日本の話芸 講談「赤穂義士本伝より 大石東下り」 2015.12.28


パソコンを使う前には手洗いうがいそれにマスクも。
全然分かってない!うん?分かってますよ。
さあ社長もどうぞ。
えっ要らないよ。
汚いから。

(テーマ音楽)
(拍手)
(神田松鯉)え〜お運びでありがとうございます。
おなじみの「赤穂義士伝」でございますが元禄15年秋の初め。
亡君の仇討ちのために大石内蔵助が江戸に向かう事になりましてでこの時に内蔵助が心配な事が2つあったそうですな。
一つは大石内蔵助という名前では江戸に行かれません。
大石が江戸に入ってきたという事が分かると吉良方では厳重な固めをつけるんです。
まあそうすると討ち入りができなくなります。
もう一つが道中で運ぶ長持ちの中に討ち入り当夜に使う忍びの道具諸道具が入っているんで万一これが見つかりますと取り上げられてしまう。
すなわち仇討ちができなくなる。
はてどうしたもんだろうといろいろ考えた末に内蔵助が近衛関白殿雑掌垣見左内。
偽名をして江戸に行く事になりました。
赤垣源蔵重賢勝田新左衛門矢頭右衛門七武林唯七矢田五郎右衛門それに大石親子。
都合7人でもって山科を出立を致します。
とまりどまりの旅籠屋もはや暮れかけの群雀。
とまりてはたちとまりてはたち宿の枕を重ねて急ぐ東海道。
ちょうどその日やって参りましたのが武州橘樹郡神奈川の宿でございまして今宵の泊まりは一つ先の川崎宿と決めているんで従って明日になれば大望の江戸に入る事ができると思いますから一同が喜々として歩みを運んでおります。
討ち入り諸道具の入った長持ちを人足連中に担がせまして差配を致しますのが武林唯七。
でこの時に人足頭の弥十という男が「旦那何が入ってるかは知らねえけれどもこの長持ちは重たくてしょうがねえんでございます。
いかがでござんしょうねもうみんなね一歩も足が前に出ねえんでござんすからひとつみんなに一杯飲ましてやってもらいてえんだがいかがでござんしょう?」。
「何を申しておる。
その方どもは立派に手間賃も取って仕事をしておるのであろう。
その上に酒の催促とは無礼であろう。
よいから黙って歩け」。
「なあ旦那そんな薄情な事言わねえで飲ましてやっておくんなさいよ。
お互えさまじゃねえか」。
「ならん」。
「何?じゃあこれだけお願えしても飲ませる事はできねえというのか?」。
「ならん」。
「何言ってやがんでえ丸太ん棒め!おうみんな!急いで歩く事はねえぞ。
わざとなのろのろ歩いてやれ」。
「何?」。
無礼な事を申すではないと血気盛んな武林でございますから思わず手が出ますと弥十のほっぺたをピッと張った。
「あいてっ!何しやがんだチクショー!野郎!やりやがったな!」。
向こうっ気の強い弥十でございますから丸くなりますとタ〜ンと武林の所に突っ込んでくるのをヒャイと体をかわしておいて右の足で弥十の胸ん所をパ〜ンと蹴ったもんだから「う〜!」。
ばったりと倒れてそのまんま弥十が起き上がってきませんでした。
人足連中たちが「兄貴がやられた!」ってえとばらばらばらばらと逃げていってしまう。
一方内蔵助の方は途中用足しがあって一行よりだいぶ後れて神奈川宿に入ってまいりましたんで前の方でそんなけんか騒動があったという事は知りませんから今神奈川宿を通り抜けようとすると宿役人が通しませんでした。
「え〜恐れ入りますがあなた様は近衛関白殿雑掌垣見左内様でございましょうか?」。
「さようである。
垣見左内はわしだがなんぞ用かな?」。
「あなた様のお連れが人足頭とけんか致しましてね蹴殺したんでございます」。
「何?相手を殺した?」。
「へえ」。
これは大変な事になったと思いましたけれどもそれは表には表しませんで内蔵助が…。
「さようか。
どのような事でけんかになったのであろうか?」。
「それは分からないんでございますがね殺されたんでございますから。
へえ。
東海道の人足は天下の御用人足といいましてね殺されて黙っている訳にはいかないんでございます。
従ってあなたをお通しする訳にいかないんでございまして場合によっちゃお上におおそれながらと訴えて出る事になりますがよろしゅうございましょうか?」。
「そうか。
あい分かった。
訴えるならば訴えて出るがよい。
まあしかしな宿役人。
この辺りで時を潰すと御用に間に合わなくなるのであるから訴えて出るのはよいが殺された者はまことに不憫ではあるが十分な手当を致して遣わすから内済で済ませる訳にはいかんかのう?そうしてくれればその方たちにも多少の口利き料は出す事に致すがどうだ?内済に致さんか?」。
「あっさようでございますか?手前どもにも何か下さるんでございますか?ええまあそれならば内済でもよろしゅうございますんですがとにかく弥十という人足頭でございまして女房がいて二親がいて子どもが3人もいるんでございます。
はい」。
「さようであるか。
どのような事があっても十分な手当をするつもりであるから安心をしてもらいたいがいかほど手当をしたらよろしかろうの?」。
「へえ。
え〜…。
子どもたちが大きくなるまででございますからまあ50両ばかり…あっ!50両で高いとおっしゃる…」。
「ああいやいや決して高いと言っている訳ではない。
人間の命に相場というものはないからな。
それでは50金の手当を遣わす事に致すがその前になその人足頭の骸に手を合わせたいのだが案内をしてくれるか?」。
「あっさようでございますか。
それではどうぞこちらに」と宿役人に案内をされてやって参りました。
哀れ夕日に照らされて松の根方弥十の骸が横たわっております。
「ああ…」。
哀れな事をしてしもうたわいと情けにあつい内蔵助でございますから今骸のところに近づいていって手を合わせようとしてふと気が付いたというのは弥十というのが死んじゃいない。
立派に息が通っている。
実を言うとこの弥十というのが悪い男でございまして遠州掛川の出でございましたが暴れん坊で自分の宿にいる事ができないというところから流れ流れて神奈川宿の問屋場に転がり込んだという男でございますな。
自分が死んだふりをすれば恐らくは宿役人たちがばく大な金を受け取るに違いない。
金を受け取ってから起き上がっても遅くはなかろうと思うから死んだふりをしていた。
早くもこれに気が付きました内蔵助が「あいや宿役人」。
「はい何でございます?」。
「十分に手当をして遣わすがなその前に一つ頼みがあるというのはほかでもないがこの骸に用事があるからわしに譲ってはくれまいか?」。
「え…骸なぞどうなさるんでございます?」。
「いや実を言うとなこの度手に入れた新身の一刀があってないまだに切れ味を試しておらんのだ。
この骸をもって一手二手切れ味を試してみたいと思うからこの骸をもらいたいがどうじゃ?」。
「さようでございますか。
へいへい構いませんよ。
どうせ死んじゃってる者でございますから。
ええ。
え〜どうぞひとつお試し下さいまし」。
聞いた弥十が驚きましたな。
「こりゃあ大変な事になった。
黙っていて横になってるとこのまんま殺されちまうかもしれない。
殺されちまったらせっかく何十金という金手入れたって自分のものにならない。
弱っちまったな。
どうしたらよかろう」と横になりながらビクビクビクビクとしておりましたが「それでは試させて頂く事に致そう」。
薩州谷山の住人波平行安の一刀を内蔵助がすらりとばかりにさや払いを致します。
弥十の鼻っ先に切っ先をツイッとこう突きつけた。
怖い怖いと思っているビクビクしている時に弥十が何となく鼻の頭がチクッとしたんで薄目を開けてみるとやいばの先がこんな所にある。
「わ〜!危ねえ!」ってえと飛び上がるとバラバラバラバラと逃げていってしまう。
「あっ」と言って驚いた宿役人たち開いた口が塞がりませんでした。
内蔵助の方は「これ宿役人」。
「ええ。
え〜何でございます?」。
「神奈川宿という所はたとえ骸でも刀を抜くと逃げ出すという所であるか?」。
「え〜どうもももも…申し訳ございませんで」。
「ふらちな者どもであるな。
人足と宿役人が腹を合わせて大金を貪ろうというつもりであろう。
このまま捨て置く訳には相ならぬ。
今宵は川崎宿泊まりのつもりであったが当地に泊まる事に致そう」。
「へへい」。
脇本陣に泊まる事になりました。
一方宿役人一同が顔色が変わってますよ。
「えれえ事になっちゃったよ。
え?弥十が生きてたんだよ。
死んだと思ったから勝手な事言っちまったんだがどうしたらいいだろうね?」。
「どうしたらいいだろうっておめえ相手は大変だよ。
近衛関白殿雑掌っていえば偉い人なんだからさ。
このまんま江戸に行って訴えられたら私らが危なくなるんだから。
弱っちまったねえ」。
「どうしたもんだろうな。
しょうがない。
本陣の旦那に一部始終を話してひとつ口をきいてもらおうじゃないか」。
言い訳をしてもらおうじゃないかというので宿役人一同がゾロゾロゾロゾロやって参りました本陣。
「え〜お願いがございます。
ご本陣の旦那にお願いがございますんで」。
出てまいりました本陣のあるじが「どうしたんだな?みんな。
え?そろって。
何か出来上がったのか?」。
「ええ。
実はこれこれこういう訳でございましてえらい事になりましたんでひとつ旦那にわびて頂きたいのでございます」。
「そうか。
困ったな。
お前さんたちは宿役人だよ?宿役人がそんな事されちゃ困るじゃないか。
示しがつかないよ。
まあしかしながら私が謝ってやるのはやぶさかではないけれどもね相手のご身分によっちゃあ私が謝ったって許してくれないかもしれないよ。
え?でそのお相手ってのはどういう人なんだね?」。
「それがまた偉い人でございまして近衛関白殿雑掌垣見左内様とおっしゃる方でございます」。
「何?近衛関白殿雑掌垣見左内様?」。
「へい」。
「ばかな事言っちゃいけないよみんな。
垣見左内様は3日も前からうちにご逗留になっているよ」。
「え?そんな事ねえんでございます。
だってあの人が自分で名乗ったんで。
荷物の名札にもちゃんと垣見左内って名前が入ってるんでございますから」。
「名乗ったかどうかは知らないけれどもまことの垣見様はうちにご逗留だよ。
ちょっと待ってな。
じゃ奥行ってご本人に聞いてみるから」とあるじが奥へやって参りましてやがてまた元に戻ってまいりまして「ハハッ。
みんな安心をしい。
今垣見様に話したらねどうせろくなもんじゃなかろうからご自身が行って今調べて下さるそうだから。
え?面白そうじゃないか。
みんなで一緒に行って見物しようじゃないか。
え?場合によったらふん縛っちまえばいいんだから」。
「え?じゃあ旦那あの…あっちにいるのは偽もんでございますか?太え野郎だ」。
っててめえたちだって太え野郎なんですけどもな。
一方内蔵助の方は脇本陣に入りまして湯あみが済んで夕餉もおしまいになりました。
そのうちに本陣のあるじ辺りが一山の住職を一緒に来てわびを入れるに違いないと悠然として待っておりました時に慌ただしく駆け込んでまいりましたのが武林唯七。
「太夫。
一大事出来つかまつりましてございます」。
「どうしたんだな?慌ただしい。
武林何が出来上がった?」。
「本陣にまことの垣見左内が逗留してるんでございます。
今こちらにねあの…問い合わせをすると言って来るところでございますがどうなさいます?」。
「何?まことの垣見左内殿が本陣に逗留をしておったと?あ〜これはえらい事になった『千慮の一失』。
はて…どうしたものであろうか」と思案に暮れる内蔵助だ。
しばらくの間考えていたんだがやがて何を思いましたのか奉書を取り上げますとサラサラサラッと一筆したためてそれを巻き込んで自分の懐に入れました。
「主税」。
「お父上何でございます?」。
「間もなく致すとまことの垣見左内がここに乗り込んでくるのだ。
そのうちに父と言い争いを始める。
その時になってわしがその方に目くばせを致したならば間髪を入れずに一刀のごとにそちゃ垣見左内殿を斬って捨てろ。
まことに申し訳なき事ではあるが背に腹は代えられぬ。
それと同時に我ら一同はこの神奈川宿を出立をする。
主税。
そのあとでその方はこの場において切腹をして垣見殿におわびを致せ。
後の始末は全てその方に任せる。
分かったのう?」。
「はい。
お父上。
承知致しましてございます」。
「『万山軽からず君命重し』。
いにしえより父がその方に与えた教訓であるから覚えておろう。
江戸に参って仇討ち本懐を遂げたそのあと死するもこの神奈川宿で死するも忠義の道に変わりはない。
分かったな?主税」。
「相分かりましてございます」。
こうして待っておりますうちにやがて脇本陣の玄関の所からぞろっかぞろっかと大勢の人たちが入ってくる足音が聞こえてまいりました。
温厚を旨と致します垣見左内ですから入ってまいりますと廊下から奥にぴたりと座っている人物にまずは目をつけた。
どのような者であろうと思ってヒョイッと見た時に年の頃なら43〜44。
人品骨柄卑しからず立派な人物と見えます。
いたずらに人の名前を偽るような男ではない事が一目で分かりました。
ツイッと中に入りまして垣見が大石の前にぴたりと着座を致します。
「あいや。
尊公は近衛関白殿雑掌垣見左内と名乗ってお泊まりのようであるが日本六十余州垣見左内という姓名の者は数多くあるとは思うが近衛関白殿雑掌垣見左内とはそれがし一人のはずであるが。
よくせきの事情があって偽名を致したのであろうからまあ詳細は尋ねぬがこの場において本姓をお名乗りあって退散を致すがよい」。
聞いた内蔵助が…。
「何じゃ?その方は」。
「されば近衛関白殿雑掌垣見左内でござる」。
「己!その方が我が名を偽っている偽者の垣見左内であるか。
当宿場に入ってきた時に我が名を偽っておる者がいると聞いたのであるがまさか本人が乗り込んでくるとは思わなんだ。
この横道者め!」。
…ってどっちが横道者か分かりませんけれど。
しばらくの間やり合っていたんだがやがて「されば互いに証拠を見せ合おうではないか」と垣見左内が今懐から取りいだしたのが畏れ多くも近衛関白殿ご直筆でございます。
「まことの垣見左内である証拠である。
ご覧あれ」。
受け取って内蔵助が見てあればまさに墨痕鮮やか。
飛ぶ鳥を落とす近衛関白殿のご真筆で署名花押がしてありました。
読んでいましたけれども…。
「このようなものをもって証拠と致すか。
偽者であろう!」。
「されば尊公に証拠は?」。
…と言われた時に内蔵助が最前懐に入れた奉書を取り出して…。
「これをご覧あれ」。
垣見が受け取ってみると「先の播州赤穂の城主浅野内匠頭家来先の城代大石内蔵助良雄行年44歳」と書いてありました。
びっくり致しました左内がしばらくの間こう書面と内蔵助の顔を見比べていたんだがああこの人がまことの大石殿であったか。
今文章の最後に「行年何歳」と書いてあった。
行年とは死する年である。
今まで遊びほうけていたのは敵を欺く計略にてこれから江戸に行って仇討ちをするつもりであろう。
さればこそ行年と書かれた。
浅野内匠頭長矩公はよいご家来をお持ちであるわい。
今自分がその方は大石内蔵助であろうと言ってしまえばすぐにこれが江戸表に伝わって吉良方は固めをつけてしまう。
さすれば仇討ちをする事ができなくなる。
さればこの場において自分が偽者となって大石殿を通してあげよう。
「恐れ入ってござりまする。
何をお隠し致しましょう。
それがしは京都の浪人にしのごだゆうという者でござった。
偽名を致して申し訳もござらぬ」。
言われた時に内蔵助が「垣見殿。
このご恩は末末代までも必ず忘却致しませぬぞ」とわびようとすれども人目が多ければ言葉にならず胸の内で…。
一方垣見左内も「大石殿のご武運長久をお祈りしております」これまた胸の内。
こうして2人がここで別れまして垣見は京都へ戻る。
内蔵助は江戸に参りまして果たせるかな元禄15年12月14日本所松坂町吉良邸。
表門からは大石内蔵助を頭領と致しまして23人。
からめ手からは大石主税頭領と致しまして24人。
表裏分かれる47人。
我々は先の播州赤穂の城主浅野内匠頭浪人ども主人ども無念の相続なし。
惨死止めんと討ち入ったり。
上野殿のみしるし頂戴呼ばわり呼ばわり。
激闘一時。
見事討ち入り本懐を遂げますという有名な「赤穂義士本伝」大石内蔵助東下りという一席この辺で失礼を致します。
(拍手)
(チッチ)「シンキングディープリー」。
2015/12/28(月) 15:00〜15:30
NHKEテレ1大阪
日本の話芸 講談「赤穂義士本伝より 大石東下り」[解][字][再]

講談「赤穂義士本伝より 大石東下り」▽神田松鯉

詳細情報
番組内容
講談「赤穂義士本伝より 大石東下り」▽神田松鯉
出演者
【出演】神田松鯉

ジャンル :
劇場/公演 – 落語・演芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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