2014年03月21日

◆ STAP細胞:私の反省点

 前項の話のあとで、私の反省点を考える。

 ──

   ※ 本項の話は、前項が前提となっています。
     先に前項をお読みください。


 ──

 私は STAP細胞事件について、正しい認識をしていたとは言えない。そこで、反省点を考える。

 まず、STAP細胞そのものの真偽だが、これについてはいまだ結論が出ていない。真とも偽とも言えない。それゆえ、特に反省するようなことはない。

 そもそも STAP細胞そのものの真偽については、私が示したのは次の二点だった。
  ・ STAP細胞の真実についての仮説(たくさんあった)
  ・ STAP細胞が真実か捏造であるかについての個人的予想

 前者は、ただの仮説だから、真偽には関係ない。(判明か否かがあるだけだ。)
 後者は、ただの個人的予想だ。いわば競馬の予想のようなものだ。当たっても、はずれても、どうでもいいことだ。当たっても威張れるわけではないし、はずれても責任は問われない。
 というわけで、STAP細胞そのものの真偽については、何も反省するべきことはない。(そもそも現時点では、真偽すら判明していない。)

 ※ しいて言えば、「真偽不明なので、再実験で決着せよ」
   という私の最終結論は、妥当だったと評価できるだろう。

 ──

 次に、捏造であるか否かだ。これについては、大いに反省するべきことがある。

 (1) 論理認識

 捏造であるか否かについては、認識がまったく間違っていた。さまざまな根拠から、「捏造はあり得ない」と結論したが、それは妥当でなかった。
 私は「捏造した/捏造しない」というふうに二項対立的に考えて、「捏造していない」と結論した。だが、実は、第3の道があった。つまり、「中間的な捏造」である。これには、二つの意味がある。
 第1に、単独犯でなく共同正犯としての捏造だ。「彼女一人で捏造を実行した」ということはありえそうにないので、「捏造はなかった」と結論した。だが、「計画立案は別人で、彼女はただの実行犯だった」という可能性を見失っていた。つまり、共同正犯としての捏造という可能性を見失っていた。
 第2に、「虚偽を真実に見せかける」という意味の捏造については否定したが、「虚偽を虚偽に見せかける」という捏造を考慮していなかった。これは、普通の捏造とはまったく異なっており、無意味な捏造だ。無意味な捏造というのは、捏造ではない捏造である。こんな馬鹿げたことは考慮外であった。しかし、「共同正犯」という状況では、こういう馬鹿げたことが成立するのだ。「立案者の計画を、実行者が理解できないまま捏造した」という形で。……こうして、「虚偽を虚偽に見せかける」という無意味な捏造が起こった。なのに、その可能性を見失っていた。
 ではなぜ、私はそのような中間的な捏造を見失っていたか? 私に論理の冴えがあったならば、あらゆる可能性を検討したはずなので、そのような中間的な捏造も検討していたはずだ。なのに、その可能性を見失っていた。それは、なぜか? 
 反省して考えるに、それは、私が捏造説と対立しすぎていたせいだ。捏造説から批判が来るので、何とかして捏造説を打破しようとしていた。それで、捏造説の欠陥を次々と指摘した。そのことで自説が正しいと思い込んでいた。
 つまり、ここでは、捏造説との対立という状況の下で、過度に二項対立的になってしまったのである。物事を「白か黒か」という形で単純に考えすぎてしまっていた。そのあげく、「捏造説は間違いだから、STAP細胞は真実である」という誤った結論まで出した。
 しかし、物事はそれほど単純ではなかったのだ。「白か黒か」という形でなら、「小保方さんが捏造した」という捏造説(単独犯説)は否定される。しかし、上記の二点を含むような中間的な捏造もあるのだ。それについて、私は見失っていた。
 単純に言えば、私は捏造説への対抗心が強すぎた。そのせいで「敵に勝つこと」を念頭に置きすぎた。かくて「真実を探る」という目が曇ってしまっていた。要するに、相手への対抗心が強すぎるという歪んだ性格が、私をして、真実を見る目を曇らせたのである。……このことは、大いに反省するべきことだ。

 (2) 人間認識

 人間認識についても反省するべきことがある。
 そもそも、私が「 STAP細胞は真実である」ということの根拠の多くは、理研を信頼していたことから来る。
  ・ 人材の登用は公正である
  ・ 実験は科学的に行う
  ・ 論文はきちんとチェックされる

 このようなことは当然なされている、と信じてきた。
 ところが実際には大違いだった。
  ・ 人材の登用は、実力よりも情実によって決まった。
  ・ 実験は科学的に行なわれなかった。(記録もずさん)
  ・ 論文はきちんとチェックされなかった

 つまり、理研を信頼した私は大きく裏切られた。裏切られたといえば聞こえはいいが、私は理研にだまされた。そして、だまされたのは、私が愚かであったからだろう。
 世間はしばしば言う。「専門家を信じろ」と。なるほど、それは妥当だとも言える。ゆえに、わが国の科学会の最高峰である理研の人々を信じるのは妥当だろう。だからこそ、私は小保方さんの実力を信じたし、共同執筆者の実力も信じた。
 ところが現実には、専門家の実力なんてものは、まったくあてにならなかったのである。
  ・ 小保方さんは無能だった。(博士論文コピペ、論文実績なし)
  ・ 理研は実力よりも情実で、無能な人材を登用した。
  ・ 笹井さんは論文をまともにチェックしなかった。

 要するに、専門家たちは、専門家への期待を大きく裏切った。「わが国最高の専門家たちだから、少なくとも科学については十分に信頼できる」と私は思ったのだが、実際にはそんなことはなかった。
 そもそも、本サイトのポリシーは、「専門家の言うことが正しいとは限らない」というものだ。(あからさまには言っていないけどね。 (^^); )
 なのに、そのポリシーを取る本サイトが、専門家を全面的に信頼したあげく、だまされて間違ってしまう、というのは、まったく情けない。これではまるで、「詐欺師にだまされるな!」と言っている人が、詐欺師にだまされるようなものだ。みっともないね。
 本サイトのコメント欄には、「専門家を尊重するべき」というような意見がときどき寄せられる。だが、専門家中の専門家とも言うべき理研の人々を信頼しすぎてしまったからこそ、私の誤りは生じたのだ。
 このことも、大いに反省するべきことだ。



 [ 余談 ]
 私の反省点を知った上で、世間の一部もまた、次の点について反省してほしいと願う。
 世間の一部は、次のように主張する。
 「小保方さんは、あまりにもずさんな研究姿勢だった。そのせいで、研究者がみんなこんなずさんなものだろうと思われて、迷惑を被っている。小保方さんはひどすぎる。憎い」
 しかしこれは勘違いだ。

 たしかに小保方さんはずさんだった。それは本人の無能さが理由だ。とはいえ、無能さは罪ではない。無能な人なら、日本にゴマンといる。罪があるのは、小保方さんではなくて、無能な人を登用した理研にある。彼女は本来は登用されるべき能力もないただの間抜けにすぎなかった。その間抜けを登用したのは、情実に染まった理研の組織的な欠陥が理由だ。これこそが問題の根源だ。だから、憎むべきは、小保方さんではなく、理研なのである。
 小保方さんがやったことは、せいぜい「嘘つき」ぐらいのことだ。そのせいで、彼女は自分の人生を破壊されるハメになった。今後の人生のすべては真っ暗だ。「嘘つき」の罰としてはあまりにも重い罰を受けることになると言えるだろう。その意味で、小保方さん自身もまた被害者である。なしたこと以上に過剰な罰を受けることになるからだ。
 小保方さんよりももっと罪深いのは、理研である。理研の組織的な欠陥が、本来ならば起こるはずのない大問題を発現させてしまった。仮に、このような組織的な欠陥があれば、どの組織であれ、似たような出来事は起こるはずだ。
 その意味で、問題の根源は理研の組織にあると言える。この本質を見失ってはなるまい。

 ※ 「理研」は、神戸の理研だけです。和光や横浜の理研を
   批判しているわけではないので、混同しないでください。



 【 関連項目 】

 → STAP細胞事件の解明3 (前項)

 
posted by 管理人 at 00:21 | Comment(12) |  STAP細胞 このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
お疲れ様でした。
この項のコメント欄は それ見たことか。という罵詈雑言を収集されるために開いているのですか?
私もまた真摯に事実を受け止めようと思っています。

Posted by 京都の人 at 2014年03月21日 06:22
STAP細胞掲示板が2chになってしまったので、閉鎖されることをお勧めします。
Posted by 愛読者 at 2014年03月21日 08:33
私は公的機関につとめていますが、小保方氏の情実人事というのは考えられません。
情実人事をするなら、アシスタント(助手)として採用します。
助手でも正当な手続きで博士を取得した人も多数います。
チーフリーダーとなるのは、何らかの成果を持ってないと絶対に出来ません。女性上司は上司部下の人間関係に影響を及ぼす可能性が大きいのです。
Posted by 公的機関勤務者 at 2014年03月21日 10:02
2014年02月12日 小保方晴子と山中伸弥

の中にある管理人さんの書き込みには

"私が最優先するものは「真実の発見」である。一方、大多数の人が最優先にするものは「権威への従属」である。"

とあるのに、それに対して2014年03月21日の書き込みが

"そもそも、私が「 STAP細胞は真実である」ということの根拠の多くは、理研を信頼していたことから来る。"

って、整合性が取れないでしょう。これじゃ権威への従属そのものだ。一月の間に管理人さんのポリシーが変わったの?
Posted by 帰って来た中の人 at 2014年03月21日 10:50
2014年02月06日 査読は捏造を防げるか?(STAP細胞)

での管理人さんの書き込みには

"たとえば、小保方さんの人柄が報道されると、「この人は捏造をしそうもないな」という感じを受ける。"とある。これをストレートに読み、一月半後の今の状態を見れば、管理人さんは"小保方さんに"騙されていますね。

はっきりと、(初期の段階では)小保方さんの本性を見抜けなかった、だから方向性を誤った、というのを認めるところから始めないといけないんじゃないですかね? でなくては、(2) 人間認識 に関する反省点について焦点がぼけてしまう。理研の権威の影響は大きいだろうけど、それはオマケのはずで、本質ではない。
Posted by 帰って来た中の人 at 2014年03月21日 11:23
偉そうな物言いになりますが、私は騙されませんでしたよ。彼女は最初からどこかうさんくさかった。管理人さんのみならず、彼女を擁護されていた方達は、まずそれを見抜く必要があった。そうしていれば、問題はもっと早く解決に向かっていたはずと信じる。

(私の前の書き込みが2月14日なのがおしい(自分的に)。周りの知り合いには発表の翌々日からあやしいと言っていたのに。もっとも、HNの通りこの分野で働く人なので、科学的証拠を持ってあやしいというのでなければほめられた話でもないんですが。)

騙されなかった理由は、2014年02月12日 小保方晴子と山中伸弥 のコメント欄にに書き込んだ通り、彼女の話は法螺話にしか聞こえなかったからです。私が知っている彼女の法螺話は以下の通り。
Posted by 帰って来た中の人 at 2014年03月21日 11:25
真に論理的思考を展開したい場合
対偶、逆、裏の区別がつかないなら、仮説の否定による論証はやめた方がよいと思います。

相手を打ち負かしたい場合
仮想仮説の否定による弁証法(詭弁)として使用するのは、ご随意に。

こういうことではないでしょうか。
Posted by ちゃ at 2014年03月21日 11:37
誤りを自ら訂正できる姿勢は、大変素晴らしいと思います。これからもたびたび拝見させて頂きます。
Posted by taa at 2014年03月21日 12:25
STAP細胞云々について一言申し上げておきたいことがあります。
管理人までついにNETの世界に汚染されてしまいましたから。
捏造ということばが踊り狂い、ことの本質失われてしまうのではないかと危惧します。
本件は、実験科学プロパーな問題ではないでしょうか?
新発見は、既存の知見からの反論にはなじまないと思われませんか?
別に、本分野で気になっていたことを申し上げておきます。
教育費や研究費が削られていくなかで、iPS関連の予算が突出して割り当てられています。
iPSバブルというべき状況です。国は、iPS細胞と心中するのですか?
多面も含めて、政治の貧困には呆れかえります。
Posted by 素人の素人ですが at 2014年03月21日 12:44
> 掲示板

ありがとうございます。ただ、部屋の外にゴミ箱を用意しておくと、部屋が汚れないで済むんです。

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> 小保方氏の情実人事というのは考えられません。
> チーフリーダーとなるのは、何らかの成果を持ってないと絶対に出来ません。

私もずっとそう思っていました。それが本文の後半の意味です。
それゆえ、小保方さん「だけ」が、何の実績もなく(事前に有名論文なしで)登用されたと聞いて、愕然としました。
Posted by 管理人 at 2014年03月21日 12:49

> 権威

それは曲解でしょう。「権威」の意味が全然違う。
  前に述べたのは「真偽についての学界常識」(概念)
  後で述べたのは「学術組織としての信頼性」(行政)
両者は全然意味が違います。

あなたの言っているのは、「考えが甘い」という言葉に対して、「甘いというが、砂糖は入っていないぞ。ゆえに、考えが甘いというのは間違いだ!」と文句を付けるようなもの。曲解がひどすぎる。

> 2014年02月06日 ……での管理人さんの書き込み

 そんな古い時点では、その後の急展開は読み込んでいません。2月06日の認識と、3月中旬との認識で、「認識に違いがあるから矛盾している!」なんて批判するのは、おかしいでしょう? 私は未来透視者じゃありません。
 だいたい、過去の時点では、得られたデータが少ないのだから、すべては憶測となります。捏造の有無は、学術的な話題ではなく、個人的な予想の話題です。はずれたからと言って批判するのは変でしょう? 私は予言者じゃありません。
 ま、あなたが「自分の予言は当たった」と威張るのは構わないが、私に文句を言うのはお門違い。

> 私は騙されませんでしたよ。彼女は最初からどこかうさんくさかった。

 「どこかうさんくさい」ぐらいじゃ理屈になっていません。「怪しいから犯人だ」なんていう非論理を取っているんじゃ、どうしようもない。「この事件の根源は理研の組織にあった」と見抜けない限り、結局は何も理解していないのと同じです。
 また、「小保方さんが論文を捏造した」と思っているようであれば、今なおあなたは何も理解できていないことになる。(小保方さんには論文を捏造するだけの知性も能力もなかったから。)
 結局、捏造説は間違っていた、と理解するべきです。(捏造説の否定という意味では、私の指摘は当たっていた。)
Posted by 管理人 at 2014年03月21日 12:49
コメント欄が荒れてきたので、コメント欄を閉じます。
何か書きたい人は、掲示板へ。
 → http://jbbs.shitaraba.net/study/12333/
Posted by 管理人 at 2014年03月21日 12:49