが、それが一体だとは聞いていない。それに加えてスカルフェイス・ジャックは基本的に数体のポーン級を引き連れているので、ジャック級を討伐したからといって安全になったとは言い切れないのだ。
戦闘をした場所を離れる際に周囲の索敵を行ったシンだが、周囲に他のモンスターの反応はなかった。単独行動していたのか、それともあのダンスにまきこまれて粉々にでもなったか。スカルフェイスの行動を見るに後者の可能性が高いだろう。敵味方の識別をしているような動きではなかった。
ポーン級ならこの世界の冒険者でも対処できるレベルなのでうち漏らしていたとしても問題はない。今回のジャック級のようなユニークモンスターなら話は別だが、ベイド達の話しぶりからはジャック級自体そうそう出るものではなさそうなのであまり心配はしていない。
ただ、今回のことがただのユニークモンスター出現だけで済むのか。この世界のことに疎いシンにはそれが懸念であった。
とはいえ、今のシンではいくら考えてもわからない。そのあたりはエルスかセリカに聞けばいいかと考えなおし、ギルドの扉を開く。ギルドの中はシンが見た中で最も混雑していた。剣や槍で武装し、鎧やローブを着込んだ冒険者でごった返している様子はここが冒険者たちの集う場所なのだとあらためて感じさせられた。
気になるとすれば、全体的に殺気立っているところか。そうでない者たちも妙に浮き足立っているように見える。
「なんだか物々しいな」
人が多い割に受付はすいていたので早速報告をすることにした。好都合にも受け付けにいたのはセリカだ。内容が内容なので多少なりとも見知った相手の方がよかったシンとしては非常に助かった。
「こんにちは。ちょっと報告したいことがあるんですけど」
「お疲れ様です。シン様。報告というのは?」
「スカルフェイスのことでちょっと。確認したいんですけど、今どこまでわかってます?」
「っ! ……スカルフェイスについてはジャック級であること、通常のスカルフェイスより強力な武器を持っていることが生還した冒険者から報告されています。確認されている個体は一体。配下のポーン級は確認されていません。現在、討伐依頼が出され、場所が王国に近いため最優先の案件となっております。S、Aランクの方々が出払っている状況ですのでBランク以下のパーティーで共同戦線を張る準備をしているところです」
どうやら戦闘スタイルについては伝わっていないらしい。気になるのは武器に関する情報だ。
「強力な武器っていうのは?」
「一般に知られている長剣ではなく、二回り以上大きい剣であったと」
「……大剣ってわけですか。その剣について他に何か情報は?」
「いえ、今のところはそれだけです」
やはり伝わっていた。さすがに交戦した冒険者も相手の武装を見忘れるなどということはなかったようだ。しかし、ジャック級の使っていた大剣は光属性の魔力光を帯びていたはずだ。それについての情報がないというのはどういうことか。
「……まとめると通常より大型の武器を持ったジャック級である、と?」
「はい。レベルは最低でも200以上と推定されています」
「…………」
ふむ、とシンは考え込む。大剣が白い魔力光を帯びていなかったかと聞きたいところではあるが、セリカの話からはジャック級の武器はただの大剣と思われているようだ。魔法が付与された武器は珍しいだろうと予想しているので、下手にそれについて言及すると王城に落ちた剣との関係を疑われる危険がある。
全く別のスカルフェイスだったという意見もシンの頭に浮かんではいたが、これだけ大騒ぎになるようなものが二体同時、しかも同じような大剣を持って出現するなどということがあるのだろうか。
「あの、シン様?」
「ああ、すいません。ちょっと考え事を」
深刻な面持ちで考え込んでしまったせいかセリカは少し心配そうにしていた。セリカからすればシンはSクラスに匹敵する戦闘力を持つ数少ない人物だ。そんな人物がスカルフェイスの情報を聞いて深刻な顔になれば、守られるしかない立場の者が不安になってしまうのも無理はない。
「考え事……ですか?」
「ええ、まあ、スカルフェイスってどんなアイテム落としたっけなと思って」
大剣が魔力光を帯びていなかったかどうやって聞き出そうか考えていたのだが、それを口にするわけにはいかないので咄嗟にドロップアイテムのことを考えていたことにした。
「落とすアイテム……ですか? えと、たしか宝玉と、纏っている鎧や剣が、それなりの値段で取引されていた、と思いますが……」
「あ、そうなんですか。いやあすっかり忘れちゃってて、ははは」
咄嗟についた嘘を気取られないように陽気にふるまうシンだが、どう見ても挙動不審だった。
だが、セリカの方もジャック級のスカルフェイスという強敵相手に、まさかドロップアイテムを気にしているとは考えてもいなかったのでシンの挙動がおかしいことに気づいていない。おかげで殺気立ったギルド内で不自然に笑う男と呆け気味に答える女という場違いな光景が出来上がっていた。
「そういえばシン様の報告したいことというのはどういった内容なのでしょうか」
「おっとすいません。肝心なことがまだでした。北の森でスカルフェイス・ジャックを仕留めたんでその報告をしとこうと思って。あ、これその時に回収した宝玉です」
「そうですか、スカルフェイスを……スカル…………あれ?……あの、ポーン級……です、か?」
「いえ、ジャック級です。ああ大剣も持ってましたよ」
「…………」
いつものように書類を出そうとしてシンの言葉に動きがぎこちなくなるセリカ。シンの言葉を聞き間違えたかとなんとか質問を返すがあっさり否定され、驚きすぎて言葉が出ない。
「…………」
「…………」
「……えっと、セリカさん?」
「え? あっ!? す、すいません! ちょっとびっくりしちゃって」
はっと我に返ってあわてて謝るセリカ。そのせいか口調が素に戻っている。
「そんなに驚くことですか?」
「いやいやジャック級のスカルフェイスを単独で討伐するには最低でもAランク相当の実力が必要なんですよ!? そんなちょっと行ってきたみたいな軽いノリで言わないでください!」
「えっと、すいません?」
「シン様が実力者なのは知ってましたけど……依頼が出たその日に単独討伐してくるなんて前代未聞です」
「遭遇したのは偶然なんですけど……」
「それでも普通は一旦戻ってギルドに報告、しっかりと準備を整えてから戦いに行くものですよ。少なくともその場で戦おうと考える人は少ないと思います」
「そうなんですか。いや、たしかに武器はこの通りですけどね」
そういってほとんど柄だけになった刀を見せる。戦った時のことを聞かれるかと装備しなおしておいたわけだが申し訳程度に残った刀身にすらひびが入っており、ある意味竹光よりひどい状態だ。
「なっ!? 粉々じゃないですか!」
「とどめさすときにちょっと」
「どんな無茶をしたんですか!?」
「ちょっ!? セリカさんちかい! ちかい!」
血相変えながらカウンターを乗り越えて迫ってくるセリカの肩を抑えてまったをかける。突然の行動だったのでお互いの顔が20セメルほどまで近づいていた。
セリカの予想外の行動に咄嗟に反応した自分をほめるべきか、けなすべきかシンの中でどうでもいい葛藤があったのは御愛嬌だ。
「えっ……あああ、すいませんすいません! 決して変なことをする気があったわけじゃなくてですね。怪我をしてないか心配だったというかつい興奮してしまったというか……ってわたしなにいってるの!?」
セリカはセリカで見ていて面白いくらいに動揺していた。シンが突っ込みも入れずに眺めてしまうくらいに。ジャック級単独撃破というのはそれほどまでに驚くことのようだ。
「いつも知的クールな女性が恥ずかしがりながらオロオロする……か。なんかこう……くるものがある!」
「くるのはいいがいい加減なだめてくれないかな。ちょっと目立っているよ」
「ん? おお、エルス」
これが萌えか……と一人頷いているシンの背後から声をかけてきたのはエルスだ。どうやらシンとセリカのやり取りはいつの間にか周囲の注目を浴びていたらしい。
「いやすまん。恥ずかしがるセリカさんが可愛かったもんだから、つい」
「か、かわいい!?」
「そこは同意するが、あまり同僚をいじめないでほしいな」
「どうい!?」
「申し訳ない。だが意図的にやったんじゃないという釈明はしておく」
「わかってるよ。見てたからね」
「だったら声かけろよ……」
セリカのセリフをことごとくスルーして会話を進めるエルスとシン。シンとしては初めからエルスがいればこんな事態にはならなかった気がしてならない。
「そういわないでくれ。私だっていろいろ準備したり、情報を集めたりしてたんだ」
そういうエルスの服装はセリカのような受付嬢が着るものではなく、動きやすさを重視した狩人の装備だった。丈の少し長い皮製の丈夫そうなジャケットに細々した物がまとめて納めてあるポーチ、スパッツ(のようなもの)に膝までを覆うロングブーツをはいている。背中には狩人の基本装備である弓、ついでに右太ももには短剣がくくりつけてある。腰まである長い髪を紐でひとくくりにしてしているせいか雰囲気が以前と違うように感じる。得物を狙うハンターの気配だ。
「スカルフェイスか?」
「うん、北の森に出たというやつだね。噂自体は聞くようになってからそれなりに時間がたってる。けど実際に被害が出たのは今回が初めてで、なんでも普通のジャック級より強力な武器を持ってるとか」
「ああ、それなら俺も見た。たしかに大剣振り回してたな」
「セリカの驚き方でもしやとは思ったけど、その様子じゃ件のスカルフェイスと剣を交えでもしたようだね」
「交えたというか、仕留めたんだけどな」
仕留めたの部分だけ小声で言うシン。セリカに言った時もそうだがあまり大声で話せる雰囲気ではなかったので一応音量を抑えてみたのだ。
「……それが本当なら、セリカが取り乱すのもわかるよ」
「そうです。おかしくないです」
軽口を叩いていたエルスもシンの言葉に動きが止まる。かろうじて絞り出した言葉に復活したセリカが相槌を打った。
「疑うようで悪いが証拠はあるのかい? それがないといくら討伐したといっても信用してもらえないが」
「宝玉だけ回収してきたけど、そもそもモンスターを倒した証の……証明部位だっけ? スカルフェイスのそれが何なのか俺知らないし」
ゲーム時の名残で、とくに変わったところのなかったドロップアイテムは回収しなかったシン。証明部位のことを思い出したのはギルドについてからで、それがないと討伐した証明ができないことをすっかり失念していた。
「鎧や剣は回収しなかったのかい? ジャック級ともなればそれなりにいい装備をしているから売って資金にしたり、自分用に調節する者もいるのに」
信じられないというエルスの反応にシンはどう返したものかと頭を悩ませる。なにせスカルフェイスのドロップアイテムなどアイテムボックスの中に三桁単位で入っている。別段何か特別なことに使えるわけでも、高い能力があるわけでもないので完全にアイテムボックスの肥やしになっているのだ。空に消えた大剣ならばともかく、今さら兜やら鎧やらを回収しようとは思えなかったのである。
「あんなのいくらあってもなぁ」
「冒険者とは思えないセリフだ……」
「まったくです……」
シンの表情から、ぽろっと呟かれた言葉が真実だと理解しあきれ果てるセリカとエルス。シンは知らない。エルスはそれなりにと控えめに言ったが、この世界においてスカルフェイス・ジャックの纏う装備は同じ質の物をそろえるだけでも相当な資金がいる。最低でもBないしAランクの冒険者でなければなかなか手が出せない代物だ。それをあんなのあつかいするシンは奇異の目で見られて当然。言外にいらないと言っているようなものなのだから、とても他の冒険者には聞かせられない。
「ま、まあ証拠の方は宝玉を調べれば大丈夫だろう。宝玉にはドロップしたモンスターの魔力が込められているからスカルフェイスだというのはわかるはずだ」
「そうなのか?」
あまり深く考えてはいけないと判断したエルスが宝玉でも証拠になることを話す。証明部位よりも時間がかかるのが難点だが、討伐したのが本当なら多少時間がかかっても問題はない。
「ですが調べている間は宝玉をこちらでお預かりすることになります。売却していただけるならすぐにできますが」
「あー今回はやめときます。今のところ売る気はないんで」
「承知しました。では調べ終わり次第宿の方に連絡いたします。宿は穴熊亭でよろしかったですか?」
「はい。じゃあ、それでお願いします」
エルスの言葉をセリカが引き継ぎ、時間がかかる旨を伝える。すっかり仕事モードだ。
「そういえば北の森にはスカルフェイスが出やすかったりするのか? さっき噂自体は前からあるって言ってたけど」
「もともとアンデッド系のモンスターは生物の怨念や未練が魔力と交わることで生まれるからね。北の森は凶暴なモンスターが生息しているけど、貴重な薬草や素材が取れるから足を踏み入れる人は後を絶たない。そんな人達がモンスターに襲われ帰らぬ人になることは多いんだ。だからアンデッドが生まれる条件自体は整っているんだよ。ただジャック級のような強力な個体が生まれるほどの魔力が自然発生するような環境ではないから北の森でスカルフェイスといえば普通はポーン級をさすのさ」
ポーン級と見間違えたと思われていたんじゃないかなとエルスは付け加える。実際に交戦した者がいなかったというのもそれに信憑性を与えていたようだ。あくまで噂でしかないのでわざわざ確かめに行こうとする者もいなかったのだろう。
「ちなみにジャック級のレベル帯ってどのくらいなんだ?」
「確認されているのは最低が150、最高が250だね。それ以上となるとクイーン級やキング級に分類される」
どうやらモンスターごとのレベル上限はかわっていないらしい。
「となるとだ。今回は例外ってことになるか」
「どういうことですか(だい)?」
シンの言葉に二人が反応する。すかさず反応するあたり、さすがはギルド職員と冒険者だ。
「俺が戦ったジャック級はレベルが250を超えてたんだよ」
「それは、本当ですか?」
「【分析】で見たんで間違いないです。たぶんユニーク、特殊個体だと思います。普通のと違って取り巻きのポーン級もいませんでしたし」
「確認なんだが、正確なレベルは?」
「359だったな。俺の記憶が確かならこれもうキング級じゃないかと思うんだが」
『359!?』
自分で言っておきながら違うだろうけどとシンは思う。【分析】ではたしかにジャックと出ていたし、そもそもクイーンやキング級のスカルフェイスとは体格も装備も違う。レベルを除けば武器と動きこそ規格外だったがそれ以外はどこもおかしなところはなかった。
『……』
シンの台詞にまたしても固まる二人。信じていいのか、誤認じゃないのかなどの様々な疑問が二人の頭の中を飛び交っていた。
「……なにか、まずかったか?」
「まずいというより……いや、まった……私も混乱しているみたいだ。セリカ、たしか宝玉鑑定に相手の強さを大まかに調べる方法があっただろ? あれをやってみたらどうだろうか」
「――っ! 宝玉の鑑定を急ぎます。エルス、申し訳ありませんがあとを頼みます」
エルスの言葉に我に帰ったセリカは、シンに一礼すると宝玉を手に受付奥に下がった。
シンはと言えばそんな便利なこともできるのかとのんきに感心していた。
「まったく君ってやつは」
「なんだ?」
「今言ったレベルが本当なら君の強さは最低でもAランクパーティー以上ということになる。嘘なら大ほら吹きだ」
「まあ、間違ってたら俺の見間違いだったってことだろ。それに俺のランクはGだぞ? ジャック級討伐したって言ったところで誰も信じないって」
「たしかに事情を知らなければそうだろうけど」
「ならいいだろ。ここまで言っといてなんだけど目立ちたいわけじゃないし」
行動と矛盾している気がしてはいるが、シンとしてはあまり目立ってかかわりたくもない輩から目をつけられるのは困るのだ。シンの目的はあくまで元の世界に帰ることであり、ギルドに所属しているのも情報収集の手段としての意味合いが強い。
「あんなのがうろついてたらまずいだろうから報告したけどな。できれば俺がやったっていうのは広めないでほしい」
「私としては君の意志にそいたいが、隠したところで調べる者はいると思うよ。普通は名乗りを上げて当然だからね」
「だよなぁ……」
シン自身わかってはいたことだが、ハッキリといわれると余計に面倒に感じてしまう。これだけ騒ぎになるのだ。それを倒したとなれば冒険者ならかなり名を売ることができるのだから倒したモノの名があかされないのは不自然すぎる。それをしないとなればその理由を知ろうとする連中が出るのは必然だろう。
あかしたらあかしたで、それが冒険者になりたてのGランクともなれば注目を浴びるのは間違いない。どちらに転んでも面倒事になるのだ。
「すまないが、こればかりはあまり力になれそうにない。」
「そこまで負担をかけるつもりはないからいいって。とりあえず、飯でも食ってくるわ」
うだうだ悩んだところで解決などしない。気分を変える意味も兼ねて昼食にすることにした。ギルド内は混んでいて、とても席が空いているようには見えなかったのでギルドをでて外で昼食を取ることにした。
◆◆◆◆
エルスはギルドに残ると言うのでシンは一人で大通りを歩く。あの後、受付奥から戻ってきたセリカとエルスがそろって勧めてくれた店に向かっている。
しばらく歩くと剣とフォークが描かれた看板を掲げている店が見えてくる。なんでも店主が元冒険者だそうで、異国の料理や珍しい食材を使った料理などが味わえるらしい。
「戦う料理人か……クックみたいだな」
六天の料理番をしていた女性を思い出し、苦笑が漏れる。材料を自分で確保することにこだわっていた彼女、そのためにステータスがカンスト寸前までいったという変わり種だった。
そもそも六天には変わり種しかいなかったわけだが、シンお手製の柳刃包丁二刀流でドラゴンをさばく姿は強く印象に残っている。
「思い出したら腹へってきた……」
腹の虫がなきだしそうだったので少し早足気味に扉を開く。飯時とあってか店内は混雑していた。
「いらっしゃいませー! すいませーん。少々お待ちくださーい!!」
騒がしい店内に鈴のような声が響く。ウェイトレスは一人しかいないようで、テーブルとカウンターを行ったり来たりしている。空腹ではあったがさすがにこの状況で急かすのはかわいそうなのでシンはおとなしく扉のわきに立って店内を眺める。ギルドの近くにあるからか、店長が元冒険者だからか、店内にいるのはほとんどが鎧や剣で武装した者たちだ。おそらくスカルフェイスの件で集まった者たちだろう。
「お待たせしました。ご案内させて……ってシンさんじゃないですか」
「ん? えっと、セリカさん? いやシリカさんですか?」
突然の言葉に驚くシンだがよく見れば髪をポニーテールにしたセリカ、もといシリカだということに気付く。一瞬またセリカが着替えてきたのかと思ってしまった。
「あたりです。この店を選んだのはお姉ちゃんの紹介ですか?」
「はい。いろいろとお世話になってます」
「……こんなに早くここを紹介されるなんて、ただものじゃないわね」
「? 何か言いましたか?」
一瞬真剣な顔で何かをつぶやくシリカ。気になって問いかけるシンだが、なんでもないと笑顔で言われ追求するのも変なので話はそこでお開きになった。いつまでもドアの横で話しこんでいるわけにもいかない。
たまたま団体が帰ったところらしくテーブルが一つ空いたということでそこに案内される。一人でテーブルを使うのは気が引けたシンだが、あいにくと一人用のカウンター席はすべて埋まっていた。他の客が来たときに相席になってもらわないといけないというシリカに了解と返し、料理を注文する。
「あのー、シンさん。すいませんけど新しいお客様が来たので相席をお願いします」
「あ、はい。わかりました」
シンが料理を注文してからほとんど間をおかずにシリカがやってきて相席を頼まれる。やってきたのはやはり冒険者で毒々しい輝きを放つ槍を持った男だった。
「……『ヴェノム』か」
禍々しいともいえる槍を見て、シンはポツリと呟く。
魔槍『ヴェノム』――伝説級に名を連ねながらその能力は神話級にも匹敵する希少や特殊級とは一線を画す武器だ。
「わりィな。邪魔するぜ」
「むしろ助かる。一人でテーブル占領するのは気が引けてたんだ」
軽く挨拶をしてシンは男を見る。身長はシンと同じくらい。瞳は赤く、黒髪を大雑把に頭の後ろでまとめている。肌は病的と言っていい白さだ。美形と言っていい顔立ちだとシンは思うが、眼光が鋭すぎるのと纏っている気配が荒々しいすぎるせいで見た目とは裏腹に野生の獣のような印象を受ける。それも冷静に得物を仕留める、狩人としての獣だ。
レベルは188。おそらくこの男なら通常のスカルフェイス・ジャックなら十分単独で倒せるだろう。
「俺はシン。これも何かの縁だ。短い間だけどよろしく」
「……俺にそんな口を聞く奴がまだいるとはな。ヴィルヘルム・エイビスだ。冒険者にはなりたてか?」
「ああ、今日で三日目だ」
声をかけたシンを僅かに観察して男、ヴィルヘルムは自身の名を告げた。ヴィルヘルムの言葉に首をかしげながらもシンは質問に答える。ふと気がつけば、騒がしいのは変わっていないが店内の客が皆一様に自分たちに注目しているのがわかる。だがシンはまだただの新人冒険者。注目を浴びているのはヴィルヘルムだろう。シンにはヴィルヘルムが注目される理由はわからないが、今のところ実害はないので放っておくことにした。
「三日目? それにしてはなかなかの装備だな。傭兵でもしてたか?」
「いや? まあ、田舎から旅してきたからそれなりだとは思うけどな。おかげでこっちの常識ってのがいまいちわかってない」
「道理で俺の名を聞いてビビらねぇわけだ。まともな冒険者なら俺と相席なんてしねぇだろうからな」
「ビビられるようなことをしたんかい……一体何したんだ?」
人によっては威圧感だけで冷や汗をかきそうな状況にもかかわらず平然と話をするシン。周りの冒険者は『なんでそんなになれなれしく話せるんだこいつ!!』と心の中でそろって絶叫している。
シンとしては威圧感など微塵も感じていないのと、どうにも悪事を働くような男には見えないことから多少なれなれしいかと思いながらの質問だった。
「別に大したことじゃねぇよ。俺はけっこう前からアンデッドモンスターばかり仕留めてる。だからいつも人のよりつかねぇところで戦ってるわけだ。で、そんなのを続けてるうちにアンデッドの力を吸収してるんじゃねぇかって言われるようになったんだよ」
「なんだそりゃ……意味がわからん」
シンとしてはただのやっかみとしか思えない。冗談ではないのかと思ってしまったほどだ。
「それは俺も同じだがな。まあ、それを信じてる奴なんてランクの低い馬鹿くらいだろうよ。本当の理由はこいつを持ってるからだ」
そう言ってヴィルヘルムは壁に立てかけてあった槍、魔槍『ヴェノム』をつかむ。
「こいつは『ヴェノム』。伝説級の武器でな、傷つけた相手の生命力を吸い取って使用者に分け与える能力がある。これだけなら便利なもんだが、まぁ伝説級以上の武器ってのはどいつもこいつもぶっ飛んだ力を持ってるもんでな。使ってるやつにもわからない能力を持ってたなんてのはざらなんだよ」
「使っててもわからないのか?」
「気が付いたら呪いにやられてたって奴もいたからな。おまけに俺の武器の能力は吸収だ。ようは知らねぇうちに味方も吸われるんじゃねぇかってビビってんだよ」
ゲームでは当たり前にあった武器説明欄がないのでどういう効果を持つ武器か正確にわからないようだ。効果を知っているシンからすれば実に馬鹿馬鹿しいことだが、この世界ではそうもいかないのだろう。周りの客が注目している理由に納得がいくと同時に【鑑定】スキルでわかるはずじゃあという疑問も浮上してくる。
「鑑定とかしたらわからないか?」
「あれは素材の鑑定だろ。まあ俺も試しに頼んだことがあったが、わかったのは名前と等級だけだ。今の能力も使ってたしかめたもんだしな」
「鑑定した相手のスキルレベルは?」
「Ⅶだったな」
ヴィルヘルムの回答にそれは無理だと納得するシン。伝説級の武装は最低でもスキルレベルがⅧは必要であり、神話級でⅨ、古代級ともなれば最大のⅩでなければ細部まで能力を確認することはできない。ゲーム時は商人や鍛冶師などの鑑定スキルを育てているプレイヤーに頼めばすぐだったのだがどうやらこの世界、それすらままならないらしい。
シンが話題を振ろうとしたところで注文した料理が運ばれてくる。ヴィルヘルムもすでに注文していたらしく、シンが頼んだ覚えのない料理もあった。
「とりあえず、食うか」
「大いに賛成!」
いただきますと合掌し、即座にかぶりつく。シンの注文したのはアブリドリというモンスターのもも肉を骨つきで焼いたもの。いまだにジュウジュウと音を立てているそれは運ばれてきたときから何とも香ばしい香りがたちこめ、シンの鼻をくすぐっていた。
かぶりついた瞬間に口いっぱいに広がる肉汁とインパクトのあるスパイスの香り。パリッとした皮と柔らかくほどける肉の触感が空腹だったシンにはたまらない。
「うっま! これうっま!!」
「……もう少し落ち着いて食えよ」
勢いよくがっつくシンにヴィルヘルムも少々あきれ気味だ。といっても当のヴィルヘルムもシンに追従する速度で料理を口に運んでいるのだから人のことは言えない。
しばらく無言での食事が続き、それぞれ一回ずつおかわりをして食後の茶―普通に紅茶が存在した―をすする。
「アブリドリとか久しぶりに食ったな。どう考えても自分があぶられるとしか思えん名前だし」
「へたすりゃこっちが黒焦げにされるがな」
ふざけた名前ではあるがそれでもレベル帯はれっきとした100前後のモンスターだ。名前の通り鳥型モンスターだが空は飛べず、そこまで俊敏というわけでもないが最大の特徴として炎を吐く。それも設定を間違えたとしか思えない火力で。ゲーム時には初見殺しとして変に知名度があったモンスターだ。
「そういえば武器の情報を軽々しく教えてよかったのか? こういうのって隠すもんだろ?」
「さっき言ったのはとうの昔に知れ渡ってるからな。今さら新人にしゃべったところでかわりゃしねぇよ」
「なるほど」
調べればすぐわかることだったらしい。
「俺はもう行く。じゃあな新人」
「またな~」
友人にでもいうようにシンはヴィルヘルムを見送る。周囲がざわついている気がするが今さらなので気にしない。
ヴィルヘルムが去って、しばらくしてからシンも席を立つ。
いずれ戦場を共にする六天のハイヒューマンと白貌の魔槍使いの初めての交錯は、じつにあっさりとしたものだった。

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