司会者「こんな告知のツイートをしたわけですが」 



レジー「はい。というわけで、2015年総括の締めの記事として、今年バンドとして飛躍を遂げたUNISON SQUARE GARDENの司令塔である田淵智也さんのインタビューをお届けします」

 

司会者「ユニゾンの2015年との活動としては、「シュガーソングとビターステップ」のヒット、武道館公演、アルバム『DUGOUT ACCIDENT』も好調とかなり充実した1年を送りました」

 

レジー「このブログとしては3年くらい前の記事に反応していただいたことがあって、それまではフェスで見たことあるくらいだったんだけど興味を持ってアルバム聴いたりしているうちにすっかり好きになってしまったバンドです。実は結構前からインタビューの話は投げかけていたんですけど、念願かなってという感じで今年の締めにこの記事をアップできてとてもうれしいです。記事としてはいつもよりボリューミーですが、バンドマンであると同時に論客としても切れ味のある田淵さんのキャラが出ていると思いますので是非最後まで読んでみてください。それではどうぞ」

 


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「普通の1年」だった2015年、そして異文化との邂逅

 

---最初にインタビューをオファーさせていただいたのが「桜のあと (all quartets lead to the?)」のリリース時だったと思うので、2年越しの企画ということで楽しみにしていました。よろしくお願いします。

 

「お願いします!」

 

---まずは各論に入る前に、今年についてざっくり振り返っていただけますと。

 

「今年ですか?うーん・・・こういうときは「やっぱり武道館が!」とか言うべきなんでしょうけど・・・」

 

---いや、本音ベースでお願いします(笑)。

 

「(笑)。終わってみると普通の1年だったなと思っています。いろいろなことが確かにありましたけど、あくまでもバンド人生の中のほんの1年。ただ、状況が変わる中でいかに自分自身が変わらないようにするかって部分については今までよりも必死に踏ん張っていたような気がします」

 

---「状況が変わる」というお話がありましたが、僕が今年特に「あ、ユニゾン違うところに行ったな!」と思ったのはテレビ番組のイベントでDREAMS COME TRUEの中村さんと話しているのを見たときなんです。「お茶の間とつながってる!」みたいな。今年は紅白の出演者なんかを見てもそうですけど、改めて「ロックバンド」と「テレビ、お茶の間」の距離が接近しているなあと感じていて、ユニゾンもその流れに乗っていたのかななんて思いました。

 

「あー、そうかあ。でも確かに、いわゆるロックバンドっていう肩書きの人たちがテレビにアクセスすることがあんまり不思議なことじゃなくなってきていますよね。そういうことは最近感じてはいましたが、個人的には片足ちょこっと突っ込んで来たぞーぐらいの感じです(笑)」

 

---ああいう普段のライブとは異なる現場に行くとどういう気持ちになるんですか?たとえば何かしら刺激を受けるとか。

 

「刺激というよりは・・・よその国を見学したなあみたいな感じですかね。さっき言った「自分たちが自分たちでいるために踏ん張んなきゃいけない」ということの一つでもあるんですけど、ああいうところに行った後、つまり普段のライブ活動とは異なるものをやった後に、どうやって本来の場所に帰ってくるのかということは常に考えていました」

 

---なるほど。あと今年のトピックで「レジーのブログ」的に外せないものとして、Shiggy Jr.との対バンライブがありました(326日の「fun time ACCEDENT 2」@高崎club FLEEZ)。以前公式ブログにも書かれていましたが(※2015年1月31日アップの記事参照)、最初に音源を聴いた時すぐにピンときたんですよね。

 

「そうですね、友達から教えてもらってYouTubePV見たときに「うわ、すげー人出てきたな」と思ってすぐにCDを買いました。自分たちの企画に呼びたかった理由は、きっとあの瞬間じゃないとできない相手だなと思ったからです。一回ライブを見に行った時に目指しているものがユニゾンとは全然違うなあと思ったし、この2バンドが合いまみえる瞬間って今しかないような気がしたんですよね。それでメンバー2人にもいろいろプレゼンして共通理解を作ったうえで、企画に出てもらった経緯があります。目指しているところは違うけどそこに対して全く悪い印象はないし、彼らの音楽もライブも純粋に好きな音楽体験だったので、確かにあの対バンは自分にとっても面白いトピックの一つでした」

 

 

「シュガーソングとビターステップ」はボーナスステージ

 

---今年はバンドにとって今までで最もたくさんの人に聴かれる曲、「シュガーソングとビターステップ」が生まれました。・・・あれ、売れましたね。

 

 

「売れましたね、びっくりしました(笑)。いまだにiTunesのチャートに入っていたりして、今誰が買ってるのか想像つきません(笑)」

 

---リリース前はどういうモードだったんですか。

 

「あの曲のタイアップの話がきたのは『DUGOUT ACCIDENT』を作っている最中だったんですよね。当初、今年は『DUGOUT ACCIDENT』を出すための年くらいに思っていたんです。というのも、武道館っていうお祝い的なイベントが終わった後にどうやって普通のバンドに戻っていくのか、というテーマが自分の中にあって、そのためにもシングルの入っていないああいうアルバムを出すのがすごく大事だと考えていたんですよね。なので、「このシングルが売れなくて『DUGOUT ACCIDENT』が聴いてもらえなくなっちゃったらどうしましょうね」と僕もスタッフも冗談言いつつビビってたんですが・・・うっかり売れてよかったです(笑)」

 

---うっかりですか(笑)。

 

「でもほんとに、あの曲はボーナスステージみたいなものなんで。アニメの力だったり、それこそテレビに出させてもらう機会があったり、自分たちの力じゃない部分で連鎖的に広まっていたものですから。きっと「ヒットする」ってそういうことなんだろうけど、そうやって楽曲が独り歩きしていくことに関しては冷静に見ようと思っていました。バンドがすごいんじゃなくて、周りの力がすごいって話なので」

 

---なるほど。一方で、先ほどもおっしゃっていたようにこの曲は一過性の流行りにとどまらずじわじわ広がっていくような側面もあったと思います。ご自身で感じる勝因みたいなものがあれば。

 

「うーん、自分で解説するのも微妙ですけど・・・納得のいったイイ曲ではあるのは間違いないんだけど、自分のドストレートの得意技じゃないのに限ってウケるなあというのはあったかも(笑)。作曲の話で言うとトニックコードから始まるものではなくてとか、「四つ打ち」として分類できる要素があってとか。ライブでのお客さんのノリとかを見ても、やっぱ時代に合っているんだろうなってのはすごく感じました」

 

---個人的には、「四つ打ち」と言いつつもそうやって括られる楽曲とは結構違うことをやっているなあという印象を受けました。単にジャンプさせるためじゃなくて、ちゃんと腰にくるというか横に揺らいでいるというか。これまでもたとえば前作『Catcher In The Spy』に入っている「instant EGOIST」なんかともつながると思いますが、バンドとしてのオリジナリティのあるリズム感が「四つ打ち」的な手法とうまく融合したのかなと。

 

「最近は「四つ打ち」みたいなのがすっかりトレンドになってしまっているので、いい曲だなーって作った曲に合うリズムがそれに寄っているものだと少し悔しい気持ちがよぎるんです(笑)。で、単にそこに乗っかるのはかっこ悪いからちょっと違うことをやりたいっていう天邪鬼精神から今おっしゃっていただいたようなリズム感は生まれているのかなと思いますね。四つ打ちっぽい、でもそこに乗せるベースラインでちょっと違いを出すとか」

 

--- 2番の後に展開がガラッと変わるところも、そういう天邪鬼精神から来るものなんですかね。

 

「ああ、でもそれはあるかもしれないですね」

 

---そこから大サビ、繰り返しサビに向かうところは初めて聴いた時には結構びっくりしました。すごい好き放題やってるなって。

 

「(笑)。曲が破たんしない限り、そしてスタッフに反対されない限りはちょっと変なことをやりたいってのは常に思っています。「シングルで四つ打ち」っていうのもあまりにもベタだし、そういう枠の中でかき回してやろうみたいな気持ちはちょっとありました」

 

 

音楽は「道具」なのか

 

---この曲の2番あたまの歌詞、<蓋然性合理主義の正論に揉まれて 僕らの音楽は道具に成り下がる?>というフレーズが特に気になりました。田淵さんが感じている最近の音楽のあり方に対する懸念や危機感みたいなものが織り込まれているのかなと思ったんですけど。

 

「・・・まあ、その歌詞の内容に限らず、ロックバンドが消費されるだけのものになっている、そしてバンドもそれに安心している、という共依存関係みたいなのが僕から見て楽しくないなあとは常々思っていて。これが怒りだとするなら、作詞家としてはその「怒り」をポップな形に落とし込みたいといつも考えているんですが、この歌詞もそういう気持ちから生まれたものであることは間違いないです」

 

---僕がこの歌詞で最初に思い出したのは、サブスクリプションサービスのプレイリストなんですよね。「朝テンションを上げる曲」とか「寝る前に気持ちを落ち着ける曲」とか、音楽をまさに効果効能に特化させた「道具」として扱っているのがなんか嫌だなあと思っていて。

 

「あ、そっちか(笑)。僕はどっちかっていうとライブでのお客さんとの関係を想起した部分が大きかったんですけど、その見方も面白い」

 

---<僕らの音楽は道具に成り下がる?>という部分の温度感は、「もうしょうがないよね」なのか、「けしからん」なのか、「だから俺がなんとかする」なのか・・・

 

「えーっと、レジーさんの見方の方で言うと、「そういう人もいるんだなって思われたい」くらいですかね。啓蒙するつもりは全くなくて、今の時代にもそういうことを言う人がいるんだ、でいいです。音楽を道具的な位置づけで扱う人がいるのは当たり前だと思うし、むしろたぶんそういう人がほとんどですよね。別にそれが悪いことだとも思わないし。ただ、そこに向けて音楽をやるのは俺じゃなくてもいい、なのでやらない、って話なんですけど・・・音楽を道具として使って友達と思い出作りをするとかじゃなくて、「もっと深いところで音楽に支えられている」って人は少数かもしれないけど絶対いるわけで。売れるためにはちょっとしかいないその人たちのことを考える必要はないのかもしれないけど、ロックバンドがやるべきことはそういう人のために音を鳴らすことのはずだし、そういう人が音楽を好きになる、好きでい続けられるきっかけになりたいというのがバンドの原動力だったりします。今のライブシーンひとつとっても、たとえば「盛り上がっていきましょう」って言うとか、実際盛り上げるようなことをするとか、音楽を「みんなで盛り上がるための道具」にするケースがいろいろありますけど、「じゃあみんなで盛り上がりたくないやつはどうすんの?」っていうね」

 

---はい。

 

「自分も別に友達との思い出作りのために音楽聴いていたわけじゃないし、ライブに行ったらもちろん盛り上がるときもあったけどそれは「誰かと盛り上がるため」ではなかったし。そういう人って少ないけど絶対いると思うんで・・・僕はその人たちが音楽のことを嫌いになってしまうのが悲しいんです。その人が僕の歌詞を見て、というか僕らの音楽を聴いて「あ、こういう人もいるんだ」と思って、その人が音楽を好きでいてくれる理由になれればそれでいいかなと。ただ、今は音楽を道具的に使っている人でも何かのタイミングで違う興味を示してくれることもあるかもしれないから、わかりやすく喧嘩を売るんじゃなくて一聴するとポップなものに感じられるようには心がけています。まあこれもさっき言った天邪鬼的なスタンスの表れなのかもしれないですけどね。逆に俺らみたいなバンドばっかりだったら、「なんかロックバンド堅苦しいこと言ってるな、俺はそんなことよりとにかく売れたい」とか言っていたかもしれない(笑)」

 

---今お話を伺っていて思ったんですけど、田淵さんのジャッジの基準として自分が中学生高校生のリスナーだったら、っていうのがかなり大きいのかなと。それこそ「リトル本田」じゃないですけど・・・

 

「(笑)」

 

---「リトル田淵」がいて、そこに向けてやっているみたいな感じなんですかね。

 

「確かにそうかもしれないですね。基本的に音楽をやる理由、新曲を出す理由、ライブをやる理由って、「俺が見たい」が一番強いから。自分のバンドの一番のファンは自分だと思っているし、「ユニゾンスクエアガーデンの田淵という曲を書いている人のことを好きな俺」がいたとして、俺は田淵にツイッターでファンと交流してほしいとか有名人との写真をあげてほしいとか思わないし、ライブで「飛べ!」「手拍子だ!」「盛り上がっていこうぜ!」とか言ってほしくないし。仮にそういうことをやる方が時代に合っているのだとしても、個人的には好きじゃないなあと」

 

---自分がひとりのリスナーだったころの感覚が物差しになっていると。

 

「きっとそうなんでしょうね。中学生とか高校生のときは「ライブに行く」っていうこと自体が特別な体験だったし、その場で音楽を聴いて飛んだり跳ねたりして、それが終わったら「まあ明日も頑張ろうかな」という気持ちになっていたんですよね。別に暗い青春時代だったわけじゃないから「ライブに行って死ぬのやめた」みたいな決定的な出来事があったわけじゃないですけど、そういう日が一年の中に何日かあるっていうのは自分の人生における楽しみの一つになっていた記憶はあるので。そういうことを感じていたあの時の自分がどう思うか、っていうのが判断基準としてあるというのは否定できないですね」

 

 

武道館とエンターテイメント

 

---ライブの話が出ましたが、今年の武道館公演は高校生だった頃の田淵少年が見てもばっちりのライブになったという手ごたえはありますか。

 

 

「ばっちりなやつか・・・どうでしょうねえ・・・まあ「11年でやるんだったらこのレベル」というのはできたかなと。背伸びしすぎず、今の自分たちがやれることの最大限を出せた、という意味でよくできたライブだったんじゃないかと思っています」

 

---最初に会場に入った時にステージ上に楽器があるだけだったじゃないですか。「あ、さすがユニゾン、こういうシンプルな感じでいくんだ」と思っていたら、途中で火が出たりドラムが上がっていたりと派手な演出もあってびっくりしました。

 

「ああいう演出は僕が言ったわけじゃなくてスタッフの提案だったんですけど・・・あの日のライブは、自分たちがやりたいっていうところ以上に「スタッフみんなの悲願」みたいなところもあったから、スタッフがやりたいと考えていることをやっていきたいと心から思っていました。だから、演出に関しても反対する理由がないものについては「いいんじゃないですか、やりましょう」っていうスタンスでしたね。別にああいうことをやりたくないというわけでもないし。だから演出関係は、セットリスト以外はそんなにこだわってはいないです。ただやっぱり・・・じゃあ記事にしますね、っていうときに「30人のダンサーが」とか」

 

---(笑)。

 

「「メンバーが空を飛び」みたいな・・・そういうことをやる人がいるのもわかるけど、そこだけ抜き出して書かれたときに本来の意義が伝わらないようなことは個人的にはやりたくないなとは思っていました。基本的には「簡素なステージだった」って言われることが大事だと考えていたんですよね。そこにぎりぎり収まるように、「火を出しましょう」「じゃあ1曲だけね」「ドラムのライザーが上げられますけど」「それが単なる目立ちたがりみたいに見えないように、そこまでのセットリストで流れを作ろう」みたいな意識の共有は常にしながらライブの構成を組み立てていきました。そういう意味では、みんながやりたいことを可能な範囲で確実に盛り込んだものにはなったなと思っているので僕的にも充実感はありましたね。スタッフにとってもそうだったら嬉しいなとは思います」

 

---「空を飛ぶ」は極端な例ではありますが、最近は「大会場のライブでは音楽を介したエンターテイメントを見せる」みたいな流れも大きくなっている印象があります。それこそSEKAI NO OWARIとかもそういう発想だと思うんですけど。

 

「はいはいはい」

 

---田淵さんが考える「あるべきロックバンドのライブ」というものは、「音楽があって、その他いろんなものもあって、トータルでエンターテイメントを提供します」ではなくて、「いくつかの演出やエンターテイメント要素はあっても、それが音楽に奉仕するために存在している」という・・・

 

「ああ、すごいいい説明ですねえ」

 

---()。そういうことなのかなと聞いていて思ったんですけど。

 

「あの、ライブでのエンターテイメントって話ではSEKAI NO OWARIとかゴールデンボンバーって僕は他意無く本当にかっこいいと思っているんですね。もちろん僕の言う意味でのロックバンドとは違うものだと思うけど、「それをやる覚悟」「それをやる度胸」「それをやらなきゃいけない彼らなりの使命」みたいな""がちゃんとあるから面白く見えるしすごいなって感じるんだと思うんですよ。けど、そういうのに見合っていないのに単なるウケ狙いとか目立ちたがりでやっているのを見るとほんとにサムいなと僕は思うんですよね。お客さんが喜んでいたとしても「いい喜び方と悪い喜び方」があるんじゃないかと思うし、喜ばれているとしてもそれってなめられてるだけなんじゃねーの?と。そういうことをやっているからロックバンドの文化が消費されちゃうんだよ、という気持ちも本音としてはある。だから自分たちはそうじゃないものを強固な形で見せていかないといけない、そうしないと自分が好きなロックバンドという文化が死んでしまう、という想いはすごくあって」

 

---なるほど。

 

「喜ぶ人がいるのは分かるし、それが時代に合っているっていうのも全然いいと思うんですけど、その喜んでいる人たちが1年後にはファンじゃなくなっているかもしれないデメリットとか、ウケ狙いのことをやってその場では盛り上がっても一瞬で飽きられちゃう可能性とか、そういうものを背負ってやってんの?っていうのをですね・・・だからちゃんとエンターテイメントを展開している人たち、大御所で言えばサザンオールスターズとかユニコーンとかは、エンターテイメントに見合う音楽と貫禄があって、そのうえでそれをやり続けてここまで来ているんだと思うんですよね。そこが見合ってないとやって失敗する確率も高いし代償も大きい。そういうことを考えずにやっているといつの間にかスベっててお客さんは1年後にいなくなり、バンドとしての地力は何も残っていないみたいなことになると思う。で、僕はそういうのは嫌だからあんまりやらないようにしておきたいなと」

 

---「バンドでエンターテイメントに取り組む」と一口に言ってもいろいろなレベル感のやり方がありますよね。

 

「どんなやり方の人たちであっても長く続けて証明されたりしたら超好きになるかもしれないし、「別の潮流にはそういう人もいるよね」くらいに考えているのでもちろん否定はしていません。まあでも、自分たちがやっていることはそういうのとはまるで違うと意地張ってる部分も正直あるから、今の時代柄も考えると自分たちなりの姿勢はより色濃く出していかなきゃいけないのかなあとは思っています」

 

---最近はバンドにせよアイドルにせよ「ZEPPやったら武道館」くらいの感じでライブをする人たちも多いですが、中には全然お客さんが入っていない状態で無理やりやっているようなケースもあると思います。そんな中、上から下までぎっしりお客さんが詰まった状態でのユニゾンの武道館は、バンドの思いとファンの思いが一つになったすごいライブだったいう記憶が残っています。

 

「・・・さっきの時代柄って話の延長になりますけど、最近はフェスがたくさんあってそこでいろんなバンドを一度に見れるのもあってか、各々色々なやりかたをしているバンドが全部「一緒のもの」っていう扱いをされる危険性が増している気がするんですよね。いろんなバンドがすぐ武道館でやったり、お客さんからやるだろうと思われていたりするのもそんな流れを加速させている部分があるのかもしれないけど、自分たちが武道館でやるならそういう十把一絡げのものではなくて一つの特別な例になれたらいいなとは思っていて。やがて育ってくるかもしれない時代遅れのロックバンドもの好き(笑)に「ユニゾンスクエアガーデンっていうバンドはこんな形で武道館をやったんだ!」って思ってほしいし、あの日来てくれた後輩のバンドが「ユニゾンみたいなやりかたもあるな」って思ってくれていたら嬉しいというよこしまな気持ちもなかったと言えば嘘になる。この辺は今後の活動で証明していかないといけない部分だから今時点でそういう意味での達成感はないんですけど、「ユニゾンスクエアガーデンはこういう風に武道館でライブをやったんだ」っていつか誰かが言ってくれるような一日になってればいいなあとは思っていますね」

 

 

「ロックバンドの使命」を全うする

 

---前半で「武道館の後に普通のバンドに戻る」というお話がありましたが、曲がヒットしたり大きい会場でライブをやったりした今年を経て2016年以降の活動についての展望などがあれば。

 

「繰り返しになりますけど、「シュガーソングとビターステップ」も武道館もあくまでもボーナスステージなので。次の曲が全然売れないとかいう可能性はあると思ってやるし、武道館の次はドームだ!みたいに思っているわけでもないし、そこに特に欲もないので。バンドを長く続けていくということに関して頑張んなきゃいけないことは他にもいっぱいあるんですよ」

 

---そうですね。

 

「今年、というかここ数年ですけど、下から出てくるいろんなバンドを見るたびに、自分たちは自分たちのやるべきことをやればいいんだなっていうのを改めて気づかされることがすごく多いんですよね。自分がメジャーデビューした時は取材で「J-POPに切り込んでいかなければいけない」みたいなことを結構言っていて、今考えると「ずいぶん意識たけーこと言ってんな」と思うんですけど(笑)、そういうふうに僕が意気込んでやろうとしていたことをさらっとやってくれる人が今はたくさんいるから。例えば最初にお話ししたShiggy Jr.とか、あと年齢はそこまで下じゃないんですけどパスピエもそうですし」

 

---あー、なるほど。「ポップスとして開かれたものを作っていく」みたいなものを背負わなくてもいいかなと思えるようになったということですか。

 

「あれだけいい曲を書く人たちがいるなら、俺は頑張んなくていいかなというか・・・(笑)。任せられるって言ったら変ですけど、そういうことを思えたのはほんとに嬉しかったです。あの人たちがああいうことをやっている、じゃあ自分は結局何をやりたいのか?っていうときに「バンドやりたい、ライブやりたい、長くやりたい」っていう形でやるべきことがどんどん簡略化されていく感覚が今はすごくあるんですよ。「よそに向けてどうこう」とか「世の中に向けていい顔をする」とかそういうのはどうでも良くて、自分たちはとにかくロックバンドとしての使命をしっかり全うしたい。そうしないと、自分たちの好きな音楽の文化が変わってしまう。そんなことを最近は考えています」

 

---今おっしゃっていた「ロックバンドとしての使命」というのをもうちょっとかみ砕くと、ロックバンドとしてどんなことをやっていくのが「使命」だとお考えですか。

 

「音楽性というよりはスタンスの話ですね。なんか、やっぱりロックバンドっていうものは、自分たちの好きな音楽をでっかい音でガッとやって、俺たち超楽しい!ってなっているのが大事で、もっと言うとそれが閉鎖的なものであってもむしろ尊いぐらいなはずなんですよ。それだけやっていて許されるのがロックバンドという職業だと思っているので。お客さんが喜ぶためにはどうしたらいいか一生懸命考えるとかではなくて、単純に自分たちの好きなことをステージでやって、それをたまたま見つけた人の中の何人かの人生がちょっと楽しくなるみたいな・・・いろんな意見の人たちがいるとは思うけど、「僕たちの音楽を聴いてください、お願いします」っていうようなことをロックバンドは過剰にやらなくていいんじゃないのって思うし。それはテレビとかフェスとかで演奏する場に恵まれたとしても、どんな環境であってもそうであるべきだと思っているんですけど・・・個人的にはそういうスタンスを感じられる人たちとか「やってくれるな、この人たち」って思える瞬間がどんどん少なくなってきている気がしていて、たぶん僕はそれが嫌なんですよね。「いい歌がなくなる」とかってことではなくて、自分が理想としていたロックバンドのあり方、ロックバンドのスタンス、そういうものを時代の流れに抗っても残していかないといけない。「使命」って言っているのはそういうことです。「自分がやらないとロックバンドという文化が死んでしまう」とさっき言いましたけど、この文化を老害のごとく(笑)守っていきたいと思っています」

 

---閉鎖的であっても良いっていうのは、フェスでいろんなバンドを気軽に見れてSNSでミュージシャンとファンが相互交流する今の時代の流れからは確かに逆行しているかもしれないですね。

 

「そう思います。まあフェスについても、「ユニゾンは全然盛り上げようともしないし、MCもしゃべんないし、超つまんない」って言う人がいたとして、その人たちは俺らみたいな嫌いなバンドがいたからこそめっちゃ盛り上げてくれる別のバンドを好きになったりもするじゃないですか。そう考えれば僕らも必要悪としての意味があるというか・・・」

 

---老害で必要悪ですか(笑)。

 

「(笑)。音楽って本来は嗜好品だからそういう意味では「なくてもいい文化」だし、そんな中で僕らみたいな流行らないスタンスをとっているバンドなんて、お客さんがひとりもいなくてもおかしくないんですよ。それでもライブに来てくれる人が少なからずいるっていうのはラッキーなわけで、「そのラッキーをどうやって持続させていくか」くらいしかお客さんとの付き合い方は考えていないです。「お客さんがもっと喜ぶことは何だろう」ではなくて、自分たちが好きなことをやってそれを好いてくれる人がいたら「え、お前も好きなの?良かった!」みたいな感じなので、その結果誰も見向きもしてくれなくなったらそれはそれでやめればいいってだけの話かなと。ただ、自分が信じていることに対して理解を示してくれる人が少なからずいるとなると・・・その人たちが音楽のことを嫌いにならないように頑張らないといけない。それは「ヒット曲書きます!」「フェスのでかいステージに出ます!」「だからみなさんよろしくお願いします!」とかじゃなくて、ただただ自分たちのやりたいことをやり続けるってことでしかないし、何よりも音楽についてそういうふうに考えているロックバンドを自分自身が見たいってことなんだと思います」

 
 

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司会者「インタビューは以上になります」

 

レジー「他にもフェス話とかいろいろあったんですけど、分量の都合で泣く泣くカットしました。ロックバンドが誰のために音楽をやるのか、それは自分のためであり、「音楽が道具ではない人たち」のためにやる、っていうスタンスがはっきりしていて、そういうバンドが結成から11年経って支持を集めているってのはすごく面白いよね。フェスだサークルモッシュだ一体感だみたいな話の中でユニゾンが今年ガツッっといったのは、来年以降の動きに関して示唆的なものになるかもしれないなと思いました。このインタビュー自体も、誰かが音楽を好きになるきっかけになればいいなあと思っています。今回はこんな感じで。今年はあと大晦日に個人的な振り返りを一個あげて終わります」

 

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」