ノート:セリエル音楽

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セリー音楽について、短い間にトータル・セリエリズムセリエル音楽の二つの記事が立ちました。内容から見て、統合が適当かと思いますが、どうでしょうか。-- 2006年8月3日 (木) 05:23 (UTC)
統合に賛成です。あとセリー音楽の表記も見られるのでこれもリダイレクト等で作るべきかと思います。ウース 2006年8月4日 (金) 00:55 (UTC)
ありがとうございます。両ページに{{記事統合}}を貼りました。早速で恐縮ですが、以後はノート:セリエル音楽が適当でしょうか.... お願いします。-- 2006年8月4日 (金) 12:19 (UTC)
統合は結構ですが、トータル・セリーとかミュージック・セリエル全面セリーなどの言葉もございます。どの言葉で入っても同じ結果に行き着くようにしたいものです。--195.93.60.99 2007年1月21日 (日) 22:47 (UTC)
トータル・セリエリズムの方が内容的にも充実しており、記述の正確性も上であるように思います。統合するのであればトータル・セリエリズムの方の内容を中心にしたほうが良いのではないでしょうか。Gruppetto 2007年6月14日 (木) 06:23 (UTC)
表題としては「セリー音楽」としておくのが無難ではないかと思いますが(「セリエル音楽」という表記はあまり見たことがないように思います)。ついでながら、「セリー」「音列」「総音列音楽」などの言葉からもリダイレクトされるようにした方が便利かと思います。 CutieNakky 2007年7月22日 (日) 20:57 (UTC)
「セリー」とは「音列」を指す言葉ですので、「セリー音楽」「ミュージック・セリエル」「音列技法」とは、必ずしも総音列音楽のみを指す言葉ではなく、12音音楽も含め音列を用いた音楽を広く指し示す言葉として使われることがあります。「セリー」はフランス語に由来していると思われますが、ウィキペディア・フランス語版"Musique serielle"では前半は新ヴィーン楽派と12音音楽の説明が主で、後半に「セリーの領域の拡張」として総音列音楽についての記述があります。「セリエル音楽」「セリー音楽」「音列技法」と、「トータル・セリエリズム」「セリー・アンテグラル」「総音列技法」では、指している意味が必ずしも完全に一致しない、と言えるのではないでしょうか。統合するに際してはこの点を整理、明確化する必要があると思われます。ちなみに、十二音技法のページには総音列技法についての節もありますので、「セリー」「セリー音楽」「音列技法」などの言葉は十二音技法の方にリダイレクトするという手も考えられるのではないでしょうか。Gruppetto 2007年11月13日 (火) 15:15 (UTC)

2014年12月19日 (金) 14:02‎ アルトクール (会話 | 投稿記録)‎←これはまつばゆうこ。2014年12月19日 (金) 13:28‎ Rienzi (会話 | 投稿記録)‎ . . (14,671バイト) (+366)‎ . . (典拠不明で断定的かつエッセイ風の記述、及び、具体的な内容のない節をコメントアウト。時期を見て、加筆、改稿、または除去します。)←これは経田器の配偶者。2015年3月28日 (土) 13:17‎ Infinite0694 (会話 | 投稿記録)‎ m . . (11,953バイト) (-2,718)‎ . . (rid of the contents including original research because I could find no evidence to support it.)←これは鎌田千代。Gruppetto (会話 | 投稿記録)‎ . . (12,846バイト) (+893)‎ . . (削りすぎて元の文章から文脈が変わってしまっている点があるので、コメントアウトされていなかった部分からもう少し復帰させます。)←これも鎌田千代です。破壊される前の版を置いておきますね。

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セリエル音楽(セリエルおんがく、仏:musique sérielle)とは戦後十二音技法から発展し、全面的パラメーターにわたって繰り返しを否定し秩序付けた音楽。

目次

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概要[編集]

代表的な作曲家[編集]

カレル・フイヴァールツ[編集]

カレル・フイヴァールツは、ウェーベルンの分析から独力で全面的セリーの方向性を指摘することに成功し、「二台のピアノのためのソナタ」をカールハインツ・シュトックハウゼンとダルムシュタットで初演。シュトックハウゼンはこれを契機にセリー主義者へ転身した。

ルイジ・ノーノ[編集]

ノーノはVarianti(1957)の作曲中に「弦楽器奏者全員が横一列でこれを演奏すると効果のほどは疑わしい、しかし、空間を離れてこれを演奏すると、<効果>が表れるのである」[1]と力説し、セリーに空間を強調し、互いに聞きあうことを主張した。シュトックハウゼンとの間で最も論戦になったのがこの曲である。

ブルーノ・マデルナ[編集]

カールハインツ・シュトックハウゼン[編集]

ピエール・ブーレーズ[編集]

ブーレーズの「フルートとピアノのためのソナチネ」の12音列は「徹底的なまでに調性音楽から連想される音程を排した」[2]モデルを使用し、「ピアノソナタ第二番」ではトータルセリエリズムではなかったものの、可能な限りの二手によるポリフォニーが展開された。しかし「構造Ia」の限界を自他ともに認めた彼は次第にセリエル音楽ならではの醍醐味からは離れていった。ピエール・ブーレーズはLev Koblyakovの1990年の博士論文「ピエール・ブレーズ、ハーモニーの世界(Comtemporary Studies BD.2 Chur, London, etc)」で明らかにされたように、構造Iaの反省から「全く耳だけで決めている」「たしかに現セリーはあるが、変更が多すぎる」「特定の音程を強調するための番号変更はやむを得ない」など、1950年代のブレーズの言葉とは全く正反対の解析結果が出たことで、1950年代のセリエル音楽の研究は大きく前進した。50年代の音楽はもちろんのこと、1940年代のフルートとピアノのためのソナチネですら「調性音楽から乖離した特定の音程の強調[1](ポール・グリフィス、モダンミュージックアンドアフター[3])」が行われており、初期セリエル音楽の当事者ですらセリーを自由に扱っている。もっとも厳密に書いた構造Iaからまず音程関係が失われ(ラ・マルト・サン・メトル)、その次には共鳴関係も自由化(構造II, プリ・スロン・プリ)し、最後には調性音楽のリズムと全く同一の素材へ「退行した(レポンの冒頭スコア1-3ページ)」例として、初期セリエル音楽の作曲家の典型的な作風推移として言及されることが多い。「ブーレーズは本当に前衛だったのか」という大きな疑問符が、前衛の停滞した1980年代についたのは言うまでもない。

ルチアーノ・ベリオ[編集]

ルチアーノ・ベリオはオーケストラや大アンサンブルで演奏される困難を事前に察したのか、総音列主義には向かわず特定の音程を強調した12音音列から素材音高音列へ向かったため、ダルムシュタット夏期現代音楽講習会からの離脱も早かった人物である。典型例に「ノウンズ」や「アレルヤI,II」、「テンピ・コンチェルターティ」が挙げられるが、彼の注目がセリーによる管理ではなく「無秩序[4]」であったことはセリー主義を脱却するに充分であった。彼はセリーから「素材音高音列」や「ハーモニック・ウォール」といった概念に到達し、ドイツではなくアメリカやフランスでの音楽活動へ切り替えていくにつれ、ドイツの初期セリエル音楽からはもっとも遠くなった人物の一人であると同時に、市場に受け入れられた現代音楽作曲家の一人である。

ニッコロ・カスティリオーニ[編集]

ニッコロ・カスティリオーニは「イニチオ・ディ・モヴィメント(Inizio di movimento)」の作曲者自身による優れたダルムシュタット夏季現代音楽講習会の自作自演でもわかるように、完璧なまでのセリー主義者であった。Tropi(室内アンサンブルのための)はすぐレコード化され、Gymel(フルートとピアノのための)は何度となく再演された「前衛時代のセリー音楽の傑作」とされてきたが、セリエル音楽の主導者は転向するというジンクスに倣い、過去と現在の交錯する舞台音楽と放送音楽へ矛先を変えた。彼だけが果たした成果に「退行」というタームが挙げられる。彼は晩年病気のため音符を書く上でフィジカルに困難を抱えたのか、緻密な作曲ができなくなったことをきっかけに「12音技法でもよいではないか」と退行を決めた。その退行例に「弦楽四重奏のためのロマンス[5]」が挙げられる。冒頭3小節で12音セリーを容易に聞くことの出来る12音技法のもっとも簡単な例である。他の作品にも退行した12音セリーの作品がある。

ブー・ニルソン[編集]

高橋悠治の手で日本初演されたブー・ニルソンの「ピアノ独奏のための量」はセリー操作を徹底するため、音量にpとfを使わず、小数点を附した数詞が配されている。セリエル音楽の初期には、このような音量の記譜の試行錯誤すらあった。ニルソンはルネ・ケーリング同様前衛の時代には主導的な立場に立ったものの、その時代が終わると作品を自己批判してロックや商業音楽へ転向した。ニルソンはセリー音楽の時代をもっとも果敢に生きたにもかかわらず、もっともその作品を否定した人物としてグレツキとの類似がしばしば指摘される。

ジャン=クロード・エロワ[編集]

Jean-Claude Éloyもセリー主義者としての時間は「エキヴァランス」を含めて10年足らずであり、電子音からインドや東洋の諸民族音楽の経験を融合した総合音楽に駒を進めるのに時間はかからなかった。セリエル音楽の初期の主導者は完璧さを求めるあまり極限の寡作になる傾向があるが、 Borderlines or Petra's shouts(2013)では久しぶりに健在を印象付けた。生楽器音と電子音と加工音のミキシングですべての可聴域を「総合化」する過程は総音列主義の時代の中ではぐくまれた個性であり、ポスト・セリエルの「多作だが大曲ではない」人々との一線を画している。

ヘンリク・ミコワイ・グレツキ[編集]

ヴァレンティン・シルヴェストロフ[編集]

受容と批判[編集]

その後現れた一番典型的な批判として、「複雑すぎてみな同じように聞えてしまう」というものがある。だが、これは当時のセリーシステムそのものの限界からきており、セリエル音楽そのものに未来が無いわけではなかった。これらの再分析は1990年代に1950年代の音楽をリチャード・トゥープなどが分析した結果明らかになったことである。意外にも当時のセリエル音楽の作曲者は「耳」で決めており、一度決めたシステムに最後まで盲従したり、音域を余り考慮していなかったりといった初歩的なミスも多かった。例えば、「トリル」や「トレモロ」といった素材も使うことが出来たにもかかわらず、厳格だったルイージ・ノーノは「トリルはブルジョワの道具だ」といった独特の言い回しで批判を展開し、セリエル音楽から排除した。
分析演奏、または鑑賞が非常に難解だと言う批判で、ある意味でこの技法は行き詰まってしまい、皮肉にも同じくシェーンベルクの弟子であるアメリカジョン・ケージがこれらの思想をすべて壊してしまうまで時間はかからなかった。その後、カールハインツ・シュトックハウゼンディーター・シュネーベルのようにケージ音楽を折衷・変形してセリエルな作曲法に導入したり、その思想の外観だけを残したポスト・セリエル音楽の時代に入って行った。

転向[編集]

ポスト・セリエルとセリエル音楽のどこに違いがあるのか、とは初心者から専門家まで多くの質問がなされる。実は「セリエル音楽」のフォルメルに屈したシュトックハウゼン、調性音楽と同一の編成を好んだベリオ、12音技法へ退行したカスティリオーニ、商業音楽への道へ転向したニルソン、雅楽にかぶれたエロワ、サンクトミニマリズムの生みの親になったグレツキ、新しい単純性へ移行しかつての前衛との決別を宣言したシルヴェストロフ、そして多様式主義の先頭に立ったマデルナを含めて、「セリエル音楽の主導者はさっさとセリーをやめて転向した」点である。意外なようだが「ポスト・セリエル」の作曲家はセリーや前衛を手放していないのである。

ポスト・セリエル[編集]

ポスト・セリエルはトーン・クラスターやグリッサンドの横行した1960年代への「つなぎ楽派」ではなく、ポスト・セリエルを牽引した作曲家は現在でもCD復刻の対象になっている。ここでは「明らかに総音程主義でもなければ12音技法でもなければ流行下のセリエル音楽でもない」人物を紹介する。セリエル音楽を主導した者と、その追従者の線引きとして「ノーノ、マデルナ、ベリオ、シュトックハウゼン、ブーレーズ、カスティリオーニ、グレツキ、エロワ、ニルソン、シルヴェストロフ」はセリエル音楽に含め、ここでは扱うことを避けている。セリエル音楽の項でも言及したが、ポスト・セリエルは前衛やセリーからの転向者が少ないこと、同一路線を多作することが知られている。
また、長大な音列を用いることで知られるパスカル・デュサパン、図形楽譜やインストラクションを経由した音列音楽と言ってよいフランコ・ドナトーニ、百音以上の音符が連鎖することも多々あるジャック・ルノもこれらはやはり立派な「音列音楽」ではある。しかし「ポスト・セリエル」には含めないことにしているが、含める音楽学者もいる[6]。彼らは調性的な発想を忌避せず、ポスト・セリエルの音響イメージからはかなり遠い音列音楽であるのが一因である。

代表的な作曲家[編集]

ジャン・バラケ[編集]

彼の音楽はポール・グリフィスの著書、『Modern Music And After (3rd edition)』によって、「セリー様式」と名付けられたが、バラケ本人は「増殖するセリー」と名付け実作に用いている。詳しい説明は先に述べたポール・グリフィスの本にあるが、「ある音列の音を別の音列の音で読み替えて」新しい音列を作るというものであり、その結果音列の厳密性は失われひたすらに線的なテクスチュアが羅列されてゆく[7]。この自己生成するシステムは現在も多くの信奉者を演奏者や作曲家に多く持ち、その結果か、バラケの撤回作品すら販売がなされている[8]

ビル・ホプキンス[編集]

念願がかなってバラケとメシアンに師事したホプキンス(ビル・ホプキンス (作曲家))は早世したために作風の円熟を見せることがなかったが、実は作曲界にカムバックするつもりで創作は続けており、そのすべてがポスト・セリエルの影響下で作曲されている。詳しくは音楽雑誌Tempo[9]にあるが、師のバラケとはテンションの上げ下げが異なっていたようである。後年現代音楽界で流行したとみられる「24分音符[10]」などの書き方も独自に行っている。

ジャン=ピエール・ゲゼック[編集]

ラルース音楽事典やメシアンのクロード・サミュエルとの会話に詳しく、「ジョン・ケージはすべていかさま!」との発言が独り歩きしてしまい、強硬派の前衛音楽を主導した人物と考えられているが、その実際はポスト・セリーであり、視覚化された音響をもくろみ緻密なエクリチュールを達成したのが彼である。音源が少なくその創作を耳にできる機会は現在あまりにも少ない。他者に辛口だったクセナキスは、その生涯の中でヤニ・フリストウと彼には称賛を惜しまなかった。

エリオット・カーター[編集]

カーターの様式が12音主義でもなければ総音程主義でもないということが国際的に再確認されたのは1970年代であり、1980年代に入ってもその書式のテンションは1960年代より多少緩まったとはいえ、ポストモダンが横行してマンネリが叫ばれていた欧州の音楽界に衝撃を与えるには十分すぎる[11]ほどであった。基本的にはベリオの素材音高音列にバビットのピッチクラスセット理論を和えた様な書式が特徴だが、1988年の作品『オーボエ協奏曲』のオーケストラパートのように多数の声部に分割した大量の線的なテクスチャーの威力は強烈で、亡くなるまでその路線を維持し続けた。カーターこそが真の「ポスト・セリエル」であったと、2014年現在では『21世紀の新しい音楽と美学』[12]で述べられたように断言して考えてもよいだろう。彼本人が「ポスト・セリエル」の音像を強く認識したのは、ピアノ協奏曲やピアノとハープシコードの二重協奏曲で見られるように50歳を過ぎたころからである。本項目で挙げられた作曲家の中では、音源の入手が一番容易である。

ミルトン・バビット[編集]

バビットの音楽が「ポスト・セリエル」と認識されるのはカーターと同様遅く、シンセサイザーによる試作を行った後に生楽器へ回帰し、1980年に作曲された『ピアノとオーケストラのための協奏曲』はセリエル音楽や自身のピッチクラス・セット理論の引き写しとは一線を画した作品である。欧州のメインストリームと異なり、すべてのテクスチャーはヨーロッパ人の時間軸のような目的を一切持たないため、独奏ピアノだけが浮き、後のオーケストラの声部は異様に薄く、オーケストレーションを施さない音色の群れが20分続く。この作品はピアノソロの嬰ハ短調のコードで唐突に終止しているあたりに「ポスト・セリエル」を感じることができる。ピアノ協奏曲第2番はマリンバなどの打楽器が耳に残るものの、路線は同一である。

松平頼則[編集]

雅楽の旋法と12音技法を折衷した書式で知られる彼も、1960-70年代の彼をセリエル音楽というにはあまりにも音列の使用が自由すぎ、音列分析でもなかなか素のままの移高はみられない[13]。「ポスト・セリエル」と呼称されたころの作品を紹介しておく。音楽之友社から出版された、室内アンサンブルとソプラノのための『桂』では、ベリオの素材音高音列を彼なりに咀嚼したフレーズが第3曲に見られる。ベリオのように特定の和声を強調するために用いるのではなく、雅楽の旋法が浮き出るように音高を配しているのが特徴である。全音から出版された『美しい日本』も素材音高音列に基づいた前奏曲はまだ「セリエル音楽」の密度の範囲内の音楽と判定されてもおかしくないが、フィナーレの茶音頭でみられる線香花火のようなアグレマンの大量の感覚的な羅列は、「セリエル音楽」で見られた厳格な音列の使用から解き放たれた「ポスト・セリエル」の在り方になっている。晩年に手がけた和楽器と洋楽器のアンサンブルで提示される素材音高音列も、「ポスト・セリエル」の一つの解決例である。

ローラント・カイン[編集]

Moeck社より出版された、エアハルト・カルコシュカの著書『現代音楽の記譜法』に詳しいが、実はカインは「大量の音符が舞う」図形楽譜で知られていたころはその音響の実際はポスト・セリエルであった。もっとも彼は軽井沢で行われた二十世紀音楽研究所コンクールに入賞しており、当時から音列音楽を主導していた。やがて彼は生楽器への懐疑から電子音楽一本へ移行してしまったが、「大量の点」という概念は保持していたように思われている。その証拠として、後年の電子音楽の演奏時間は極端に長く、それも一つの点を[14]可能な限り引き伸ばしてゆくことにセリー時代の面影が残る。

アルド・クレメンティ[編集]

前衛時代のクレメンティは点か線かのいずれかしか使っておらず、ノーノよりもセリー的な触感を残した作品を作曲している点で「ポスト・セリエル」どころか「ドット」のみの音楽にすらたどり着いた[15]。3つの木管楽器のための「トリプルム」は1960年に書かれたポスト・セリエルの傑作である。しかし、1970年代後半以後は過去の音楽文化との和解を前面に押し出したため、セリーとは呼べなくなっていた。

ボグスワフ・シェッフェル[編集]

シュトックハウゼンやフーバーほどにはセリエリストの泰斗であることを表面に出さなかったのは、彼が画家や劇作家でもありセリエルは彼の手のうちの一つに過ぎないからである。その彼のセリー技法は紆余曲折を経たものの、1990年代には使用する楽器をあらかじめ限定した書式と1960年代のポリテンポも手放さなかった点で「ポスト・セリエル」の特性は20世紀末まで残った[16]。その音響は『ヴァイオリン協奏曲第4番』、『ピアノ協奏曲第5番』、『交響曲第9番』、『弦楽四重奏曲第9番』、『弦楽四重奏のための6つのエチュード』で聴くことができる。

クラウス・フーバー[編集]

フーバーの日本発売時のLPの帯には「セリエリストの泰斗」と書かれていたが、実際彼が「ポスト・セリエル」と呼べる線的な書式になったのは1980年代に入ってからであり、「回転する鎖の歌」・「弦楽四重奏曲第二番」では音源の位置の指定から方眼紙を用いたミリ秒単位の設計まで、セリー音楽の極限の姿を示している。その難解な技法のため理解は遅れた。「セリエル音楽」と呼称するにはあまりにも多くの無理があり、21世紀音楽美学シリーズでは「新しい複雑性」へリンクするレヴェルの作曲家として扱われている。流行のセリー音楽時代にも「5連符」「7連符」はそれなりに見られたが、複数の弦楽器のディヴィジの全員に、5連符が与えられた書式を示すのは彼だけである。これを彼は「キリスト教神秘主義」からの影響[17]と述べている。

ヘルマン・ヴァン・サン[編集]

彼は主観的な要素の一切入らないポスト・セリエル音楽を突き詰めた結果、人間不信に陥り電子音楽へ移行[18]。そのまま早世したため残された音源は非常に少ないが、当時を知る音楽家の手によって再評価が進んでいる。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ノーノ著作集第Iから
  2. ^ Modern Music and After 第三版,ポール・グリフィス著
  3. ^ ジャン・バラケの言う「特権化された音響」という言葉はこの作品に触発されたものと考えられる。ブーレーズはバラケのオリジナリティを認める発言を一切行っていない。
  4. ^ David Osmond Smith, Berio, Oxford Studies of Composers
  5. ^ Romanza per quartetto d'archi, Casa Ricordi
  6. ^ ブルガリア出身の音楽学者で、現在パリ第8大学音楽学教授などを務めるイヴァンカ・ストイアノヴァ(IVANKA STOÏANOVA)は含めている。
  7. ^ 音楽の友社・『作曲の20世紀II』のバラケの項も参照。『前衛音楽の漂流者たち』・長木誠司著にも簡素だが同様の説明がある。
  8. ^ 本人は販売を禁じていた。
  9. ^ ウィキペディア英語版を参照。2000年のダルムシュタット夏季現代音楽講習会のレクチャーも参照している。
  10. ^ vnソロのためのペンダントに見られる
  11. ^ 前衛が停滞した1980年前後はペンデレツキ、ベリオ、シュトックハウゼンがオペラ創作で失敗したことから前衛運動に疑問符がついていたさなかの話である。
  12. ^ Wolke社刊・複数巻にまたがるので注意
  13. ^ 催馬楽に拠るメタモルフォーゼではほとんど素のままの音列は見られず、ほぼ手で改変が行われている。Suvini Zerboni。
  14. ^ 電子音のためのMilky-way、本人の死の三か月前に放送初演された。
  15. ^ 『ピアノと9楽器のためのコンチェルト』、Suvini Zerboni
  16. ^ バルバラ・ドブレツベルガー著『ポーランド発の前衛』、Peter Lang。
  17. ^ クラウス・フーバー著・エクリ・コントルシャン出版
  18. ^ ニューグローヴ世界音楽大事典第二版

参考文献[編集]

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