アメリカワシントンにある美の殿堂。
2015年夏一人の日本人画家の展覧会が開かれ注目を集めました。
社会の底辺で生きる女性。
もの憂げでそれでいて芯の強い姿をやさしい筆遣いで描いた代表作です。
画家の名は…20世紀初頭移民として海を渡りニューヨークで活躍しました。
その絵には計り知れない苦難が刻まれました。
差別を受けながらもすばらしい芸術を生んだ国吉康雄を今こそアメリカは見つめるべきです。
今まで見た絵と全く違う魅力があります。
アメリカにいた日本人だったから描けたのだと思います。
国吉が亡くなって60年余り。
大量の遺品の調査が本格的に始まり画家の素顔が少しずつ見えてきました。
波乱の人生から生まれた哀しみと希望の絵画。
国や時代を超えるその魅力を探ります。
「日曜美術館」です。
さあ今日紹介するのはアメリカで活躍した日本人画家国吉康雄です。
新さんはご存じでした?いや僕は存じ上げてませんでした全く。
でももう100年も前にアメリカに渡って活動されてたんですよね。
そもそも画家を目指してアメリカに行ったのではなく向こうに行ってから開花したっていうのがとても興味深いなって思いますね。
美術という枠を超えて人としてとても興味が湧いてくるなと…。
そうですよね。
まずは国吉康雄どういう人物なのかそしてその魅力はどこにあるのか見ていきましょう。
新聞にはまた悪いニュースが載っていたのでしょうか。
不機嫌そうな女性をやさしいまなざしで捉えています。
明日の自分はどうなるだろうという不安。
都会の片隅で生きる人物に光を当てた画期的な作品。
国吉康雄の名前を世に知らしめた傑作です。
アメリカ近代美術史の第一人者…国吉が活躍したニューヨーク。
かつてどれほど脚光を浴びた画家だったかを物語る貴重な写真が残されています。
戦後まもなく華やかなパーティー会場。
300人を超す着飾った人々が画家の個展の開催を祝っています。
はるか前方に座るのがこの日の主役国吉康雄です。
ニューヨークホイットニー美術館では国吉の業績をたたえる展覧会が開かれました。
更に全米の美術館が選ぶすぐれた画家のトップ3に輝きアメリカを代表する一人となっていました。
しかし遺品の調査で意外なものが見つかりました。
スクラップブックです。
新聞や雑誌に載った展覧会や受賞の記事を丁寧に貼り付けていました。
それは作品の評価しか頼りにするものがなかったかのような移民としての厳しい人生をうかがわせるものでした。
国吉康雄は1889年明治22年岡山市に生まれました。
父親は車引きの頭領をしていたといいます。
一攫千金の夢をかなえたい。
もうすぐ17歳という時に一人アメリカに渡ります。
たどりついた西海岸。
待ち受けていたのは厳しい現実でした。
肉体労働の職場を転々とします。
英語が話せない国吉は意思疎通を図ろうと言葉の代わりに絵を描きました。
それが褒められて画家の道に進む事を決意します。
やがて国吉はアメリカ美術の本場ニューヨークに移り住みます。
初期の作品…暗い海。
しっかりと手をつなぎ合う2人。
沖合から聞こえてくる波音見た事もないものが近づく気配。
愛らしさの奥に不安が漂います。
しかし国吉は追い込まれます。
1920年代「日本人移民が仕事を奪う」とアメリカの労働者が反発。
激しい排斥運動が起きました。
そんな時代の一枚。
少年がそっと果物に手を伸ばします。
国吉の心情を代弁するかのような緊張感です。
ニューヨークを代表する美術学校…140年の伝統を誇ります。
人種も年齢も関係なく学べる当時から開かれた学校でした。
国吉は奨学金をもらいここで絵を本格的に学びます。
差別のない自由な雰囲気は国吉の才能を一気に開花させました。
そして生まれた傑作。
「もの思う女」。
国吉46歳。
娼婦でしょうか。
女性はあえて人種を曖昧にしています。
情事のあとのようなけだるい空気が漂います。
もの憂げな表情が印象的です。
その奥には強い意志が秘められているようにも見えます。
国吉の女性の描き方は独特でした。
モデルのデッサンをしてから半年ほど絵を寝かせたあとようやく色を塗り始めたといいます。
当時1930年代半ばのアメリカは世界恐慌のあとで失業者があふれていました。
国吉の絵はアメリカ社会で不安を抱えて生きる人々の心を捉えて離しませんでした。
とてもモダンな絵ですけれどどこかさみしげで暗さが感じるなというふうに思いますね。
時代をどこか映してるんでしょうかね。
さあ今日のゲストをご紹介いたしましょう。
国吉康雄がお好きだとも伺いました。
日本画家の千住博さんです。
(2人)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
千住さんは国吉康雄のどこに魅力を感じているんでしょうか?初めて見たのはまだ私が十代の時だったと思うんですけども。
いわゆる西洋画というかアメリカの絵とも違いますよね。
だけど東洋画というのでもないと。
何なんだろうと思って結構興味を持ってこの不思議な感じを見ました。
まあ思いますと両方のいいところを取る事によってそして何かこの人間というふうなところから発信をしている。
そうやって東洋にも西洋にも通じる。
ほんとのインターナショナルっていう事の一つの答えなのかなとそんなふうな事も含めながらとても興味を持ってる作家ですね。
その魅力がまさに詰まった作品の一つとも言えるのがこの「もの思う女」という作品がありまして。
私がこれを見て感じるのは五感で感じてるって感じですかね。
香りっていうか匂いがある。
そして温かさがある。
そしてこの音呼吸してる声のようなものも聞こえる。
で汗もかいてれば触るとひんやりしてたり温かったりする。
それも言葉で表現できないような複雑なものをね絵なら描けるのではないかという事で挑んでいったようなところがあると。
人間のある種のメランコリックな心の内ですよね。
絵というのが輪郭だけ描くんじゃなくてその人の心の内側を描き出すと。
おまけにこの時代なんだろうと思いますけれどもとてもある…何て言うんでしょうかね明るいだけではない生きていくのも大変。
そういう人間のいろんな心の葛藤みたいなものとそれと同時にしかし生きていくんだっていうその迫力というかそういうのを感じますよね。
傑作だと思います。
国吉と同じように千住さんもニューヨークで創作活動をされていますけれども僕の勝手なイメージだとアメリカは今も人種差別が根深く残っている国なのかなと思って。
ただね私の場合は非常に幸運な事にそういう嫌な目に遭った事ってないんですよ。
あとやっぱり時代が随分違うと思います。
変わった。
差別は何もアメリカだけじゃなくて世界中どこにでも人間の社会というものにはあってそれは等しく特にアメリカだからどうという事ではないと思います。
ただこの時代は特にいろんな事があって厳しい時代だったのかなそういうしわ寄せを全部そういう移民者に来てしまったのかなってそんなふうなところはあったかもしれないです。
その戦いがあったからこそこのような質感であったり色合いであったりっていう作品が生まれたとも…。
そういう事も踏まえてこの絵を考えますとこの絵って実はとても面白い絵なんですね。
国吉の中でも一二を争うぐらい好きな絵なんですね。
何かっていうとまず桃じゃないですか。
これ桃って桃太郎…。
岡山!彼岡山出身ですから。
だから桃見るとこれは自分じゃないかと。
上のバナナっていうのはよくアメリカでは外側はイエローだけど1枚むくと白いと。
だから日本人の事なのか東洋人の事なのかそういう事を割とバナナという事があるんですよね。
だから要するに桃とかバナナというのは彼自身なのかと。
それを持ってるこの豊かに太った子供。
これはアメリカというのはまあ200年ぐらいしか歴史のない国で言ってみれば世界の中から言ったら子供みたいなものだと。
だからアメリカによって自分はある種どう言うんでしょうかねもてあそばれてると言ったら言い過ぎかもしれませんがある種翻弄されている自分自身というようなところがこの絵にはあるのかなと私は思うんですよ。
アメリカワシントンには国吉康雄の遺品が大量に保管されています。
そこには戦前のつかの間の幸せを物語るものが残されていました。
(学芸員)すてきな写真です。
アトリエで撮られたものです。
帽子をかぶって気取った姿。
国吉は手記でこう語っています。
国吉は2度結婚します。
妻は2人とも美しいアメリカ女性。
夫婦で度々パーティーを開きニューヨークに積極的に溶け込んでいきました。
そんな折ふるさと・岡山から父親の病気の知らせが届きました。
1931年国吉は父の見舞いと同時に日本で初めての展覧会を開くため会心の作品を携えて帰国しました。
国吉の帰国を伝える当時の新聞が残されています。
「アメリカ画壇の明星岡山に帰る」。
「米国第一の邦人画家国吉康雄氏帰る」。
25年ぶりの祖国はアメリカで成功した画家を温かく迎えました。
岡山市内に半世紀以上続く喫茶店があります。
飾られているのは国吉が岡山滞在中に描いた葡萄の絵。
美術好きだった店主が岡山で描かれた貴重な絵だからと手に入れました。
葡萄は国吉にとって日米をつなぐものでした。
アメリカに着いてまもない頃国吉は農場で葡萄の収穫に汗を流しました。
そして岡山は葡萄の産地でした。
国吉は一粒一粒の手触りを確かめるように描いています。
懐かしいふるさとを味わうひととき。
ところが日本での滞在は必ずしも手離しで喜べるものではありませんでした。
満を持して開いた展覧会。
アメリカで評価された自信作を持ち込んだ国吉でしたが評判は芳しくありませんでした。
「アメリカの美術は日本に知られていないという事は聞いていたがあまりにも知られていないのに驚いた」。
日本での足跡を中心に国吉を研究する…当時のメディアも次第に国吉に戸惑ったといいます。
まさにその浦島太郎という言葉がキャッチフレーズのように使われてまして。
ニューヨークの真ん中から戻ってきたわけですから時間と距離と世界の違いっていうのがほんとに大きかったんじゃないかと思います。
更に国吉は屈辱的な体験をします。
警官に道を聞いた時帽子を取らなかったというだけで激しく責められたのです。
当時大陸では満州事変が始まっていました。
国内でも軍部が台頭。
戦争熱に浮かされたような気運が高まっていました。
国吉は後にこう記しています。
国吉にはアメリカしかありませんでした。
しかし…。
国吉はアメリカから敵国民と見なされます。
ワシントンの展覧会場に張り詰めた空気が漂う一角がありました。
戦時中に描かれた作品です。
日本軍の捕虜となった兵士その拘束された姿。
戦時情報局から国吉は何度も残酷な絵を描くように命じられました。
遺品にあった当時の国吉の写真です。
アトリエで力なく立つ姿。
その先には奇妙な作品。
このころの胸の内を刻んだ絵です。
逆さのテーブル。
ひっくり返った花瓶。
新聞。
なぜか不気味な仮面がかけられています。
何もかもがちぐはぐです。
心配事を抱え込んでいる国吉の作品に必ず描かれる新聞がそれをシンボリックに表しています。
定規がありますが曲がっていて測る事ができません。
測りがたい混とんを語っています。
うつろな仮面はゆがんでいます。
かつての自分はもうどこかへ行った。
同じ頃の自画像。
国吉はアトリエに籠もり自分の信じる絵をひそかに描き続けました。
新たな時代が来るのをじっと待ちながら…。
国吉と戦争というのはとても大きなポイントだと思うんですけれども日本帰国後の国吉の心境というのは千住さんどのように察しますか?深い絶望感だったと思いますよ。
だって故郷に錦を飾りたいとこれは誰しも思いますよね。
戻ってみたところでやっぱり何でしょうかね奇妙な感じというかなかなか理解されなかったんでしょうね。
そういうふうなイメージがあって。
それでなかなか本質的なところも見てもらえないしっていうそういう…何かすごく分かるような気がしますけれどね。
そんな中であの「葡萄」の絵はとても果汁があふれてるような。
みずみずしい。
いい絵ですよね。
国吉ってこの絵を描きながら自分はやっぱり本当にね東洋人なんだという事を改めて思い知ったというかがく然としたんじゃないかなと思うんですよね。
普通に描いてこんなに見事な水墨画を描けてしまうわけですよ。
なかなか描けないですよこういう絵は。
そういう時にアメリカではないもう一つの祖国というものをしっかりと彼は思い知らされたというかかみしめざるをえなかったのかなと。
単にじゃあ日本さよならというわけではないなという事がこの絵なんじゃないかなと。
捨てきれてないという事ですか?捨てられないという事ですね。
自分は日本人だという事を改めて再確認せざるをえなかったんだと思います。
あともう一つ不思議をもう超えて異様な空気さえ漂う。
ただねこれ見て私思いますけど国吉という人はとっても正直で素直な人で。
文字どおりこのとおりで。
上下が逆でひっちゃかめっちゃか大騒ぎだと。
もう上へ下への大混乱と。
まさにそういう精神状態そのものだと思うんですね。
だからある意味で言えばとても分かりやすい絵だと思うんですね。
うちの中がもうひっくり返ってるわけですよね。
またアメリカでもまた自分の居場所がないんではないかと感じてしまったというのは…。
苦しかったのは国吉だけじゃなくて当時の多分アメリカ人も同じだったと思うけど特にやはり日本人は厳しい状況に置かれてたと思いますね。
その非常に残虐なねアメリカ軍寄りの絵を描かなければいけなかったという事の彼の引きちぎられるような思い。
おまけに相手は自分の母国ですよね。
ですからそういうふうな意味でも戦争によってねずたずたに引き裂かれた。
彼自身がじゃあ自分はどこに着地をしたらいいのかという事で何て言うんでしょう次のステップに行くためのねでもそれは試練だったという気もしないでもないんですよね。
戦後国吉は再び脚光を浴びます。
今度は美術の指導者としてでした。
戦前から母校アート・スチューデンツ・リーグで教えていた国吉は戦後になると一段と熱のこもった授業を行いました。
教室はいつも生徒たちでいっぱいでした。
国吉の教えに感謝しているといいます。
ニューヨークを代表する美の殿堂…1948年国吉は日本人として初めてここで回顧展を開く栄誉に恵まれました。
後押ししたのはアメリカ美術家組合の画家たちでした。
展覧会は大成功を収めます。
祝賀会には国吉を敬愛する画家たちがこぞって集まりました。
当時国吉は画家の生活や権利を守る組合のリーダーとして1,800人の会員を擁する大組織を率いていました。
しかしこの組合活動が共産主義だと弾劾されいわれなき罪がかけられます。
東西冷戦が激しさを増す中で共産主義者に対する無謀な検挙が行われていました。
いわゆる赤狩りです。
このころの作品…それまで描いた事のない鮮やかな色彩がちりばめられています。
「ミスター・エース」はサーカスの道化師です。
しかしその目はどこか冷酷。
この「ミスター・エース」はふだんはマスクで顔を隠していますが時にはマスクを取って牙をむく恐ろしい一面を見せる事があると国吉は言っているのです。
「ミスター・エース」の正体。
それは度々国吉を押さえつける大国アメリカそのものだったに違いありません。
日本で国吉の知られざる魅力を発見した人がいます。
絵画修復家の岩井希久子さんです。
現在道化師の顔を描いた巨大な作品を手がけています。
岩井さんは戦前から戦後まで幅広い国吉作品を修復してきました。
中にはあの傑作も。
この作品は国吉にしては珍しく水彩画。
包装紙に使われた大きな紙の上に一気呵成に描いています。
(岩井)色使いっていうのは戦後ね未来に対する希望とかこれからの自分自身に対する希望とかそういう意味合いがあるのかなと思うんですけど。
だけどやっぱりこの仮面かぶった顔とかの中にものすごい愁いがありますよね。
だからそのほんとに複雑な心境がすごくよく伝わってきて何かすごく苦しいというか複雑な心境にこっちもなりますね。
紙には亀裂やしわが無数に刻まれていました。
細かく削った消しゴムの粉で歳月の汚れを丁寧に落としていきます。
岩井さんは細部の描き方に国吉らしさが表れていると言います。
作品を修復しててほんと水彩画を描くような油絵でもぼかしがあったりあと間があるんですね。
空白がある。
塗り潰してないんですね画面全部を。
そこがすごく日本人的な感覚だと思いました。
ああやっぱり国吉さんもアメリカでずっと描いてたけど日本人なんだなってすごく思いましたね。
はかなげな印象を残す国吉作品。
秘密は余白とも言える淡い色彩にありました。
日本人としての感性がそうさせたのか。
絵には計り知れない魅力が詰まっていました。
国吉の晩年アメリカ美術の主流は大きく変わります。
ポロックに代表される抽象絵画が全盛を誇りました。
国吉は1953年ひっそりと亡くなりました。
63歳でした。
今回の展覧会をきっかけに国吉が最後に描いた作品が明らかになりました。
「オールド・ツリー」絶筆です。
枝を伸ばした大木が天に向かいます。
鳥のさえずりも聞こえます。
この作品こそ国吉の生き方そのものを表しているとウルフさんは考えます。
経験を重ねるたびに木は太く強くなり木漏れ日が降り注いでいます。
たとえ時代に取り残されても彼は決して諦めなかった。
死を前にしてなお描き続けたのです。
生前国吉は画家を目指す若者たちに次のような言葉を残しています。
人種差別。
戦争。
アメリカの影を背負いながら芸術の輝きを育んだ日本人画家。
それが国吉康雄でした。
「自分が自分である事に正直であれば」というあの一文とても響きますね。
国吉というのはやっぱり自分がリーダーであるという意識をやっぱり持ってたんじゃないかな。
だからそうやって自分も鼓舞していたし同時に多くの人たちを励ますという事を意識的に同時に無意識的にね何かそういうふうな彼自身の生き方があって見事な言葉だと思います。
すごくメッセージ性の強い言葉だなと思いますけど。
あの木の絵があるじゃないですか。
今回明らかになった絶筆。
これは要するに葉が全部散りそして決して華やかな春や夏の時代とこの絵を見て思う人は誰もいないですよね。
やっぱり秋か冬の時代になってる。
締めくくりという事を感じながら描いたんじゃないかと。
だけどもこの鬱蒼と茂った木が自分だとするのならば枝がほんとに多く成長してねトム・ウルフさんもおっしゃってたように向こうからは明るい日の光がさしていると。
葉は全部落ちてますけれど力強いですもんね。
力強さはあります。
そこは彼自身が自分の人生を決して否定してるわけではない。
自分なりにできるかぎりの事をやったと。
素直に自分の置かれてる状況というのをほんとに分かりやすく説明をしつつね非常に深いものも同時にここで伝えてる。
そういう稀有な画家ですよね。
ほんとに最後の最後までほんとに素直にやっぱりぶれてないですよね。
今この現代やっぱりこの国吉の作品が私たちに伝えてくるものって…。
それね2つあると思うんですよ。
一つはですね平和という事の一方でこの平和を失うとどういう状況になるのかどれだけ一人の画家を具体的に言うとねこれだけ引きちぎるのかという具体的な例としてこの国吉の作品というのはとても大きな意味を持っていると。
これは悲劇なんだと。
平和を失うとこういう事になるんだという事が一つ。
もう一つはですね敵とか味方とかいろんな国籍があるじゃないですか。
日本人とかアメリカ人とかいろんなね宗教もあるかもしれません。
でも敵も味方も皆同じ人間でその同じ人間は傷つけば悲しむし痛い目に遭えばつらいしひどい目に遭ったら泣くんだと。
そういう同じ人間なんだという事を私たちどっか忘れてるかもしれないというのはこの国吉からのメッセージかもしれない。
彼は両方の側を祖国として生きたからこそ両方の痛みで引きちぎられるような人生が作品として反映されたんだろうと。
その点もどうしても忘れてはいけない重要なポイントだと思いますね。
画家の才能って何かっていうと全ての人たちの代弁者であるという「私は」ではなく「私たちは」という視点に立てるという事が画家の才能なんだと思うんですね。
ですからこれは国吉一人の人生ではなくてこの時代の人々みんなの「私たちは」という絵だというふうに私は思いますよね。
今回本当にどうもありがとうございました。
2015/12/27(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「国吉康雄 アメリカで蘇(よみがえ)る日本人画家」[字][再]
2015年夏。ワシントンで展覧会が開かれ注目を集めた日本人画家がいた。国吉康雄。20世紀初め海を渡り、ニューヨークで活躍した。没後60年以上をへて、なぜいま?
詳細情報
番組内容
もの憂げな表情が印象的な代表作「もの思う女」。世界恐慌に揺れるニューヨークで描かれた。はかなげだが強い意志を秘めた女性の姿は、不安を抱えて生きる人々の心をつかんだ。国吉は底辺で生きる人たちを柔らかな筆遣いでとらえ、全米の美術館が選ぶ画家トップ3にも入った。人種差別、太平洋戦争…。その絵には計り知れない苦難が刻まれていた。アメリカの影を背負いながら描き続けた国吉。時代や国を越える魅力を探る。
出演者
【出演】日本画家、ビエンナ—レ優秀賞…千住博,美術史家…トム・ウルフ,絵画保存修復家…岩井希久子,岡山大学准教授…江原久美子,アーティスト…ブルース・ドーフマン,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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