現代新書カフェ
2015年12月31日(木) 堀井憲一郎

誰もキリストの生年月日を知らないのに、クリスマスはなぜ「12月25日」になったか

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〔photo〕iStock

文/堀井憲一郎
(コラムニスト)

 誰も誕生日など気にしなかった

イエス=キリストがいつ生まれたのかは、さだかではない。

ふつう西暦と呼んでいる紀元法は、「イエス=キリスト」生誕年を紀年としている。

ただ正確ではない。現に、世界史では「キリスト生誕;BC4年」と覚えさせられることがあった。BCはビフォア・キリストの略記だ。つまり「〝キリストの生誕〟は〝キリスト生誕紀元前4年〟である」ということになる。どこを指摘していいのかわからないくらい奇妙な事態である。(そもそもBC4年とはキリスト生誕のひとつの可能性でしかない。)

生年がわからない。誕生した日も、もちろん不明である。

キリストの直接の弟子(使徒たち)や、内部に伝承が残っていないのなら、生まれた月日など、わかるわけがない。

そもそも貴人階級の生まれでないのなら、生まれた日が記録されることはない。

人が記録されるのは死んだ日である。死んだ日は大事にされるが(時を越えて伝承されるが)、生まれた日は、ほとんど誰も気にしていない。生まれた日月は、人にとって重要な日ではない。

近代以前には当然だった「自分が生まれた日月=誕生日は誰も気にしていない」状況について、かなりわかりにくくなっているとおもう。

すべての人間の生誕日が記録されるようになったのは、近代国家になってからである。日本だと明治からです。それ以前、よほどの貴人でないかぎり、生誕日の記録は残っていない。もちろん、生誕日に祝いをする風習もない。そんな面倒なことをしている余裕はなかった。

近代国家が全国民の生年月日を記録させたのは、すべての男子を兵士として確保するためであり、全国民から税金を取るためである。

〝国民のすべてを兵隊にする〟という無謀な企ては、フランス革命で始まりナポレオンが広めたと言われている。そのシステム(国民国家と呼ばれている)が広まる以前には、自分の生年月日は本人でさえも知らないことが多かった。

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