とりあえず仕事見つける前に、特定できる他人のスペックを晒すことを辞めることから始めよう。努力しても屑である限り、成功はない。 / 努力教の奴らは全員死ねばいいと思うよ - ニートだけどやってみた https://t.co/bnxheVd4y3 #NewsPicks
— 独苦田亜 須魔亜斗 (@NyasPaperr) 2015, 12月 31
人生の先輩からありがたいご助言を賜りました。
つきましては若干内容を修正させていただいております。
僕は無能だ。
本当に何の才能もない。
世の中で自分が一番無能だと本当に思っている。
正真正銘の負け組である。
ただ、こんな僕にも勝ち組だと勘違いしていた頃があった。
保育園からずっと短距離走は1番か2番で、長距離走も2年生までは学年トップクラスだったし、
勉強も中学までは塾で1番をとり続けた(15人程度だったが)。
高校でも地理以外はズタズタだったけど地理だけは県でトップだった。
こんなことを書くと勝ち組じゃないのかと思われそうだけど、実際は全く違っていて、僕は負け組でしかない。
その証拠に今でも僕はどこからも雇われず無職で、無収入で、そのうえ実家に寄生して生きながら死んでいるどうしようもない状態である。
努力が足りなかったといえばそうなのだが、負け方を知らないまま育ってしまったことで、たった一度の挫折がすべての歯車を狂わせてしまったのだと思う。
その挫折とは大学入学後のことである。僕は大学入試も何の苦労もなく、苦手科目からは早々と逃げ、
得意科目だけを好きなように勉強していたら、たまたま有名私立大に合格してしまったので、18歳になってなお、自分自身と真剣に向き合うことがなかった。
いや、向き合う必要がなかったというべきなのかもしれない。
本来なら中学高校とまともに彼女の一人さえいなかった時点で気づかなければならなかったのだけど、
僕は元々周りと馴染むことのできない(悪い意味での)異常者でしかなかったのだ。それでも何とかやっていられたのは、
小学校からずっと一緒だった友人たちに引き上げてもらっていたからに過ぎなかったのだ。
そのこと自体は薄々自分でも感じていた。
だからこそ、多くの同級生が進学する地元の高知大にだけは行ってはいけない(また同級生の力に甘えてしまうから)と思っていたし、
その次に多くの同級生が進学する関西の大学にも行くべきではないと考えていた。だから僕は最初から東京を目指した。
そして、この選択が僕の人生を破滅へと向かわせることとなったのである。
法政大へ入学した初日から転落人生は始まった。
これまでの人生で初めて、友人や同級生の助けが全くない状況に身を置いた。
それは自分が望んだ選択だったし、そのくらいしなければ自分の暗い性格を変えられないだろうと思っていた。
だが、自分には状況を打開するほどの力はなかった。
結果、オレンジデイズに憧れて始まったはずのキャンパスライフは地獄のような孤独で始まり孤独に終わった。
今にして思えば、馴染めなかった原因はすべてが僕自身にある。
田舎から出てきたという強烈な劣等感のせいと、頼れるものがいない中で独力で戦っていかねばならない
(戦うという表現がもう既に破滅を予期している)という勝手な気負いから、周囲に対して壁を作っていたのだと思う。
神は無情なもので、更に僕は挫折という名の煮え湯を飲まされる出来事が続く。
それは、大学時代に東京で出会ったあまりにも優秀過ぎる人々の才能への嫉妬であった。
大学時代こんな僕にも一人だけ親友ができ(今でも付き合いがある)
彼がいなければ恐らく孤独に耐え切れず中退してしまっていただろうと思うほどの恩人なのだが、
彼の存在が僕に挫折を味あわせたのもまた悲しい事実なのである。
彼は大学こそ僕と同じ五流私立大だが、
中学高校は神奈川の名門私立中学校・高等学校であり、
大学入試も早稲田・慶応共に合格であったにもかかわらず、
東京大学を受けたがために上記の入学金を払わなかったせいで、
ゆくところがなくなり渋々後期入試がセンター提出だけで済む法政大へと進学をしてきたという秀才であった。
彼のお陰で、田舎に生きていたら一生出会うことさえなかったであろう数多の才能たちの世界を知った。
数学オリンピックや中学受験模試の世界での有名人同士、中学の頃から互いの名を知っているような奴らが東京大学へと進学し、
入学当初から顔見知りで、有益な情報や人脈をやりとりし、地方からきたポッと出の(自称)秀才など到底敵わない上流階級同士の世界が存在するということを知った。
彼の同級生の実家の隣が某政治家の家であるとか、別の同級生は某巨大組織の子息であるとか、
昔ながらの住宅街に2,000坪の敷地を持つ資産階級もいるとか、
高知の田舎の小規模農家に生まれた僕にとっては想像を絶する世界があることを知った。
比べるのもおこがましい?そう思える人は幸せだと思う。僕はそうではなかった。
田舎を出るまでは、まあ悪くはない方という扱いを受けてきて、東京で絶望的なまでの格差を初めて知ったのだ。
小さい頃からやればなんでもできるという幻想をどこかに抱いて生きていた自分にとって、
初めて見た格差はあまりにも辛いものであった。
と同時に、なぜ自分は彼らのような繁栄を享受できないのだろうという
途方もない悩みを現在に至るまで抱え込むことになってしまったのだ。
僕がことあるごとに自分のことを無能だと言うのを聞き、地元の同級生はこう言う。
「そんなに自分を卑下しなくても・・・」と。その時は苦笑いで返すが、内心はそうではない。
「激烈な格差の現実を知らないから言えるんだ!一度でもその世界を知ってみろ!二度と自分に価値があるなどとは口が裂けても言えなくなるから!」と叫んでいるのだ。
僕は今、酒を呑みながらこの文を書いているわけではない。
至って正常な、シラフの状態である。それでもこれだけ怒っているのである。自分自身の才能のなさに日々イライラしているのである。
酒を飲んで忘れられたらどれだけ楽だろう・・・そう考えたことは何度もある。
でも、酒に逃げた所で、酔が覚めたらまた劣等感に苛まれるだけなのである。
むしろ時間を無駄にしたという後悔が加わり、更に惨めな気持ちになるだけであろう。
自信が欲しい。自分に自信を持ちたい。彼女ができれば変わるのか。お金を持てば変わるのか。
僕のように他者との相対比較の中でしか、自分の価値を見出せない愚か者は、
恐らく上記の条件を満たしたところで、しあわせになることなどできないのではないかと思う。
27歳。もし平均まで生きるとするならば、まだ60年近い絶望が待ち受けている。
自分が1進む間に、優秀な彼らは100どころか、10,000、1,000,000と等比級数的に先へ先へと進んでいく。(等比級数的は間違った表現で、正しくは「指数関数的」だそうです。コメント欄でご教授下さった方ありがとうございました)
長く生きれば生きるほど、彼らの成功を傍観者として見るという苦しみを味わうことになるのだ。
何をするにも大学時代に味わった劣等感が邪魔をする。
一度自分の無能さに気づいた人間は、何をするにもまず劣等感に苛まれるようになってしまうのだ。
これだけは口で言ってもわかってもらえないだろう。実際に経験したことのある者にしかわからない苦悩の境地なのだ。
そして、自分が無能だと気づいた瞬間から、人の能力は急激に低下し、それを元のレベルに近づけることは容易ではない。
例えば、無能さのせいで、この人に会ってみたい・この人が好きだと思ったとしても、
「でも、自分みたいな無能な人間の為に(彼・彼女の)有益な時間を使わせてしまってはいけない。
だから連絡すべきではない」という思考回路が瞬時にはじき出されるようになってしまったりするようになる。
一体、これから先、僕は何をして、何のために生きてゆけばいいのだろう。
どうすれば幸せの欠片をつかむことができるのだろう。
今日もまた無能な自分への苛立ちと諦めとを同居させながら、
孤独と劣等感のままに、涙を流して眠りに就くより他はないのだろう。