12月10日。
スウェーデン・ストックホルムでノーベル賞の授賞式が行われました。
アフリカなどでまん延する感染症から人々を救う薬を開発した功績が認められました。
謎の素粒子ニュートリノに質量がある事を発見し物理学の常識を覆しました。
今回授賞式を前に偉大な発見に至る長い道のりをお聞きしました。
ここぞとばかりに鋭い質問をぶつけたのはこちらの5人。
更に10代20代の若者たちも興味津々。
研究に煮詰まっちゃった時とかの…そしてアフリカ・ギニア出身のオスマン・サンコンさんが大村さんに突撃インタビュー。
半世紀にわたる研究人生を支えた思いを伺いました。
魅力あふれる2人の受賞者その素顔に迫ります。
では早速お迎えしましょう。
今年ノーベル物理学賞を受賞されました梶田隆章さんです。
どうぞ。
先生どうぞこちらへ。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
改めましてノーベル賞受賞おめでとうございます。
どうもありがとうございます。
受賞が決まって何が一番変わりましたか?いろんな所で研究の話をする機会を頂きましてそういうところはすっかり変わりました。
今日何を聞いても先生は怒らないとさっき伺っています。
本当にいいですか?大丈夫ですか?いやちょっと分かりませんけど。
(菊地)すいません。
ごめんなさい。
分からないんですけど。
先生困っちゃってますけれども。
いろいろニュースを拝見していて初めて聞く言葉がたくさん出てきていてその辺を細かくお聞きできたらうれしいなと思います。
先生後ろにですね大勢の若い人たちが来ていますけれども実は10代20代の若者Eテレの「Rの法則」にも出演中の皆さんなんですけれども。
聞きたい事あるという人。
(一同)はい。
今は聞きません。
本当にみんな質問たくさんあるという事なので後ほどたっぷり聞いて頂きたいと思います。
岐阜県飛騨市神岡町。
鉱山の跡地に梶田さんの研究拠点となった施設があります。
地下およそ1,000メートルに造られたスーパーカミオカンデ。
高さ41メートル直径39メートルの巨大なタンクです。
壁には僅かな光でも捉える事ができる超高感度センサーがびっしりと取り付けられています。
ここで観測するのが…。
宇宙から絶え間なく私たちの住む地球に降り注いでいます。
ニュートリノはあまりに小さいためあらゆるものを通り抜けていきます。
今この瞬間あなたの体も通り抜けているんですよ。
ね?驚いたでしょう?でそんなニュートリノを観測するスーパーカミオカンデのすご〜い仕組みご紹介しましょう。
まず巨大なタンクには水がいっぱいにためられています。
ここにニュートリノがやって来るとごくまれに水の分子と衝突して光が出ます。
この僅かな光を捉える事でどこからどれくらいのニュートリノがやって来るのか分かるのです。
そしてこの観測から梶田さんが導いたのがこちら。
これがノーベル賞の受賞理由なんです。
さっきの話だと体を通り抜けている。
すごい!改めてここでですね梶田さんのノーベル賞受賞の理由を見て頂きましょう。
…というのがノーベル賞受賞の理由。
思わず笑われましたね。
まあとりあえず分かりますけど。
分かられますか?振動するんでしょうニュートリノが。
こうやって…。
あとあんだけちっちゃいのに重さがあるんだっていうような。
皆さんいい感じでいい感じで壁を乗り越えようとされていますけれども実は今夜はですねなんと菊地亜美さんがこのニュートリノの謎をですね分かりやすく説明して下さいます。
よろしくお願い致します。
楽しみにしてて下さいね。
それではまずこちらをご覧下さい。
さっきニュートリノが宇宙空間から地球に降り注いでるのVTRでご紹介しましたよね。
ニュートリノを観測しているのがこの…ジャ〜ン。
梶田さんの研究の拠点となったスーパーカミオカンデなんですよ。
はい。
地上からやって来るニュートリノの数よりも…。
上からやって来るよりもこの下から…。
これ変ですよね。
ニュートリノはあらゆるものをすり抜けるってさっきおっしゃってましたよね。
なので同じ数にならないとおかしいんですよ。
(荒俣)たくさんのものをやってるから。
時々は減ったように見えるっていうのは誤差の範囲であるんですけど…
(水道橋)理由は何なんですか?
(菊地)ちょっとヒントを。
まずこちらです。
吸収されるとかそんな事はないのね。
(菊地)続いてこちらです。
(菊地)最後こちら。
この3つのヒントを手がかりにちょっと皆さん考えてみて下さい。
もしかして重力とか関係あるのかな。
重さがあるから。
先ほどね発見のあれが重さがあるから振動できると。
重さがあるっていう事はやっぱりみんな立っていられるのは重力があるから下に下りていくから地球の中心にニュートリノに引きつけられやすいのかなって。
どうなんですかね。
どう思いますか?皆さんは。
磁石とかみたいに引きつけられちゃってちょっとその地球のど真ん中にあるマントルの部分とかにくっついちゃうやつとそれを関係なくて通り抜けるやつニュートリノに分かれてるとかじゃないですか?止められちゃうやつと行っていいよっていうやつと。
皆さんこちらをご覧下さい。
梶田さんはこう考えたんですよ。
こちらこう考えました。
スーパーカミオカンデで観測できない形にニュートリノが変身したんではないか。
(水道橋)3種類の中の2種類が観測できるから観測できない方の1種類に…。
拍手されています。
(菊地)合ってますか?合ってます。
物理学の世界ではこうして変身を繰り返す事を振動というんですよ。
(拍手)梶田さんが本当にすごい人って分かった?みんな。
分かった?よかった。
以上梶田先生の研究成果を私菊地亜美が解説しました。
先生どうでしたか?菊地さんのプレゼンは。
ありがとうございます。
もし点数をつけるとしたら何点ぐらいですか?そうですね結構いい出来じゃなかったかな。
ちょっとリハのかいがありました。
改めて菊地さんに拍手をお送り下さい。
(拍手)どうもありがとうございます。
80点。
すばらしいです。
いい質問だと思います。
ニュートリノはある所まで距離飛んでいくとだんだん振動して別な種類に変わっていくんですけどこの距離長く飛ばないと振動しないんです。
でニュートリノが種類を変えるその典型的な距離っていうのが大体500キロぐらいなんです。
そうすると地球は1万キロあるから何回も種類を変えたりしてる訳です。
それで振動といってるんです。
これが振動か…。
ちょっとまだ分かってないところがありまして。
振動する事が質量を持つという事を本当に分かりやすく教えて下さいませ。
ニュートリノが姿を変えるっていう事はですね時間が必要な訳なんですよ。
どうしても。
もしニュートリノが光のスピードで飛んでたらば時計は進まないので姿が絶対変わらないんですね。
という事は姿が変わってるんだからニュートリノは光のスピードよりゆっくり進んでるんです。
どのくらいゆっくりかは別として。
非常にすっきりしますね。
そりゃそうだ。
(拍手)
(一同)え〜!
(水道橋)でもそういう…正しいところから始まらないと。
ええそういう事で…さてここからは梶田さんの研究人生を振り返っていきたいと思います。
梶田さんがノーベル賞につながる成果を導き出すまでには大きく2つの区切りがあります。
まずはですねその前半をご覧頂きましょう。
1981年梶田さんは埼玉大学を卒業し東京大学大学院に進学します。
宇宙の真理に迫る素粒子の観測をしたい!強い思いを胸に門をたたいたのは小柴研究室。
教授の小柴昌俊さんは素粒子の観測で世界的に有名な研究者でした。
後にニュートリノの観測でノーベル賞を受賞しています。
梶田さんは小柴さんのただならぬオーラに圧倒されたといいます。
更に研究室のメンバーは皆優秀な人ばかり。
なんとか追いつこうと梶田さんは時間が許す限り机に向かっていました。
研究室のメンバーは梶田さんに対して皆同じ印象を抱いていました。
梶田さんは非常に…データを素直に見て緻密に解析される方なんですけども…あまりいろんな事を話をするというよりも…そんな梶田さんの事を小柴さんは最初目立たない学生だと感じていました。
梶田さんに転機が訪れます。
スーパーカミオカンデの前身カミオカンデが完成したのです。
小柴さんが素粒子の観測のために造ったこの施設。
梶田さんは持ち前の真面目さと緻密さで観測と分析を行っていきました。
観測開始から4年目助手となった梶田さんはデータが示す不思議な点に気付きます。
それが地球の裏側から来るニュートリノの数が少ない事だったのです。
梶田さんが作成したグラフです。
確かに理論値に比べ観測値が少なくなっています。
何かミスをしてしまったのではないか。
そう思って何度もデータを見直しましたが結果は変わりません。
そしてニュートリノの変身つまり…そう考えるようになったのです。
早速論文にしようと研究室のメンバーに相談を持ち掛けます。
しかしメンバーの反応はさまざまでした。
理論的にありえないと考えられていたニュートリノ振動。
論文で触れるのは危険だという意見もあったのです。
ところが小柴さんからは意外な反応が返ってきました。
非常に高く評価してくれたのです。
海外出張中の小柴さんが梶田さんに送ったFAXが残っています。
「面白くなってきましたね」。
「ニュートリノ振動という言葉を盛り込むべき」。
前向きな文章で後押ししてくれました。
梶田さんは1年がかりで推こうを重ね論文を書き上げました。
1988年に発表されたこの論文をきっかけに梶田さんはニュートリノ振動の研究にまい進していきます。
小柴さんの後押しで梶田さんは世界を驚かせる発見への第一歩を踏み出したのです。
という事で小柴さんの存在。
ええ本当ありがたかったです。
どんな先生なんでしょうか。
いやあの…途中にもありましたようにやっぱり…そういう偉い先生なんですけども。
カミオカンデの最初の頃っていうのは本当に小さいグループだったので割と誰が何をしなさいという事を先生から言われるよりもむしろ勝手にある程度やってるようなそういう土壌があって僕らの場合で言うとそれをやっていった結果について…そういうような感じだったんですね。
上からな感じ…。
ちょっと上からになっちゃったんですけど何て言うんですか…とか言う人もいるじゃないですか。
そういう事ですよね。
小柴先生の研究室で学んだ精神みたいなスピリットみたいなものがあるとしたらどんなものですか?小柴先生が常に学生に言ってた事っていうのは2つくらいあるかと思うんですけども一つはですね大学院学生に対してみんな…やがて大学院終わって一人の独立した研究者になった時にはちゃんと自分の研究をやれるようになりなさいというそういう意味ですね。
もう一つはですね…研究費を無駄にするなと。
更に広く言えばそういう国民の皆さんにやらさせて頂いてるというそういう多分考えをきちんと忘れないでやりなさいと。
ちなみに梶田さんが「あれ?何か違うかも」って思った時の事って覚えてらっしゃいますか?基本的にはですね…マズった?うん。
(水道橋)自分が間違えてるって…。
データの読み取り方っていう…。
ええはい。
まあプログラムでバグを作んのはもう日常茶飯事なんでそれはもうしょうがない。
でもじゃあ一体何で間違っちゃったんだろうっていう事で一応目でもある程度分かるようなそういう判定をしてたので目で見たんですね。
そしたら目で判定したのとプログラムで判定したのがほぼ完璧に合ってたのであっこれはプログラムが致命的な間違いしてるんじゃないだろうなと思ってそれからじゃあほかの何が間違ってるんだろうっていうんで1年くらいかけていろんな事をチェックをした訳です。
大変だこれは。
いいですか?1年かけて論文書いてたって言ったじゃないですか。
あれって途中でうわ〜ってなってぐちゃぐちゃってしたりっていう事なかったんですか?諦めたくなっちゃうみたいな。
そうむしゃくしゃしてみたいな。
全然何だか分かんないんだけどもその時分からないんだけどももしかしたらこれ…そういう時間っていうのはどういうふうに過ごしていくというか…。
でもそれがやっぱり研究者なんですよ。
謎があって…。
その時間が楽しいんですか?楽しいです。
もちろん明確な答えが得られれば一番いいんですけどそうはならなくてもですねやっぱり何か研究をすると少しずつ分かってくるのでそれがやっぱり研究者としての仕事なんです。
なるほど。
再び梶田さんの研究人生に迫ります。
ここからはノーベル賞受賞につながる発見までを一気にご紹介します。
カミオカンデを上回るスーパーカミオカンデ。
1991年に建設が始まったおよそ100億円の大プロジェクトです。
大きさもセンサーの数もカミオカンデの10倍以上。
これなら膨大なデータが集められます。
梶田さんが狙うニュートリノ振動の決定的な証拠をつかむためには必要不可欠な観測施設でした。
助教授となった梶田さんはいくつもの設備の設計開発を任される事になりました。
その中で特に苦労したのが超純水を製造する装置の開発でした。
水に含まれる不純物には光を放つものがあります。
この光はニュートリノによる光と区別がつきにくいため不純物を徹底的に除去する必要があったのです。
ところが梶田さんは大学以来物理学一筋。
超純水の製造など全くの専門外です。
膨大な資料を読みこなし知識を蓄える事から始めました。
超純水の製造に協力した大手水処理メーカーの担当者。
自分たちが気付かないような指摘が梶田さんから寄せられる事もあったといいます。
これはその一つ。
梶田さんがメーカーに提案した配管ルートの改善案です。
頻繁に開閉するバルブを減らす事で不純物が入り込むのを防ごうと考え出しました。
とにかく情熱といいますかですね非常に…スーパーカミオカンデを完全なものにしてニュートリノ振動を発見したい。
その一心で梶田さんは専門外の水処理にまで精通していったのです。
5年の建設期間を経てスーパーカミオカンデが完成。
超純水で巨大なタンクが満たされると観測が始まりました。
その結果次々とニュートリノのデータが蓄積。
梶田さんはその膨大なデータを解析する事でニュートリノ振動の存在を確信していきました。
そして2年後。
日本で開かれた国際会議で研究の成果を発表します。
梶田さんの発見は世界の科学者に驚きをもって迎えられました。
物理学の常識を覆す大発見。
このニュースは瞬く間に世界を駆け巡ります。
当時のアメリカ大統領もわざわざ演説で触れるほどの話題となりました。
(拍手)世界が動いたっていう印象もありましたけれどもね。
正直あそこまで一気に世界が認めてああいう事になるって予想していなかったんでびっくりしましたね。
でも類似施設がほかにない訳じゃないですか。
だからそのオリジナルなものを自分たちで造っていかなきゃいけない。
その建築自体も専門外な訳ですよね。
だからそれで膨大な自分の研究以外のところの知識を得なきゃいけないっていうのは…。
まあでもそうは言いながらやっぱり自分たちの測定器の事はきちんと分かっていないと何か変な事があった時に何なんだと。
本当に変なのかそれとも自分たちが測定器の事を知らないのか分かんないのかっていう事でうやむやになっちゃいますから。
やっぱり我々としてはなるべくきちんと測定器の事を分かるようにいろんなところでこう口を挟んで設計をしていきます。
スーパーカミオカンデを造るにあたって予算っていうのはもちろん出す方もね「あっ100億ですか。
そうですか」。
ボン。
…っていうふうにいくのか取るのにどんな活動とか説得っていうのは…?特にやっぱり100億円の予算っていうのは科学予算ですごく大きいので戸塚先生っていう先生が小柴先生の後を継いでこのプロジェクトを推進していったんですけども本当に戸塚先生のご功績はものすごく大きいと思います。
今梶田さんからもお話がありましたけれどもこちら…1987年に退官された小柴さんの後を継いでカミオカンデの研究リーダーとなりました。
その後スーパーカミオカンデのリーダーともなる訳ですね。
梶田さんにとって頼れる兄弟子だったという事なんですけれども実は戸塚さんは2008年に66歳の若さでがんで亡くなられてしまうんですよね。
ちなみに今年のノーベル物理学賞をお二方梶田先生とカナダのマクドナルド博士が取られてるんですけども1つの部門で3人まで取れるんですよ。
ノーベル物理学賞って。
だけど2人だった。
本来ならばそこに戸塚さんが入られるところを空席にしたのは何かノーベル賞側の配慮があるんではないかなっていうふうに思う方もいらっしゃるそうなんです。
当然いるでしょう。
本当にそういうふうに配慮してもらったのかもしれないとは思います。
戸塚さんの存在は梶田さんにとって大きい…?ある意味一番鮮明に覚えてる事というのは2001年にですねこういう事起こしちゃいけないんですけどもスーパーカミオカンデは一瞬…ほぼ本当に一瞬で装置の半分以上を失うっていう大事故を起こしてしまったんですけどもその時に代表だった戸塚先生が造り直そうと決断してそれを世界に向けて造り直すと宣言してインターネットで発信したというそういう事をやってくれて…。
本当にリーダーの存在っていうのがですねやっぱり重要な場面がいろいろあるんですね。
そういうところでは本当に自分も…さあ…という事でここまで小柴さんそして戸塚さんそして梶田さんというこういう鎖がつながっているんだっていう事をお分かり頂いたところで聞きたい事あるという人!
(一同)はい。
研究するのにみんなで例えばプライベートで飲みに行ったりとか言い合いしやすいようにしたりとかそういうふうな努力ってあったりしたんですか?特に例えば建設…測定器の建設してる時はほぼ先ほど出てたあの山あそこでいる訳なんで…。
ずっと一緒?ずっと一緒で。
合宿生活みたいな。
そう。
運動部の合宿ではないので。
でももう…研究に煮詰まっちゃった時とかのリフレッシュの方法とかって何かありますか?意外とですね…
(西田)それが秘けつ。
ざっくばらんに言うと…でも私生活があんまり想像できないですよね。
何にもしてないってあります?何かテレビ見るとか寝るとか本を読むとか。
何のお酒が一番好きなんですか?聞きますね結構…。
お酒結構お好きでいらっしゃいますか?どうも世の中ではそういう事になってるようなんですけど…。
ここからはもう一人の日本人受賞者です。
こちら。
ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智さんです。
アフリカなどの熱帯地域で人々を悩ませていた寄生虫の感染を防ぐ薬を生み出した事でノーベル賞を受賞されました。
一体どんな薬なのかご紹介します。
1975年に放送されたNHKの番組。
当時西アフリカで広がっていた病気を取材しています。
この村に住む男たちは必ず失明する。
二十歳を過ぎる頃から次第に視力が衰え始め数年後には完全に目が見えなくなった
病気の名前は…失明した大人たちは子どもが持つ棒を頼りに暮らしていました。
病気の原因となるのは寄生虫です。
ブヨによって媒介され人に感染。
目の中に侵入すると失明につながるのです。
感染が広がった土地からは人々が去っていきました。
この状況を救ったのが…大村さんの研究によって誕生しました。
1987年から無償で提供されるようになり現在では毎年2億5,000万人以上がのんでいます。
その結果今やこの寄生虫に感染する人はほとんどいなくなりました。
大村さんは2004年アフリカ・ガーナを訪問。
熱烈な歓迎を受けました。
はい。
…というねVTRご覧頂きました。
(西田)視力がなくなるというと…大人がみんなってなるとそれを救う薬を作るっていうのはそれはすごいです。
大村さんどんな印象を持たれましたか?それこそがやっぱり本当一つの…さあ大村さんがどんな方なのかこの人が訪ねてきました。
(拍手)1コン2コンサンコンで〜す。
(水道橋)おなじみだ!出ました!ようこそ。
僕ね西アフリカのギニアの生まれなんだけどねガーナの近くなんですけどこの話聞いてね本当僕日本とても長いんでどうしてもこの感謝の気持ちにね。
それでありがとうってね大村先生のところにね参りました。
はい。
ビデオ作りました。
皆さん是非ビデオ見て下さい。
ギニアの正装で北里大学にやって来たサンコンさん。
(ノック)はいどうぞ。
大村先生ですか?ついに大村智さんとご対面です。
すいません先生。
ようこそいらっしゃいました。
本当先生に会えてうれしいです。
その時に一番先に連れていかれた時に…その話を聞いたあと今度は…その薬がもう行き渡ってて。
それ本当本当ありがたい。
本当これねやっぱり人類のためにですよ本当。
そうして育ったんですね。
そういうものの蓄積で最終的にはここまで来たと思いますね。
ますます感動しますよ本当。
何か涙出そうですよ。
先生。
1935年山梨県韮崎市の農家に生まれた大村さん。
厳格な父に教師の母。
そして人のためになれと言い続けた祖母。
長男として大事に育てられました。
子どもの頃は友達との遊びに明け暮れ地元でも有名ながき大将だったそうです。
やんちゃ坊主っていうとおかしいけど…私のところへ「さとちゃんまたけんかしてるよ」って知らせてくれる。
私飛んでいくと…高校大学ではスキー部に所属。
全国大会に出場するほど熱心に打ち込んでいたといいます。
大村さんの指導を受けた高校の後輩金丸博さん。
当時の大村さんをこう振り返ります。
大村さんがスキー部で培った精神はその後の研究人生にも生かされていきました。
こちらは21年前の大村さん。
常に採集道具を持ち歩き誰も気に留めないような場所の土を集めていました。
土の中には数えきれないほどの種類の微生物がいます。
大村さんはこうした微生物を培養し薬のもとを探し出してきました。
これもすごいよね〜。
その方法例えて言うならこういう事です。
微生物に餌を食べさせるとまるで汗をかくように別の物質を出します。
ここから薬が作られる場合があるのです。
こちらに行きましょう。
およそ半世紀にわたる研究人生の中で大村さんが集めてきた微生物を見せてもらいました。
(高橋)低温実験室で4度の部屋になります。
(サンコン)4度!寒い寒そうじゃん。
(高橋)寒いです。
薬を生み出す可能性のある微生物を保管しているこの部屋。
まさに宝の山です。
(高橋)これはあの株数にしたら1,000株以上あります。
はい。
(サンコン)1,000?1,000以上ある。
こちらの一本。
ノーベル賞につながったあの薬を生み出した微生物が入っています。
いわば…大村さんたちはこれまでに微生物からおよそ500の物質を採取しました。
そしてそこから…これは世界の研究者が驚くほどの多さです。
最後に大村さんに研究者として大切にしている事を聞いてみました。
それにはやっぱり自分の領域において本当にいろんな事を知りいろんな技術を持っていないと人のためになれない。
力をつける…先生本当ありがとうございました。
大村さんお忙しい中ありがとうございました。
(拍手)サンコンさんいかがでしたか?本当びっくりしましたね。
日本に来て45年になるんですけど日本人ってすごいね。
やっぱり人類のためにですね人のために世のために…ねっ。
梶田先生はどうご覧になりましたか?やっぱり我々でも…それは同じだと思いました。
ふだんから日常の中でああやって土を集めてそれを持ち歩いてるんだっていうのはもうどれだけその…好きになる。
すごいって思う。
思わず好きになっちゃうっていうね…。
さあではここからは梶田さんの今後の目標について伺いたいと思います。
梶田さんのノーベル賞を生んだ岐阜県の飛騨市なんですがちょっとこちらご覧頂きましょうか。
ここにはですね物理学を支える最先端の研究施設がたくさん集まってるんですね。
更にはですねスーパーカミオカンデを上回るハイパーカミオカンデの建設も構想されていると。
スーパーカミオカンデは発見がありましたけれども今後も同じようなというかそこから発展していく研究が続くんですか?あの〜ニュートリノ研究はですねニュートリノに質量があったという事で新たに知りたい事が出てきたので…従いまして今後も研究は続きます。
でこの中で本年度運用を開始するのがKAGRAなんですね。
この長〜いL字型のものですね。
(水道橋)何を研究してるのか…。
何を研究するのかというのをではVTRでご覧頂きましょう。
山の中深さ数百メートルの地中に長さ3キロのトンネルが2本直角に交差しています。
ここにKAGRAが造られています。
去年8月巨大な機械が運び込まれてきました。
梶田さん!KAGRAって一体どんな装置なんですか?えっ?重力波の望遠鏡?何ですか?それ。
かのアインシュタインが存在を予言したもののまだ誰も観測した事のない重力波。
宇宙のどこかで重い星が引きつけ合う時などには強い時空のゆがみが生じます。
これが波として伝わってくるのです。
KAGRAが重力波を捉える仕組みです。
直角に交差する2本のトンネル。
中にはレーザー光が通るパイプが設置されています。
端から発射されたレーザー光は交差する場所で2方向に分けられます。
パイプの先端には鏡があって光が合流地点に戻ってくるようになっています。
通常2つの光は波の山と谷が重なるので打ち消し合い消えてしまいます。
一方重力波を受けた場合直角に交差する2本のパイプの長さに差が生じます。
すると2つの光の波にはずれが生じ打ち消し合う事がなくなります。
その結果光が検出されるのです。
観測の難しさゆえにアインシュタインからの最後の宿題と呼ばれる重力波。
今世界中の研究者が観測に挑んでいます。
中でもKAGRAが最初に重力波を観測するのではないかと期待されているのです。
すごい。
(拍手)
(荒俣)これはすごいわ。
すごい。
世界が競っている中で…重力波。
理論上はあるとアインシュタインが言ってるけれども実証した例がない?直接実証した例はない。
観測できるのかどうかですね。
それを世界中が競い合ってる?競い合ってるというのはそういう面もあるんですけど世界中で協力して天文学にしようとしてます。
競争ではなくて協力し合うんですか?何でかっていうとですねどこかが…全然分からないんでこれだとちょっと天文学になりようがないんですが…そうするというとこっちで起こったんだなという事が分かる。
という訳で天文学になる。
あの大きさが必要なんですか?あ〜大変!もう可能な限り長く。
3キロ?3キロ。
それが分かるとどうまた物理の世界は分かってくるんですか?そうですね。
例えば…それが観測できるんですか?そうです。
そういうのを観測するものです。
(一同)え〜!面白いですね非常に。
すごい世界だなと思いますけど実はですねこの後ろにいらっしゃる若い方々の中に来年からKAGRAで研究するという方がいらっしゃるんですよ。
手を挙げて頂いていいですか。
はい和田さんです。
(拍手)さあ和田さん。
この機会に初めて言葉を交わす訳ですか?KAGRAってほぼトンネルの中じゃないですか。
なぜか。
やっぱりこう…何かう〜ん。
暗いのか狭いのか分かんないんだけど。
逆に梶田さんから若い研究者にどんなメッセージが?本格的に稼働するのは2017年度の後半だと思うんですけども…頑張って下さい。
(拍手)そうなんですね。
さあという事でここまで見てまいりましたけれども西田さんいかがでしたか?大村先生を拝見して梶田先生…共通点はやっぱりその自分だけこれは育てていこうという思いというのがやっぱりすごく強くって信念が通してそれを…
(西田)きっとねその賞も長い研究の中で…何かすごく奥が深いんだなっていうのは感じました。
菊地さんは今日は偉大なチャレンジをされましたけれど。
(水道橋)力尽きたねあれでね。
(菊地)そうです。
でも何かこういろいろ話聞いてやっぱ…ず〜っと興味持ってる事を何十年とかもかけてやる訳じゃないですか。
だからそういうのすごい…
(菊地)ありがとうございました。
先生ちなみにそのコツコツ…それも何でしょう。
続けられるコツは何ですかね?我々でしたらば今まで知らない自然の姿をちょっと先まで知れるようになるかもしれない。
もうその好奇心だけですね。
人間として人々を助けるために科学があるっていう在り方とそれから一歩でも自然の事を分かりたいっていう…。
ワンダーですよ。
ワンダーにチャレンジするって事は実は子どもの段階からみんな思ってる訳ですよ。
なぜ雨が降るのかだってね。
やっぱり例えば研究をやっていこうと思うとやっぱりこう何かいろんな事が不思議だなとかそれを理解したいなとかそういう思いがなければやっぱり続かないと思うので本当に自然不思議だなとか何でこれこうなってるの?とかそういう…
(荒俣)重要な事だな〜。
是非また本当に偉大な発見朗報が届く事を期待しております。
今日は長い間ありがとうございました。
梶田先生どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/12/28(月) 08:00〜09:00
NHK総合1・神戸
とことん知りたい!ノーベル賞[字][再]
ノーベル賞を受賞した、北里大学・大村智さん、東京大学・梶田隆章さん。研究や半生を紹介する。出演:荒俣宏、西田ひかる、水道橋博士、菊地亜美、オスマン・サンコンほか
詳細情報
番組内容
今年、二人の日本人科学者の、ノーベル賞受賞が決まった。医学・生理学賞に北里大学・大村智さん。物理学賞に東京大学・梶田隆章さん。日本時間12月11日未明に行われた授賞式の翌日。興奮冷めやらぬ夜に、偉大な業績を成し遂げたお二人の研究や、世界有数の研究者となるに至った半生など、ノーベル賞受賞の秘話をとことんご紹介する。【出演】梶田隆章、荒俣宏、西田ひかる、水道橋博士、菊地亜美、オスマン・サンコン ほか
出演者
【出演】女子美術大・北里大名誉理事長…大村智,東京大学教授…梶田隆章,荒俣宏,オスマン・サンコン,菊地亜美,水道橋博士,西田ひかる,【司会】鎌倉千秋,【語り】関智一
キーワード1
ノーベル賞
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
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