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【私の失敗(5)】丸山茂樹、あいさつ無視、重圧作戦…鬼のタイガーに完敗

【私の失敗(5)】

丸山茂樹、あいさつ無視、重圧作戦…鬼のタイガーに完敗

特集:
私の失敗
タイガー・ウッズ
97年に埼玉で行われたスキンズマッチの出場者。右から丸山、ウッズ、オメーラ、プライス

97年に埼玉で行われたスキンズマッチの出場者。右から丸山、ウッズ、オメーラ、プライス【拡大】

 実はこの3年前の1997年に、埼玉・武蔵丘ゴルフコースでのスキンズマッチで対戦。18ホールで決まらず、6ホールに及んだ延長を制し、私が勝っていました。さらに翌98年、米国選抜と世界選抜の団体対抗戦「プレジデンツカップ」でも私はチーム戦でタイガーに勝利。普段の大会はストロークプレーがほとんどなので、“直接対決”は多くありません。それだけにタイガーは「マルヤマは乗せると手がつけられない」と、私を強く意識していたようです。

 完敗の後、「プレジデンツカップ」で勝った直後にタイガーの父・アールさんにかけられた言葉を思い出しました。「シゲキ、いいプレーだったね。でも2年後のタイガーを見ていてくれ。世界中で大統領より有名になるときがくる。今は70%まで仕上がっている」。ベンチで並んで腰掛け、40分間の熱弁でした。

 2年後。私を「マッチプレー選手権」で下した2000年にタイガーは9勝。マスターズ以外のメジャー3連勝も飾りました。アールさんは、息子がどう進化するかを分かっていたのでしょう。

 ストロークプレーでタイガーと同組のときはリラックスできます。力の差は歴然なので、逆に伸び伸びできるのです。02年の「全英オープン」では2日間とも68で回り、5位。04年「全米オープン」は予選ラウンドを首位で、メジャー自己最高の4位。ウッズとの同組は大歓迎でした。

 ただ、あのマッチプレーのときの迫力ときたら…。本気を引き出せたのは誇りですが、本当に勘弁してほしかったです。(この項おわり)

(紙面から)

  • 1997年11月のウッズ(左)と丸山。どちらも若く、ドライバーのヘッドは小型だ