(阿川)おはようございます。
阿川佐和子です。
今日のゲストはなんと6年9か月もの長きにわたって連続ドラマず〜っと出演っていう記録はまだ日本では破られてないそうなんですけどもそんな記録を持った方です。
俳優の内藤剛志さんです。
おはようございます。
お願いします。
すみません。
いえいえとんでもないです。
今の記録はちょっと前なんですね。
そうですね。
ええ〜っとまあ10年ちょっと前ですかね。
おっきいっすね。
あははっ!だんだんでも縮んでますよ。
えっ縮んでます?そんな年じゃないでしょう。
だってもう還暦ですもん今。
あっ…。
毎年あの〜人間ドックに行くじゃないですか。
あそこきっちり何ミリまで測りますよね。
縮んでます。
私のとこまでは届かないですね。
いくら待ってもね。
いくつまで生きるかによりますけどまあ若干縮みつつあります。
でも183まだあります。
いいな〜。
あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは…。
25歳のとき映画「ヒポクラテスたち」で俳優デビュー。
そして一躍注目を浴びたのがドラマ「家なき子」。
当時社会現象となったこの作品で冷徹な父親役を演じ存在感を放ちました。
それじゃあな。
その後幅広い演技力でドラマに欠かせない存在となった内藤さん。
30作品連続ドラマ出演という日本一の記録を打ち立てました。
そして52歳のとき「水戸黄門」の風車の弥七役に抜擢。
しかしそこには2代目だからこその葛藤もあったそうです。
へえ〜。
だってそれはしょうがない下手なんだから。
なんだけどでそこにこう…今日は内藤さんが還暦を迎えた今も第一線で走り続けるための秘訣を語ります。
しつこいようですが改めましてその6年9か月30作品連続ドラマ出演っていうのは…。
これでも1995年からまあかの有名になった「家なき子」があってで2001年の7月まで。
そのへんまでを…そのあとも1クール休んでまたすぐやってるんですけど。
でもほんとにこれありがたいことだとは思いますがでもあの〜世の中のお父さんって働いてますもんね。
あははっ!
(内藤)演技することが仕事だから毎月働いてたって普通だと僕は思うんですよ。
まあね。
これでもそのドラマはどんどん来たってことでしょ?じゃあ。
(内藤)そうですね。
それで断ったこともあるんです?
(内藤)まあスケジュールが駄目なやつは無理ですよ。
断らないです仕事は。
ええ〜!ありがたいことで僕こんなこと言うのあれですけどええ〜っと二十歳ぐらいからこういうことしてまして仲間がいっぱいいてみんなその夢を持っていても必ず椅子に座れるわけじゃないじゃないですか。
なので自分もそうだけど一緒にこの夢を目指したヤツの分までってどっかで思っちゃうんですね。
背負ってる感じ?ええ格好してるつもりはないんですけど。
断るなんてとんでもないですよ。
どんどん下さい!仕事。
(スタッフ)あははっ!どこに向かって…。
でもまあこれはいろいろな役柄お父さん役だったりなんかいろいろやってるけれどもどっちかっていうとイメージとしては刑事さんか捕物帳か検事さんか。
(内藤)うんまあ自分で言ってるんですけどまあ86〜87%が刑事。
自分の演じたものの中の80何%が?まあこれ以降ですよ。
これまではあんま刑事ないんですけどこれ以降のですけどだいたい80…まあ一応決めましょうか。
じゃあ87%刑事。
決まりました!はい87%。
10%がええ〜っとまあ例えば検事事務官などいわゆる法律関係の弁護士などこれが10%ですね。
残りの3%が悪い役です。
悪役?敵役。
あっ敵役そう。
ってことはもう刑事刑事刑事刑事ってこともあるってことですね。
区別が自分でつかなくなるっていうか…。
やっぱりね変えたいんですよ。
ビジュアルはもう無理ですよね同じ時期だと。
髪形変えられないし。
そうです変えられないし。
だから例えばですけどポケットに手を突っ込むってことはしないとか。
ああ〜。
意外とねポケットに手を突っ込む突っ込まないは雰囲気変わるんですよ。
あっそうなんですか。
どう変わるんですか?例えばですねこうやっていつもこうやってしゃべっている人とこうやって「で死亡推定時刻は?」ってやるかあるいはこう普通に立っててですねこう割とパッと伸ばして「死亡推定時刻は?」って変わりますよね。
ちょっとしたことなんですけど意外と変わるんですよ。
そうするとのりやすいんですよね。
ああ〜ひと言言う同じセリフでも…。
同じセリフでもね。
だから結局自分をどうだますかっていうのは外からやった方が早いんですよね。
声はやっぱり各役柄によってちょっと変えてみるとかやっぱあるんですか?それはやってます。
ただあの〜ただ僕ブルルっていうのはあんまやらないです。
「
(低い声で)あの…お茶は飲むかい?」っていうような芝居はしないです。
「お茶は飲むかい?」って必ず言いたい。
あっなるほど。
中尾彬さんみたいにはならない?中尾さんそうでしたっけ?「
(低い声で)ああ〜内藤君」。
でも結構はっきりされてませんかね?そうなんですか失礼しました。
怒っちゃや〜よ。
中尾さ〜ん。
あの…例えばいろんなやり方があると思う。
それはそれでいいんですけど僕はブレスを入れるか入れないかとか。
「私は…昨日…こうしたんですよ」ってしゃべるか「私は昨日こうしたんですよ」っていうのは随分変わりますね。
あるいは倒置法をちょっと変えさせていただいたりとか。
「昨日僕は」を「僕は昨日」にしたりとかそういうふうにしてちょっと変えていくのはあります。
大変なんだね〜役者さんって。
意外と飽きないですよ。
内藤先生!いえいえとんでもない。
演劇学校の先生みたい。
(妻)よいしょ。
(夫)大丈夫か?
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
洗濯槽を浅く取り出し口を広く。
奥の物まで取り出しやすい洗濯機。
世界で一番軽いボディ。
持ち運びが負担にならない掃除機。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」この方の履歴をねたどっていくと本当にいろいろあるんでちょっと1つ1つひもといていきたいんですがまずは2曲選んでいただいてる1曲目。
記憶の中で今でもきらめいている曲はなんですか?これはねあの〜「スタンド・バイ・ミー」って曲です。
ベン・E・キングさんとジョン・レノンさんと2つあるんですけど僕の方はジョン・レノンバージョンで。
ジョン・レノンバージョンが。
これどこで知って…。
これはもう街で流れてましたね。
そのころはですね要するに大学もいってました「文学座」もいってました。
で自分たちで劇団も作っていて外で芝居もしてた。
で自主映画も作ってた。
ですが結果が出ないんですなんか。
つまり親に届ける結果というか。
ほう〜。
あのですね女の子がいまして…ええ〜つきあってた子がいたんですよ。
であの…なんにもうまくいってないですね。
でこの曲って空が落っこってきたり山が崩れてきても君がそばにいてくれたら力強くなれるんだって。
で芝居はうまくいかないんだけどその子だけはいつもいてくれるんですよ。
だから半同棲してたりとかしてほんで…もうやめようと全部。
もう芝居やめた大学もやめた。
で彼女は横浜の子だったんで彼女の家の近くに引っ越そうって。
で新宿にいたんだけどそこももうやめてそこで鳴ってるわけずっと「スタンド・バイ・ミー」。
「スタンド・バイ・ミー」なんですよ。
その子さえいればいい。
ああ〜いいなぁ。
それで?で全部やめて横浜に行ったの。
純愛!そう。
でバイクで通って「朝日新聞」のアルバイトをしてたんですよ。
そしたらですよそうやってこう自分からやめたらやってくるんですよね仕事が。
あっ仕事が来るようになったの?だから25歳ぐらいになると大森一樹監督が「ヒポクラテス出ない?」とかって。
だから不思議なもんですよね。
こっちから恋焦がれてたらあっち行っちゃうんだけどその彼女だけいりゃあいいやと思って全部やめたら向こうから来てそのあとにもNHKのまあ連続ドラマだったりとかどんどん入るようになって。
今日までバイトしてません。
それが最後の。
今日までバイトしてません。
来週からするかもしれません。
何言ってんだかもうそんなわけないです。
えっ彼女はどうなったんですか?結婚しました。
じゃあ今の奥様が彼女ってことなんですか?そうです。
純愛!さっきまで一緒にいました。
やだぁ〜。
一緒におまんじゅうを食っていきました。
阿闍梨餅を食べていきました。
阿闍梨餅を?阿闍梨餅を。
だからいまだに一緒にいますよその人と。
やっぱりあの〜攻めても駄目なときは一回退却しなきゃいけないのかもしれません。
なんか半端だったんでしょうきっとやってることが。
きっと。
えっでも例えばサラリーマンになるとかどっかの企業に入るとかいう気は。
それはなかったですね。
物を作りたくて。
小学校の頃からそういうのでなんかでもまあそういうドラマのそばにいきたいって。
まあ父親がこのカメラを切り替える…あっ今これ2カメさんでしょ?でドラマって変わりますね。
これやってる人なんですよ。
スイッチャー?スイッチャーなんですよ。
でそのドラマのスイッチャーだったんでだからどっちかっていうとそっちへいくだろうなと。
じゃあお父様の仕事に対する憧れみたいなものがあったんですか?やっぱりドラマに子供の頃から行ってましたしこういうスタジオに。
でもお父様は要するに役者になることには大反対だったんですか?なんかやっぱり駄目というんじゃなくて不安なんじゃないですか。
ちゃんと食べていけるか?こいつがっていう。
そのいい悪いとかって話じゃなくてね。
まあ今僕が実感してることですけど運ですほとんどここにいるのは。
みんな頑張ってるんです。
さっきたくさんありましたけどあれはたまたま「家なき子」みたいなのでおっ!って有名になったりとかその「家なき子」だってうち出てなかったらどういう人生だったか分かんないという。
なのでほとんど運ですから親からすればそこへ子供を渡す…それはよく分かってた人だと思います逆に。
テレビ界っていうものを見てたわけだから。
でもその後着々と本当に1つ1つドラマに出て映画にも出られてっていうのをご覧になったときにお父様はなんておっしゃいました?なんかちょっと褒めたりとか。
まあ昔ちょっと「お前スイッチャーの気持ちが分かってない」って言われたことある。
あははっ!このスイッチングっていうのは意外とね今はこれは…。
これねほんとは分かんなきゃいけないんですよ。
例えば今カメラいくつあるんですかね。
123…4台でしょ。
例えば今こうやって撮っていただいててなんかセリフが終わると次こっちだったりするときにまだ画が来てないのにしゃべってたりするんですよ。
替わってからしゃべりはじめたらジャストなのにっていうようなことは…。
それとねよく言ってたのはスイッチャーさんは全部の画を見てるんですよね。
なのでいい役者だったらしゃべり終わってもまだスイッチングしないって言うわけですよ。
言い終わった顔をまだ見てたい。
そうさせなきゃ駄目だって言われたことある。
そうか。
スイッチャーの気持ちが分かるっていうことは要するにこういうことなんですよね。
たぶんスタッフに対してきちっとアピールできてるかと。
ガッとやってれば言い終わったおしまいじゃなくて。
セリフないからこうやって待っててセリフ…っていうんだったらなんだこいつって思われるけどいつもこうやってればあいつ映したいって…。
やる気あるないい顔だなって。
先いけっていう。
ええ〜!まあそれは別にスイッチャーがどうだっていう話じゃなくてですねやっぱりこういちばん初めの観客はスタッフだってよく言ってた。
この向こうに何百万人って方がいらっしゃるとしてまずスタッフが…。
スタッフがおもしろいと思ってくれなきゃね。
駄目だよって。
そのスタッフがいい芝居だと思ってなくてその先にあるものが伝わるわけないっていう。
次の仕事は来ないってことなんだ。
そこは彼はそういうことをたくさんの言葉じゃないですけど伝えてくれたんだと僕は思ってますけどね。
伝えてくれたってまだ元気ですけどね。
だから僕…今2カメさんですねっていうふうに…。
(ナレーター)自分で歩きたい。
自分で食べたい。
年を重ねるとそれが当たり前ではなくなってしまう。
だから私たちはささえ続ける。
よりそうささえるパナソニック。
これからの介護。
これからの暮らし。
パナソニックのエイジフリー。
(妻)あなたには小さくない?
(夫)いやこれぐらいがちょうどいいんだよ。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
2人分でもかまど炊きの美味しさに炊き上げる小さな炊飯器。
これからの日々に上質を。
パナソニック「Jコンセプト」
(子ども達の歓声)
(歓声)でも内藤さん最近主演がすごく多くなってきたけどもやっぱり脇役っていうことがすごく多かった…。
今でも両方やりたいと思ってますけどね。
それはご自分の中ではやっぱり主演やりたいのに脇役の話ばっかり来るなっていうこうじくじたるものは…。
ありましたよ。
この…今じゃあ言い方で言うと「席」というふうに言ってましたけど。
せき?あっこれね。
椅子ね。
椅子は20代で10個あるとしたら30代になるとちょっと減るんですね。
年を重ねるごとにだんだん座る椅子がなくなってくるっていうこと?そうですそうです。
僕は割と遅かったんですね。
25ぐらいからええ〜芝居…いい役が来はじめた。
ですがそれより前にやってた人たちがいるんですね。
まあ例えば近い世代で言えば例えば佐藤浩市君とかええ〜中井貴一君とかそういう人たちがいて。
取り合ったって意味じゃないですけども早くデビューしてた人たちとかやっぱりいたりしますよね。
主役級の…。
そうですそうです。
となるとパッて見ると椅子が少ないわけですよ。
だったら椅子じゃない…こういうのじゃなくてパイプ椅子はまだあるか?ってことですよね。
それは例えば今脇役とした場合じゃあパイプ椅子でもいいよと。
持ってきてそこに座ったれっていうふうには思ってましたね。
で50代になって少し仕事を控えてらした時期があって…。
そうでもないですけどね。
やっぱりこう…僕ねあれなんですよNGあんまりないんですよ。
ほう〜。
NGを出さない…「NGってどうやって出すんですか?」って冗談言ってたぐらいで。
感じ悪いでしょ?でもあるんですよ。
失敗しないんですか?しないんですよ。
NGないんですほんとに。
なかったんですよ。
なかったんですが今のおっしゃってることはたぶんこのことだと思うんですけどNGがやっぱりこう年取ってくるとやっぱりかんだりするようになるんですよ。
いくつぐらいから?まあ50代になってからかな。
あっ今までやったことがないのに?それはちょっとはありますよ。
ですけどあれ?こんなに言えなかったかなって思うことはなかったですね。
やっぱりそれは年だと思いますよ。
えっまだ早いでしょ?いやちょっとって意味ですよ。
でええ…まああるドラマの最中にちょっとそういうこと思ったんでちょっとそれが終わったらやめてみようと思っていわゆる台本を持たない状態でどれぐらい我慢できるかなと思って。
今までにないことを…。
だって2週間…1週間か?2週間の間に1回も演じてないことないですよ。
そんなんですだって。
どれぐらいもつかなと思ったら2か月ぐらいでやりたくなっちゃった。
すぐやりましたけどね。
でもそれ…リスタートっていうかしてみたらどうだったんですか?できました全然。
あの〜大丈夫なんですだから結局は。
ただやっぱり思ったことは気持ちは若くても体調ってだんだん…体調っていうかその〜体ってだんだんだんだんやっぱり年を取るとともにねそれとつきあっていけばいいんだなと思います。
じゃあ少し若い頃と同じやり方じゃないものにだんだん変わっていくっていう…。
そうですね。
そこが今おっしゃったことで言うならば50代になってちょっと感じはじめたことかもしれませんね。
でも逆に50代から今60…。
60歳ジャストです。
10年で役者さんとしてこうなんていうかおもしろくなってきたなっていう部分はありますか?今ですか?ええ〜っと50代はねこれからもそうだと思うんですがやっぱり主演がちょっと多くなってきたんですね。
それであの〜そこはちょっといいかなと思いますね。
あの〜主役をやりたいですこれから。
これは言っちゃった方が勝ちなんで。
夢はあの…。
主役をやりたいです。
あははっ!なんかそれは主演っていうのは別に偉いとか偉くないとか全然そういうことじゃなくてですねまあ一つの…一つのパーティーを主催する側みたいになれる…。
主演のおもしろみっていう…。
おもしろみはやっぱありますね。
でもその…あるときですね僕まあそうですね40代の後半ぐらいから主演が多くなったんですけどその〜すぐ終わっちゃうんですよ。
例えば2時間ものだとシリーズが…駄目になるでしょ?何十年やってるようなやつって。
例えばなんとか20いくつとかって。
23…。
で僕だいたい3回ぐらいで終わるんですよ。
でこれは別に視聴率だけじゃないと思ってあるときにですね渡瀬恒彦さんに渡瀬さんの番組に呼んでいただいたときがあってですね「十津川警部」。
であの〜土佐に…高知県に行ったんですよ。
渡瀬先輩はおやりになったら長いんですよ。
10年ぐらいすごいおやりになって。
で主演されるじゃないですか。
どのシーズンも長いんです。
「先輩俺すぐ終わるんです」と。
あははっ。
「これなぜか?」と。
「ほんならじゃあ言ってやるよ」って言って。
「簡単に言うぞ。
台本もらったときお前自分のとこ読まないか?自分のとこ中心に読んでないか?違うぞ。
主演っていうのはまず周りの方々の芝居をバッと見てこの人こうやる場所がある。
この人ここのこのセリフがいいセリフ言ってるって全部まず周りの方のを読むんだ。
そこがよくできてたらその方がいい。
お前自分にこだわってないか。
主役でやってるここんとこ…このセリフはこうだって読んでないか」って。
普通そうですよね。
「逆だぞ」って。
責任も多いしセリフ自体も多いし。
そしたらどうしてもねそこにいきますよね。
でもやっぱりおっしゃるとおりです。
まず出てくださる皆さんがモチベーション持って来てくれてるかと。
俺このセリフあるから来てるんですよってことをまずやってるか?っておっしゃって。
まあもしくはごめんなさいこれはニュアンスがちょっと違ったら渡瀬さん申し訳ないんですけど僕はそういうふうに理解してる。
ええ〜っと集団…みんながいい気持ちで楽しくやってるかってことは映るんですよ。
ドラマって。
そこはかとなく出てるわけですか。
ありますよ。
それはこういうトーク番組だってそうですよ。
やっぱりテレビってでかいですから画面がもう。
映りますってそれ。
うそをついちゃやっぱり駄目だと僕は思うんですね。
なのでその〜すごくいいサジェスションをもらったと思って。
うん。
それを守るようになってから意外と続くようになりました。
ですから主役ってそういうことかなって僕は思ってたりしますね。
52歳のとき「水戸黄門」の風車の弥七役に抜擢された内藤さん。
しかし2代目を演じるにはさまざまな葛藤があったそうです。
あの「水戸黄門」のあの〜風車の弥七。
あれをあとを引き受けられて…。
中谷さん?中谷一郎さんが…。
やっぱりちょっとあれはねびっくりしました。
2007年だったんですけど事務所の方に「水戸黄門」に出ないかと。
それはうれしかったんですよ。
ああうれしい。
大好きなあれね昔から見てる。
でなんの役?って。
弥七!?いやいやないわそれはと。
弥七は中谷さんがおやりになったもので永久欠番だと。
亡くなられてたし。
あれは駄目駄目駄目って。
ほかだったら大丈夫だった?もちろんもちろん。
でプロデューサーさんに別に例えば極端な話ですけど「弥六でも弥八でもいいです。
弥七はないです」と。
出来上がっちゃったものを。
ちょっと言葉を…これいい例かどうか分からないですけども寅さんを渥美さん以外の方はやれませんよね。
そういうイメージが僕はあるんですよ。
そこまでやっぱり強いものを。
ありますだからそのもちろん中谷さんと渥美さんは違う俳優さんではありますけど見る側としてはそういうことでしょ?ちょっと考えさせてくださいってちょっと考えたんですけど分かりましたと。
引き受けて。
やりますと…。
やったんですけどちょっとこれはやっぱり苦労しました。
大変だった?何が?やはりね…。
新しいイメージをつくるのが?それはできませんよねやっちゃいけないことだと思うしあの〜例えば下手くそって言われるのは全然いいんですよ。
だってそれはしょうがない下手なんだから。
なんだけど弥七の場合下手って言わなくてん?ちょっとそれ弥七っぽくないなっていう感じでやっぱり…。
なんかあるんですみんなの中に。
そんなこと言われたって俺は中谷じゃない!って。
じゃないんですけどもお客さんが望んでるものはやっぱり弥七なんですね。
なのでそこにこう今までとはちょっと違った感じでした。
きついですねそれはね。
だからでもそれはそういうものだろうと。
例えばですよええ〜っと格さんがこうやってそれを出しますよねあれをやっぱり助さんは出さないわけだし。
だから格さんの持ち方がなんかこんなふうに持つとやっぱ駄目じゃないですかやっぱりこう持つっていう。
これは決まりでもある。
様式美ですからね「水戸黄門」のね。
伝統芸能に近いようなものがちょっとあると思うんです。
だから弥七は弥七でなんかあの〜ああいうしゃべり方を…。
「分かりました」って言わないです「分かりやした」って言うでしょ?「分かりやした」って…。
「分かりました」って言わないじゃないですかこれはやっぱこう「分かりやした」って言うのが弥七っぽいっていうことだからこれはもう守らなきゃいけない。
でも台本には「分かりました」って書いてあるんですよ。
あっそうなんですか!?「分かりました」と書いてあります。
それをこうあの〜ちょっと「分かりやした。
へい」って言ったりするんですね。
あれはもうそれをみんながこう受け継いできて…。
「今の誰?」って言っても気がつかないほどにスッとこうねいなくなるっていう感じなのにインパクトがあるっていう。
だからあそこを出すためにはやっぱこう伝統があるんだなと僕は思いますね。
でもそれは長年培っていかなきゃしょうがないですよね?昨日今日でできるもんじゃないから。
ず〜っとやってるなかでそうなっていけばいいなと思ってたんです。
だから途中なんです今まだ。
へえ〜。
めちゃめちゃな悪役っていうのは?やりたいですけど…やってましたけど今は先ほど申し上げたけど87%が刑事ですよね。
そうするとねやっぱりその〜それを楽しみにしてくださってる方のちょっとやっぱり意識はするんですよ。
そうか。
あの正義感に満ちた刑事だったのにって。
そういうイメージを守る部分もちょっとあります。
でもひっくり返すのもおもしろいと思うけどね。
だからそれはですから大河ドラマおもしろかったです。
あれ悪役じゃないけどちょっとこう嫌われる役だったでしょ?井上真央ちゃんに対してこうわあ〜って言う。
だからあれはちょっと楽しかったです。
セリフで言えるわけだから。
ストレス発散ね。
ひどいこと言うんですよね。
ふふふっ。
でも楽しかったのね?「やれることは一つじゃ。
泣け」って言うんですよ。
いや〜!「泣いておればよいのだ」ってなことを言うんですねそれで真央ちゃんがこうやって泥をたたきながらこうやって泣くんですよ。
だって井上真央ちゃんですよあんなきれいな子に対してそんなセリフじゃなきゃ言えないですよ。
真央ちゃんが言ってましたねインタビューで言ってましたけど「家なき子」の安達祐実の気持ちだったっつって。
あははっ!そんな気持ちだったっつって。
だからなんかそういうのはやってみたいんですけどでもそれは時代劇という一つのこのフィルターが入ってるんで。
そうか現代劇じゃないからそれちょっとできるっていう。
こっちで刑事やっててもこっちは悪くてもいいですね。
ますますいろいろね。
やりたいですね〜。
なんか…。
主役お願いします。
主役…。
それでは2曲目に移るんではい。
これねさっきもお話をしてたんですけどこの「水戸黄門」の主題曲ですね。
はい。
これよくないですか?・人生「あゝ人生に涙あり」っていうね。
これはまあ僕だけじゃないけども皆さんの応援歌じゃないですか?本当にいい歌詞だと思いますよ。
涙のあとに虹が出るんですからね。
あははっ!いいですよね?であの〜人生には涙があって笑いがあって結構いいもんだよっていう歌ですよね。
だから人生を肯定してる…。
だけどこれは年を取れば取るほどしみてきますよね。
言葉のね。
言葉の意味っていうのがね。
やっぱりこれは僕はその〜みんなこううなずける歌じゃないですかね。
いい歌じゃないですか。
内藤さんも人生楽あれば苦があった?まあいろいろありました確かにね。
だけどその〜トータルするといいもんじゃないの?っていうのがこの歌だと思います。
もう役者稼業…。
40年。
40年!?うん。
で僕子役もやってましたから。
子役もやってらしたんですか?父がNHKでしたんで。
あっお母様もなんか…。
ええ〜っと人形の先生をしてましたね。
あっじゃあもうやっぱりおうちで皆さんがなんか作ってるっていうのがあるからそこは影響を受けてらっしゃる。
もうそこしかないですもんね。
だって今は嫁が帽子を作ってて娘「ジブリ」ですからなんだかもう…。
作り屋さんだらけ。
それが普通です。
でもあの…。
なんか褒められたことないんですか?ないですね。
ないんですか?「見たよ」っていう…いやないな。
嫁は全然ね見もしないですね。
見もしないの!?えっこんなにそばにいてくれたのに?それはあの〜こういうことですよ。
彼女と知り合ったとき僕俳優でもなんでもないわけですから。
彼女にとってのだから仕事にすぎない。
「仕事いってらっしゃい」っていう感じですか?だから見ててもですよ言わないです。
へえ〜。
2016年最初のゲストは長嶋茂雄さんです。
・オオマイ・ボーイ・チャカチャッチャチャン今後も…。
豪華なゲストが続々と登場します!ぜひご覧ください!2015/12/26(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字][解]【内藤剛志▽俳優…最長出演記録!】
ゲスト・内藤剛志/俳優▽夢は「主役をやりたいです!」6年9カ月連続出演!連ドラ界の偉業を成し遂げた、内藤剛志の軌跡を阿川佐和子と辿ります。
詳細情報
番組内容
ゲストは、俳優の内藤剛志さん。25歳のときに映画「ヒポクラテスたち」でデビューした内藤さんは、38歳の時に出演したドラマ「家なき子」で主人公・安達祐実さんを苛める凶暴な父親役で一躍有名に。その高い演技力が評価され1995年1月から2001年9月のまでの6年9カ月間連続で連続ドラマに出演したという日本一の記録を樹立しました。その期間の作品数は30作におよび未だ、誰にも破られていません。
番組内容2
阿川が称賛するその演じ分けの手法とは!?
数え切れないほど作品に出演してきた内藤さんが、52歳にして挑んだ「水戸黄門」での風車の弥七役。初代・弥七役の中谷一郎さんの偉大さに戸惑い、苦労した心境を告白。“下手くそ”といわれる方がラクだったというほど言われてキツかった言葉とは…。
還暦を迎え、主演・助演問わずドラマに欠かせない存在となった内藤さんが俳優になるまでの紆余曲折を辿ります。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
内藤剛志(俳優)
1955年、大阪府生まれ。
1976年、日本大学芸術学部在学中に文学座へ。
1980年、映画「ヒポクラテスたち」で映画デビュー。
1994年、日本テレビ『家なき子』で一躍有名に。
1995年、テレビ朝日『味いちもんめ』への出演から連続出演の日本記録を築いていく。
2001年、日本テレビ『金田一少年の事件簿』まで6年9カ月30作品に出演。
出演者2
2007年、TBS『水戸黄門』で二代目風車の弥七役を。
2010年、テレビ朝日『必殺仕事人2010』で藤田まことに代わる仕事人を務める。
音楽
【番組テーマ曲】
「Tea for Two(二人でお茶を)」歌:ドリス・デイ
お知らせ
【解説放送あり】
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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