2015-12-30

文化的素養というよくわからない言葉

文化的素養かい言葉を正直よくわからないまま、文章を書いた。

そして、みんなよくわからないなかで、その言葉を使い始めた。

自分としては、ミュージアムの現状を考えたら、家の近くに博物館美術館があったとしても結局教養なんか身につかないどころか、教養を身につけていると勘違いして単なる消費者になっているよということを言いたかった。

そして、結局なんだかんだ容姿のいい都心に住める消費者が一番勝ち組だというどうにもならなくて救いのない事実かいて、不毛な議論を終わらせたかった。

今日神保町に行った。

よくわからない現代社会批評文でもジェンダーに関してまとめた地獄みたいな本を立ち読みして帰った。

自分なりの結論としては、「容姿の美醜」と「貧乏」が悪いということになってしまった。

いつもジェンダー論はその二つに行き着く。

批評制度を変える役割があるなら、「貧乏」には有効かもしれない。しかし、容姿はどうにもならない。

神保町が近くとも、行きも帰りも半蔵門線の窓ガラスに映るグロテスク気持ち悪い自分の顔を見ながら、容姿が悪いことに全て行き着いて、いつものようにうんざりするだけである

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