1895年に発生した乙未事変(いわゆる閔妃暗殺)が日本人の仕業だということを知らない人はいない。歴史にそう記録されている。しかし、前後の事情を見てみると、「事件が起こったので記録された」と簡単には言えないことが分かる。加害者が犯罪を隠ぺいしようとしたからだ。明成皇后(日本では閔妃、第26代朝鮮国王・高宗の王妃)暗殺後、日本は「日本人は全く関係ない」としらばっくれた。だが、幸いにも現場を目撃した米国人やロシア人がいて、彼らの証言で犯人が明らかになった。それがあったから日本は犯行を主導した三浦梧楼・在朝鮮国特命全権公使や、後に日本語新聞「漢城新報」主筆となる安達謙蔵ら関係者を逮捕した。
犯行を認めざるを得なくなった「閔妃暗殺勢力」は、代わりに事件の性格を歪曲(わいきょく)しようとした。乙未事変以降、監禁状態だった高宗を救出するため企てられた「春生門事件」が発生すると、日本は宮廷内にいた米国人宣教師たちを高宗拉致未遂犯に仕立て上げた。そして、漢城新報などで「西洋人たちが高宗を拉致しようとしたことと、日本人が閔妃を殺害したことは、大して変わらない」といったこじつけを大々的に報道し、犯罪を合理化してしまった。当初は慰安婦の存在自体を否定していたが、朝鮮の女性を性の慰み物として連行した事実が明らかになるや、被害者女性たちを売春婦扱いしたのと同じだ。
歴史の真実はただでは与えられない。きちんと明らかにし、記録しようという覚悟がなければ、加害事実が否定されたり歪曲されたりする。被害者だけでなく、加害者自身も自らの過ちを認め、真実を記録しなければならない。よく「ドイツはナチスの蛮行を認めているのに、日本は過去を消そうとしている」と指摘される。しかし、ドイツも敗戦直後はナチスという過去を隠そうとしていた。