宇宙へ行ってしまいました。
潤子さん入ります。
この冬私は連続ドラマの撮影に臨んでいました
潤子さん入ります。
(拍手)さとみちゃん追っかけてるからね。
映りたかったらさとみちゃんのそばにいてね。
じゃあ潤子さんクーッと飲んでみて。
この世界に入って13年。
初めての「月9」の主演です
「まぁ嫌われちゃったら結婚できないよね」。
常にプレッシャーを感じる毎日でした
はいカット。
OK。
そんな日々の中で折に触れて思い出される「夏の記憶」がありました
念願だったアフリカへの旅の記憶です
たくさんのかけがえのない出会いがありました
痛いね。
そこが一番痛いね。
がんばれがんばれ。
今回の旅で撮影した3,000枚の写真。
その中には「女優石原さとみ」とは違う等身大の私がいます
日本にいては分からなかった「世界」を感じた事は帰国したあとも私の大きな力になっています
アフリカへの旅。
多くの人々の輝きに触れた私の大切な宝物です
日本から1万1,500キロ。
アフリカ大陸の中央に位置するウガンダです。
こんな舗装されてるのないよねぇ。
ちゃんとしてるのすごいですね。
去年映画の撮影で初めてアフリカの大地を踏んだ石原さん。
その時そこに暮らす人々の姿に魅了されもう一度訪れたいと思っていたのです。
石原さんにはどうしても行ってみたい場所がありました。
映画の撮影で医療に関する演技指導を受けた日本人医師の働いていた病院です。
医師から「映画では分からない現実を見てほしい」と言葉をかけられたといいます。
石原さんはそこで自分が女優である事を知らない人々と心を通わせてみたいと思っていました。
今回の旅はかつて激しい内戦の舞台となった北部地域を9日間かけて回りました。
一人でも多くの人と出会いたいという石原さんの希望で休む時間はほとんどありませんでした。
ウガンダ北部の街カロンゴ。
石原さんが映画を通して出会った日本人医師が働いていた病院です。
あぁ着きました!9時間かけて着きました。
お疲れさまです。
ありがとうございます。
お疲れさまです。
Nicetomeetyou.I’mSatomi.この病院には5年前から日本人スタッフが派遣され長い内戦で傷ついた病院の再建に当たってきました。
人口80万の地域に病院はここにしかありません。
この病院に何日もかけて歩いてやって来る人もいるといいます。
壁に飾られた集合写真。
東日本大震災の時かつてこの病院で働いていた日本人を励ますために送ったものでした。
あ〜元気です。
かわいい!ちっちゃい子たちがいっぱいいる。
日本人に慣れているはずの子どもたちもテレビクルーには驚きが隠せませんでした。
(泣き声)泣いちゃった〜。
(泣き声)
(泣き声)かわいい。
一瞬で止まった。
泣きやんだ。
最初の日の夜。
日本人スタッフによるささやかな歓迎会が催されました。
先生よろしくお願いします。
石原です。
うわっ何?え?テーブルにはウガンダ北部の家庭料理が用意されていました。
やった〜。
すっごいおなかすいてます。
よろしくお願いします。
これまでに病院に派遣されたのは28人の医師と9人の看護師。
この時は4人が働いていました。
今年1月から派遣されている…紛争や貧困で苦しむ人たちの力になりたいと志願してウガンダに来たといいます。
医療機器も十分に整っていないアフリカでの半年間は葛藤の連続でした。
つらい事ありましたね先生。
何がありましたか?最初来た時はちょっと葛藤があって。
マジで言ってんじゃん。
マジで。
ほんとにうれしいですね。
私は映画の撮影でお世話になった医師からスタッフと同じ体験をしてほしいと言われていました
看護師の伊藤さんの仕事をサポートさせてもらう事になりました
最初に訪れたのは外科病棟
この病院には外科の専門の医師はいません。
日本人スタッフが一人で何役もこなさなければならないといいます
男性が足に大けがを負っていました
75床あるこの病棟に看護師は3人しかいません
伊藤さんは時に患者の家族にも手伝ってもらい看護しているといいます
そうなんですね。
すばらしい。
伊藤さんたちの控え室。
ここで休める事はほとんどないといいます
現地スタッフの役割分担を示すこのパネルも伊藤さんが作りました
日本のやり方を押しつけるのではなく現地の事情を考慮して日々仕事をしているといいます
めっちゃ大事。
(伊藤)そうですね。
性格的なところも…。
この病院が地域の人にとってどれほど大切な病院なのか知ってほしい
伊藤さんからこの病院に一番長く勤める看護師を紹介されました
助産師も務めるエンリカさんです
エンリカさんがある場所に案内してくれました
そこは内戦中エンリカさんが武装集団に襲われそうになったという場所でした
う〜ん…。
すごい。
看護師のエンリカさんが命を懸けて守ろうとした病院
内戦中は「死にゆく人々」を見守るしかない事も多かったといいます
今病院は日本人医師や看護師そして現地スタッフによって本来の姿を取り戻そうとしていました
かつて死を受け入れるしかなかったという病院
ここに今日産まれた赤ちゃんが並んでます。
30人産まれたんですか?うん。
昨日から朝までの間に。
今からたくさん並ぶと思います。
今では毎日多くの命が誕生しています
生まれたて。
(泣き声)
私はどんなに傷ついても大地の中で再び育まれていく「命」の強さを感じていました
(歌声)
病院を離れる前日の夜。
スタッフ全員が送別会を開いてくれました
(歌声)
(拍手)
(拍手)OK.Standup.
私は簡単なダンスで日本語を覚えてもらいたいと考えていました
Comehere.Comehere.
(ざわめき)
「笑顔」をお別れの挨拶の代わりにしたいと思っていました
OK?Let’sstart!
(手拍子)こんにちは。
(一同)こんにちは。
愛してる。
(一同)愛してる。
ありがとう。
(一同)ありがとう。
OK.Comeon!石原さんは今回の旅でもう一か所訪ねたいと思っていた場所がありました。
それは「少年兵」の社会復帰のための施設です。
石原さんは今年出演した映画で少年兵の存在を初めて知りました。
なぜ子どもが銃を取らなければならないのか。
その事がずっと頭から離れなかったといいます。
(銃声)9年前に停戦合意されたウガンダの内戦。
政府軍と北部に拠点を置く「神の抵抗軍」と呼ばれる反政府勢力が戦い10万人が命を落としました。
反政府勢力はおよそ3万人の子どもを誘拐し少年兵として戦闘に利用しました。
停戦合意がなされた今なお子どもが誘拐されゲリラ戦に投入されているといいます。
ウガンダ北部最大の街グル。
少年兵の社会復帰を支援している施設です。
日本のNPOが運営しています。
(小川)お疲れさまです。
や〜来ました。
ここですか。
ここです。
NPO代表の…すごい。
復習してるよ。
10年前から元少年兵に生活費を補助しながら社会復帰に必要な職業訓練をしています。
停戦合意後も国外で戦闘を続ける反政府勢力。
石原さんが訪れた時もそこから逃れた少年兵を受け入れたばかりでした。
ここで学ぶ元少年兵の平均年齢は28歳。
石原さんと同世代です。
反政府勢力に拘束されていた期間は平均14年にも及びます。
私が出会った元少年兵たちは皆過酷な任務を強いられた過去に苦しめられていました
うん…。
それで…?
男性がこの経験をしたのは11歳の時だったといいます
(歌声)
施設には私と同世代の元少女兵もいました。
少女たちは戦闘に駆り出されるだけでなく男性兵士の慰安の役割も担わされるといいます
今年3月反政府勢力から脱走し保護された…
バーバラさんが誘拐されたのは13歳の時。
施設に来てから笑顔を見せた事はほとんどないといいます
誘拐された2年後ゲリラ戦が行われていた密林の中で女の子を出産しました。
15歳の時でした
拘束されていた11年の間にバーバラさんは3人の子どもを出産しました。
しかし一人は戦闘に巻き込まれ死亡。
一人は戦闘の際はぐれ行方不明になりました
一番下の2歳の男の子は脱走する際その場に残さざるをえませんでした
う〜ん…。
う〜ん…一緒にがんばろう。
望まない形で子どもを産まされたバーバラさん。
それでも子どもの事を思い続けていました
う〜ん…何だろう。
何だろう…。
私は打ちのめされていました
元少年兵たちは過酷な体験を強いられた過去を乗り越えていけるのか?石原さんはNPOの小川さんにある男性を紹介されました。
誘拐され少年兵になった…その後反政府勢力の幹部にもなったオティムさんは戦闘で右足を失っていました。
集落に戻ったあと反政府勢力を憎む住民に家を放火されたり暴力を受けた事もあったといいます。
オティムさんは当たり前の日常を取り戻す事を諦めていません。
現在は子どもたちを学校に通わせたいと洋裁の仕事に励んでいます。
インタビューを終えて帰ろうとすると呼び止められました。
え?撮影に同行していたNPOの小川さんが涙を流していました。
ありがとう。
ありがとう。
バーイ。
サンキュー。
バイバーイ。
小川さんはオティムさんのように懸命に生き直そうとする元少年兵を何人も見てきたといいます。
そっかそっか。
そういう事か。
石原さんは元少年兵たちとの出会いを重ねる中である本の事を思い出していました。
中学生の時に初めて読んだ「太陽の子」という本でした。
主人公の小学生の女の子は両親が体験した沖縄戦を学んでいきます。
女の子が語った言葉を石原さんは大切にしてきました。
「知らなくてはならないことを知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間にわたしはなりたくありません」。
ん?どした?
(笑い声)おいどうした?おい!お〜い!
(笑い声)
施設を去る日がやって来ました
私はNPOの小川さんからあるお願いをされていました
社会復帰を目指す元少年兵たちに自分が困難を乗り越えた体験を語ってほしいというお願いでした
私はずっと気になっていた事がありました
それは子どもを置いて脱走して以来笑顔を失ったバーバラさんの事でした
少年兵たちに語れる事はないという事は分かっていましたが自分の体験を正直に伝える事にしました
(拍手)
最後にウガンダ北部の言葉で思いを伝えました
合ってる?
(拍手)
施設のみんなが地域に伝わるダンスを披露してくれました
バーバラさんが輪に入る事ができず一人様子を眺めていました
Comeon.Comeon.
バーバラさんが初めて笑顔を見せました
123!
(シャッター音)
アフリカへの旅から半年
NPOの小川さんがバーバラさんのビデオメッセージを送ってくれました
「ToSatomi」。
実は私が訪ねた時バーバラさんのおなかには一緒に脱走した元少年兵との間にできた子どもがいたのです
そしてバーバラさんが産まれた子どもに「さとみ」と名前を付けたというのです
私にとってバーバラさんとの出会いはかけがえのないものでした。
バーバラさんが同じように感じてくれていたとすればこんなにもうれしい事はありません
アフリカの大地で育まれていくもう一人の「さとみ」
私が女優である事を知らない人々と心を通わせる事ができたアフリカでの日々
それは私にとって大切な宝物となりました
いつかもう一度バーバラさんたちのもとを訪ねあれからお互いどんなふうに過ごしたのか語り合いたいと思います
2015/12/28(月) 22:00〜22:55
NHK総合1・神戸
石原さとみ アフリカへの旅“いのち”に魅せられた9日間[字]
若い世代を中心にカリスマ的な人気を誇る女優・石原さとみさんがアフリカの紛争地を旅した。石原さんはかの地で何を得たのか。みずみずしい感性に満ちたアフリカ紀行。
詳細情報
番組内容
若い世代を中心にカリスマ的な人気を誇る女優・石原さとみさん。アフリカを舞台にした映画に出演したことをきっかけに、この夏、アフリカを再訪した。訪れたのはウガンダ共和国のかつての紛争地。映画で描かれた、元少年兵たちと交流したいと考えたからだ。若きトップ女優は、日本から11500キロ離れたアフリカの地で何を感じ、何を得たのか。みずみずしい感性に満ちた“アフリカ紀行”である。
出演者
【出演】石原さとみ,【語り】西岡野人,【朗読】玉井碧,菅生隆之,佐川和正,渋谷はるか
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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