文化的素養とかいう言葉を正直よくわからないまま、文章を書いた。
自分としては、ミュージアムの現状を考えたら、家の近くに博物館や美術館があったとしても結局教養なんか身につかないどころか、教養を身につけていると勘違いして単なる消費者になっているよということを言いたかった。
そして、結局なんだかんだ容姿のいい都心に住める消費者が一番勝ち組だというどうにもならなくて救いのない事実をかいて、不毛な議論を終わらせたかった。
よくわからない現代社会の批評文でもジェンダーに関してまとめた地獄みたいな本を立ち読みして帰った。
自分なりの結論としては、「容姿の美醜」と「貧乏」が悪いということになってしまった。
いつもジェンダー論はその二つに行き着く。
批評が制度を変える役割があるなら、「貧乏」には有効かもしれない。しかし、容姿はどうにもならない。
神保町が近くとも、行きも帰りも半蔵門線の窓ガラスに映るグロテスクで気持ち悪い自分の顔を見ながら、容姿が悪いことに全て行き着いて、いつものようにうんざりするだけである。