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日替わりメモ

早朝の更新作業でミス多発です 見付けたら直ちにメールしてください  アドレスはsa@hicat.ne.jpの前にdanを付ける

そして、後刻もういちど開いてみてください

12月30日から1月3日まで休刊します
日替わりメモ12月29日の更新   
HOME 表紙絵 希望
A6412-6 都道府県展示機総覧 広島空港 飛行場灯台

A3502-2

都道府県展示機総覧 航空科学博物館のセスナ195とMU-Bの再塗装開始

 

〇 直径30cmのレンズが毎分28回転しながら白と緑を交互に照射してくる灯台光は、無線が発達した今日といえども、パイロットの心に大きな安心感を与えていることでありましょう。来年も灯台光が飛行の安全を守ってくれるように祈りながら 、そして、従軍慰安婦問題でこんなにも日本が譲歩しなければいけないのかと腹を立てながら、2015年最後の編集を終えます。

 明日から1月3日まで休刊します。皆様 良い年をお迎えください。

 

〇 2015年の編集作業回顧

・ 今だから言えますが、妻の病気が悪化した去年の夏から葬儀をはさんで今年の春頃まではヒコーキ雲を休むべきでした。心身の疲れとストレスを癒してくれるのがヒコーキ雲であるとはいえ、かなり情緒不安定で、永年の投稿者や協力者に誤解を与え、そのために去っていった人も何人か‥。

・ しかし、大多数の方々は誤解もなく、毒舌や不注意なミスも許してくれて、編集作業をお助け頂いております。ありがとうございます。

・ 今年も、皆さんから膨大な写真・資料・アドバイスを頂くことによって、例えば航空歴史館のF-104J、JRF-5、PBY-6A、PV-2、UF-2、F9Fなど多項目に豊富な情報を蓄積することができました。近々完了予定の航空自衛隊T-33A研究の全機写真集でお分かりのように、誰も手掛けていない百科事典の趣があります。もとより、私の未熟により欠陥だらけかもしれませんが、これだけ材料が揃えば多様な活用が可能であり、新たな航空史研究の始まりが期待されます。

・ ニュースフラッシュも羽田のVIP機をはじめとして自衛隊航空祭や新鋭機の飛来など日本航空界の多様な表情を記録しました。一過性のブログ形式でなく行事ごとにまとめていることが、皆さまの春夏秋冬様々な気候条件の中での苦労が後世において必ず報われるはずです。

・ ヒコーキ雲が主張し続けてきた知覧飛燕の日本航空協会への返還が実現しました。70年間の各地での同機の姿をこれだけ載せている実績があるからこその自信をもっての提言でした。その画像が川重での修復に大いに役立っているに違いありません。

・    一方で、ヒコーキ雲も応援したエアロラブ社修復のYS-11は、未だに高松空港に留め置かれたままというのは晴のち曇の話題になってしまったし、調布飛行場で写したパイパーが2ヵ月後に墜落したこと、広島空港のアシアナ機事故も、それぞれヒコーキ雲で取上げた雨の話題でした。

・ 都道府県展示機総覧は、やはり動きが少ない年になりました。このご時勢では新しい展示も少なく、再塗装や撤去などが主な更新項目になってしまいます。年末に開始した航空灯台の特集など、あまり注目していなかった分野にも光を当てていきたいと思います。

・ 赤塚さんのAGC出版記念会で知り合った名古屋三点クラブの高田さんからは、伊丹や甲南の古典写真を数多く頂き、またそのご縁で関西航空機史研究会からも未発掘の情報を頂戴しました。山内さんの紹介で出席した彩雲会も私に大いに刺激を与えてくれたし、歴史派・記録派マニアとして模型界の大きさに気付かされた1年でもありました。

・ 歴史派・記録派・飛行場スポッターの皆さんのお名前は、漏れがあるといけませんので省きますが、今年もヒコーキ雲制作作業にしっかりと携わって頂きました。 それは佐伯の為に非ず! ”空白の航空史を埋める”という大目的の為の作業分担と心得て頂きたいです。私はその一担当者にすぎません。
 しかし、何度か表明して来たように知力と体力の限界を感じつつあります。この職責をどのようにして終わらせるか悩みながらの年越しです。お知恵がありましたらお聞かせください。

          

 

 

日替わりメモ12月28日の更新   
A8805-3 都道府県展示機総覧 名護市幸喜 国道58号沿いの空地 (恩ザ ビーチ)
NN262 ニュースフラッシュ 那覇基地 エアーフェスタ2015 画像を追加
A8801-13 航空歴史館いしぶみ 航空自衛隊那覇基地のいしぶみ 第204飛行隊 飛行安全の碑
A8801-12 都道府県展示機総覧 航空自衛隊那覇基地の常設展示機 著変なし

 

〇 沖縄4題

@ 恩ザ ビーチの保管(廃棄)品?
 名護湾に面する名護市幸喜(こうき)の国道58号沿いの空地に飛べない飛行機が2機と大型のコンテナが置かれています。
 コンテナの張り紙から類推するに、恩納村にある恩ザ ビーチというレストランが併設していたパイロットショップをを閉鎖し、ここに処分(保管or廃棄)したものらしいです。文面からしてコンテナの中にフライト シミュレーターが入っているかもしれず、お宝がありそうです。恩納村でのパイロットショップ時の状況などと併せてものすごく想像をかき立てられますね。

A 那覇基地 エアーフェスタ2015
 既に紹介済みのエアーフェスタ2015の落穂ひろい的にとTRONさんから画像が送られてきました。高機動車2台に搭載された4連装の基地防空用地対空誘導弾発射装置 と射撃統制装置は、ヒコーキ雲初公開です。

B 第204飛行隊 飛行安全の碑
 築城基地にある殉職隊員の碑(F-15 72-8883)と同じように墜落したF-15(72-8879)の垂直尾翼を建てています。垂直尾翼のモニュメントは百里基地(F-4)と熊谷基地(F-1)にもあり、これからも利用が増えそうですね。

C 那覇基地の常設展示機 著変なし
  著変なし

 

 

 

日替わりメモ12月27日の更新   
AeroLight

航空歴史館技術ノート 航空灯火について
       航空科学博物館の航空燈臺は焼津航空燈臺か? 
       もうひとつ収蔵庫に保管してある
小型航空燈臺も陽の目を

A3502-2-9 都道府県展示機総覧 航空科学博物館の航空灯火を全面改訂

 

〇 航空科学博物館の航空灯火

 21日に「中型の機器を屋外トイレの飾り物扱いとは非常識な」と非難してから、航空科学博物館と多少のやりとりがあり、改めて写真も頂戴しました。 トイレの前には、一応[航空灯台 国土交通省]という標識が立てられていることが分かりましたので、飾り物扱い 非常識の表現は取り消します。用を足しに行く時も航空展示物を勉強しなさいよという親心で屋根に置いたものと考えることにしましょう。

・ 大きな発見
 今回届いた写真で、この燈臺のレンズ色別が白・赤・白となっていることが分かりました。それを 昭和11年の航空燈台一覧表で照合すると、白・赤・白は焼津燈臺だけでした。真上に照射する副灯の色が白であれば、ほぼ焼津燈臺に特定できるかもしれません。 焼津市にとっても貴重な郷土資料になります。
 学芸員さん、天気のいい日に屋根に上がって副灯を調べてみてくださいな。

・ 収蔵庫から陽の目
 更に、収蔵庫に保管されている2点の灯火がヒコーキ雲で陽の目を見ることになりました。交通博物館からの借用品ということで、一つは既に紹介済みの木津川( 閉館後行方不明)とは前面ガラスが異なりますが小型(C)燈臺であることは間違いありません。もう一つは、ナトリュウム標識灯というものだそうで、どういう用途なのかは分かりません。

・ さて、いずれにしても佐伯の毒舌がきっかけで、同館の航空灯火に新たな発見が生まれました。次のお言葉を同館の専任学芸員さんから頂 いています。
 「
航空灯火にSPOTを当てられたのは大変価値のあることと考えます。いつも、ヒコーキ雲に関しては脱帽です。」

 同時に、航空科学博物館の航空灯火の収集展示に関して、この程度でわが国のトップということ自体が恥ずかしいとの感想も付記されています。同感です。
 マイナーな分野にも収集や十分な調査研究をするのが博物館本来のあり方ですが、 学芸員さんが集客対策に手一杯という現状では無理な話です。各航空博物館とも同じ状況ではないでしょうか。

 細々とでも、ヒコーキ雲が灯を掲げて行くしかないか!

 

 

 

日替わりメモ12月26日の更新   
NN265 ニュースフラッシュ クリスマスの石垣空港にて
T33A-color 航空歴史館 T-33A研究  チップタンク蛍光塗装の変り種  単なる補修の跡でした

 

〇 クリスマスの石垣空港にて

 昨日の広島空港に続いて、南の島石垣空港からもクリスマスの便りが届きました。トナカイの角をとりつけて橇に見立てた赤と青のジンベエジェット塗装のトーイングトラクターが面白いです。

 各航空会社が時節に合わせてお客さんを喜ばせるように、何かと工夫を凝らす傾向がグランドサービスの現場の人々までに広まっているようですね。 枕元にクリスマスプレゼントなど無かった世代からは、何と平和なことよのーとため息? 或いは嫉妬?

 

〇 チップタンク蛍光塗装の変り種  単なる補修の跡でした

  T-33Aのチップタンク外側の蛍光塗装の変り種かと提起していた問題は、単にテープを貼り付けて補修をした跡でした。

 半円錐形に粘力が均等になるようにテープを貼り付けていくのは、高度の職人技を必用としたのではないでしょうか。継ぎ目に空気抵抗 を受けやすいことも分かります。業を煮やしてテープをやめて蛍光塗料に切り替えたというのもうなずける話しです。

 また、タンクの後半部を蛍光にしない機体については、教育飛行隊を実戦部隊と区分するためだったという説があるそうで、浜松基地のエアパークにある第33教育飛行隊マークの機体がその実例を示しています。
    ねこまた重工さんから拝借
   

 

・ 24日のドロップタンクの補足

 「リパブリックF-84も翼下にこのタイプをぶら下げていた」と書いた件ですが、編集者がUSAF T-33A TO 1973改訂版の下記図面から勝手に解釈したものです。

 F-84に用いる時は、プラグを後ろから前に変更せよということらしいですが「BAFFLE」の意味を含めて、よく分かりません。 
 F-84F(後退翼 サンダーストリーク)の翼下に同型のタンクを吊下げている写真が見られます。しかし、それがT-33Aのものと同じなのか、或いはF-84G(直線翼 サンダージェット)の翼端にも採用されていたのかどうかも確認していないので、ここは??としておきます。

     

 

 

日替わりメモ12月25日の更新   
NN264 ニュースフラッシュ FCバルセロナ特別機 マレーシア航空のA380ほか 成田空港

HOME
NN265

表紙絵 サンタのお見送り 12/24 広島空港にて
ニュースフラッシュ
 クリスマスの広島空港にて

 

〇 FCバルセロナ特別機 マレーシア航空のA380

  サッカーマニアでなくともメッシやネイマールの名前を覚えてしまったように、バルセロナは強かったですね。サンフレッチェに対戦させてみたかったですが、屈辱的な点差で負けていたかもね。

 それ以上に、特別機がマレーシア航空のA380というのにもびっくりです。サポーターも積んできたのでしょうか? 墜落事故以来元気の無いマレーシア航空にとって願ってもないチャーターでした。

 久々の成田の情報、このところVIP機の飛来が途絶えている羽田ウオッチャーのハロースクエアさんから、多分、今年最後になるであろうニュースでした。ありがとうございました。

 

〇 クリスマスの広島空港にて

 機会があったので飛行場灯台を写しに広島空港へ立ち寄ったら、サンタクロースがJAL機の出発を見送っていました。

 出発ロビーに戻って、ミス サンタさんに「エプロンに出られてよかったねえ、うらやましいよ」と声を掛けたら、顔を紅潮させて、非乗客の私にもプレゼントをくれましたよ。

 それだけならニュースフラッシュに載せるほどのこともありませんが、たまたま、ほぼ同時刻に旅客機が逆方向で離陸するのを目撃し、珍しいのかどうかは分かりませんが、一情景として取上げておきました。風が無い場合は、、東京行きは東へ、香港行きは西へと行き先に応じて離陸方向の便宜をはかってやるのでしょうか。教えてほしいです。

        

 

 

日替わりメモ12月24日の更新   
NN263 ニュースフラッシュ 阿蘇くまもと空港から  香港航空の就航など
T33A-color 航空歴史館 T-33A研究 防眩塗装について

 

〇 阿蘇くまもと空港から 香港航空の就航など

 メリークリスマスという件名で送られてきたメール。香港航空の就航もですが、来年2月20日就航を目指して乗員訓練中の天草エアラインの新鋭ATR42の興野さん独特のアングル や崇城大学の練習機などがいいです。ローカルとはいえ、こういう話題は歓迎ですよ。

 

〇 T-33A研究 防眩塗装について

 サンサンのチップタンク内側と操縦席前の防眩塗装はダークグリーンであったという結論を更に補強する意見が寄せられました。
 すぐに塗らなければならない時に指定塗料の在庫が無ければ、別の塗料でも差し支えないという航空自衛隊のマニュアルがあるそうで、考えてみれば当たり前の話しでした。

 今になって、ヒコーキ雲があれこれ議論しなくても、現場での運用や用廃機を展示用に貸し出す時の化粧直しなどでは、それほど厳密な作業は行われていないと考えたほうがよろしいようで。

・ 標題の変更
 防眩塗装の一点を以ってしても米軍はつや消し黒、航空自衛隊はダークグリーンの指定という相違がはっきりした以上 、ロッキードT-33Aと航空自衛隊(川崎)T-33Aを分けて見る必要が生じました。よって、本日から標題を「ロッキードT33A研究」 から「航空自衛隊T-33A研究」に改めることにしました。テーマ画像も変えます。

・ チップタンクの共用

 今朝のtamaさんの情報で驚いたのは、チップタンクが主翼の両側で共用だという事実です。勿論、給油口や航法灯の色ガラスは変えなければなりませんが、左右どっちにも付けられるというのは盲点でした。また、ドロップタンクとしてF-80とその後継の夜間戦闘機ロッキードF-94が使用したのは当然として、リパブリックF-84も翼下にこのタイプをぶら下げていたというのも初めて知りました。

   

 

 

日替わりメモ12月23日の更新   
T33A-all3 航空歴史館 航空自衛隊T-33A研究 91-5399、5400、5402、5403の情報を追加

 

〇 T-33A研究 

 国産T-33Aの最終引渡し年の1959年、いわゆる91-****に入りました。まず、91-5398から91-5403までの6機を取上げましたが、このあたりの機体はマニアによってすべて撮影されているはずが、案に相違して#398と#401の2機が見当りません。

 #398は、1月26日に引渡されて、半年後の7月20日に用廃になっているので、撮影されるチャンスがなかったのでしょう。佐藤正孝さんのJAPANESE MILITALY AIRCRAFT SERIAL 2007/2008によると同日にクラッシュとなっているのですが、雑誌の事故ニュースに記載がなく詳細不明です。

 #401は、下郷資料では1967年8月の用廃で、8年間も生きていたことになっていますが、所属など全く不明、何か極秘の調査にでも使われたのではないかと疑いがわいてきます。写真が出てくればスクープになるかも。

 疑いと言えば、福岡県の添田町の展示から築城のメタセの杜に移された#403のナンバー変更の謎についてですが、改めて取上げながら、しまったと後悔しています。10月25日にメタセの杜に立ち寄りながら、翼端タンクの防幻塗装の色にばかり注目して、シリアルの書き替えのことをすっかり忘れていたからです。覚えていたら、念入りに調べてきたのに‥ と。

 もっとも、柵内立ち入り禁止だし、それを犯しても機体によじ登ることはできないし、第一にシリアルなどまるで無関心の同行者がいて、はやく帰路につく必要がありました。ここは、昨日のように、展示や再塗装の当時の関係者がヒコーキ雲を見ていてくれることを願っておきましょう。

   

 

日替わりメモ12月22日の更新   
T33A-all3 航空歴史館 航空自衛隊T-33A研究 81-5369、5391、5392、5393、5397の情報を追加

 

〇 T-33A研究 第4航空団のエンブレムについて

 19日に、第22飛行隊のマーキングの変更時期の写真ではないかと推定していた件について、同飛行隊にいた方からメールがありました。

 佐伯さん推察のとおり、1985年にT2T33A全機(整備中の機体は除く)を飛行の無い日に、21SQが4本の松葉(中が白)から青い4に、22SQが4本の松葉(中が黄)から赤い4に変更しています。
 古いマークは塗装でしたので、これを剥がし、新しいマークは転写シールを専用のスプレーを使って貼りました。

   転写シールといえば、 T4ブルーインパルスのインテーク横の部隊マークも転写シールです。平成6年当時で5万円と記憶しています。

     

 

佐伯から : これで、4W 21SQ、22SQのマークの変更時期が1985年と確定しました。ありがとうございました。
 関連して、今朝アップした81-5392(3W 8SQ)の2枚の写真も1984年撮影が青森県の地図と3を組み合わせたマークから、1985年撮影の黒豹に変わっています。1985年に松島基地(T-2)と三沢基地(F-1)が同時にエンブレムを変更したのですね。

 いずれ、T-33Aに見るエンブレムの歴史を特集したいと思っています。 

 

 

日替わりメモ12月21日の更新   
AeroLight

航空歴史館技術ノート 航空灯火について
       中型航空燈臺、小型航空燈臺 、補助航空燈臺を追加

 

〇 戦前の航空燈臺

 昭和11年の航空知識11月号大庭哲夫さんの論文を下敷きにしながら、ヒコーキ雲が知る限りで現存する戦前の航空燈臺をまとめ終わりました。こんな地味なテーマは、航空局関係の研究誌にはあるかもしれませんが、ネットでは多分初めての終わりではないでしょうか。編集しながらの気付きを数点書いておきます。

・ 航空灯火をまとめて展示している航空科学博物館ですが、宗谷の航空灯台と滑走路進入灯などははっきりしていますが、丙型(小型航空燈臺)と説明してある航空灯台は、形状からして明らかに補助航空燈臺ですし、製造年が銘板の記載と大きく異なっています。 学芸員さん、今日は定休日ですが、明日出勤してきたら銘板や台帳をお調べ頂いて、しかるべくご返事をください。

 また、レストハウス屋外トイレの屋根にある中型の機器は、乙型(中型航空燈臺)と推定されるのですが説明がありません。しかも公衆便所の上の飾り物扱いなんて、博物館ともあろうものが科学技術に対して失礼千万、非常識と言わざるを得ません。

・ 東京万世橋の交通博物館が展示していた大阪(木津川)飛行場燈臺台は、説明板にいささか正確性を欠く記述がありましたので注記しておきました。それにしても、閉館後この貴重な航空文化財はどこへ移されているのでしょうか。ご存知の人はお知らせください。 

・ 名古屋空港の航空館BOONの黄色い中型航空燈臺の隣に赤い飛行場灯台(中型)が展示されています。引き続き現航空法時代の航空灯火を編集しますので、写真があれば送ってください。


〇 月曜日の佐伯節

 高校駅伝で広島県の世羅高校が男女とも優勝、しかも男性は区間賞4人で大会新記録という圧勝でした。夕方には、手に汗にぎる熱戦をサンフレッチェが制して、堂々たるクラブチームの世界第3位となりました。秋の国体で二桁順位に落ち、低迷期が嘆かれるかってのスポーツ王国広島県にあって、年末は明るいものとなりました。

 サンフレッチェ黄金時代をもたらした森保一監督は長崎県の出身です。それで思い出すのは、かって広島カープの黄金時代を築いた古葉竹織監督は熊本県出身でした。広島のプロチームは九州からの指導者で強くなる歴史があるようです。

 さすれば、佐賀県出身の緒方孝市監督率いる広島東洋カープが、再び黄金時代を招来するかどうか? 緒方君よ、右顧左眄することなく九州男児の魂で瀬戸内温暖ぬるま湯の風土を変えてくれ!

                               月曜日の勝手な佐伯節 失礼しました

 

 

日替わりメモ12月19日の更新   
T33A-all3 航空歴史館 航空自衛隊T-33A研究 81-5391〜5397中 6機の情報を追加
富士山空撮 12月12日 羽田ー那覇のANA便から

 

〇 富士山空撮

  昨日の古谷さんの上り便に続いて、飛行浪人さんの2日後の下り便のほぼ同じ時刻の富士山空撮です。 富士山だけは、同じアングルでも、頂上から裾野まで見飽きることがありません。

 

〇 T-33A研究 81-5391〜5397中 5機の情報を追加

 その中の#397は、1985年の3月と10月で部隊マークが異なります。この時期に松葉のマークから4空団を著す赤い4に変えたのでしょうか。編集人はその辺の知識にうといのですが、それが正しいとすれば、これはマーク変更時の貴重な証拠写真になります。

第4航空団第22飛行隊 撮影1985/03/05 入間基地 遊佐 豊

第4航空団第22飛行隊 撮影1985/10 入間基地 入間のY氏
     

 なお、この81-5397をもって1958年引渡分が終わり、いよいよ最終年の1959年引渡分に入ります。わずか13機ですが、91-5398、5401、5402、5407の4機の写真が手元にありません。皆さんのストックを探してみてくださいな。

 

        

 

 

日替わりメモ12月18日の更新   
富士山空撮 12月10日山口宇部ー東京のJAL便から

 

〇 富士山空撮

  久々の富士山空撮です。5合目あたりから下は厚い雲です。今月の10日、雪はまだ少ないようです。でも、どういう姿であっても富士はいいねえ。

 ↓は、古谷さんの機上からのアングルと同じ方向を東海道新幹線のぞみ号から10月7日午後5時16分に写しました。 お互いに分厚い硝子越しです。私は、飛行機でも新幹線でも、必ず富士山が見える窓側を指定しますが、いい写真を撮れる時間や天候に恵まれる機会は少ないですね。

        

 

 

日替わりメモ12月17日の更新   
A3502-2-8 航空歴史館 航空科学博物館のMRJ展から

 

〇 航空科学博物館のMRJ展から

   A3502-2-8へ転記


〇 惜しい SANFRECCE HIROSHIMA

  準決勝は、相手のゴールキーパーがうまかったですが、サンフレッチェのシュートにいつものキレが見られませんでした。外野席から無責任な見方をするならば、監督も選手も連戦の疲れで頭が働かなくなっていたようです。佐藤をはずした先発メンバーや数テンポ遅れる交代 、森崎はじめ広島にイエローカードが多かったなどなどに、前試合までのサンフレと違うものを感じました。
 でも、優れた個人技集団を相手に0:1でまとめたのは大健闘でありました!

       

 

 

日替わりメモ12月16日の更新   
NN262 ニュースフラッシュ 那覇基地 エアーフェスタ2015

飛燕その2

航空歴史館  三式戦U型改(6117)飛燕 その2 平成の修復 
       
イギリスにある五式戦の銘板と岐阜基地所蔵の飛燕銘板の写真を追加

 

〇 気の早いことで‥

 那覇基地のエアーフェスタ2015に展示された第204飛行隊のF-15とT-4は、SINCE 2016  9th OKINAWA AIR WINGと来年度新設の第9航空団を先取り塗装でお披露目。また那覇移駐を前にした天狗マークの第304飛行隊はど派手な第8航空団の塗装で沖縄の人々にアピールしていました。
 予算はまだ編成作業中というのに気の早いことで!
 安全法制が採決され、俄然強気になった自衛隊の姿を見る思いですが、ええのかなあ〜?

・ 今年の春、美保基地でプロペラをはずされた姿のYS-11 02-1158を用廃かと間違えた件ですが、美保のT-400とともに那覇に来ていました。輸送航空隊のYSは02-1152も今年横田と築城に展示されました。健在は、この両機だけになっているのでしょうか。

 


〇 昨日は前夜の”二丁目のサロン”の疲れで更新ができませんでした。しかし、悪い疲れではなく、この写真のように、踊りは出るわ、大合唱が出るわで盛況であり、プロモーター 役の自分にとってはまことに気持ちの良い疲れでありました。

       

 12日の日替わりメモの秋田のTさんから「そういう良いことをしているのなら秋田の銘酒を送ってやろう」とありがたいプレゼントが届きました。よって、我が家のありったけのぐい呑みを持参して、遠く秋田のヒコーキマニアに感謝しながら乾杯した次第。甘く香りのいい大吟醸は、終わってみれば殆ど女性陣が飲んでしまっておりました。Tさん、気持ちが相通じましたよ。ありがとうございました。 

       

 

 


 

日替わりメモ10月30日の更新   

 空自の部隊移動について公式発表があったのかどうか知りませんが、いろいろ調べたら結果を報告しておきます。

・ 築城の304飛行隊(F-15J)が那覇に移駐、那覇に第9航空団を新編する。
・ 三沢のF-2(一部か全部か不明)が築城に移駐。築城はF-2で統一。
・ 百里の305飛行隊(F-15J)が新田原に移駐。新田原はF-15Jで統一。
・ 新田原の301飛行隊(F-4EJ改)が百里に移駐。百里はF-4EJ改で統一。
・ 新田原の飛行教導隊(F-15J)が小松へ移駐。

 何十年ぶりかの大移動の様相です。F-4、F-15、F-2が混在していた百里、築城、新田原がそれぞれ一機種に統一されるのは、運用効率面から は結構なことと思います。ただ、異機種がいないとさまざまな場面での対応がどうかなというのと、マニアにとっては変化に乏しい環境になるのがつらいですね。    

 

 


NOTE   

日替わりメモ 7月15日の更新      20150715

 

〇 じまいの時期が刻々と‥‥

 昨日の朝も更新を終えて、少し時間を置いて画面を確認すると、蝦蟇の油売り口上のようなくだらぬ遊びを付け加えた割には、本文に誤字脱字の多いこと。読みづらくて皆さん頭に来たし、軽蔑の念も沸いてきたことでしょう。こんなのが毎日です。

 限界を感じながら、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲店じまいについて考えない日はございません。


 しかし、次のようなメールを頂戴しますと‥‥

・ 6月23日の日替わりメモ「今朝のような喜び(質問箱に出していた人物が特定されたこと)があると、やっぱり認知症若しく は目の悪化でストップを掛けられるまでは続けざるを得ないかなあと思い直す日々であります。」とありました。まさに読者は、みんな期待を持っていると思います。どうぞまだまだフライトを続けていただければと思います。(新潟のTさんから)

 やっぱり続けなければいけないなあと、早朝には起き出してPCに電源を入れてしまいます。しかし、キーボードを叩いた後の結果が、恥ずかしいミスだらけだと、もちろん直ちに修正 はしますが、あーあ又かと思ってしまいます。


 スパッと店じまいをするのは簡単です。
 しかし、広島航空クラブニュース以来50年の長きに亘って航空機情報を収集し、航空史の空白を埋めるために構築してきたデータベースを一瞬のうちに消し去ってしまうの は、それらを提供し、ここまで編集者を導いてくださった皆さんへの重大な背信行為です。個人的にも、未練がないと言えば嘘になります。

 ですから、できれば軟着陸したいです。その場合に起きる最大の問題はデータベースの保存といういうことです。容量でいうと、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が約1ギガバイト、その上、頂いた写真等のPC内保管状況が次の如しです。

 もう天文学的な数値です。このほかにデジタル化していないプリントやネガもあります。店じまい後にこれらをどうやって有効活用していくのか、それぞれ著作権もありますから、見当がつきません。

 次のような提案も頂いています。

・ 最近の佐伯さんの精力的な更新作業、そして読者からの投稿、それらを見ていると「ヒコーキ雲」への読者の期待と、佐伯さんのこれに賭ける執念とがヒシヒシと伝わってきて、本当にそろそろ本格的に、この資料の保存をお考えになるべきかと、つくづくと感じています。

 私は「書籍」という形をとればまず安心と、あくまで「書籍派」なのですが、ネットの話題採り上げの速効性、訂正作業の簡便性と確実性、膨大なボリュームの保管などなどを考えれば、確かにネットに軍配が上がります。しかし、私自身過去何度かミスして悔しい思いをしたように、何かの拍子にデータ消滅という危険性も非常に高いものがあります。

 例えば、すべてをプリントアウトして、簡易製本などという手で、確実化されて はいかがでしょうか。そういうことには疎いのですが、読者の中には専門家もきっとおられると思います。曰く「佐伯邦昭ヒコーキ雲集大成」などです。是非ご一考を。(古谷眞之助さんから)

 ありがとうございます。そして、もっと多くの方からもアドバイスを頂きたいと存じます。


 なお、いらんことかもしれませんが、私の死後の航空関係遺産の処理については先輩方の航空遺産処理の良い面と悪い面とを参考にして、既に決めています。その場合でも、古谷さん指摘のように、PC以外でのまとまった姿でも遺せたら、何百人にも及ぶ資料提供者の意志が末代まで生きることになるので はないでしょうか。


 ご意見、ご感想をお寄せください。また、自分が送っているものは、この際、すべて削除しておいてくれというお考えがありましたら、メールしてください。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲で発表しているものを除いて完全削除を考慮します。


〇  じまいの時期が刻々と‥‥   反応の一部

・ 兵庫県のKさんから

 毎日見ているわけではありませんが、一応ヒコーキ雲で生活が始まります。時計かラジオのようなものです。


・ 茨城県のIさんから

 誤字、脱字は全く気にしていませんよ。むしろ、佐伯さんと同世代の私の父とくらべてすごいと感じています

 ネット空間は、本よりも広く、本で伝えられないようなことも瞬時に伝えてくれます。また、時節による記事も新鮮に感じます。記録を残すこと は、残っている航空機機体の歴史を知らしめ、コレクターに重要な情報を提供してくれています。

 自衛隊機も民間機も、解体や海外への売却が早くて、残るのは一部のみですが、その残った機体の足跡を知ることができる重要なものと感じています。

 膨大な量をここまで管理されているのはとても大変な作業ですが、これからも無理をせず、記事の更新が続けられていくことを願い、また、ぜひ有効な方法で後継者を見つけてヒコーキ雲がこれからも続けていってほしいと思います。 

 

佐伯から:“創めに言葉ありき”はヨハネ福音書の冒頭にでています。学生時代にこの言葉に接し、アルバイトで放送ニュース原稿を書き、就職して文書係というところに配属されて公用文を叩き込まれたからでしょうか、妙に忘れません。神学上の意味は別にして、私の場合は文章に対する警句としての“創めに言葉ありき”です。早朝目が覚めてPCに向かう習性と同じなのですね。

 文章が、限りなくダメに近づいた時、それが店じまいの潮時の一つでしょう。

 

 

 

日替わりメモ 4月5日 本日の更新     日本民間航空機登録記号
  いよいよJレター(敗戦前の日本民間航空機登録記号)の研究本が出版される

 

○ いよいよJレター(敗戦前の日本民間航空機登録記号)の研究本が出版される

 二年前の三月に日本航空協会から「豪華本 それでも私 は飛ぶ」が出版され、ヒコーキ雲でもその書評を書いたのですが、末尾に次の文句を挿入しておくことを忘れませんでした。皆さん、覚えていますか?

 著者の藤原洋さんと藤田俊夫 さんは、数少ないJレター(敗戦前の日本民間航空機登録記号)の研究者です。それ故に黎明期の写真集などを編集できるのですが、『その前にやるべきことがあるので はないですか』と敢えて苦言を呈しておきます。
 それは、Jレターの一覧表の公表です。
 私は2010年の學聯機の事故に取り上げていますが、Jナンバーを調査するのにアメリカ人が作ったサイトを参考にするといった、それ は一例にすぎませんが、日本人として実に情けない状態が未だに続いています。
 お二人とも日本航空協会に世話になっているのなら、協会の最重要のテーマとして、日本民間航空機登録記号集を作成公表するように努めて頂きたいと存じます。日本の航空史の基本 はそのデータベースがあって初めて成り立ちます。その基本の生成を世界中が待っているのです。まだまだ不明が多いからと言い訳を言っているうちにも史資料 はどんどん消えていきます。失礼ながらお歳も召します。走れメロス!

  さて、メロスが走り出したようです。日本航空協会航空遺産継承基金が個人賛助員(賛助金12,000円)を今年度も継続して欲しいと振込用紙同封で寄越してきた文書に、大要次のように書いてあります。

 藤原洋 、藤田俊夫両氏を初めとする民間航空機研究者家の調査結果及び国立文化財機構東京文化財研究所の協力により、書籍『J-BIRD 写真と登録記号で見る日本民間航空機』の出版を予定しています。

  協会の最重要のテーマとしてやれという佐伯の年来の主張 は、ひとつには、全国の展示保存機の悉皆調査であり、かつ、Jレターの調査でした。前者については、例えば昨年12月に山梨、長野、群馬の各県で約30機の調査を行ったそうで、逐次進んでいるようです。そして、いよいよJレターの研究本の出版が発表されました。

 航空遺産継承基金の藤原さん、藤田さん、長島さん、東文研の川野邊さんらに、田舎の紳士が泣いて喜んでいると申し上げておきましょう。

      

  

 

・ 既にお気付きかと存じますが、既出の展示機などを再掲する場合に、元ページの写真を大きいものに替えるなど見直しを進めています。

 航空史探検博物館を始めた頃には、パソコンの容量が小さいために、何もかも小さく載せざるを得ませんでした。小写真 は横355ピクセル、大写真は横600ピクセルでした。
 現在は、ニュースフラッシュは横800ピクセル、その他のジャンルでは原則として横640ピクセルに統一しています。従って見直しの場合も原則横640ピクセルに拡大している訳です。
 ただし、拡大しようにも原版のストックが見当たらないものがあります。提供者の方で気が付いたら改めて大きいサイズで送って下されば、より見やすくなりますので、協力してください。    

        

 

 ◎ 写真提供についてお伺いします    


 郷土出版社の「ふるさと小牧」の取材をしております篠原と申します。航空機関連の素晴らしいHOME・SITEMAP・サイトマップページを拝見させていただきました。来年、小牧市 は市制施行60周年を迎え、それに際して来年3月に小牧の古い写真の写真集の取材を行っております。 ご存知の通り、小牧市において空港の歴史 はかなり大きなポジションを占めるのですが、現在の県営名古屋空港の積極的な協力が得られず、空港の写真も自衛隊、行政の協力のみで、あまり、良い写真が集まりません。
 その折に、このHOME・SITEMAP・サイトマップページに出会いました。や はり、マニアの方々、素晴らしい写真で歴史的な機体や風景が多いです。そこで、ぜひ、当社の写真集に写真を掲載させて頂きたいのですが、可能でしょうか? もちろん、写真提供者名を入れ、提供者に は完成した写真集を贈呈致します。よろしくお願い致します。
     郷土出版社 東海地方取材担当 
     編集プロダクション 拠n球デザイン 代表取締役 篠原史紀

 上記のとおり依頼がありました。趣旨は悪くないので協力してあげたいと思います。ついては、次のクレジットを入れ、かつ写真撮影者(提供者)に本を贈るという条件で承諾していただけるかどうかお伺いします。

    撮影者名と「提供インターネット航空雑誌ヒコーキ雲」を明記


・ 今後もすべてこの方式でやりたいので、ご賛同をお願いします。

 今回の案件だけでなく、今後申し入れのあるすべての案件に適用したいと存じますので、ご賛同をお願いします。反対の方は24日までにメールしてください。格段のご意見がない人について はご承諾されたものとして扱わせていただきます。

          2014年11月18日 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭

 扱いを決定します

 期限までに回答があったうち、お一人から商業目的のものへの提供 は断るとの意思表示がありましたので、それに従います。そのほかの人については、上記の方針で扱うことに決定いたします。
 外部へ提供する前には、必ず
撮影者(提供者)にお知らせすることを約束します。それに応答の無い人及び連絡不能の人について は、当方へ一任扱いとさせていただきます。

          2014年11月25日 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭

       

 

 

〇 国民全体の航空産業遺産=文化財としての展示

 多くの人は、再製とか修復とか復元とか、更にはそれらが劣化したときの修理や再塗装について、それをやることが大切なのであって、中身に問題があろうとも敢えてとがめるようなこと はしたくないと考えているようです。

 私も、個人が自分の力でやる場合は、そのように思いますし、ご努力に敬意を表しますし、これまでも私人の展示や作業に注文を付けたことはありません。

 しかし、国、自治体、企業がやる場合には見方を変えています。個人で楽しむレベルではないからです。国民全体の航空産業遺産=文化財という視点です。もちろん経費に制約がありますから、国宝の解体修理みたいなこと は出来ないでしょうが、与えられた費用と時間の中では最善を尽くしてもらうべきだと考えます。

 かのロバート C ミケシュさんは、博物館の立場から「オリジナル」をつぎのように定義しています。

 「製造当時の本来の形状および構成で、もしくは使用者によって改造された状態で展示されることが可能で、かつ現役を終えた時点から手を加えずに残っているもの」 
                                   (2000年刊 航空機の保存と修復)

 ただ、朽ち果て状態にあったものを、この定義に押し込めるのはなかなか難しいし、完全な姿で残っていても、関係者の思い入れでシリアルナンバーやマーキングを変えたりするものもありますから、一律に見て はいけませんが、機体構造をオリジナルに近づけるのは常識の範囲 であるし、国、自治体、企業の当事者は、その物件が『国民全体の航空産業遺産=文化財であることを常に肝に銘じて頂きたいと存じます。

                                       2014/05/04  佐伯邦昭記

 

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