古代ミステリーたけしの新・世界七不思議大百科 2015.12.29


21世紀ビートたけしはテレビ界だけでなく
7年の歳月をかけて到達した…
南米ペルーの大地に刻まれた古代からのメッセージ
ユカタン半島に華開いたマヤ文明。
メキシコの
海面に浮かぶ荘厳な修道院。
フランスの
民主主義のシンボル。
ギリシャの
日本が威信をかけて築いた国際都市。
奈良の
宗教をこえた奇跡の聖堂。
トルコの
そしてツタンカーメンの物語が刻まれたエジプトのまたしても
しかしこの地球上に存在する不思議や謎がまだまだ完結するとは思えない
たけしが新たに求めるのは栄華を極めた人類が築き上げたモニュメントや秘宝に隠された不思議な物語
その名も…
知的好奇心あふれるたけしの冒険の旅が今ここに始まる
果たして
今回候補に挙がったのはこの3つ
ツタンカーメンの黄金のマスクにも匹敵する
それはメキシコパレンケの神殿ピラミッドの地下に隠されていた…
中には翡翠の仮面をつけた身長190cmを超える人物が眠っていた
密林に高度な石器文明を築き上げた…
この緑というのがマヤの世界の中心の色だったわけです。
マヤ文明の定説を覆す大発見によって歴史を塗り替えた日本人研究者が…
うわぁ圧倒的な光景ですね。
うわぁきれい。
大平原に見渡すかぎり立ち並ぶ無数の仏教建築。
その数はなんと2200を超える
うわぁ巨大な仏像です。
そこには1人のカリスマ僧侶による宗教革命の物語が隠されていた
そしてバガン王朝を襲った悲劇。
バガン滅亡の真実が明らかになる
お〜これだ。
古代エジプト文明を甦らせる鍵となったロゼッタストーン。
発見したのは英雄ナポレオン率いるフランス軍だった
ロゼッタストーンは隠しとおせと言ったではないか。
ロゼッタストーンが歩んだ数奇な運命とは?
そして謎の文字の解読に二人の天才が挑んだ
あ〜いや〜すげえな。
謎の文字はいかにして読み解かれたのか?
読める読めるぞ!
人類の至宝に刻まれた謎の文字の解読によって古代エジプトの全貌が明らかになる
新年あけましておめでとうございます。
さぁこの番組ですけれども新たに「新・世界七不思議大百科」とバージョンアップしたけしさんを編集長に新たな歴史を巡る冒険の旅に出かけます。
この「新・世界七不思議大百科」は歴史モニュメントの他に新たに人類の秘宝を加えましてより幅広いなかから掲載を決定していこうと思います。
たけしさん改めて抱負をお願いします。
結局ちょっとね?そういうことですね。
考古学のなかで出土品と遺跡っていう今まで遺跡をやってきたけど出土品にも目を向けよう。
そうするとそのなかに生活の質が入ってくる。
あ〜なるほど。
よりちょっと話が高度になりますね。
そうですね。
そこにいろんなドラマが眠っているということがわかりますよね。
さぁそれではこの番組のお目付け役ゲストの皆さんをご紹介しましょう。
まずはたけしさんの心の恋人岸本加世子さんです。
お願いします。
(拍手)何ですか?心の恋人って。
(笑い声)どう考えても体の恋人がいいですよね?いやいやいや…。
それはちょっと言えないですね。
何の得もないですよね。
岸本さんどうですか世界遺産や世界の秘宝って興味ありますか?いやもうほとんどチンプンカンプンなんですすみません。
何かこう文明とかなんかもグチャグチャなんで今日ちょっと勉強しにきました。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さぁ続いて21世紀のハワード・カーターエジプト考古学者の吉村作治さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします…。
先生もおなじみのメンバーですけど今回番組装いを新たにスタートということでいかがでしょうか?嬉しいですね。
こういう研究室を持ちたいですね。
続いて歴史的建築物を愛する東京大学工学部建築学科卒業の菊川怜さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大学で研究されてた論文というのは?コンクリートの論文なんですけれども…。
ね噛みたいですね。
オーストリアかなんかの建築家の女の人ですよねデザイナー。
(笑い声)そして歩く百科事典とはまさにこの方。
博学の賢人荒俣宏さんです。
よろしくお願いします。
賢人って言いました。
すみませんかつぜつ悪くて…。
変人…。
変人じゃないです。
正しいんですか?そうなんですか?荒俣さんもおなじみメンバーですけれども。
いや〜やっぱりねこれがおもしろいところじゃないですか?ぜひいろんな説を出して盛り上げておもしろく検討しようね。
はい。
今回は古代マヤ文明の翡翠の仮面とミャンマーの仏教遺跡バガン。
そしてエジプトのロゼッタストーンが候補に挙がっていますが岸本さんこのなかで興味があるのは…。
ロゼッタストーン…。
ありがとうございます。
ぜひ勉強したいです。
はい。
菊川さんは何に興味がありますか?私は行ったことはないんですけどやっぱりなんかエジプトとはまた違ったところで似たような…似てはないんですけれどもそういった仮面が作られてるっていう興味ありますね。
さまざまな謎が秘められているということなんで楽しみですね。
はい。
さぁ3つの候補にそれぞれどんな謎や物語が秘められているのでしょうか?まずは古代マヤ文明の遺跡の1つパレンケの神殿ピラミッドに眠っていた秘宝翡翠の仮面からご覧ください。
私たちの知る世界四大文明とは?
巨大なピラミッドがそびえ黄金に彩られた
太陰暦や楔形文字を生み出した
緻密な計画都市を数多く築いた
漢字の原型となる甲骨文字を生み出した
しかしこれは時代遅れの歴史観だと言われる。
今はアメリカ大陸に生まれた2つの文明。
マヤに代表されるメソアメリカ文明とインカに代表されるアンデス文明を加え世界六大文明と呼ぶほうが正しいとされる
20世紀アメリカ大陸では新発見が相次いだ
そのなかに古代エジプトツタンカーメンの黄金のマスクにも匹敵する発見があった
340片の翡翠と4片の貝殻2片の黒曜石が使われた…
中米ユカタン半島のジャングルパレンケの遺跡から発掘された秘宝である
翡翠の仮面を発見した伝説の
4年の歳月をかけてルスは神殿の秘められた空間にたどり着いた。
そこで見たものは…
隠し扉の奥にあったのは…
真ん中に彫刻を施した大きな石板があり部屋のほとんどをしめていた
そこには無数の翡翠のかけらとともに…
男性の人骨が葬られていた
翡翠のかけらを組み合わせるとそれは仮面となった。
神殿に眠る翡翠の
王や貴族の装身具として使われてきた翡翠は…
翡翠によって謎に満ちたマヤ世界の構造が解き明かされる。
更に翡翠の出土したグアテマラの都市遺跡から…
驚くことに…
秘宝翡翠の仮面から掘り起こされるマヤの考古学は今新たな時代へ突入した
1922年11月26日。
イギリス人考古学者ハワード・カーターによってエジプトで初めて発見された未盗掘の王墓
何が見えるんだね?すばらしいものが。
このツタンカーメンの王墓の発見により古代エジプトのファラオの姿が初めて明らかになった
そして30年後メキシコの地で謎に包まれた文明の真実を解き明かす世紀の大発見があった
中央アメリカユカタン半島の熱帯ジャングルに栄えたマヤ文明は紀元前800年以降を起源にスペイン人に征服されるまで2000年以上続いたとされる文明である
そんなマヤの真実の姿がわかってきたのはなんと20世紀になってから。
光を当てたのはマヤを代表する都市のひとつパレンケを1948年に訪れたひとりの人物だった
その人物こそ翡翠の仮面の発見者…
キューバ人の父とフランス人の母の間にパリに生まれながらも中南米の遺跡に魅せられメキシコ国籍を取得。
考古学者となったルスは欧米人にゆがめられたマヤの真実を探ろうとしていた
ルスが注目したのはパレンケの中央にそびえる巨大な神殿ピラミッド。
高さ35mのピラミッドは最上部で多くのマヤ文字が刻まれた石板が見つかったことから
神殿を調べてもマヤの真実に迫る手掛かりは何も得られないまま時は過ぎていった
だがその状況はある日突然打開されることになる
それは神殿の最上部にある瓦礫を取り除いていたときのこと
これがそのとき見つかった穴である。
2人はそこに埋まった土を取り除いた
以来ルスたちはこの階段の発掘作業に没頭した。
瓦礫を取り除いてわかってきたのはこの階段が驚くほど長く下へと続くものだったことだ
そして4年の歳月が過ぎた1952年。
ついにルスたちは瓦礫をすべて取り除き階段のいちばん下に降り立った。
そこでルスは不思議な石板の存在に気づいた
三角形の大きな石板。
ルスはそれが何かを隠すためだと直感した。
そして石板をずらし隙間から中をそっと照らしてみた
隙間の奥に見えたのは高さ7mの空間。
真ん中に彫刻を施した大きな石の塊があり部屋のほとんどを占めていた。
そこにはまるで宇宙船を操縦しているかのような人物や植物。
意味不明のマヤ文字が刻まれていた
いったい中に何があるというのか?
人力で動かせるものではない。
そこでルスはジャッキを使い蓋を開けてみることに。
その中にあったのはまさに驚くべきものだった
墓に眠っていたのは
その人骨は緑の輝きを放つ無数のかけらとともに葬られていた
周囲に散乱していた340片の翡翠と4片の貝殻。
そして2片の黒曜石を一つひとつ組み合わせていったところなんと驚くことにそれは仮面となったのだ
まさにそれはツタンカーメンの黄金のマスクに匹敵する世紀の大発見
この秘宝の発見によって世界がマヤ文明に注目したといっても過言ではない
更に石棺の中からは仮面以外にも翡翠のアクセサリーが多数見つかった。
果たしてこれほどの
のちに蓋の碑文が解読されたことでその人物は明らかになった
ルスの予想どおり棺に納められていた人物は7世紀ごろこの地で強大な権力を握っていたパカルというパレンケの王だったのである
更にその後他の遺跡でも神殿ピラミッドの内部から王の墓が続々と発見された。
マヤはそれぞれの都市を王が統治する都市国家の集まりだったことが明らかになったのだ
パレンケでは近年新たな発見もあった。
碑銘の神殿の隣にある13号神殿から驚くものが見つかったのだ。
その発見をした人物こそメキシコ考古学の第一人者
実は博士こそ再現VTRでルスを演じてくれた人物。
ルスを尊敬してやまない博士がまさに同じような発見を成し遂げたのである
これはその瞬間をおさめた貴重な映像である。
石棺の中に眠っていたのは全身が赤く染まり翡翠に彩られた女性の人骨だった。
赤い色は棺に塗られた水銀が酸化したため。
そのことから人骨は赤の女王と呼ばれている
赤の女王はパカル王と血がつながっていないことが判明した。
つまり母親でも兄弟でも娘でもない。
すなわちパカル王の妻王妃である可能性が高まったのである
翡翠の仮面を発見したルスは
ルスの墓は碑銘の神殿を見守るような場所に建てられていた
パレンケの王パカルがかぶっていた翡翠の仮面。
このような仮面はパレンケだけでなくティカルやカラクムルといったマヤ遺跡からも出土している。
古代マヤではなぜ死者に仮面をかぶせたのだろうか?
ルスって人もずうずうしいことしてますね。
ずうずうしいですか?自分の墓作っちゃって。
7000年後いろんな事件があって文明がちょっとダメになって今いる近代化がもう一回元に戻って原始人みたいなのがあそこ行くとあそこにルスの墓に反射して赤の女王が見つかったってすごい…。
やっぱりああいうとこはマヤとかあっちのほうは上でしょ?そうです。
太陽じゃないですか。
太陽と月…。
意外にうまく反射させて…。
ずうずうしいやつですよ。
はい。
古代マヤではどうして死者に仮面をかぶせたのでしょうか?岸本さんどう思われますか?じゃないですかね?なるほど。
違うかな?菊川さんはいかがでしょうか?きれいなままに。
隠すためという…。
さあ死者にどうして仮面をかぶせたのでしょうか。
それでは正解ご覧ください。
正解があるんだ。
マヤの王は死後神になるとされていた。
そのためにはジャガーの攻撃や極寒の館といった地下世界の神々が与える試練を乗り越えなければならなかった。
翡翠の仮面には不思議な力があり死後の世界で王を守ってくれると信じられていたという
さあ正解は「死後の世界で王を守ってくれる」。
荒俣さん改めてご説明いただけますか。
やっぱりねこの翡翠の仮面を…。
緑の仮面をかぶすということは死者を守るわけですね。
でもこれ…別にここだけじゃなくてお隣の私たちが普通…。
完璧っていう漢字あるじゃないですか。
完璧だねあんたは。
パーフェクトだよと。
璧の字壁じゃないんですよ。
あれは玉って意味で死者を守る…。
つまり翡翠なんです。
中国もああいう死んだときにはこういうところに翡翠を置いて死者を守る…。
翡翠は基本的にはバラバラになっちゃってるけどあれはだからバラッといったんでしょうね。
なるほど。
一枚岩で掘れないからしようがないんで時代とともに取れちゃって。
それで端から積んでいくんですよ。
くっつけてって…。
真ん中からやっていくとうまくいかない。
イメージしてくっつけていくわけですか。
だからジグソーパズルみたいなものですからね。
先生あの…三角のあれが隠し扉だって直感したってルスが…さっきありましたけど。
すばらしいと思うけどだいたい考古学者はその程度の直感ができないと考古学者になれない。
でもあれを見落としちゃったら…。
三角を見落としちゃったらルスが。
発見はなかったってことですか?いや違う人…。
次の人がちゃんとやるので大丈夫…。
実はねそれがね…それがちゃんとわかるんです。
わかるんですか?現地の人が1人でやってるわけじゃなくてルスさんがちゃんと見てて…。
これが壁なんだからその壁取ってどうすんだって…。
それにしてもパレンケの王だったパカル王。
身長が190センチで80歳まで生きたということですね。
岸本さんどんな王だったと思いますか?どんな王…でもあの当時で190で80歳まで生きて遺跡見ても歯がすごいしっかりしてますよね。
あれは驚きますね。
普通考えられない。
もし80だとすると…。
不老不死のなんか薬があったんじゃ…。
王様だからいいもん食ってて。
そういう人が王様になる。
だってラムセス2世…。
王様で40。
すごいですね。
だから長生きしたい奴が王になるんです。
さあでは続いては第二の扉を開けてみましょう。
古代マヤ人にとって翡翠とはどんな存在だったのでしょうか。
マヤ文明の歴史を塗り替える新発見に注目しながらご覧ください。
近年日本人研究者によってマヤ文明の起源を覆す大発見があった!
2013年4月アメリカの科学誌「サイエンス」にマヤ文明の定説を覆す論文が掲載された。
それは日本人研究者らによって発表された紀元前800年以降とされていた従来のマヤ文明の起源が200年ほど早まり紀元前1000年頃までさかのぼるというもの
なぜマヤ文明の起源が改められることになったのか。
その証拠のひとつとして遺跡から出土した翡翠の存在が深く関わっていた
パカル王の仮面が翡翠であったようにメソアメリカで翡翠は黄金より高い価値を持っていた。
古代マヤ人にとって翡翠とはいったい何だったのか
ここにマヤ文明の定説を覆した日本人研究者がいる
「古代メソアメリカ文明」「古代マヤ」など数々の著書を持ちマヤ文明学の第一人者として知られる…
新たな大発見があったのは中米グアテマラの熱帯雨林に眠るマヤ遺跡セイバル。
セイバル遺跡は9世紀半ばに最盛期を迎えたマヤ都市のひとつ。
しかし発掘されていたのはごく一部でその起源は謎に包まれたままであった
本格的な調査が始まったのは2005年。
青山教授はアメリカアリゾナ大学の猪俣健教授らとともに多国籍の調査チームを編成。
都市遺跡の中心部にある神殿ピラミッドや王宮中央広場など発掘は広範囲に及んだ
歴代の王たちは公共祭を行う基壇があった場所により大きな神殿ピラミッドを築くことで権威を強化していった。
しかし都市が衰退すると神殿は土に埋もれ忘れ去られていった
青山教授らは神殿ピラミッドの下に眠る最も古い建造物がある地層まで地面を掘り下げるという大規模な発掘に挑んだ。
そして中心部に向かってトンネルを掘り進めていったところついに最古の建造物へとたどり着いたのだ
黒い地層の下に見える白い層が最初に造られた建造物の遺構である。
それは驚くことに今から3000年前に造られたマヤ文明最古のものであることが判明した。
その年代を測定する方法は日本にあった。
福井県にある三方五胡の一つ水月湖である
この水月湖というのはですね奇跡の湖といわれていまして世界で最もきれいな年縞堆積物が残ってる湖です。
年縞とはいわゆる土の年輪のこと。
水月湖は直接流れ込む川がないため湖底がかき乱されることなく土が非常にきれいな状態で堆積している。
そこで青山教授の同僚である研究者たちが年縞を採取研究を進めた結果過去52800年分の年代が測定できる世界一正確な年代軸を作成することに成功したのだ
つまりグリニッジのようにですね水月湖が考古学の年代あるいは地質学の年代を測定するときの標準時間になったわけです。
水月湖の年縞から得られたデータをもとにセイバル遺跡の地層に含まれる木片など56点にものぼる出土品を利用して放射性炭素年代測定を行った結果発見した建造物が紀元前1000年前後のものであることが決定的になったのだ。
更に中央広場からは翡翠の石器が出土した
この最古の公共広場の床面の下40センチくらいからこのようなきれいな緑色の翡翠を含む磨製石斧が出てきました。
これはですねトウモロコシのほか種を象徴するというふうに考えられています。
つまり紀元前1000年くらいにこういった翡翠を含むですね緑色の磨製石斧が埋納されたわけです。
ではなぜ翡翠は3000年以上も前からマヤの人たちに崇められてきたのか?
中米全体で見ますとグアテマラ高地に一つしかですね翡翠の産地が無いんです。
非常に貴重なものであるとそれが一つですね。
それから
マヤの東西南北の色はそれぞれ白赤黄黒で表される。
それは彼らの主食である4種類のトウモロコシの実の色と一致する。
そしてその実を包む緑が中心に置かれた。
マヤの世界観で緑色に輝く翡翠は世界の中心を象徴するものでもあったのだ。
神聖な意味を持つ翡翠の装身具は雨の神に捧げる供物としてセノーテに投げ入れられることもあった
セノーテとはジャングルの地下に張り巡らされた天然水路がところどころ地上に姿を現した泉のこと
マヤ世界にとっては大河に代わる水源であり文明と命をはぐくむために欠かせないものだった。
つまり彼らは
紀元7世紀マヤ文明の最盛期に作られた
それは3000年以上も前から翡翠を生命の源世界の中心として位置づけてきた古代マヤ人たちの最高傑作なのかもしれない
翡翠は王をはじめとする支配層が権威の象徴として身に着けてきた。
そしてもう一つ支配層が権力を維持するために独占したものがある。
それはいったいなんだったのだろうか?
はい古代マヤで支配層が独占したものとは何だったのでしょうか?菊川さん。
翡翠以外にですよね?独占したもの…。
太陽が貴重だったのでなるべく太陽を自分に集める。
さっき赤の女王に塗られてたじゃないですか。
よく長生きするのに水銀ってね。
そうですよね?錬金術の薬って。
毒じゃないんですか?毒です。
毒だけど昔は長生きすると信じられて。
さぁ太陽水銀と出ましたが果たして正解は何なのでしょうかご覧ください。
古代マヤで
それは数学や天文学といった知識。
彼らは知識を独占することで権力を誇示したという
マヤ人は非常に遠大なる時間の概念を持っていまして今知られている最も長い暦というのがですね10の31乗ですね。
2京…兆の上の京といった単位がありますけども2京かける兆倍。
ですからこれは地球の年齢46億年とか宇宙の年齢と言われてる187億年よりもはるかに長い時間の概念をマヤ人たちは持っていたということですね。
はいということで知識でした。
壮大な話になってきましたねたけしさん。
もうじゃあこの頃は天文学はすごいです。
天文台あったんですよね。
天文学がすごいってことは周期から何からわかるってことか。
特に古代の世界観っておもしろくて。
循環するから何年か経ったら同じような現象が起きる。
これ計算できるっていうのはもうマジックに近い。
日本もそうですよ。
暦を売るのはあるいは暦を作るのは絶対権力者。
それ以外には渡さない。
じゃあマヤだけの話ではないっていうことですね。
あれは何でしょう?いちばん静かな湖。
土が積もるのは世界共通なんですか?こちらのフリップがその映像で出てきました日本の水月湖の年縞ですね。
川が流れ込むとかき回されちゃうじゃないですか。
だからあそこは地層なんかもそうですよね。
だから石器の捏造は地層を合わせてそこに埋めといた。
考古学で科学的な以外では地層で見ていくんです。
地質学の人と一緒にやってって…。
これすごいのは万年の単位までボーリングして採れば年輪がずっと採れるという。
5万年はすごいですよ。
ほとんど文明ができない頃からわかるってことだから。
この日本の水月湖が年代測定の標準になっていたというのは岸本さん驚きですよね。
なんかもうスケールが大きすぎて5万年とかって言われても。
すごいですね。
菊川さん日本が関係していたというちょっと誇らしい気も…。
まさかそこのところにあるなんてちょっとびっくりですよね。
古代マヤ人は金よりも翡翠が重要だったということなんですけれどももし男性から金と翡翠プレゼントされるとしたらどっちが嬉しいですか?金ですよってこの形はやめなさい。
翡翠のほうが高いですよ今も。
価値としては翡翠のほうが高いですか?そうでしょ。
そうなんですか?少ないですからね。
翡翠ってすごい高いですよ。
金なんか目じゃないですよ。
あの翡翠の仮面の色と中国とかのお土産屋で売ってる翡翠の色と全然違う。
お土産屋はダメですよ。
あダメ…。
あれプラスチック。
ちなみに菊川さんは死ぬときは翡翠の仮面と金の仮面どっちがいいですか?またそっちか。
仮面…。
三浦和義のパーティー出てんじゃないんだから。
古い。
しいて言えば?しいて言えば翡翠ですかね。
翡翠ですか。
うんなんとなく。
やはり日本人の魂が。
東洋人ですねやっぱりね。
金は好きですけどね。
さぁ荒俣さんいかがでしたか?おもしろいですよだから。
いろんな形で古代って信仰の問題ってわりと通用していてマヤとかインカの話って日本人にもなんとなくわかる。
さっきの暦の話あるじゃないですか。
あれも我々でいえば十干十二支で60年足すと還暦になるっていう1年以上のサイクルを持ってるじゃないですか今でも。
神宮暦見てもね今日は申年だとかっていうのが。
あれと似てるんですよあれ。
なかなかマヤの暦っていうのも。
通じるものがあるわけですね。
通じるんですよね。
さぁたけしさん翡翠の仮面は「新・世界七不思議大百科」に掲載しますか?ご祝儀相場みたいにまず最初だから。
初物ということで。
初競りなんてのは役に立たないマグロだって2,000万くらいで売ってる。
役に立たない。
役に立たないことは…。
じゃあ1つ目ということでまずは掲載決定ということでよろしいでしょうか?
(拍手)さぁ皆さん続いては今まであまりメディアに露出していないミャンマーの仏教遺跡バガンです。
世界には三大仏教遺跡と呼ばれる巨大な建造物がある
1つ目はカンボジアの
2つ目はインドネシアの
そしてもう1つは謎の仏教遺跡群バガン
ミャンマーの大平原に無数の仏教建築が見渡すかぎり立ち並ぶ。
この地は11世紀から13世紀にかけてバガン王朝の都として隆盛を極めた
そびえたつのは仏教寺院やパゴダと呼ばれる仏塔
その数はなんと…
わぁ…全身が黄金に輝いてますよ。
建築の内部は豪華絢爛な大仏やダイナミックな仏教壁画で飾られ神秘的な雰囲気が漂う
実はバガンの存在は長きにわたり謎のベールに包まれてきた
ミャンマーは1960年代から軍事政権のもとで鎖国状態が続き世界に門戸を閉ざしていたからだ
近年ようやくミャンマーの情勢が変化。
民主化が進んだことでついにバガン遺跡の封印が解かれるときが来た
うわぁ黄金のパゴダがまぶしいです。
金箔で覆われ見る者を驚嘆させるパゴダ
誰がなぜ何のために造ったのか
そこには仏教を巡る伝説の王の物語が秘められていた
突如栄華を誇った王朝は滅びてしまう。
いったい何が起きたのか
その謎に迫るのはアジアの仏教遺跡研究の第一人者
この中にですねバガン王朝滅亡のヒントが隠されてるんですね。
まるで洞窟のような寺の中でバガン滅亡の真実が明らかになる
ミャンマーの大平原にそびえる神秘の仏教遺跡バガン
近年著しい発展を見せるミャンマー
最大の都市ヤンゴンはビジネスチャンスの広がるアジア最後のフロンティアとして今世界の注目を集めている
かつてはビルマと呼ばれたミャンマー
太平洋戦争では19万人もの日本人が戦死した
バガン遺跡を目指す前にヤンゴンの街に立ち寄りました
まずは腹ごしらえ。
ここはヤンゴンで人気のお店です
おぉありがとうございます。
ミャンマーの伝統的な朝ごはん
ナマズからダシをとったスープにそうめんのような細い麺が入った料理です
いただきます。
あぁ…カレーに似てますね味が。
でもカレーより薄味で朝ごはんにすごくいいです。
おいしい。
ヤンゴンから飛行機で約1時間半。
バガンに向かいました
エーヤワディー川のほとりに広がる都バガン
いよいよ遺跡が広がる地区に入ります。
いったいどんな光景が待っているのでしょうか
この展望台から遺跡の全貌が見渡せるそうです
うわぁ!圧倒的な光景ですね。
わぁすごい。
わぁきれい。
大平原に立ち並ぶのは無数のパゴダや寺院などの仏教建築。
その数は2200を超える
ここバガンは11世紀から13世紀にかけてミャンマー初の統一国家バガン王朝の都として栄えた
この寺院は高さ65mに及びバガン遺跡で最も高い建築である
金箔で覆われきらびやかに輝くのはバガンを代表するパゴダのひとつ
このパゴダに使われた金は10トンともいわれ完成までにおよそ30年を要した
まさに世界三大仏教遺跡にふさわしいバガン遺跡ですがアンコールワットやボロブドゥールとは決定的に違う点があります。
それは…。
12世紀に建立されたアンコールワットは王朝の滅亡とともに密林の中に忘れ去られたが19世紀にフランスの探検家によって発見され世界に紹介された遺跡である
ボロブドゥールも同じく王朝が滅び密林に覆われてしまうが19世紀にイギリスのラッフルズによって発見された
一方このバガン遺跡には発見者は存在しない
13世紀に王朝が滅亡したあとも人々に忘れ去られることなく仏教の聖地として愛され続けてきたからだ
驚くべきことに最盛期には5000以上の寺院やパゴダが存在したといいます。
誰が何のためにこれほどの建造物を築き上げたのでしょうか
そこには1人の伝説の王の物語が秘められていました。
その人物の名は
11世紀にミャンマー全土を制圧しバガン王朝を建国した英雄である
しかしアノーヤター王には大きな悩みがあった。
当時バガンにはまだ現在の仏教は伝わっておらず古い密教の一派が勢力をふるっていたのだ
バガンを支配していた密教とはどのようなものだったのでしょうか?
お願いします。
それをうかがい知ることができる貴重な壁画が残されていました
これです。
こちらの絵ですか?女性ですかね。
壁画に描かれていたのは妖艶な女性が腰をなまめかしくくねらせ踊っている姿でした。
とても官能的な表現です
なんだか奇妙な印象の絵ですね。
こちらの壁画に描かれているのは菩薩の姿なのですが両脇に女性を抱いて不敵な笑みを浮かべています。
この不思議な絵は何を物語っているのでしょうか
壁画は密教の影響を強く受けたものだと考えられます。
バガンに現在の仏教が伝わる以前密教色の濃いアリー僧という僧侶たちがこの地で権勢を握っていました。
酒を飲んで女遊びをするなどみだらな暮らしを送っていたのです。
彼らの教義は過激で
女性が結婚する際には初夜をアリー僧に捧げなければならないという掟までもがあった
アリー僧の傍若無人なふるまいに頭を悩ませていたアノーヤター王ですがそこに救世主が現れます。
僧侶ダンマダッシーです。
ミャンマー全土を歩きながら仏教を説いて回っていた僧侶である
アリー僧とは対照的に戒めと秩序を重んじるダンマダッシーは人々の心をとらえカリスマとなっていた
噂を聞いたアノーヤター王はダンマダッシーと対面。
ひざまずいて悩みを打ち明けたという
ダンマダッシーは王に仏教を熱心に説いた
仏教に目覚めたアノーヤター王は宗教改革に乗り出します。
軍隊を使ってアリー僧たちを一掃。
ついに秩序を取り戻したのです。
アノーヤター王は仏教を民衆に広めるため数々のパゴダや寺院を建立
その後も歴代の王や庶民は次々と仏教施設を造り続けた
こうして幾千ものパゴダや寺院が築かれ壮大な景色が生まれたのです
アンコールワットやボロブドゥールは世界遺産に認定されているのになぜかバガン遺跡は世界遺産ではありません。
実はバガンは世界遺産になれない理由があるというのです。
その理由とはいったい何でしょうか?皆さんこちらをご覧ください。
こちらは世界三大仏教遺跡カンボジアのアンコールワットインドネシアのボロブドゥールそしてミャンマーのバガンです。
岸本さんバガンだけが世界遺産に認定されていないその理由とは何だと思いますか?申請しないとならないですよね。
名前がまぬけだもんね。
そんなバガンな。
そんなバカな。
菊川さんどう思われますか?世界遺産登録されるときって人が来てチェックするじゃないですか。
どうですか?建築学としてはどうでしょうか?なんでこんなに…。
よくあるのは1個すごい建物を造ってっていうのはあるけどちっちゃいのを乱立させる数の勝負っていうのはどういう発想なんだろうなと思いました。
さあ答えはどうなんでしょうか。
ご覧ください。
世界遺産に認定されるためには建立当時の状態が保存されていることが条件のひとつ
しかしバガンは生きた遺跡と呼ばれ仏教施設は改修工事を繰り返しながら地元の人々に使用されてきた
古い仏像は時代に合わせて造り変えられ進化を遂げた。
そのため建立当時の姿をとどめておらず世界遺産には認定されないといわれている
ミャンマー人は信仰心が篤いため古い仏像が壊れていたら新しく直さずにはいられません。
でもたけしさんこれちょっとやりすぎじゃないですか。
ネオンが。
ネオン輝いちゃってるんだもん。
世界遺産って意外にダメで遊園地みたいにトロッコ走らせただけでも世界遺産にならないところってありますからね。
遊園地とかラブホ的なやつだと…。
そういう意識がまだミャンマーにはね。
軍事政権ずっとあったから自分たちの文化財をなんとか世界的なものに評価するとこまでいってない。
でもこれからなる可能性はありますよね?なると思いますよ。
パゴダや寺院に金や金箔がふんだんに使われていましたけど荒俣さん当時バガン王朝はどうやって金を入手してたんでしょう?そこが問題ですね。
10トンとかいってたんで。
今いろんな国が投資しようと思ってミャンマーに殺到してるのはまさにそれですからね。
ただこれ11〜12世紀ですか。
はい。
ちょうどこの頃ひょっとすると日本の金もちょっといった可能性あるんじゃないかな。
ロマンを感じますね。
ねぇ流れてますよね。
たけしさんみだらなアリー僧どんな僧侶だったんですかね。
いいですねみだらなアリー僧。
まぁどの時代にもありますねああいうのはね。
だってイスラム教が出たんだってそういうみだらな状況を憂いたムハンマド…マホメッドが立ち上がったとかですね。
必ずね乱れないといい人が出てこないんです。
でもそういったみだらな生活を送っていたアリー僧を一掃して仏教を取り入れたというアノーヤター王。
どんな王だと思いますか?岸本さん。
いちばん王が腐敗っていうか権力を持っていちばんみだらなふうになっちゃうのに菊川さんどう思われました?仏教のシッダールタももともと王子の出じゃないですか。
だからすごく外の世界見たりとかなんかすごく衝撃的な経験をしたんじゃないですかね。
すごく深い。
それであっこれじゃいけないって何かあったんじゃないかなって想像します。
きっかけが。
なかなか背景がありそうな感じがして。
たぶんこの密教ってタントラ密教っていわれる…。
基本の教義は男女の交合と男女の合体によって神に近づくという。
つまりお互いにセックスなんかを介して天国に目覚めよとか悟りを開こうというのがベースで。
そういうものは結構民衆にわかりやすいんで。
大僧正。
ソープじゃなくて僧正になっちゃう。
さぁ続いてまいりましょうか。
続いて第2の扉を開けてみましょう。
無数の寺院やパゴダを築き繁栄を誇ったバガン王朝は13世紀に滅亡します。
ではなぜバガン王朝は滅びたのでしょうか?
バガン遺跡の魅力を語るうえで欠かせないのはその類まれなる仏教美術のすばらしさである
バガン王朝の最盛期に建立された
ここには驚くべきものが残されていました
わぁ…巨大な仏像です。
黄金に輝いてますよ。
全身が金色に輝くその姿はバガン最盛期の栄華を物語るかのようだ
あっ見てください。
こちらにも巨大な仏像があります。
黄金の大仏は一体だけではない。
寺院の中央になんと四体の巨大な仏像が祀られているのだ
それぞれ東西南北の方角に向かって安置されており見る者を圧倒する迫力だ。
この寺院を建立したのは
自らの絶大な権力を誇示するために黄金の大仏を築いたという
大仏にはおもしろい仕掛けがありました
大仏にはおもしろい仕掛けがありました
遠くから眺めるとその表情は穏やかで微笑んでいるように見えます
しかし間近から仰ぎ見ると真剣で厳しい表情に見えるのです
2つの顔を表現するデザインにはチャンスィッター王のある思いが秘められているそうです
アジアの仏教遺跡研究の第一人者石澤良昭先生に聞いてみました
当時そうするとやはりお顔の厳しさが家来たちには伝わります。
こちらには優しいお顔であなた方皆さんを仏陀は救ってくださるとなんかそういうことがあるんじゃないでしょうかね。
そうですね。
えぇそう思いますね。
石澤教授によれば壮大なバガン建築の秘密を解き明かすために注目すべきポイントがあるという
それは
巨大な建造物は無数のレンガを積み上げ造られていたのだ
バガンでは粘り気の強い粘土が採れレンガの製造が盛んに行われた
このレンガは1,200度の高温で焼かれているために水分が飛び軽くて頑丈に仕上がっている
壮大なバガン建築を可能にしたのは良質なレンガの存在だったのだ
ここでバガンを巡る最大の謎が浮かび上がります。
栄華を極めた王朝はなぜか13世紀に突如滅亡してしまうのです
その謎を解くために滅亡寸前に建てられた王朝最後のパゴダを訪ねました
バガン王朝最後のパゴダ
完成からわずか3年後に王朝は滅亡した
このパゴダを建立したのはバガン最後の王…
政治には無頓着で仏教にのめり込んだ人物である
バガン王朝は仏教寺院の活動に寛大で
しかしその免税措置が王朝の危機を招いたと石澤教授は考える
そうなんですか?そうですね。
そして税金とれないということは王様は苦しいですよね。
まさに財政危機。
財政危機ですよね。
人はよく言うんですけどまさに…。
まさにそのとおりですね。
国力が弱まっていたバガン王朝に更に追い打ちをかける事件が起こります。
バガンにいったい何が起きたのか?手がかりはこの小さな寺院に隠されていました
狭いですね。
真っ暗でしょ。
真っ暗です。
足もとが…。
ほんとこのライトがないと。
このライトがないと見えない。
ここは瞑想用の寺院で外の光が入らないように造られている
実はこれを見ていただきたい。
これがヒントです。
あっこれが?はい。
この壁画こそバガン滅亡の謎を解くヒントだそうです。
描かれた男たちの姿に石澤先生は注目しました
やはりこの帽子やなんかはどうでしょうか?帽子をご覧いただきますとちょっと違いますよね?ミャンマーの人が。
そうですねあんまりミャンマーでは。
それからもうひとつ弓矢を持ってますね。
はいこれですね。
やはりモンゴルの兵隊さんがバガンの周辺で活動してたんでしょうね。
モンゴル?はい。
要するに蒙古ですよね。
日本でいうと元寇ですよね。
モンゴル帝国。
地球上の陸地の4分の1を支配下に置いた人類史上最大規模の帝国である。
フビライ・ハンの軍隊は元寇の6年後にあたる1287年バガン王朝に侵攻した
その数
モンゴル軍の侵略にナラティーハパテ王はあっけなく逃走し王朝は滅亡した
しかしバガンは政治的な機能は奪われたものの美しいパゴダや寺院は破壊されることなく残された
こうしてバガンは仏教の聖地として人々から愛され続けたのである
おびただしい数のパゴダや寺院の建設はバガン王朝の財政を圧迫しただけでなく意外な事態を引き起こしていました。
それは現代にも通じる事態です。
さぁ菊川さんパゴダや寺院を造りすぎていったい何が起きたと思いますか?あんまり多すぎたので…。
あんまり寺院って使ったりする施設ではないと思うんですけど。
岸本さんはどう思われますか?現代社会にも通じる事態という。
そこなんですよ。
現代に通じるっていうことは偽装?偽物を造ってしまった。
そう。
違うかな。
さぁどうでしょうか?正解はこちらです。
無数の寺院やパゴダが立ち並ぶバガン遺跡
仏教施設の建立には大量のレンガが必要になる。
そのためレンガを焼く燃料として木が伐採され深刻な森林破壊を引き起こしたという。
こうしてバガンは不毛の土地となり国力を落としたとする説もあるのだ
なるほどレンガを作るために。
風呂のために水道橋作ったんですよね。
いろんなところで同じ問題が起きてたということですね。
それにしてもアーナンダ寺院の大仏が庶民には優しくて支配者層には厳しい表情をしていたというのは岸本さんどう思われました?すごいなんかその…。
おもしろい仕掛けですよね。
バガン王朝が滅びた理由はモンゴル軍に侵攻されたからということですけれど。
名前がまぬけだってさっきから言ってる。
バガン王朝それで王様は何だっけ?アーナンダ。
アーナンダアーナンダ…。
チャンスィッター王。
出てくる名前がみんなまぬけな名前なんだもん。
でもモンゴル軍は仏教施設は壊さなかったんですよね。
何でですか?2万人も来てあそこでチャンバラやったのにどうして壊れなかった?その謎はねマルコ・ポーロっていうおじさんいるじゃないですか。
元に仕えてたベネチアの商人ね。
あの人は東方見聞録っていう…。
あそこに書いてあるんですよ。
なんて?モンゴル軍が平定したんだけど変な黄色の寺院がたくさんあるんだけど。
手出すなって言ったって書いてあるからだからやっぱりある意味で…。
っていうことは考えられますね。
マルコ・ポーロのまたあれで…。
出てきますね。
だから本当に行ったのかっていうよね。
黄金の国ジパングも日本は実際マルコ・ポーロは行ってないんじゃないかっていう。
行ってないですよもちろん。
もちろん行ってない。
日本への元寇もマルコ・ポーロの東方見聞録に記されているんでしょうか?書いてありますねええ。
ひどい目に遭って戻ってきたっていうとこまで書いてあるから。
やっぱり東方見聞録ってそういう意味ではおもしろいですよええ。
記録としては。
さあミャンマーの仏教遺跡バガンをご紹介しましたが岸本さん何にいちばん興味持たれました?そうですねでもあんなにいっぱい造った寺院を…。
行ってみたいなってすごい見て思いました。
思いました?菊川さんどうでしょう。
建築学という観点からご覧になると。
なんか古くなってもすてきなものだなって。
なんかね今でも取り入れられないのかな。
ちなみに菊川さん新婚旅行で行くとしたらどうでしょう?アンコールワットボロブドゥールそしてこのバガンとどこに行きたいですか?私アンコールワットは行ったことがあるんですよ。
だからミャンマーね今まで行けなかったですしね。
最近世界遺産に行きつくした人がバガンに注目して今人気が高まっているそうなんですよね。
ぜひ新婚旅行で。
新婚旅行の前にね。
新婚になんないと…。
そうなんですけど。
いいこと言う!さあたけしさん。
バガンは世界遺産には認定されていないんですが新・世界七不思議大百科には掲載されるんでしょうかね?あとで決めましょうか。
楽しみですね。
もっと引っ張ってくれっていうね。
引っ張りましょう。
このあとさあ何があるかわかりません。
そうですね。
何やってるのかわからない。
さあ続いてはおそらく世界で最も有名な石エジプトの古代文字ヒエログリフが刻まれているロゼッタストーンです。
まずはロゼッタストーンが歩んだ数奇な運命からご覧ください。
悠久のナイルの流れとともに人類の歴史の中にさん然と輝く…
ピラミッドをはじめ今も人々を魅了する…
そして砂漠に君臨した王ファラオたちがのこしたきらびやかな財宝や埋葬品
まさに人類が生み出した最も輝かしき文明である。
だがこの古代エジプト文明がどのような文明だったのか。
今からおよそ200年ほど前まではまったくの謎であった
古代エジプト文明3000年の歴史の扉を開けたカギ。
それはなんとたった一つの石であった。
そしてその石は今数奇な運命のもとイギリスが誇る世界最大級の博物館大英博物館に保管されている
こちらですねお〜。
これだ。
この石からのエネルギーみたいなのをすごく強く感じますね。
この石こそ人類の歴史を書き換えた…。
今からおよそ200年前に発見されたロゼッタストーン
石の表面に刻まれていたのは
ヒエログリフはエジプトのさまざまな遺跡に書かれていたがまったく読むことのできない…
だがこのロゼッタストーンの登場によりヒエログリフは解読されピラミッドなどに刻まれたエジプト文明の謎は次々と解き明かされることとなった
あそこに何か書いてありますね。
石の側面に書かれている一文。
そこに書かれていたのはなんと…
最初に石を発見したのは英雄ナポレオン率いるエジプト遠征軍。
そのナポレオンにイギリスの軍神ネルソン提督が襲いかかる
ロゼッタストーンは誰のものなのか?超大国がエジプトで激突する
ロゼッタストーンを巡るもうひとつの戦いそれはヒエログリフの…
イギリスの物理学者とフランスの言語学者。
2人の天才が謎の文字の解読に挑んだ
国家の威信をかけた対決。
その陰にもあの男の姿がありました。
実はなんとナポレオンがロゼッタストーンの謎を解読したシャンポリオンと会っていた。
寝食も忘れ解読にのめり込む日々。
天才のあるひらめきがついに古代エジプト文明の堅ろうな壁に風穴を開ける!
R…A…。
読めるヒエログリフが読める!
ヒエログリフは
ロゼッタストーンに刻まれた文字の解読そして解読に至るまでの国家間の確執。
人類の叡智として輝き続けてきた石は2000年にわたり眠ってきた古代エジプトの歴史をそしてなんと近代史までも暴いてしまう石だった
人類の至宝に秘められたドラマを読み解く
時は18世紀末。
2つの大国が世界を支配しようと熾烈な勢力争いを繰り広げていた
イギリスとフランスである
フランス国民から絶大な人気を得ていた29歳の青年がライバル国であるイギリスへの侵攻軍司令官に任命された
その青年こそが英雄ナポレオンがいよいよイギリス本土への攻撃を仕掛ける。
世界中の人々がそう思いました。
が人々の想像を超える動きをするのが天才ナポレオン。
思わぬ作戦を立てます。
ナポレオンは大国イギリスに直接攻め込むのは難しいと判断。
エジプトを占領しイギリスの財源のひとつとなっていたインドとの物流を断つ作戦を立てた
3万8,000人の兵士とともにエジプトに渡ったナポレオン。
しかしその船の上には戦いには不似合いな集団が乗っていました。
それがナポレオンにより集められた学者や芸術家たち…。
ナポレオンが連れて行ったのは歴史学者植物学者印刷業者画家数学者経済学者ら選りすぐりの専門家たちで総勢150名以上でした。
イギリスだけではなくというのがナポレオンの狙いでした。
エジプトへと出撃したナポレオンはアレクサンドリアの港を攻略。
そこで部隊を2つに分け半分をアレクサンドリアの艦隊に残し自らは首都カイロを目指した
無事首都カイロへの入城を果たしたナポレオンでしたがこのあと思わぬことが起きます。
アレクサンドリアに残したフランス艦隊を襲ったのはあそこにいる勇壮な男。
ネルソン提督率いるイギリス海軍でした。
ナポレオンがエジプトに向かったとの情報を受け取ったネルソンはフランス軍を追い出撃。
地中海に残っていたフランス艦隊を壊滅させた
イギリス軍の巻き返しにあったナポレオンは砂漠に閉じ込められてしまいます。
しかしこのことがよい結果を招くこともありました。
ナポレオンが連れて行った学者たちにとっては格好の研究時間ができたのです
その研究成果がまとめられた本があるといいます。
実際に見せていただきました
エジプト誌は歴史学者や植物学者画家らの手により帰国後20年以上の歳月をかけ制作されたといいます
カイロでエジプト研究が進むなかイギリス軍の反撃の足音がひたひたと迫ってきます。
そんななかあの世紀の大発見が起きたのです。
フランス軍はイギリス軍の攻撃に備えアレクサンドリア周辺に前線基地を構えた。
ラシードにあった要塞を補強したのもその一つだった
その作業中一人の兵士が謎の黒い巨石を発見。
それが
石はただちにアレクサンドリアの守備を任されたムヌー将軍に送られる
将軍はロゼッタストーンを前にすると目の色を変えた
なんと石の表面には…
いちばん上には謎の文字である
その下にはヒエログリフの崩し文字である
そしてなんといちばん下に…
ギリシア文字からこの石には古代エジプトの王を称える言葉が刻まれていることがわかりヒエログリフにも同じ内容が書かれていると推測された
石はすぐに学者たちのいるカイロへと送られる。
がしばらくするとイギリス軍がカイロを目指しているという知らせがナポレオンのもとへと届く
すると…
死んでも首都カイロよりはアレクサンドリアのほうが安全だろう。
このナポレオンの判断は実は大きな間違いでした。
石を発見してから2年後。
ムヌー将軍が守っていたアレクサンドリアはついにイギリス軍により陥落してしまう
エジプトで集めた収集物は奪われ結局ムヌー将軍がマットで隠していたというロゼッタストーンも見つかってしまいます。
石を引き渡すよう求められるとムヌー将軍はとぼけたり私有物だと言って決して首を縦には振らなかった。
しかし結局ロゼッタストーンはイギリス軍のものに。
持っていかれるとき将軍は人目もはばからず涙を流したという
ムヌーの大バカ者めが!この石の側面に書かれている文字は…。
これを持ち帰ってきて
それはまさにイギリスがフランスに向けた勝利宣言に他ならなかった
さてナポレオンのエジプト遠征が後世に残した遺産はロゼッタストーンだけではありませんでした。
ナポレオンはロゼッタストーンにも負けないほど世界的に有名なあるものをこのパリに残しています。
そのパリにあるナポレオンエジプト遠征の遺産とはいったい何でしょうか?さぁパリにあるナポレオンのエジプト遠征の遺産とは何でしょうか?岸本さん。
何でしょう?芸術家とかも連れてっているから。
パリだから芸術品。
もっと詳しく?いや…どうでしょうかね?菊川さん。
パリに行かれたことあります?2〜3時間くらいトランジットでちょっと街に出ました。
パリに行ったら…。
どうでしょう?えっ?行ったことありますか?あります何回も。
おそらく訪れているんではないかと思いますけれども。
さあ…。
エッフェル塔?凱旋門?まだ出来てない。
もっと古い?うん。
ナポレオンもっと古いですからね。
さあどうでしょうか。
正解を見てみましょうか。
はい。
ご覧ください。
後世にも多大な影響を与えたナポレオンのエジプト遠征
ナポレオンはエジプトから持ち帰った収集物などを美術館に集めナポレオン美術館と名付けた。
その後ルーブル美術館と名前を変えたこの美術館の至るところに今もナポレオンのNのマークが残っている
吉村さん正解はルーブル美術館だったんですね。
別にエジプトだけじゃなくて皆さんそしてこちら。
スタジオには大変貴重な本をお借りしてきました。
ナポレオンがエジプト遠征に連れて行った学者たちの研究成果をまとめたエジプト誌全23巻のうちの1冊です。
エジプト誌の初版は全世界でたった200セットしかなくそのうちのワンセットを古書店の雄松堂からお借りしてきました。
ちなみにお値段はワンセットで私も苦労してね…。
買った?荒俣さん。
どのくらいでした?値段。
値段はね…。
いや2,000万はしなかったですけど…。
昔ですから。
すご〜い。
あまりに大きくて。
これ1冊ですからね。
これ二十何冊ある…。
家に入りきらず。
二十何冊で2,000万?そうそう。
全部で2,000。
全部でトータルで。
いいですよ全然。
でもこれすごいですよ。
このサイズ作るためにわざわざ印刷所を造ったわけですからね。
でもせっかく実物があるので…。
はいそうですね。
私ね…ものすごい精巧な絵がこの中にたくさん入っていてこのサイズでこんなものを作ったんですよ。
どこだったっけな?ものすごいのがあるんでそれだけでもせめてご覧に入れたいと思うんですが。
どこじゃ…これだ。
実はほんとだ〜。
これフィラエのイシス神殿なんかがある…。
アスワンの辺りですかね。
アスワン・ハイ・ダムで移動させたとこですよね。
こういう神殿があったんですよ。
じゃ色ついてたんですか?神殿に。
そうですよ。
ちゃんと色つけて…。
すごいですね。
当時こういう版画で色つけるのものすごい大変だった。
こういうのを作って…これはすごいですよ。
神殿自体も色ついてた…。
ついてた。
へぇ〜。
これはすごいですよ。
ナポレオンは偉いですね。
偉いですよ。
こうやって後世に宝物をいっぱい残したんですもんね。
岸本さんには悲しいお知らせかもしれませんが戦争があってイギリス軍が攻めてきますよね。
え〜!あと学者が残されました。
1年ちょっと…1年半くらい。
その間にもう調べてそれはムヌーって将軍が非常にインテリで学術的でこれだったら…ギリシャ語読めたから。
これならば同じ者が書いたに違いないと思ってこれを…。
ロゼッタストーンはイギリスのものとなりましたがロゼッタストーンをめぐる本当の戦いはこれからでした。
どちらが先にヒエログリフを解読するのか。
それでは第二の扉を開けてみましょう。
エジプトからイギリスへ運ばれたロゼッタストーン。
しかしヒエログリフの解読はロゼッタストーンを持ち帰ったイギリスばかりが挑んでいたのではありませんでした。
なぜイギリス以外の国でも解読に取り組めたのか。
実はエジプトへ渡ったフランスの学者たちはロゼッタストーンがイギリス軍に奪われる前に写しを取っていたんです。
ではいったいどうやってその写しを取ったんでしょうか?
実は当時写しに使っていたというものは私たちの生活にもなじみがあるものでした
このような靴墨を使っていたんですね。
学者たちは靴墨を石の表面に塗り紙を押し当て写しを取っていたという
イギリスとフランスのメンツをかけた戦い。
解読対決がここに始まった
先手を取ったのはイギリス。
物理学者のトーマス・ヤングがヒエログリフの解読に挑んだ
ヤングは物理学だけでなく医学言語学などさまざまな分野で活躍した天才学者
そのヤングが目をつけたのがヒエログリフで書かれている文章の中に何度もあらわれるカルトゥーシュと呼ばれる楕円の枠
ヤングはロゼッタストーンの中のヒエログリフとその下に書かれているギリシャ語を見比べました。
そして
当時絵で描かれていたヒエログリフはそのすべてが意味を絵で表した表意文字だと考えられていた。
例えばパンの絵が意味するのはパンであるというように
しかしヤングは当時の定説を覆す。
パンの絵はパンを意味するのではなくアルファベットのTの音であると主張したのだ
ヤングはヒエログリフがアルファベットと同じ表音文字である可能性を見抜いたのだ
そしてその考えからカルトゥーシュの中のヒエログリフの読み方がプトレマイオスだとわかった
だが後にヤングが解読したアルファベットのほとんどが間違いだったことが判明する
ヤングによる解読成果の発表はフランスを落胆させた。
ロゼッタストーンを奪われたうえに解読も先を越されてしまうのかと…
しかしそのフランスに救世主となる人物が現れます。
それが天才言語学者…
1790年ここフィジャックに生まれたシャンポリオンはわずか19歳でグルノーブル大学の助教授になるほどの頭脳を持っていました。
更にシャンポリオンはその頃すでにラテン語をはじめヘブライ語アラビア語サンスクリット語中国語などを習得。
言語に関してのエキスパートになっていた
ここシャンポリオン博物館は元はシャンポリオンの生家でした。
現在は改築され彼が残した貴重な資料や記録などを展示しています
とっておきのものを見せていただくことになりました
あ〜これなんか…。
あのままなのかな?これは実際にシャンポリオンがどのように解読したか彼が残した記録を印刷したものです。
ここに印刷されているのはもちろん非常に重要なものですが
まさに自らの人生をかけヒエログリフの解読に挑み続けるシャンポリオン
そんなシャンポリオンのもとにある知らせが届く
なんとあのナポレオンが当時シャンポリオンが暮らしていたグルノーブルにやってきたというのです。
そしてついにシャンポリオンは英雄ナポレオンとの対面を果たす
はい。
2人は古代エジプトのファラオに思いをはせ熱く語りあったといいます。
ナポレオンの激励を受けたシャンポリオンはすべてを投げうちヒエログリフ解読に挑む
ナポレオンと会って6年後グルノーブルからパリに転居しここマザリン通りのアパートに研究の場を移したシャンポリオンは兄の援助で食べつなぎながらまさに寝食を忘れ研究に没頭しました。
そして解読を始めてなんと13年目。
ついに歴史を変える日が訪れる
これは…。
解読のカギとなったのは4世紀にエジプトで生まれたコプト語であった
シャンポリオンにとって決定的だったのはアパートで図版を詳しく調べていたシャンポリオンはそれまで見たことがないカルトゥーシュのなかの人名に気がつきました。
最初の図はそれまでの研究から太陽を表す図であることがわかっていた
最後の図はロゼッタストーンの研究から…
そして真ん中の図は生むを意味する図でありコプト語ではMIS。
この頭文字を当てはめてみると…
シャンポリオンはコプト語をヒントにヒエログリフの文字を合わせ独自の対応表を作り上げた
コプト語に精通していたシャンポリオンはついにヤングよりも正確にヒエログリフに合う音を解読したのだ
読める!
ヒエログリフの解読に成功したシャンポリオンは興奮のあまり半狂乱となりパリの街を走りぬけついにやった!と叫ぶとそのまま気を失ったという
このシャンポリオンの功績によりのちにピラミッドを造った主の名前をはじめエジプト文明のさまざまな謎が明らかになったのである
シャンポリオンの快挙には多くの人々が称賛を送りました。
が一方で解読をきっかけに大議論が巻き起こりました。
議論のきっかけは古代エジプト文明の解明がある人々にとってはとても都合の悪いものになってしまったからなんですがさてシャンポリオンはいったい何から反感をかったんでしょうか?さぁシャンポリオンは何から反感をかったんでしょうか?岸本さんいかがですか?全然わかんないですけど…。
でもクフ王の叫びが聞こえたわけですよね?ファラオの声が聞こえると。
っていうことはフランスの王が怒ったと?うん。
じゃない?わかんない。
菊川さんいかがでしょう?全然わからないです。
シャンポリオンが反感をかった…。
読まれたら読めたことによって。
あ〜なるほど。
どうでしょうか?それでは正解を見てみましょう。
こちらです。
シャンポリオンのヒエログリフ解読により…
この事実は当時カトリック教会が教えていた歴史とは矛盾していたため教会が反論したという
カトリック教会から反感をかってしまったということなんですね。
吉村さん。
いや〜ね今でもそうですけども悪いとは言わないんですけどね。
だからそのヤングとシャンポリオンの解読競争大変熾烈でしたけれども荒俣さんいかがですか?でもこの2人がいたからやっぱり…。
象形文字の解読競争ってすごいんですよもう。
もうルネサンス以来。
この2人どころじゃないんですよね。
もう大変な。
やっとここで初めてカルトゥーシュをテーマにして作ったっていうのはやっぱりあのねこのシャンポリオンが解けてトーマス・ヤングが負けた理由っていうのはねだけどこれに気がついたの。
どうして気がついたかっていうと音を合わせてって…。
ヒエログリフのほうが1字余っちゃう。
それでトーマス・ヤングは論理的で多角的な人ですからいろんなこと知ってるから知識に振り回されてる。
だけど合わないっていうときにこれをどっかに突っ込もうとするんですよ。
余った文字を。
だから突っ込めないでしょ?シャンポリオンはでも考えてみますとという感じがしますけどたけしさんいかがですか?たけしさんは何でしょう。
現場監督みたいな。
でもあの靴墨があったから跡が残ったわけですもんね。
やっぱあの人は偉いですよね。
あれが価値あるって俺だったら何だこの石って蹴飛ばす…。
やっぱり最初にそこ気づいた。
その前の兵隊も偉いですよね。
何だ?これって。
フランスの兵隊偉いと思うのはこれはなんか重要に違いないっていって士官に持ってくんじゃなくて将軍に持ってった。
将軍はそういう学術大好きでアカデミック。
だからこれだって思った。
地元のエジプト人か何かに見つかっちゃったら家の土台か何かなっちゃって。
入り口のところに…。
漬物石か何かになっちゃいますね。
確かにトーマス・ヤングはそういう意味では不完全な結論で終わっちゃったんだけど他のジャンルがあるんですあの人は。
物理学者って書いてあったけど物理学者だけじゃなくいろんなことやってるわけ。
数学者でも…。
いちばん有名なのは人間の目が三原色を見てカラーはこういうふうに感じるっていう人間の目の生理とかエネルギー理論とかやってるわけですよ。
アインシュタインなんだよヘタすると。
そういう部分も足せば天才じゃないかもしれないけど偉大ではあると思いますよね。
荒俣さんがググッと…。
ただ彼は自分がヒエログリフを読んだのをシャンポリオンが真似したっていうんで怒ったわけですよ。
それで抗議してるのね。
怒って怒ってそのくらい怒ってるんですよ。
シャンポリオンも読めたときは街を走って。
あと全然何も言えないけど…。
さあ大英博物館の至宝ロゼッタストーンにはさまざまな人間ドラマがありました。
編集長いよいよこのあと決定の時がやってきます。
決定の時が。
いや〜。
違う違う。
汗かいちゃうね。
皆さんは何が印象に残っていましたか岸本さん。
どれも深いしどれもすごいけどやっぱり波乱万丈というかドラマチックとかいろんなことを考えると偶然がこれほど偶然を呼ぶのはないよ。
見つけた兵隊上官そして戦い…。
それでナポレオンがね。
それが見つかって言いたかったけど我慢してたのに。
菊川さんはいかがでしょうか?やっぱりエジプトは材料が多いっていうかいろいろ組み立てができるから魅力的だけど。
20世紀くらいからですよあれ。
ようやくいろいろ発掘できたのは。
さあこの中からたけしさんはいったい何を選ぶのでしょうか。
1つか2つかそれとも3つすべてなのか?その答えはたけし編集長だけが知っています。
ではコマーシャルのあとに決定いたします。
さあ記念すべき初回は古代マヤ文明の秘宝翡翠の仮面ミャンマーの仏教遺跡群バガンそして大英博物館の至宝ロゼッタストーンが紹介されました。
ちなみにこれまでご紹介してきた七不思議はすでに掲載決定とさせていただきます。
さあたけし編集長いったいこの3つ何を載せますか?さあたけし編集長いったいこの3つ何を載せますか?ロゼッタストーンがいちばんおもしろいもんね。
他の2つは?じゃあその2つということで。
2つ決定いたしました。
(拍手)ということはたけしさんあと91あります。
そうですね春冬秋と年3回やっても追いつかないんでレギュラー決定ということでよろしいでしょうか。
頑張りましょう。
頑張りましょう。
まだまだ先は長いですが。
川崎大師。
さあということで本日はゲストの皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。
楽しかったです。
さあ次回はどんな謎と歴史に秘められた物語が登場するのでしょうか?ではまたたけしの新・世界七不思議大百科でお会いしましょう。
さようなら。
ありがとうございました。
2015/12/29(火) 07:00〜09:30
テレビ大阪1
古代ミステリーたけしの新・世界七不思議大百科[再][字]

ビートたけしが「編集長」の肩書きを胸に、世界が息を呑む秘宝や歴史的モニュメントを吟味し、21世紀に残したい「百科事典」の編纂に挑む!

詳細情報
番組内容
「マヤ文明の秘宝、ヒスイの仮面」
メキシコ・ユカタン半島の熱帯ジャングルに紀元前3世紀ごろから紀元9世紀ごろまで栄え、突然衰退して密林の中に消えたマヤ文明。人類史上最も洗練された石器の都市文明とされている。その遺跡の一つパレンケに眠っていた秘宝がある。古代エジプト・ツタンカーメンの黄金の仮面に匹敵する、ヒスイの仮面である。
番組内容2
「大英博物館の至宝、ロゼッタ・ストーン」何の変哲もない黒い石が、大英博物館に年間500万人もの人々を惹きつける。
その石に刻まれた3つの文字を解き明かした時、世界の歴史が覆った!ロゼッタ・ストーンは、そこに刻まれたヒエログリフの解読によってエジプト学の基礎確立に大きな役割を果たした。発見したのは、あのナポレオンだった。そこにもう一つ第4の文字が刻まれていた…。
番組内容3
「ミャンマーの生きた遺跡、バガン寺院群」カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールと並び、世界三大仏教遺跡のひとつに数えられる寺院がある。しかし、その存在は長く軍事政権下にあったため、ベールに包まれてきた。それが、ミャンマーのバガン寺院群である。しかも、仏塔や寺院の数はなんと2200以上という、アンコールワットやボロブドゥールをはるかに凌ぐアジア最大級の仏教遺跡だった。
出演者
ビートたけし、吉村作治、荒俣宏  ほか

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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