【私の失敗(5)】
1997年11月のウッズ(左)と丸山。どちらも若く、ドライバーのヘッドは小型だ【拡大】
あのときのタイガー(ウッズ)は怖かった。「負けたくない」という闘志をむき出しにしてきました。2000年2月、世界ゴルフ選手権シリーズ「アンダーセン・コンサルティング・マッチプレー選手権」の3回戦。30歳だった私は、いつものように笑顔でタイガーに話しかけようとすると、無視されました。彼は当時24歳。キャディーもピリピリしていて、本気度の高さに、こちらは凍りつきました。
結果は4アンド3で惨敗。3ホールを残した15番で決着をつけられました。タイガーは「マルヤマは調子に乗らせると厄介だから、ぶっ潰した」と話したと聞きました。
プレッシャーのかけ方が半端ではありませんでした。序盤で私が長いバーディーパットを決めると、タイガーは豹変(ひょうへん)しました。次のホール。彼は私よりも30ヤード以上も飛ぶのに、ティーショットをアイアンで刻んできたのです。
不思議に思いながら打った私のドライバーショットは、さすがに彼より飛びました。すると先に第2打を打つことになったタイガーは、ピンにピタリとからめてきたのです。そう、作戦でした。わざとグリーンを狙うショットを先に打つようにして、私に重圧を与える考えだったのです。