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東海テレビの取材班が大阪の二代目東組二代目清勇会に密着。40分テープ500本におよぶ映像素材から72分に編集されたドキュメンタリー『ヤクザと憲法』が、2015年3月30日夜に放映された。そこに描かれていたのは、生活者としてのヤクザたちのあまりにリアルな日常だった。
中京エリアのローカル放送ながら、さまざまな手段を使って視聴した人々の評判が全国規模に拡大、噂が噂を呼び劇場公開が待望されていた。
今回、96分に再編集した劇場公開版の上映に先立ち、プロデューサーの阿武野勝彦氏にインタビュー。企画の立ち上げから公開に至るまでの秘話を語るその言葉には、これまで数多くの問題作を世に送り出してきた制作者としての矜持がにじんでいる。本作の企画者であり現場での取材を担当した圡方宏史氏(ディレクター)のインタビューと合わせてお読みください。

テレビ・ドキュメンタリーのプロデューサーとはどういう仕事ですか?

社内での交渉もすれば、外でトラブルが発生したら当事者とも話し合います。番組を上手に産むための助産師のような存在と考えてもらうとわかりやすいかもしれません。20代後半からドキュメンタリーをつくってきました。当時、僕はディレクターでしたが、プロデューサーはいませんでした。予算はつけるけど、あとは勝手にやってくれという状態で、誰も何もしてくれません。ドキュメンタリーの作法を教えてくれる人もいなかった。そのくせ何か問題が起こるとディレクターのせいにされるという嫌なムードでした。そんななかで何作かつくるうちに、誰か柱のような人がいてくれたらと思うようになりました。こういう取材をしたほうがいいとサジェスチョンしてくれたり、題材に合ったスタッフを提案し交渉してくれたり──そんな人が社内にいてくれたら取材に身が入るだろうなぁと。そんな思いが自分にとってのプロデューサー像となり、ここ10年ぐらいそんな気持ちでやっています。

『ヤクザと憲法』劇場予告編

『ヤクザと憲法』の企画はどのように始まりましたか?

僕はディレクターが企画をあげてきたら「いいね!」と言うことにしているんですが、でもこの企画だけは嫌だなと思いました。圡方(宏史)が僕の席の横に立って、なぜヤクザの番組をやりたいかをいきなり大声で語りはじめたんです。「報道局で“ヤクザ”なんて大きな声で言わないでよ」と注意すると声を小さくするんですが、すぐにまた大きな声になってワーワー言う。仕方がないから「じゃあ調べてみたら?」と言いました。次の日から圡方はヤクザのことを物凄い勢いで調べだし、僕はどうしたらやめさせられるかを考えました。「殺されるよ」とか「嫌がらせを受けて、とんでもないことになるよ」とか言ってくれそうな人たちのところへ圡方を連れていくことにしました。ところが番組の主旨を説明すると、「ぜひ見たいねぇ」とか言われちゃって……。それどころかヤクザを紹介しようと言う人まで現れて、内心やめさせようとしていた企画がどんどん転がりはじめ、気がついたらやることになってしまった。それで圡方と一緒にヤクザの事務所に行って、取材の交渉をしました。2014年8月21日に圡方たちが取材に入ってからは、ずっと放置です。アドバイスをしたとすれば、弁護士も取材しろと言ったことぐらいです。「ヤクザだけだとツッキレないよ」と言いました。放送に至るまで突破できないと思ったんです。ところが圡方は「ハイ!」って返事はいいけど、ずっと弁護士の取材していませんでしたね。

弁護士の取材に動いていないんですか?

目を見てりゃわかります。スタッフの様子を観察するのもプロデューサーの仕事のうちですから。「お前、弁護士の取材できているのか」と聞くと「ハイ!」っていつもの返事をするので、「してねぇな、お前。ダメだよ。しろよ」と念を押してやらせましたが。
今回の劇場公開版(96分)をつくるとき、ヤクザだけで構築しようとして、弁護士の山之内幸夫さんが出てこないバージョンも編集してみましたけど、これがなんだかよくわからないものでした。ヤクザだけだと社会とのつなぎ目が見えないんです。山之内さんは、いわばヤクザの栄枯盛衰なんですね。それみたことか、と思いましたね。そのときやっと圡方やスタッフは僕のことを、「あぁ、やっぱりプロデューサーなんだな」と思ったんじゃないかな。

阿武野さんは、うまくいっているときは存在感が薄いんでしょうか。

まったくないかもしれないですね。そういう意味では凄く消極的なプロデューサーなんです。ディレクターたちが取材で摑みとってきたものを世の中に出すべきだと感じたときに、ぽっと出すだけ。強い正義感や激しい使命感で仕事をしているわけではないんです。ただ、みんなが生きやすい気持ちになったり、もっと寛容にものが見えるようになったり、そんなところに番組が繋がっていったらいいなぁとは思いますね。息苦しい世の中になっているような気がしますから。

社内で企画を通すときは苦労しましたか?

苦労はまったくなかったです。企画書はあとから書く、そして何回でも書き直す──というやり方でいつもやっています。取材対象となるヤクザが見つかる前から、やりたいことを僕が報道局内でささやいてまわるんですよ。そうすると圡方が動きやすくなりますから。その後、取材対象を決め込んだ段階でカメラ、音声、編集などのスタッフを固定します。ニュースの夜勤デスクの仕事とかはあるんですけど、ほかのルーティーンからはディレクターを外してくれますから。局全体の協力が得られるので自由度が増すんですね。ほかのスタッフについても同様です。そのころはまだタイトルが決まっていませんから、「893プロジェクト」と呼んでいました。あんまり社内でヤクザ、ヤクザって言うのも物騒なんで。予算を決めなきゃならないころに編成局や役員会に企画を通しますが、そのときのタイトルは「ヤクザと人権」だったと思います。考えようによってはおっかないタイトルですが、問題ありませんでした。ずいぶん懐の深い会社になったねぇと思いました。

そんなに懐の深い会社になったのは最近のことですか?

光市母子殺害事件の番組セシウムさん事件、東海テレビはそのふたつの大きなヤマを経験しました。世間から多くの批判を受け、個人的にも経営トップともずいぶんやりあいました。でも、いま社内で報道局はとても信用されていると思います。困難を乗り越えるとやりやすくなることもあるんですよ。ただ、放送の直前になって、暴力団に人権はないんじゃないか? 暴力団を擁護していると批判されたらどうする? これまで積みあげた東海テレビのドキュメンタリーを台無しにしていいのか? という意見が報道局のなかから出ました。それで最後の最後まで話し合ったんです。

タイトルを「ヤクザと人権」から「ヤクザと憲法」に変更したのはどうしてですか?

放送日は2015年3月30日なんですが、その10日ぐらい前にタイトルが決まりました。集団的自衛権の憲法解釈をめぐって意見が戦わされている折でしたので、憲法についてのイメージもあって、「ヤクザと憲法」に決めました。あらためて憲法を考えるとき、集団的自衛権と9条という直球ではなく、ヤクザと14条という変化球で行く。そういう提示の仕方は、なかなか粋じゃないのって思うんですけど……。
ただ、ヤクザとはなんなのか? いまどういう状況にあるのか? ということをまず見せたかった。ある意味、社会の秘境ですよね。チョモランマみたいなもので秘境を撮りに行って、そこから眺めた下界がどういうものかを見せられたらいいと思うんです。さりげなく人権問題も入れ込んで。それで見てくれた人が、ヤクザも人間で、生きていかなきゃならないんだよなぁと思ってくれるかどうか。

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