ふつうの家族 ある障がい者夫婦の22年 2015.12.28


福島県郡山市に住む秋元恵子さんです
私たちが恵子さんと出会ったのは22年前でした
一人の女性としてまた一人のお母さんとして生きてきた恵子さん
(愛香)おっかあとおやじ顔似てきてんだけど。
(恵子)そうなんだよ。
(愛香)おやじに似てきた。
(愛香)似てんもん。
何かこれ。
困ったなって。
夫の典夫さんにも恵子さんと同じ脳性まひの障害がありました
子供は2人
子育ては想像を超える苦労の連続でした
時には取材する私たちがはらはらすることも…
泣いたり笑ったり秋元家はいつもにぎやかでした
子供が成長するとまた新たな問題が…
(愛香)反抗期ない。
(恵子)あった!
(愛香)誰をかあちゃんを?いつ?いつ?えっ覚えてない。
あったよ。
うそだ。
あった。
じゃああったみたいです。
道を踏み外してた時。
(スタッフ)やんちゃだった時。
(愛香)中学2年生。
(スタッフ)髪の毛金色?
(愛香)うん。
オレンジみたいな。
こんな写真もありました
(スタッフ)本当だ。
前髪長い。
そして3年前の大震災
避難生活を余儀なくされました
生きること。

私たちに深くて大きな問いを投げかけてきた大震災
恵子さんたちのひたむきな姿が以前にも増して私たちの心を強く捉えました
普通の家族。
だからこうやって特別な家族ってすごいとかじゃなくて普通の家族。
(愛香)・大きいまごいはお父さん・小さいひごいは子供たち…
恵子さんが28歳の時でした
応募した詩がコンクールで入選
それは母親への感謝の気持ちをつづったものでした
この詩を読んで感激した典夫さんが恵子さんに手紙を送ったことから文通が始まります
交わした手紙は160通を超え次第に2人は結婚の気持ちを固めていきました
しかし体に重い障害を持つ者同士の結婚にどちらの親も強く反対しました
(光代)私何年も反対してましたからね。
だって絶対ね障害者同士で結婚なんて無理だと思ったんですよ。
典夫さんと恵子さんは辛抱強く親を説得
そして念願の夫婦に
親元を離れ新婚生活がスタートします
出産前後に何らかの原因で脳の一部が損傷することで引き起こされる脳性まひ
典夫さんと恵子さんの障害は身体的なものだけで理解したり考えたりする力は他の人と変わりありません
2人はあえて親から自立する生活を選びました
生後間もなく高熱を出し脳性まひになった典夫さん
高校まで自宅から通い卒業後も20年以上ずっと家で母親の世話になっていました
親元を離れたのは恵子さんとの結婚を考えた44歳の時です
一方恵子さん
難産のため仮死状態で生まれ脳性まひはその後遺症でした
医者から「治らない」と言われた母光代さんは恵子さんを施設に預ける決心をします
(光代)訓練しかないと思ったのね。
それで何とか手元から離して養護学校に入れたいなと思ってね。
置いてくるのが一番に切なかったですよね。
おうちに一緒に帰るって足にしがみついてね。
あれが一番今までで切なかった。
施設での暮らしは15年に及びました
結婚そして出産
恵子さんの決断の背景にはこんなことが…
(医師)ここのこの白い所見えるかな?これなこれ太ももの骨。
旦那さん見るの初めてか?そうでもないよな?
自ら選んだお母さんになること
(看護師)今日もよかったね。
はい。
(看護師)もうここまで育てたんだからね。
もう頑張ろうね。
はい。
結婚して1年その時が近づいていました
(恩師)そうじゃない。
うれしくて泣いてるのよね。
本当のお母さんになれて。
最高の親孝行だね。
宝物のプレゼント。
お産は恵子さんの体にまひがあることを考えて帝王切開の方法がとられました
(医師)ではお願いします。
(医師)赤ちゃんもうすぐ出ますよ。
(医師)はい産まれました。
(親族たち)うわー!
(医師)おめでとうございます。
(医師)元気ですからね。
(看護師)顔見えるかな?顔見えた?
(典夫)かわいいね。
重い障害を持つ夫婦の子育ては全国的にもあまり例がありませんでした
しかしこみ上げる喜びが2人の背中を押します
子供が3歳になるまで光代さんが助けてくれることになりました
あーん。
ああおいしい。
ああおいしい。
(保育士)よーいどん!行けー!
愛香ちゃんです
元気いっぱい。
5歳になりました
(典夫)愛香こっちだよ。
(愛香)・大きく空を飛んでいる
(ヘルパー)作詞作曲。
(典夫)愛香お祈りして。
(愛香)神様今日も一日愛香とママと悠香とパパで暮らしています。
どうかお祈りを忘れないでください。
アーメン。
(愛香)いただきます!
(典夫)いただきます。
いただきます。
(愛香)いただきまーす。
子育ては順調でした
でも少し気がかりなことが…
愛香ちゃんにお父さんとお母さんのことを聞いてみました
ママが病気治ったらね泣かないけど。
(スタッフ)そうか。
じゃあ泣いちゃうときもあるの?じゃあパパやママの病気が治るといいなぁと思ってるの?うん!
(スタッフ)そっかぁ。
パパとママ好き?
(愛香)好き!
(スタッフ)どんなとこが?ないしょないしょ。
だってさ優しいから。
(スタッフ)そっか。
ないしょだったんだけどな〜。
(愛香)大丈夫!
この時愛香ちゃんにはもう一人大切な家族が…
妹が生まれていたのです
典夫さんは保育園の文集にこんな気持ちをつづっています
(ナレーター)「私たちは障害があるためにいつまで生きられるか分かりません」「私たちがいなくなったあと一人ではかわいそうだと思いました」「きょうだいがいれば相談し合って何とか生きていけるのではないかと思ったのです」こんにちは。
しばらくです。
恵子さんの母光代さんです
2人目の子供悠香ちゃん
おむつも取れていない大変な時期典夫さんと恵子さんの子育てを手伝ってくれました
典夫さんも…
(典夫)誰?
悠香ちゃんをあやそうとします
(典夫)悠香。
(典夫)泣かないの。
(光代)何でパパの顔見て泣くの。
悠香ちゃんがアイスの棒で遊び始めました
休まることのない家族4人の暮らし
ミルクの時間です
おなかがすいた悠香ちゃん。
泣きだしました
障害の重い恵子さんに代わってミルクは典夫さんが作ります
ほ乳瓶を手にした悠香ちゃん
しかし口にくわえてもミルクが出てきません
ねんねねんね。
ねんね。
ほ乳瓶を傾けなければミルクは飲めないのです
ねんね。
寝て飲みなさい。
そうそう。
典夫さんと恵子さんたちに欠かせないのがヘルパーの助けです
ヘルパーが来るのは1日2時間半週に3回
しかし悠香ちゃんに手がかかることもありそれでは足りなくなっていました
恵子さんは何度も市に相談に出かけました
重度障害者の子育てを支援する制度がないため手続きが大変なのです
(ヘルパー)おはようございます。
悠香ちゃん。
(典夫)お願いします。
(ヘルパー)はい。
相談のかいあってヘルパーの時間と回数を増やしてもらえることになりました
それでも足りない分は自分たちでお金を出してヘルパーを頼みました
当時一家のひとつきの収入は障害基礎年金などおよそ20万円
そのうちの半分以上が子供たちの養育費に当てられました
愛香ご飯よ。
愛香。
(愛香)悠香「にゃんにゃん」って言ってるよ。
みんなで食べよう。
家族4人のにぎやかな毎日
子供たちを中心にてんやわんやの時間が駆け巡ります
(典夫)愛香これ切って。
ああーっ!
(愛香)うっ!
(典夫)入っちゃった。
ごめんごめん。
(愛香)パパが開けてって言うんだもの。
(典夫)ごめんね。
(スタッフ)強くなりました?
(典夫)強いっていうかね…。
それから2年
歩いてください。
やだ。
もうすぐ小学1年生
(愛香)こっから上。
歩いて歩いて。
入学式を前にお母さんと通学路の確認です
学校ではちゃんと先生に挨拶
よろしくお願いします。
(教師)よろしくお願いします。
この日の夕方のことでした
秋元家にちょっとした事件が…
傘はどこに忘れたの!
(愛香)傘?アンナちゃん。
(典夫)起きろ!ジャンパーは?
(愛香)アンナちゃん。
(愛香)車で行けばいいじゃん。
(愛香)じゃあ愛香歩いていくのかよ。
やだよ!歩いていきなさい。
愛香ちゃんは私たちの車で「忘れ物を取りに行く」と言いました
恵子さんは最後まで許しませんでした
そして迎えた入学式
私たちはここで取材にピリオドを打つことにしました
私たちは遠くから子供たちの成長を見守ることにしたのです
オーケー。
群馬県にある短大の2年生
保育士の資格を取り将来の仕事に生かしたいと考えていました
もうすぐ社会人
でも表情には幼い頃の面影が…
ここは愛香さんのアパート
(愛香)面白いと思う。
(一同)ハハハ…
(愛香)ひどいっすねこれは。
学生生活最後の日々を楽しんでいるようでした
一方こちらは郡山の秋元家
ここ数年めっきり体力が落ちてきたといいます
1月。
愛香さんが群馬から帰ってきました
お帰り。
(愛香)ただいま。
かあちゃん。
お帰り。
あした郡山市の成人式があるのです
恵子さんに挨拶したあと愛香さんが向かったのは仏壇
父親の典夫さんが震災後心労が重なり1年前に亡くなっていたのです
久しぶりに家族がそろいました
(悠香)私はけんかするときとかもうお母さんなんていいとかお母さんも「悠香なんて知らない」とかそういうこと言ったり心にもないことをお互い言っちゃうんですけど実際のところはお母さんのこと尊敬してるし何だろもう何か…。
お母さんでよかったなって思うときたくさんあります。
夕食は愛香さんの大好きなカレー
恵子さんがヘルパーに頼みました
(ヘルパー)半分使っていいの?
我が家の味をヘルパーに細かく伝える恵子さん
息子のためにちゃんと味見もします
オーケー。
(ヘルパー)大丈夫ですか?
(悠香)お母さんどんくらい?普通。
(悠香)うん?普通?普通って何だ。
こんぐらい?
ヘルパーが手際良く作ってくれた秋元家のカレー
恵子さんの食事の世話をするのもヘルパーの仕事
決して子供たちの世話になろうとはしません
その理由を語ってくれたのは2日後のことでした
(悠香)おおーっ!まさかの白。
(愛香)白かっこよかったからさ。
愛香さんお父さんにも報告します
うん。
よし。
(スタッフ)何て報告したの?
(愛香)見せたかったなぁって。
でも今見せれたからいいかなと思って。
(スタッフ)何か言ってた?
(愛香)いやあの顔のまんま。
似合うっしょ結構。
よし。
任して。
頼もしいひと言を残して臨んだ成人式
愛香さんおめでとう
愛香さんが群馬に戻り再び日常が帰ってきました
(ヘルパー)おはようございます。
おはようございます。
毎朝恵子さんのためにヘルパーがやって来ます
悠香さんの手を借りることはありません
ヘルパーがいるのは1時間
その間に着替えから食事まで全てを済ませます
結んだらぐいっと。
(ヘルパー)ぐいって?はいありがとう。
子供たちが成長するにつれ周囲は子供に介護者の役割を期待するようになりました
しかし恵子さんは自分の世話を決して子供たちにはさせませんでした
食事のあと欠かせないのが痛み止めの薬
薬を飲むのにもこつがいります
ヘルパーが帰ったあと恵子さんにはひそかな楽しみがあります
それは韓流ドラマ
たっぷり韓流ドラマを楽しんだ恵子さん
そろそろお出かけの時間です
(ヘルパー)おはようございます。
恵子さんが向かったのは…
カウンセリングの会場です
こちらは女子会
まずは自己紹介です
(女性)ギドラっていうのは怪獣ですか?
女同士の楽しいおしゃべりが続きます
3月
(卒業生)よいしょ。
(卒業生)乗れ乗れ乗れ乗れ。
(卒業生)ああやばい。
(男性)はいいきます。
(女性)礼。
短大で勉強していた愛香さんが卒業式を迎えました
(女性)秋元愛香。
(愛香)はい。
(学長)本学こども学科所定の課程を修め本学を卒業したので短期大学士の学位を授与する。
まだぶっちゃけ学生でいたいけどまあそんな甘えてられないんで。
特に俺は今まで甘やかされて育ってきたのでその分これから。
(スタッフ)しっかり。
(愛香)ありがとう。
大人になった愛香さんにお父さんのことお母さんのことこれまでどう思ってきたのかあらためて聞きました
障害持ってることについてやだって思ったりとかいじめられるんじゃないかって心配してたみたいだけど一切そのへんはないしいじめもなければ何か他の父親母親と何の変わりもない。
普通の家族。
だからこうやって特別な家族ってすごいとかじゃなくて普通の家族。
でも恵子さんは覚えていました
恵子さんのひと言ひと言に宿る子供たちへの思い
それは優しさとしてまた強さとして
愛香さんの心に届いていました
障害を持って生まれてきたことに対して恨んでないし憎んでないしむしろ誇りに思ってる。
その障害を持って生まれてきたけどここまで生きてきたことに対しての自分に誇りを持ってるからかっこいいやっぱり。
ビック…大じゃなくて何だっけ。
何だっけマザー。
ビックマザー。
えっ違う?
(スタッフ)オーケー。
(愛香)オーケー。
恵子さんは子供たちが思春期に反抗したことについても思いを語ってくれました
(愛香)「どんなときも俺のこと信じてくれてありがとう」「これからも迷惑かけちゃうと思うけどかあちゃんが周りに自慢できる息子になるから待っててください」「かあちゃんの子供で本当によかった」「つらくなったらコルクボード見て元気出して」「誕生日本当におめでとう秋元愛香」
春の一日家族みんなで典夫さんのお墓参りに出かけました
(光代)喜んでんべ。
自分の子供に草むしりしてもらって。
ありがてえな。
お線香のとこだけぬらさないように。
きょうだいでお墓を丁寧に洗っていきます
この日のお墓参りには格別の思いがありました
典夫さんに愛香さんの卒業と就職の報告をしようというのです
働き先は東京
しばらく家族そろって来ることができなくなります
愛香さんが東京へ出発する日です
仕事は保育士とはかけ離れていましたが愛香さんははりきっていました
いろんな物を売ります。
(愛香)売るよ。
(スタッフ)恵子さん。
しばらく一緒にご飯食べることもなくなりますね。
(愛香)かあちゃん一人でかわいそうっていうか心配だから地元帰ってくるって言ったら怒った。
余計なお世話だみたいな。
(スタッフ)怒られたの?でも本当は絶対ちょっとは帰ってきてほしいと思ってる。
まじか。
まあ帰ってこないけどね。
ちゃんとやることやってくっから。
早く。
(愛香)だから必要最低限の物を買いに行くのが時間かかったの。
いろいろ回ったんだよ。
俺は俺で。
母と息子のやりとり
典夫さんの笑い声も聞こえてくるようです
愛香さんアルバイトのお金で洗濯機も買いました
(スタッフ)買ってあげたの?
(愛香)イエス!
(スタッフ)プレゼント?
(愛香)プレゼント。
初社会人の。
初社会人だからね。
ようやく。
かあちゃんは強い。
人間としてすごい人だけどやっぱどうしてもそういう力貸してほしい部分はあるから。
手貸してほしい部分はあるから。
余計に俺が遠く行って見れない分手を貸してもらうことになる。
(スタッフ)でも愛香の家族は普通の家族なんでしょ?うん。
だからこれからも手は貸してほしいけど決して大変とかかわいそうではないってこと。
もう夜もこんな時間
友達の手を借りて荷物を運び出します
真夜中の引っ越し
恵子さんいつもなら寝ている時間でした
(愛香)よし。
いってらっしゃい。
じゃあな。
じゃあなかあちゃん。
いってらっしゃい。
いってくっから。
体に気を付けて。
よし。
じゃあね。
じゃあいってきます。
いってまいります。
いってらっしゃい。
頑張って。
(愛香)はい!さらばいってきまーす。
いってらっしゃい。
(愛香)いってきまーす!いってらっしゃい。
(スタッフ)行っちゃいましたね。
はい。
(スタッフ)これでいいんですよね?はい。
二十歳の愛香さん自立の旅立ちです
今日も恵子さんは大忙し
この日出かけたのは被災地の障害者を支援する集まり
あの時の教訓をこれからどう生かしていけばいいのか熱心な活動が続いています
障害者の自立を支援する活動もしている恵子さん
自立の先にあるのは結婚や出産
自分の歩んできた道を振り返りながら後輩たちに語ります
(スタッフ)好き嫌いあるんですか?
(スタッフ)何でも?うん。
秋元恵子さん
言葉の一つ一つが私たちの胸に響きます
(スタッフ)かっこいい。
2015/12/28(月) 02:40〜03:40
MBS毎日放送
ふつうの家族 ある障がい者夫婦の22年[字]

両親共に脳性まひの重い障がいがある秋元さん夫婦。初めて親になった日から20年—「家族の記録を残してほしい」成人式を迎えた子の想い。命がけの子育ての答えを伝えます

詳細情報
番組内容
共に脳性まひの重い障がいがある秋元さん夫婦。
親元を離れ、自立した生活を送りたいと結婚したのは1992年のことでした。
やがて夫婦は2人の子どもを授かります。
重い身体障がいがある夫婦の子育ては当時県内では前例がなく、様々な困難を乗り越えながら子供に深い愛情を注ぐ夫婦の姿は、大きな反響を呼びました。

秋元さん夫婦が初めて親になったあの日から20年…。
二人が育てた子(長男・愛香)は成人式を
番組内容2
迎えました。
「普通の生活がしたい」という秋元さん夫婦の希望を尊重し、
子どもの成長を第一に考えて、この間の撮影を控えてきた取材班。
そんな私たちに愛香は言いました。
「自分は親を尊敬している。家族の記録を残してほしい」と
重い身体障がい者が親になることに、当時様々な反応がありました。だからこそ 20余年に及ぶ秋元家の歩みを通して夫婦の命がけの子育ての答えを伝えます。
 
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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