高倉健さんの歌い方とつとつとした歌い方ですもんね。
そうですね添え物で歌ってるような感じがしたもんですよ昔はね。
ところがやっぱしこの世界に入ってしばらくやってくるとやっぱり健さんうまいなって思いますもんね。
うまいんですよ。
メロディーともメロディーともつかない男のつぶやきみたいにねそんな感じってありますよね。
「遥か遥か彼方にゃオホーツク」「紅い真っ紅なハマナスが」「海を見てます泣いてます」「その名も網走番外地」よ〜!『唐獅子牡丹』。
「親にもらった大事な肌を」「墨で汚してしらはの下で」「つもり重ねた不孝の数を」「なんと詫びよかおふくろに」「背中で泣いてる唐獅子牡丹」高倉健さんふだんどんな方でしたか?もうね極めて普通の方なんですよね。
よくしゃべるし。
よくしゃべる?しゃべりますよ全然普通ですよ。
例えばインタビューとかなんかなるとあの人はぐっと考えちゃうでしょ。
で聞かれたことに対していちばんこういうことを答えたほうがこの人はいいんだろうかってことを逡巡しちゃうんでしょうねきっと。
だから口が重くなっちゃうんでしょうね。
じゃあ胸襟を開いて話せる方にはもうポンポンポンと。
もう全然まったくそういうことですね。
はいえぇだから下手なギャグも言いますしね。
高倉健さんがギャグをおっしゃるんですか?しょっちゅうですよ。
どんなギャグ…。
いちいち覚えてませんけどね。
例えば「黄色いハンカチ」でねお前はね九州の言葉でこう言うんだ。
草野球のキャッチャーや。
どういうことですか?みっともないみたいなね。
そんなギャグもおっしゃられる…。
あれが九州男児のすることか?お前のような男俺のほうじゃ草野球のキャッチャーっちゅうんだ。
わかるか?いいえ。
みっともないっちゅうこったい。
どういうわけか高倉健さんの仕事…映画でね。
いちばん最初は「STATION」っていうのがあったの。
何よ!なんであいつが俺よりいいの?え?なんであいつが俺よりいいの?その時初めてお会いするという。
ロケの本体は3日くらい前に北海道の札幌に入ってたの。
私は遅れてちょうどお昼頃飛行機で札幌に着いてそしたらロケバスで連れて…私1人遅れたのが。
今ちょうどお昼になってますんで健さんのとこへご挨拶へ行きましょうって言われて製作の人が言ってくれたんですよ。
あそこにいらっしゃるからあの真ん前で停めますって言うからやめてくださいこのへんで停めて歩いて挨拶に行きますって…。
この距離に停められちゃって…。
あらあらあら。
「高倉です」って言われたときはねもうどうしていいかわからない。
そしたらね健さん大福を食ってる。
「小松さん大福食いませんか?東京から取り寄せましたから。
どうぞ」。
大福?大福。
「いただきます」って。
健さんが大福食べるんですか?大福食べてます。
次また呼ばれて行きました。
「この役はどうしてもあなたにと思って」って言われて。
どういう役だったんですか?『居酒屋兆治』という。
前科がいくつあったってさおっかあがいりゃあ文句ないよね。
俺のおっかあなんかさキノコ採りがうまくてね。
今時期になるとよく2人で山へ行った…。
何言ってんだよ秋本さんよ。
何?いったい誰のためによ兆治はよ…。
岩下!岩下!1週間くらいいるロケだったんですけどねその時に健さんが「小松さん今晩お食事誘いたいんですがいかがですか?」って。
「はい喜んで」って言ったらたった4人か5人。
そこの店へ行って「今日は小松さんの芸を見る会にしたいんですがいかがでしょう?」って。
「何が…」。
「瞬間芸の数々」。
リクエストされたわけですか。
リクエストされましたよ。
「ではコンドルの着地を」。
(コンドルの鳴き真似)そしたら健さんたちがここ畳だとするとさこんな格好してあ〜ははは!え〜!え〜!健さんが?もう調子に乗りっぱなしでさ。
そうだったんですか。
『電線音頭』っていうのをやって。
そしたら一緒になってこう…。
えっ?健さんが『電線音頭』?そんな大きな声…。
いやいや。
ちょっとそれ覗いてみたかったですね。
どうでしょう昭和の全体的な名曲1曲あげるならばどの曲でしょうか。
昭和ですね?昭和です。
僕言っていいですか?どうぞ。
僕はやっぱり『夜霧のブルース』ですねディック・ミネさんの。
うちの兄貴なんかがしょっちゅう歌ってました。
親父まで歌ってましたからね。
「ディック・ミネっつうのはなんでこういいんだろう」とか言って僕は全然まだねディック・ミネなんて思ってた頃ですけどそういうふうなことばっかり聞いてるもんだからねやっぱりディック・ミネになっちゃいましたね。
非常に思い出がいちばんあるんですよね。
私も植木やディック・ミネさんが大好きだったものでミネさんとは親しくさせてもらったんですけどある時ディック・ミネさんの誕生日のパーティーに招かれたんです。
そこへ私も行って何気なくいちばん端っこのほうでコソコソコソコソしてたら「小松いるか」ってディックさんがステージの上から…。
「お前歌え」って。
「えっ?」生バンドですよ。
はい。
お前は『人生の並木路』を歌えって。
う〜!もう震え上がったんですけど。
お歌いになったの?歌いました。
そしたら「この歌はお前にやろう」って言われました。
そうすると小松さんは昭和を代表する曲1曲あげるならば。
僕は「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい」植木等の。
「俺もないけど心配すんな」。
あれはなぜ強力に覚えてるかっていうと私が譜面を渡すのを忘れたわけじゃないんです。
1週間前にレコーディングするからと言ってお渡ししたつもりでいたら「おい今日はどこ行くんだ」って。
車で私が運転してるときに。
「あれ?今日はレコーディングですよ」って。
「ん?譜面は?」。
「もうお渡ししてます」。
「ウソだろ?」。
「渡しましたよ」って。
「ここにかえはあります。
持ってきてませんか?」「持ってないよ」って。
「ちょっとこれを見てください」。
車の中で…。
「ぜにのないやつぁ俺んとこ…」。
「トゥートゥトゥットゥ…か。
う〜ん」って言いながら行って。
そしたらもう大オーケストラが待ってるんで東宝のダビングルームあそこフルバンドが入って生音でみんなやってる。
はい。
そしたら「さぁいこうか!」って。
「いやテスト1回いきましょう」。
「じゃあテスト1回いったらすぐ本番いこうよ」。
ご本人がそうおっしゃったんですか。
それでいったらもうバシッと…。
「2回目本番」っつって。
イェイ!イェイ!映画っていうと封切りの挨拶しますでしょ。
映画館に行って。
曲はねメロディーは案外覚えてらっしゃる。
歌詞がわからない。
はいはい。
ですが私がいつもいちばん前でこんな大きい模造紙にお客さん2〜3人なしにしてこうやって持ってるわけです。
歌詞を書いたね。
書いたプロンプを。
カンニングペーパーをはい。
そしたらじゃあ主題歌を歌います。
「1回しか歌ってないから歌えるかなハハハ」。
なんていうこと言って始まると。
「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい」「俺もないけど心配すんな」「小松見えないよ見えません」「そのうちなんとかなるだろう」って今でも忘れません。
こうやって見えるとこに掲げていらっしゃったんでしょう?ええ。
だけどもねお客さんがねいっぱいでね。
ああ。
この席の間にみんなこうやって。
見えなくなって。
こう立ってる。
紙の下が。
下半分が。
アドリブの天才ですね。
これは生涯忘れない。
今日はいいお話ありがとうございました。
ありがとうございました。
昭和に直しますと今年は昭和90年。
その昭和を思い出すとき私たちは戦争のことを忘れるわけにはまいりません。
昭和12年に勃発した日中戦争以降それまでの流行歌から変わって戦時歌謡と呼ばれる軍事政策の宣伝に使われた歌が数多く生まれました。
現在では曲名あるいは歌詞に配慮をしなければならないところもあります。
がそのすばらしいメロディーは今なお色あせることはありません。
続いてはそんな戦時歌謡の名曲をお届けしてまいりましょう。
服部富子さんは作曲家服部良一さんの実の妹さんです。
戦前戦中の映画に出演しヒット曲を残しました。
彼女の代表作がこの曲です
この時代中国のかおりがする大陸歌謡と呼ばれる流行歌が多数ヒットしました。
なかでも李香蘭こと山口淑子さんとこちらの渡辺はま子さんが多くのヒット曲を歌いました。
特に知られたのがこの曲です
流行歌で一世を風靡した東海林太郎さんが歌った珍しい戦時歌謡です
前回ご出演いただいた青木光一さんが戦地にいた兵士たちの間で最も歌われていた曲とおっしゃっていたのがこの歌。
霧島昇さんは海軍に入隊して戦地に赴いていました
今度は石田純一さんと大場久美子さんにお越しいただきました
生命力といえば来年の春に新しい生命が…。
ハハハ…そうですね。
おたくで誕生しますよね。
いえいえもうほんとに…びっくりですね。
3月の26日ですけれども…はい。
お元気ですよね〜。
いやぁもう…死ねないですね。
お隣大場久美子さん。
はい。
最近また…。
はい。
すごい格好でお出になりますよね。
あ〜もう出て…。
はいこちら入手いたしました。
これ最近ですよね?最近です。
55を過ぎて水着グラビアを撮るためにグアム行くなんてありえないですよね。
ご本人が年齢をおっしゃいました。
私たちは避けていたんですが。
はい。
このプロポーションを維持するにはどうすればいいんですかね?やっぱり軽い筋トレを欠かさずにやっていて。
縦に筋が入ると女性のS字ラインができるんですけど…。
横に腹筋割っちゃうとマッチョになってしまうのできれいなS字ラインを目指して体操してます。
横から見るとSになる。
縦からもS。
縦からもS…。
裏からもS。
ほぉ〜そうですか。
はい。
お二人は最初に買ったレコードって覚えていらっしゃいますか?え〜。
何年前ですか?石田さん。
小学校5年だったと思います。
はい。
大場さんは?3年生くらいですかね。
小学校3年生…加山雄三さん。
はい。
憧れて…やっぱり振りがついてるのが好きで。
学校で鼻をこすりながらみんなに教えていて…はい。
振りといっても非常に簡単な振りですよね。
幸せだな〜って。
石田純一さんは初めて買ったレコードは?僕はなんと『君といつまでも』なんですよ。
え〜。
ご一緒ですか。
やっぱりシャレてて…。
東宝の若大将シリーズってのは我々の憧れで。
全部拝見しました?すごい筋金入りですね。
さあではお二人にとっての思い出の一曲加山雄三さんの『君といつまでも』ご覧ください。
「幸せだな。
僕は君といる時が一番幸せなんだ。
僕は死ぬまで君を離さないぞ。
いいだろう…」。
うわ〜懐かしいしもう憧れ…。
すごい貴重な映像。
加山さん43歳の時のお姿なんですよ。
あの目で見られると女性はどうだったんでしょうか。
どうだったんですか?子供ながらドキドキしながら…。
やっぱり憧れの男性像でしたね。
生意気にも。
まあ夢のある…。
そしてどの曲もすばらしかったですよね。
『蒼い星くず』だとか。
すてきですね。
なんかいっぱいありましたね。
『お嫁においで』みたいなのもあったし。
もうほんとにバーッて才能が溢れ出てましたねあの頃。
この『君といつまでも』には大場久美子さんにも別の思い出があるんですよね。
みんなに歌詞とか歌とか振りをみんなに教えるのが大好きだったんですけどその時代学校で歌謡曲を歌うっていうのがまだなくて…。
ええ。
親が呼び出されまして。
あ〜そうですか。
おたくのお子さんは学校で歌謡曲をみんなに教えていた。
言われたんですけど「そこがなんで悪いんですか?」って親が…。
他にもいろいろいらっしゃったんでしょうけど…。
もうひとかたいらっしゃいましたけど。
高音がすてきな錦野旦さんの『もう恋なのか』。
でもわけがわからなく無意識にすてき好き大好きっていう感情が芽生えたっていう頃ですよね。
少しかげりというかね…。
確かに不良っぽさみたいなのも同居してるので。
よけいキュンときますよね。
キュンときますね。
石田さんも感じますか?キュンと。
いや感じます感じます。
少し悪そうな感じ…。
まああの…僕はよくは知りませんが女性はちょっとそういうのに惹かれるって言うじゃないですか。
今よくは知らないっておっしゃいました?まだその道半ばなので…。
そうなんですか?はいそうなんです。
え〜。
では大場久美子さんの小学校時代のもうひとつの思い出の曲錦野旦さん『もう恋なのか』ご覧ください。
今はカラオケボックスが主流ですけれど…。
当時としてはスナックあるいはバーでカラオケがあって。
で歌ってる方が多かったんですけどお二人はどうでしょう?そういうスナックバーのカラオケにはいかれたんでしょうか?年齢的に直接自分が行ったって感じではなくて両親が行ったり…。
あとは今のカラオケボックスのように防音装置で閉鎖されていないので夕方くらいから道を歩いているとこういうアーチのドアから音が…歌ってる声がもれてきて。
あと赤提灯のあのガラガラっていうドアの隙間から歌ってる声がもれてくるっていうのを歩きましたね道を。
カラオケボックスは?あの芸能界のアイドルを辞めてからですね。
13歳から芸能界でいたのでひと段落してからカラオケボックスへ行くようになりましたね。
何歳くらいの時ですか?それは。
19歳くらいから。
どんな歌をお歌いに?あ行から!そうか!あ行ね。
そうですね。
カラオケボックスですからね。
朝までなので順番にいくと。
たくさん仲間と行ってかけると誰か歌える人って感じで歌ってた感じですね。
その辺りは純一さん…。
僕らは仕事で例えばテレビのドラマに出られるようになって連ドラ行くじゃないですか?そうするとみんな12時に緑山辺りのとこ終わって次の日がちょっと10時開始だからちょっといいかなみたいな感じで。
タフですよ〜。
結構毎日行ってましたよ。
だから藤井フミヤさんとか松下由樹さん。
それから松本伊代さん!もうみんなでとにかく行ってました。
ちょっと勝手なイメージなんですけど石田さんは女性を口説くときのいわゆるキメ曲をお持ちなんじゃないかなと思うんですが…。
そうですね…ありますね。
ありますか?あるんですか!?はい。
どんな曲ですか?山本リンダさんの『狙いうち』。
おお!えっ!?バラードじゃないんですか?あのねそれだといかにもで絶対引かれちゃいますよね。
ほらきた。
みたいな感じじゃないですか。
石田純一!みたいな。
逆におちゃめ路線で盛り上げてそれで落差みたいなね。
それ成功率はどうだったんですか?いやもうほんとに狙いうち!っていう。
今ちょっとドキっとしました。
じゃあちょっと石田純一さんのそのキメ曲山本リンダさんの『狙いうち』ご覧ください。
いや〜石田純一さんはこの振りをしながらお歌いになってたわけですね。
そうなんです。
全部覚えたんですか?覚えてますね。
これ森光子さんの前でも舞台一緒にやらせていただいたときも「なんか石田君歌ってよ何か」って言ってじゃあバラードを。
って言っていきなりこれをやったら超うけて。
それはうけますよね。
もうねず〜っとお笑いになってたのよく覚えてますね。
盛り上がりますよね。
ねえ〜。
大場さんはお一人でカラオケボックスに行くことがあるというふうにうかがったんですけれども。
アイドルやらせていただいたときにショーでやる曲を決めに行ったりとか。
ご自分の部屋じゃダメなんですか?自分の部屋ですか?ええ。
練習しちゃいけないって言われてたんです私。
アイドル時代。
練習しないで素のまんまでそのキャラクターでいくからって言ったのでレッスンに2回くらいで「もう行かなくていい」って言われて…とにかく練習しちゃいけないって言われてたのでこっそりカラオケ行って練習してたんですね。
事務所の方針で?はいそうです。
どうしてなんでしょうね?初々しさを出すため…。
なんかね危なっかしい感じが守ってあげたいっていうイメージにつながるので。
いろいろ戦略があるんですね。
最近バンドさんに譜面と本人が歌ってる私が歌ってるメロディーが違いますよって最近言われて…違って歌ってたの最近気づいたんです。
事務所の責任ですからねそれはねきっとね。
せっかくですので超アイドル時代の大場久美子さんのお宝映像ご覧いただきます。
うわ〜。
いや〜19歳の時の映像ですよね?はいそうですね。
失礼ですけどもあの危なっかしさがいいですよね。
守りたくなるような。
(笑い声)純一さんどうですか?いやほんとですね。
歌ってるようで歌ってない感じがいいですよね。
普通の感じがいいですよ。
ありがとうございました。
あれが戦略だったとはね。
いや〜すばらしいですね。
すみません…。
今日はどうもありがとうございました。
続いてのゲストは大津美子さんとジェリー藤尾さん。
さてどんな話になりますやら
やっと58年目になりました。
やっと58年目。
ええ。
変わらないですよ。
60年です。
大津さんが60年。
そうですね。
すごいことですね。
どうでしょう?お互いの印象というのは。
大津さんはジェリーさんどんな印象をお持ちですか?第一印象いかがでした?だいたいわかってますよ。
悪たれ小僧?はい。
結構元気でしたもんね。
ジェリーさんは大津さんの第一印象はいかがでした?僕は『ここに幸あり』というのを聴いてあ〜いい曲だなって。
昭和31年の。
そうですね昭和31年に。
これ結婚式の披露宴の定番ソングに…。
だから結婚式…銀婚式金婚式とかっていうお祝いの席が多ございます。
発売当時の売れ行きというのはどうだったんでしょうか?すぐさまヒットにつながりませんでしたけど話題にはなりましたけど。
でも1年後にはハワイから火がつきまして。
おや。
日系の皆さんが特に女性の皆さんがこの歌を歌って頑張ってきましたっていう感じで皆さんに言っていただいて。
なるほどつらいことがあっても『ここに幸あり』の歌詞を聴いてなんとかご自分たちを鼓舞しようとして。
でもすばらしい詞ですよね。
そうですね。
「君を頼りに私は生きる」ここがまたすばらしい。
ジェリーさんの歌を聴いてみたいですね。
『ここに幸あり』を。
すごくなんていうのかしら?哀愁がおありになるでしょすごく。
だから聴いてみたい。
これまでに『ここに幸あり』をお歌いになったことは?1回あります!おや!それも今おっしゃったハワイで。
たまたま日系の方の誕生パーティーがありましてね。
それに招待受けまして行ったんですよ。
そしていきなり『ここに幸あり』歌えるか?っていきなり言うのよ。
「まぁ歌えますよ。
でも1番しか言葉わかんないけど」。
「ああいいそれでいいから」。
私はてっきりバックグラウンドが流れるのかと思ったらアカペラでやれって。
わぁすばらしい。
これは難しかったですねアカペラでやったときは。
恥ずかしいですねすごく。
昭和47年の映像。
43年前の映像でございました。
いかがでしたか?なんかもうほんとにこの歌は年々と詞を噛みしめて歌える曲ですね。
一方ジェリーさんにもすばらしいロングセラーのヒット曲。
すばらしいですね。
『遠くへ行きたい』。
これは難しくてねこのメロディーが。
特に半音ずつ上がっていくとこが難しくて難しくて。
それでレコーディング始まったのが夜の8時から始まって。
そうなんですか。
ええ。
終わったの翌朝の6時ですよ。
うわ〜。
そんなに?つまり同録ですから。
ちょっとでもどこかの部分が間違えるともう1回最初から。
一からですか?また頭から。
今では考えられないですよね。
今ではね。
『遠くへ行きたい』っていうのは意味わかんないで歌ってましたね。
なんで遠くへ行きたいんだい?どこが遠いんだろう?まさかこっちじゃない。
上じゃないだろうと横だろうと。
まぁ横でしょうね。
横でしょうね。
具体的なその地名をある程度設定なさったんですか?僕自身は子供の頃を思い出して。
いじめられた当時のことを思い出しながらでもあのとき遠くへ自分は行かなかったんだと。
そこに踏みとどまったんだけど。
遠くへ行ってたらどうなってたんだろう?と思いながら歌ったんですよ。
今はこの歌をお歌いになるとき具体的なこういうとこだということは頭の中で描いてらっしゃるんですか?九州の薩摩半島の…東シナ海ってありますね。
沈んでいくこの太陽サンセット。
これのきれいなことすばらしく。
そこへ行って『遠くへ行きたい』を歌ったときにあっここじゃないかと思った。
それから今だんだん日本国内だけじゃなくて世界にも向けて歌っていかなきゃダメなんだなというふうに思いつつあるんですけどね。
その曲を聴きたいですよね。
ではジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』。
ご覧ください。
昭和57年今から33年前。
ジェリーさん42歳のときの歌声ですね。
来年平成28年はどんな年になりますかね?目標などがあれば聞かせていただきたいですが。
レディーファースト。
外国でコンサートをしたいななんて思ってます。
具体的にはどの…。
皆さん世界で歌ってくださってるんで。
まだ元気です!っていう感じで歌ってみたいなと思っております。
ジェリーさん来年はどんな年に?私はとにかく歌えればいいです。
キーを変えずに58年前のまんまのキーで。
これは大変なことですよね。
キーを変えないというのは。
下げたらおしまい。
元へ戻んないから。
まだまだ現役!イエスアイドゥ!お二人どうもありがとうございました。
どうもありがとうございます。
昭和の名曲がたくさん出てきましたよね。
ゲストの方々の思い出話も興味深かったですね。
次の曲は平成元年1月11日に発売された曲です。
1月11日というのは平成に入ってわずか4日目ということなんですね。
ですから続いてご紹介する曲は昭和の時代をまとめあげた曲という感じがしてなりません。
美空ひばりさんの『川の流れのように』です。
それでは次の機会にまたお目にかかりましょう!2015/12/24(木) 20:42〜21:54
テレビ大阪1
懐かしの昭和メロディ 2部[字]
小松政夫・石倉三郎が師匠の植木等&高倉健の思いでを語る。芳村真理&西川きよしが昭和の歌番組の裏話を。石田純一&大場久美子の意外な音楽共通点とは。
詳細情報
番組内容
昭和の歌謡界を彩った懐かしの名曲を過去のVTRとともに振り返る音楽番組「懐かしの昭和メロディ」第15弾。
出演者
【ゲスト出演】石倉三郎、石田純一、大津美子、大場久美子、小松政夫、ジェリー藤尾、西川きよし、芳村真理(50音順)
【MC】宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
楽曲放送歌手名
美空ひばり、川田正子、鈴村一郎、菊池章子、ペギー葉山、松山恵子、村田英雄、植木等、高倉健、ディック・ミネ、服部富子、渡辺はま子、東海林太郎、霧島昇、加山雄三、錦野旦、山本リンダ、大場久美子、ジェリー藤尾(放送予定順)
ジャンル :
音楽 – 歌謡曲・演歌
バラエティ – 音楽バラエティ
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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