年初めは京都ではなく、実家の千代田区の賃貸マンションで迎えた。
母親は頭が悪く、大量に煮物やら焼物やらを購入したり、作ったりしたため、「食べきれる量を作れ」と父親はカチキレてたりとなんだかんだ笑っている。
まぁ、昔から神戸大卒の父親とは価値観が合わないので、なんだかんだ言い合うことが多い。
30日くらいには本を読んだり、大学の勉強をしても遊ぶのと変わりないと言われた。半分怒っていたようにも聞こえた。
そんなことは大昔から知っているが、自分は容姿が悪いから遊ぶ相手がいないのだ。
自分はどうすればいいのかわからないし、別に生きていたいわけでもない。
これで4言程度かわして最終的に怒鳴られてしまった。
まぁ、父親の言い分としては「お前は金持ちだ」ということ、行動していないからと言った。
ついでに父親は容姿が悪く、メガバン勤めだったのに見合い結婚で容姿の悪い女と結婚して現在に至る。
どうにもならないのだろう。
父はなんだかんだ金を稼ぐことを第一にしているのだけれども、自分の周りの世界は金を稼ぐこと以上に性的闘争がどうにもならないくらいあって、稼ぐことにもつながっているような気がしてならない。
ミソジニーだとか言われるかもしれないが、昔よりも女性の人権は向上している。
極論だが、自分のような容姿がキモい男と付き合わないで良い権利が確立されているのだ。
ただ、何かあっても自分が好かれても金だけだろう。
金なんて、金がないやつも金を持てば金持ちになれるからタチが悪い。
金だけ奪われるんだろうなという気しかしない。
父親は「能力があれば社会から顔やらが悪くても受け入れられる」と主張した。
大学も一種の社会だと思うが、ノートを書く能力があっても、ノートを借りられるだけ つまりキモいからノートしか相手にされないのだ。
自分は父親の金を稼ぐ能力と金しか尊敬していないし、それがなくなればどうでもいいと思っている。
こういうことなのだろう。
社会は自分たちが心地の良いものしか救ったり、しようと思わない。
女性がその傾向が強い気がするのだけど、特に経済的にも性的にも勝者であるはずの妊婦が優遇されるのが一番いい例だと思っている、
結局、今年も凹凸だらけでテカテカでベタベタな顔の皮膚やら汚い髪質の髪や下膨れの大きな顔やら変な形の目鼻口で生きていくのだろう。
黒人なんていいお手本だ。
とりあえず父親から「大量に金あげているんだから計画的に使えよ」と言われながらもらった1万円やらその他のお年玉を貯めて、持病やらでできるのか分からない整形のために金を貯めるのだ。