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亀井伸孝の研究室
亀井伸孝

ジンルイ日記

つれづれなるままに、ジンルイのことを
2015年12月

日本語 / English / Français
最終更新: 2015年12月27日

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■学内の手話通訳配置拒否をめぐるゴタゴタ (2015/12/27)
■ロボットに代替されにくい職種としての大学教員/人類学者 (2015/12/20)
■「抑圧された人が、なぜ今度は抑圧するの?」をめぐる諸問題: 「蜘蛛の糸現象」と自己中な人間 (2015/12/13)
■自立を促すフィールドワーク教育へ: 東南アジア学会のシンポジウムに参加して (2015/12/06)


2015年12月27日 (日)

■学内の手話通訳配置拒否をめぐるゴタゴタ

今週は、いいことと悪いことがないまぜになって、ホントくたびれました。まず、よかったことをいくつか。

■有意義な達成の1週間…のはずが
月曜日:私が初めて主査として受け付けた、博士論文の公開審査。ベテランの文化人類学の教員の教え子であった院生でしたが、退職に伴う引き継ぎなどがあって、初めて私が責任をもってプロの研究者として送り出す儀式。直前まで不安もあったみたいだけれど、無事に終わって、モンゴル料理屋さんで慰労の乾杯をしました。思い起こせば、2001年度に提出した私が、14年経って今度は後進を送り出す側になる。私にとっても、ひとつの大きな通過儀礼となったような気がしました。

火曜日:本学の聴覚障害学生のためのノートテイクが始動。1限目の英語の授業から、聞こえる学生がアテンドを始めました。本人と支援学生の両方からいろいろと相談を受けていて、通訳者としての心得、制度を使う本人としての今後の大学との関わり方など、いろいろと議論しました。他大学で関連の業務を山ほどやってきた私が、今の本務校でこういうことに関われるのは幸い。

その日の夕方は、熊本学園大学の教授・東俊裕さんを招いた講演会。自ら車いすユーザーの弁護士であり、DPI日本会議の役員でもあり、2009年からの民主党政権下における障がい者制度改革推進会議室の室長も務めた、この道の専門家。大学における合理的配慮の意味とその背景について、深く学ぶ機会となった。

「外国語学部に聞こえない学生が入ることを、大学が拒みうる正当な理由はあるか?」
という質問に対して、
「日英通訳のような『聞く専門職』の養成を目的としているのであれば、難しいということもありうるだろうが、入って英文学を専攻するのなら、聞こえなくてもできるでしょ」
と軽やかに回答。
「外国語を聞き取ることも必修科目に設定しているが」
となおも聞く質問者に対して、
「文科省だって、杓子定規にやるなと言っている。柔軟にやればいいんです」
という回答。「形式的平等を盾に取った事実上の差別(間接差別)」というものの撤廃・軽減に向けて、大いに勇気づけられる講演だった。その姿勢のぶれない感じに、学ぶところが大きかった。

木曜日。クリスマスイブです。この日は3年生は休講で、4年生の卒論生だけで集まって臨時の卒論対策ゼミをやった。がっつり議論して、直すべきところをすべて洗い出し、ひとしきり終わったところで、持ち寄りクリスマス・ランチパーティ。ランチを含めて6時間という長時間記録のゼミとなった。なんか、こういう自由な感じ、大学の学問らしくていいじゃん、と思った。

■手話通訳配置拒否の案件が発生
…というふうに、今週は楽しく有意義な達成が数多くあった一方で。非常に落ち込む案件が発生したので、簡単にメモします。

本学の部局で開催される公開の研究行事に、ろう者の非常勤講師が参加を希望し、手話通訳を配置することを要望したが、拒まれてしまった。という一件です。

12/8火。ろう者の講師と打ち合わせ、研究行事開催部局に、発表申込と、手話通訳配置の要望をメールで提出。

12/14月。その部局からメールで回答。主催者としては手話通訳の配置をしない。手話ができるかめいがボランティアでやるように、と「決定した」との通知があった。即日、それは納得できませんと要望。翌朝にも、再検討の依頼のメールを送る。

週末、部局の長から、決定は変えないが口頭で説明はする、とのメールがあった。私は、反論と再検討の余地を要望したが、メールで断られる。

12/22火。部局の長と面談。反論の機会、そして再検討の余地を要望したが、目の前で断られる。

■「聞こえる人にも通訳を付けない、だからろう者にも付けない」?
カチンと来たのは、やはりこのポイントです。

【腹立ちポイント-1】
これまで、中国語など、他の言語で発表などをする時も、通訳は配置しなかった。だから、手話についても同様に配置しない。関係者がボランティアでやるべきであると決定した。

よりによって、耳が聞こえる人たちが経験する言語の違いを根拠にするとは。聞こえる人は、時間はかかるとしても、勉強すれば多言語の壁を越えることができる能力をもっているんです。しかし、ろう者は努力したって時間をかけたって、聞こえるようにはなりえない。そのどうしたって越えようがない壁の絶望的な高さ、そしてそれを解消するための通訳の必要性の切実さを、余りに軽んじてはいませんか? 同僚からこのような発言が軽がるしく出てくることに、本当に私は絶句しました。悲しいし、情けない。

ろう者が、手話の多言語間の通訳(たとえば、アメリや手話や中国手話と日本手話の間の通訳)を要望し、それを主催者が断るというケースであれば、まだ許容できる範囲だろう。あんたが努力してさまざまな手話言語を身に付けてきなさいと言うことは可能である。しかし、身体が違うということは、そういった相互に行き来の可能な違いとはまったく異質の問題であって、どう考えても混同しえないことである。聞こえる人は将来にわたって参加するなという、事実上の排除にすぎません。

「どの言語で発表するのも自由です、しかし通訳はつけない」といった趣旨の発言は、この私の憤りの炎に、さらに油を注ぐものであった。そういうのは、自由の名を借りた事実上の排除である。本当に、「公立大学の公金を使った公開行事の主催者」というパブリックな立場をまったく自覚していない視点としか思えなかった。

■拒否され続けた再検討の要請
そして、私がカチンと来ていることの二つ目は。

【腹立ちポイント-2】
メールで3回、面談で1回、合計4回にもわたって再検討の余地を懇願したにも関わらず、「一度決めたことは、再審議しない」の原則を頑として変えず、異論を封じたこと。

この決定が社会的通念からみてきわめて問題があること、ろう者の非常勤講師に困惑を与えて対等な参加に支障をもたらすこと、本学の名声にも関わりうることなどを憂慮して、再検討を依頼した。

短時間のあまり多くの意見が交わされないメール審議でこのような重大な決定がなされたことに鑑み、ことばを何度も変えながら、私は懇願を続けた。そして、どういう支援が可能か可能でないか、いくらくらいかかるか、いま使える予算はどのていどか、などと、要望者に問い合わせて相談する姿勢をもってほしかった。予算の関係で仮に満額回答ができないとしても、せめてその必要性は理念として共有した上で、今回はできるところまでやりましょうという具体的調整をしたかった。

それらの思いは、すべて否定された。

この部局の長との面談が終わり、一切の反論の余地を拒否された私は、その時点で決意した。この件について、ひとりで泣き寝入りしてはならない。公開しようと。

■ついに公開を決意する
現場の交渉なんて、かっこよくも何ともないですよ。それはあなたの意見にすぎないでしょ、と孤立化させられ、組織決定を根拠に反論の余地を否定され、ドアがパタンと閉まり、焦燥感と敗北感とともにすごすごと廊下を歩きながら、次に打てる手など果たしてあるのだろうかという寒々しい思いで、手段を考える。さてだれに訴えようか。

まず、学内での周知。理事長、学長、両副学長、学部長に、この件を報告するとともに全学的な改善を要望する文章を作成して、各所に発送。また、同僚たちにも広くメールで回覧。

そして、その日の深夜に、部局名と個人名を伏せた形で、ツイッターにて短文の報告を行った(12/29火の追記:第一声のリツイートは、1週間で1,150を超えた模様)。一連のついとは、まとめサイトでも紹介されていて、それがさらに回覧されているようである。

多くの方が関心をもってくださっていることに心強さを覚え、私の主張が一般社会ではまったく孤立していないのだという手応えを感じた。「ただのトラブルメーカー」ではないのだと、少し自信をもってもいいのかもしれない。…それとともに、ずしりと責任も。適当に、学内の人間関係を優先させて、偽りの笑顔で相手と握手したりすることは、もはやできない。それも、そこそこプレッシャーではあるのだけれど。

せまい部局の中のことなのだから、そんなあちこちに言いふらすようなことでもないでしょうに、というような、穏健な立場での助言も舞い込む。確かに、通常業務の些細なことであれば、せまい範囲で解決するのがいいだろう。でも、これを放置したら、本学で何気なく行われてしまった重大な人権侵害が前例として正当化されてしまい、長じて本学の名声を落とすことになるかもしれない。私は、思い切って、ウミを出す覚悟で、これを公開する道を選んだのである。ひとりで交渉で負けて、熱を出して寝込んでいたって、何も変わらないのだから。

■取材も舞い込む中、人間不信…で、論文執筆に励まされる
12/25金。このことで、「長」の肩書きをもつ何人かの方がたと、学内で連続して面会。

12/26土。ある大手メディアの記者さんから、ツイッターを見たので本件についての取材を、とのお声がけがまいこんだ(12/28月の追記:この取材にはすでに対応済み)。

12/27日。日曜日、しばし休戦。なんだか人間不信にとらわれてしまいそうで、いろんな連絡手段を断って、家にこもって、この問題と関わりのないアフリカの言語に関する英文論文の執筆に没頭した。でも、そこで書かれているのは、やはり手話を駆使して社会と多数派に挑んできた/今も挑んでいる、アフリカのろう者たちの活躍ぶりだった。そう、私の主張は特殊でもないし孤独でもない、世界中にこういう仲間がいるんだ…と、勝手に、論文のコンテンツによって励まされるような思いがした。

■なぜこだわるのか:正義の主張というよりは自分の存在意義
なぜこの問題にこんなにもこだわるのか、反差別の正義を振り回していい気になっているのか、と冷ややかに見る人もいるかもしれない。

いや、正義という感じではないんですね。また、何でもいいから論理を通したいという欲求とも少し違う。何だろう。しいて言えば、自分がそこにいる存在意義のようなものかな。

私も利己的に生存している人間だから、大なり小なり、ささやかな排他性や差別性を帯びながら、現実を生きている。そのことは自覚している。ただね、手話言語と音声言語の共存、それによる聞こえない人と聞こえる人の対等な参加というテーマは、学生の頃から譲れない、そしてこれまでの研究・教育の上でも根幹にある、私の大学人としての「一丁目一番地」なのである。目の前のこの問題を偽りの笑顔で見過ごしておきながら、その後ものうのうと大学で勤務を続け、えらそうに能書きを垂れ続ける自分というのが、どうしても想像できない。

だから、拒絶され、味方がなく、早くあきらめろと言わんばかりの孤立状態に置かれたとしても、どんな肩書きをもつナントカ長という人たちに説得されても、私は頑としてこの点は譲らない。持論を変えない。さんざんなことを言われて逃げ出したい思いにかられても、よろよろと立ち上がって、もう一度反論のために私は叫び声を上げ続ける。

組織は、一種魔物のようなところがあって、論理が必ずしも通用するとは限らない。適当な政治的決着で幕引きをされるかもしれない。しかし、私は今後も大学にいる以上は、少なくとも最後の最後までこの決定には与しないという立場を変えないつもりである。いずれ、手話通訳の配置が常識になった頃に振り返って、かつてこんな事件もあった、しかし、最後まで異を唱えた人たちが少数でもいたのだ、ということを身をもって示し続けたいと思う。

■愛知県立大学を受験しようと思う障害をもつみなさんへ
愛知県立大学を受験しようと考えてくれている、障害をもつみなさんへ。お騒がせしてすみません。これからのみなさんを不安がらせるつもりはありません。

2016年4月から、障害者差別解消法が施行され、公立大学では合理的配慮が義務化されます。学びの上で、何か本人の努力に帰せられるべきでない理由で、支障があると感じた場合、大学としては何らかの方法でそれに対応することが義務となるのです。障害者手帳を持っていてもいなくても、同様です。むろん、現時点では罰則はないし、完全な対応に難色を示すケースもあり得ますが、少なくとも、明白に拒んだ場合は、法の趣旨と社会的通念がそれを容認しない時代がやってきます。

本学でも、すでに一部の授業で、オープンキャンパスで、試験で、公開講座で、障害をもつ学生や市民のための対応が地道に検討されてきました。一部では、実行に移されつつあります(今日の日記でもふれたノートテイクなど)。そういう全体の改善の流れの中で、一部の部局で起きてしまった非常に残念な今回のできごと。こうしたことを見過ごさず、公開で議論して、ウミを出して、いっそう開かれた大学を目指していきたい。

ですから、耳が聞こえない、目が見えない、歩けない、多くの学生たちの入学を、私は歓迎したいと思います。開かれた大学作りのために働くことを約束します。ぜひ、不安がらずに、受験に挑戦してほしいと思います。

本学の名声を落とす目的ではなく、自浄能力のある大学であるために。これからも、「達成」と「課題」の両面を、フェアに発信していきたいと思っています。

[付記] 愛知県立大学の学長による見解が出ました。研究所の見解を追認するもののようです。残念です。
公開講座及び研究会における手話通訳者の配置について (2015.12.28掲載)

釈然としないポイントはふたつ。ひとつ目は、手話通訳士の資格をもっているということを理由に、ただ働きさせていいの?という点。もうひとつ、仮に百歩譲って、共同発表の時間帯については作業をかぶることがあってもいいけれど、ろう者が他の発表を聞く権利はどうするの?という点。まさか、すべての時間帯について、私にただ働きしろと?

で、私は、こういうことを聞こえる人たちが決めてしまう前に、少しでもろう者の側に意見聴取して、相談しながら決めていきたいということを述べているのです。で、現実的には、ケースバイケースに物事を決めていくことがあってもやむをえないとも思いますが、理念としての合理的配慮の必要性についてくらいは、最低限の合意に達したかった。なんだかな、の対応です。本件、新年に続く…。


2015年12月20日 (日)

■ロボットに代替されにくい職種としての大学教員/人類学者

今週は、何か時間が取られて気疲れするなあ…と漠然と感じていた。あ、そうか。来年度のためのゼミ志願者たちとの面談をしていたのだった。毎年の新ゼミ生の受け入れは7名までと決まっているので、それを超えた時は選ばないといけない。各自の研究テーマと志望動機を聞き、相づちを打ちながらも、適性を評価する。何だかなあ。「学生の向学心に順位を付ける」という、最もやりたくない仕事。どうりで、今週は憂鬱な日々でした。

風邪も完治していない、治りかけのくすぶる日々です。

月曜日。今年の「文化人類学各論」、いち早く終講日。

水曜日。JICA中部に1年生の基礎演習で引率訪問。ジンバブエの楽しいお話をうかがうことができたし、SDGsをめぐる最新のお話を聞けたのも幸い。最高裁の同姓結婚を定めた民法合憲の判決で、ツイートの大半がその話題で埋まる。

木曜日。卒論の人と、大学院の人と、これからゼミに入ろうとする人と。いろんなステージの学生たちの相談業務で大わらわの中、アジ研の『アフリカの障害と開発』という本の校正を終える。年明けには本になるはずです。ああ、これもなかなかしんどかった…。

週末は、京都にて、地球研の関係の会合をいくつか。ひとつ出版計画が定まって、来年の目標ができるというよい流れとなりました。

さて…。今週は何の日記を書こう。夫婦別姓をめぐることは、世間的にも個人的にもかなり熱いテーマなのですが、これは来週以降に取っておきます。

今週は軽めに、この話題。今月の始め頃、いくつかの職種が近未来にロボットによって代替されるかもしれない、というニュースが流れた。

「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に: 601種の職業ごとに、コンピューター技術による代替確率を試算」
(2015年12月2日, 株式会社野村総合研究所)

身近な職種でいえば、「人工知能やロボット等による代替可能性が高い100種の職業」の中に、「学校事務員」や「人事係事務員」が入っていた。うん、添付書類をメールで転送するだけの事務連絡とか、もうロボットでいいよなと思ったりすることはある。その一方で、組織を実に柔軟に切り回し、多くのニーズや不満を吸収して鮮やかに対応する職員さんたちの「すご技」を私は知っているので。人間でないとしばらくは務まらない場面はあるよな…とは思う。特に、年度末の繁忙期などにね。

次に、「人工知能やロボット等による代替可能性が低い100種の職業」。

まずは、「大学・短期大学教員」。さようでございますか。知識量では、もう Google と Wikipedia にかなわない。でも、学生たちの予測不能な要望や言動にとっさに対処するのは、人間の方がたぶんうまいだろうなと思うよ。うわぁっ!単位がなくて、どうしたらいいでしょうっ!とかいう不測の事態にも、適当に対処できるのは人間の方だと思います。

ひとつ、絶対にロボットさんにお任せしたいのが、「センター試験の監督業務」など。ああいうことを、人間、とりわけ大学の教員どもに任せてはいけませんよ。そもそも、そういう全員一律の行動が苦手だからこそ、大学にいるというのにね。

もうひとつ、ぜひロボットさんにお願いしたいのが、「教務委員の時間割作成」。必修科目どうしのバッティングを避けるとか、毎年の履修傾向をもとに登録学生数を予測して教室を割り振るとか。そういうことを、さっさとアルゴリズム化して、自動でやってほしい。学生が登録する時も、「この科目を取る人は、こちらの科目もあわせて取っています」みたいなおすすめリストが出てきたら、関連科目をまとめ取りできて、学びが深まっていいんじゃない? Amazon あたりにシステムを作ってもらって、教務委員の仕事を減らしましょう。

「学芸員」「雑誌編集者」「日本語教師」「国際協力専門家」など。対人業務は、やはり人間がやった方がよさそうですよね。なるほど、そうだろうと思う。

「評論家」。これ、どうかなあ。いつも決まりきった言い草を繰り返している評論家も、けっこう多いんじゃないですか? すでにアメリカでは、野球の記事を人工知能が勝手に書いたりしていると聞くし。「一定のニュースのデータ入力があれば、流行のキーワードをちりばめたそれっぽい評論を書いてくれるソフト」くらい、作れそうな気がしません? ついでだから、右派と左派の両方の評論家ソフトを作って、朝までロボット生対決とか、勝手にやっておいてもらいましょう。

「ソムリエ」「料理研究家」。そうかー。ワインや食材、レシピのデータ量は、人工知能にかなわないと思うけれど。「今日のおふたりの雰囲気におすすめのワイン」を選ぶとかって、ロボットには苦手かもね。テイスティングとかも、難しいのかもね。

そして。やはり注目は「人類学者」です。これが、ロボットに代替させにくい職種にランクインしていました。どうだろうねえ。どう思いますか。

生態人類学が得意とする定量的調査などのいくつかは、ロボットが代替できる作業であると思う。人間の移動距離や、毎日の摂取カロリー量など、ビッグデータを駆使して調達できそうなデータは確実にある。かつて、ビッグデータと人類学者の共存について妄想的な発表をしたことがあるけれど、任せられることはもう任せていいような気がしている。

インタビューで得た語りの記録や分析も、あるていどロボットができるのではないかなあ。録音した語りを、自然言語処理して、形態素を抽出したり、頻出語句を列記したりすることも、機械ができる仕事に入りつつあるように思う。

では、人工知能がしばらくできなさそうな、人類学者の取り柄とは何だろう。共感とか感情移入、擬似的な当事者感に基づいた主観的な面を含む認識かなあ。それって、非科学的だなどとよく周りから非難される人類学や民族誌の弱みでもあるけれど。結局は読み手が人間であり、適当に感情移入もしてくれないと他者理解も進まないという状況の中で、あえてそういう側面を強みとしても残している変わった学問であると私は思っている。

民族誌がただのデータベースで、Google、Wikipedia にいずれ代替されるものに過ぎないのであれば、もはや人間の出る幕はないけれど。少なくとも、主観性を多少残すことで、読み物として人間の感情移入にある程度訴えることにより異文化の渦中への誘いを果たす分野である以上、人間がバイアス承知で適当なことを書いていた方が有用性があるのかもしれない、などと考えた。

「映画監督」「舞台演出家」が、「人類学者」と同じように代替可能性の低い職種に入っていることも、似たような意味で、何となくうなづける気がする。

ロボットが人間たちの心を揺さぶれるようになるまで、しばらくは時間がかかりそうだから。その間、人類学者やって、余暇にソムリエか料理研究家でもやって、適当に学生たちの相手でもして、過ごすことにしましょうかね。

ひとつ気になったのは、「通訳」関係の職種が、「代替されやすい/されにくい」のどちらのリストにも入っていなかったこと。手話通訳など、いずれロボット化されるのですかね、どうですかね。マイノリティにとっての朗報となるか、どうなのだろうか。関連のネタがあったら読んでみたいと思います。

[付記] よくロボットに対する批判としてあるのが、「杓子定規で融通が利かない」というもの。たとえば、駅の改札で、構内のトイレを貸してください、ちょっと入ってもいいですか?という交渉を、人間の駅員にだったらできるけど、自動改札機にはできないというもの。まあ、現状ではそうですよね。いずれ、できるようになるのでしょうか。

人工知能がさらに機能を増して、柔軟な対応ができるようになったら、大したもんだよね。たとえば、ロボット警察が通行人に賄賂を要求し始めたりしたら? これは、ホンモノだと思います。笑


2015年12月13日 (日)

■「抑圧された人が、なぜ今度は抑圧するの?」をめぐる諸問題: 「蜘蛛の糸現象」と自己中な人間

今週は、火曜日頃から体調が下り坂に。ついに高熱を出して寝込みました。

月曜日:役所とのバトル2。ストレスがたまる。

火曜日:1年生「基礎演習I」のポスター発表会。にぎやかに開催できて楽しかったけれど、どよーんと体力が低下し始めます。

水曜日:会議を早退。

木曜日:卒論対応だけして、この日も会議を早退。

金曜日:耐えられなくなって医者にかかる。映像制作ワークショップ(編集編)を開催し、ゲストの応接をして、あとは泥のように眠る。

■地域社会から資源・エネルギー・国家を考える
土曜日:少し回復。公開講座最終回の司会をした。この日は、福島大学からのゲスト西崎伸子さんと本学同僚の奥野良知さん。福島とカタルーニャという、経緯や状況は異なりこそすれ、いずれも国家・中央政府との間に一種の緊張状態をも含む関わりをもった地域社会の視点から、資源、エネルギー、環境の問題、とくに原発を中心としたお話をうかがった。

福島のあの事故から約5年。まだ5年しか経っていない。まったく復旧していない自然環境と生物の存在があり、それに支えられてきた社会関係や諸活動の復興の課題がある。にもかかわらず、「内の人が語りえぬままに、外の人が忘れ始め、そしてだれも話題にしなくなる」という状況がくるとしたら?という恐れを感じずにはいられなかった。

一方で、カタルーニャを取り巻くEUのような状況、つまり、人/モノ/資本/エネルギーの流動性の高い広域的な市場を作ることは、一国で何かを解決しようとすることで生じる特定地域へのしわ寄せを解決する上で、有益なのかな、それともその逆なのだろうか。例えば、日韓露(+朝?)による「環日本海送電網」などの構想が現実化し、国境を越えてエネルギーをシェアする状況が生まれた時、各国が所有する資源と原子力関連施設は、それぞれどういう役割をもつことになるのだろう。などと、いろいろと考えるよい機会となりました。

公開講座終了で、年度内の大学での大役をひとつ終了。はあ。肩の荷が下りました。

■アフリカ系アメリカ人によるムスリム蔑視発言
今日の日記のテーマは、「抑圧された人が、なぜ今度は抑圧するの?」という素朴な問いかけをめぐって。きっかけは、これらの記事です。

反イスラム発言、火種に トランプ、カーソン両氏 - 産経ニュース

キリスト教右派の支持を受けるカーソン氏は、イスラム教は合衆国憲法と相いれないと主張し、「イスラム教徒を米国の指導者にすべきだとは思わない。決して賛同しない」と明言した。(共同, 2015年9月21日)

イスラム教徒の米大統領には「断固反対」、共和党候補カーソン氏

カーソン氏は米NBCテレビの番組「ミート・ザ・プレス(Meet the Press)」のインタビューで(…)「イスラム教徒にこの国を任せることには反対だ。断固、賛成しかねる」と述べた。(AFP, 2015年9月21日)

共和党の大統領候補、ベン・カーソン。アフリカ系アメリカ人、著名な医師である。思想は保守的で、中絶や同性婚に反対、オバマケアを奴隷制廃止以来最悪の制度と批判する。キリスト教保守派の支持が厚いという。

で、この発言。おそらく多くの人が、こういう思いを抱くに違いない。あなた自身もアフリカ系(黒人)として差別される側にあったはずなのに、そのあなたが、なぜ今度はムスリムを差別するのか、ダブル・スタンダードではないか、と。

■「蜘蛛の糸現象」
実はこのようなことは、歴史上、そう珍しくない。かつて南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)を強硬に支持していたのは、イギリス系白人の支配に不満を感じていたオランダ系白人であった。富裕白人層からの抑圧を受けていた貧困白人層が、自分たちより下位の非白人層に対する差別政策の維持強化を訴えていたという図式である。

ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人が、独立国イスラエルを建国するや、今度はパレスチナ人に対する抑圧を強めていったことについても、似たような構図を指摘できるかもしれない。アメリカで解放された黒人奴隷たちが、西アフリカへの帰還を果たしてリベリア共和国を建国した時、今度は自分たちが新しい支配層に収まってしまい、あたかもかつて自分たちを支配した白人農場主になったかのごとく、アフリカ現地在住の人びとを支配したという歴史もある。

その他、世界史をひもとけば、革命したはずなのにその指導者たちが新しい支配層になったとか、何かの解放運動が他者を踏み台にしてしまったとか、残念ながらそういった事例は少なくない。

私は、このような重層的な構造における連鎖的な抑圧の状況を、「蜘蛛の糸現象」と呼んでいる。

芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」。地獄に堕ちた悪党カンダタは、お釈迦さまが垂らした蜘蛛の糸にすがり、「自分は救われたいと思うものの、自分より下位の者は救われるべきでないと考えた」。中間的な位置にある者は、ついそういうことを考えてしまう。カンダタの浅はかさを笑いつつも、人間の自己中心的な姿として見るとあながち笑い飛ばすこともできない。

■対ユダヤ人補償における詐欺
こういった事例に出会うと、私たちは素朴に「抑圧された人が、なぜ今度は抑圧するの?」と思わずにはいられない。しかし、実はこうした問題の根源が「そのようにふるまう人びと」にそなわっているというよりも、「それをことさらに問題視する私たちのまなざし」の側にあるのかもしれないという側面について考え始めた。そのヒントになりそうな指摘を、こちらの論考で見つけた。

武井彩佳. 2014. 「偽証との向き合い方、修正主義の受け止め方: ホロコーストと比較して」 SYNODOS (2014年10月28日掲載)

人道に反する重大な犯罪に関与した社会は道徳的権威を失う。加害者集団に付与された否定的な価値ゆえに、犠牲者集団は相対的に価値的な上位者となる。この過程で、本来犠牲者の集まりであること以外にはさしたる特性のない集団に、高次のモラルが期待されるようになる。

迫害の犠牲になった事実により、ある集団が道徳的高みに到達するわけではないにもかかわらず、犠牲者集団に過度な威厳や道徳が要求されてしまうのである。イスラエルのパレスチナ政策に関し、「ホロコーストであのような経験をしたユダヤ人が、なぜ」という言い方がされるのが良い例だ。

ドイツにおけるユダヤ人への戦後補償の中で、犠牲者の側が偽証を行って金銭を詐取する事件があった。そういう時に、加害者側の偽証よりも、被害者側の偽証の方が重大な問題と見なされる傾向があるという。平たく言えば、「被害者たるもの、100%の純粋な被害者として高潔に生きろ。加害者を叩くためにも、被害者側には一切の落ち度があってはならない」と、部外の観客たちが勝手な期待を寄せてしまうという指摘である。

なるほど、確かにこれは奇妙な期待である。ある特定の場面で虐げられる立場に立たされていた「というだけの理由で」、以後の一切の悪徳を、何の責任も負わない外部の観客たちによって禁じられるというのは、筋が通らない。そこにいるのは、これまでと変わらない生活を営んでいる人間たちの集団なのであって、特定の理念により集まった高潔な道徳者たちの結社ではないからである。人間たちの集まりであれば、一定の確率で、ウソも詐欺も犯罪も逸脱も発生するに違いない。

■闘争のツールとしての「論理」とその残存
それでも、「被害/抑圧を受けた人たちが、次に新たな加害者/抑圧者になること」に対して、私たちがつい違和感を覚えてしまうのはなぜだろう。それは、闘争のツールとしての「論理」が介在するからである、と私は考える。

つまり、抑圧の構図の中で、抑圧される側は一種の闘争のツールとして、普遍性をそなえた「論理」を世に放つ。それは、時により「奴隷解放」であったり「人権」であったり「平等」であったり、「差別撤廃」「階級闘争」「格差是正」であったりもするだろう。そして、その「論理」によって外部の支持者を増やし、その加勢を得て抑圧の撤廃へと歩みを進めていく。そして、めでたくその抑圧が撤廃ないし緩和されて闘争が沈静化したとしよう。

ところが、である。世に放った「論理」はすぐに消え去るわけではない。念願かなって解放された人びとが、「論理」を横に置いてふつうの人間集団に戻った時(というか、より正確には、ふつうの人間集団として「論理」を声高に主張せずに生活を続けていった時)、周囲はそれを解せない、あるいは理念の放棄と受け止めてしまう。そもそもが「論理」によってつながったご縁なので、「論理」の主張が消え去り、あまつさえ、それと合致しない行動が顕著に見られるようになると、「論理」に従うことを周囲がつい要求してしまう。

よくある殺し文句が、これです。

「それって、お前たち、ブーメランだぞ」
(ある集団が他者を批判する時に用いた「論理」によって、その集団自身の行動も批判されうる状況になっていることを、周囲が指摘することば)

いやはや、これももしかしたら、実は「安全圏にいる外部の見物人たち」による、二次的・三次的な抑圧の一種なのかもしれない、と私は直感した。うーん、根が深い、これは。

■「ブーメラン批判」の正当性と無力さ
「ブーメランだぞ」と、つじつまの合わない行動をする人たちを批判する。論理としては何の矛盾もない。「他者を論理的に批判する以上、自らもその批判のまな板の上に載るべきだ」、これはしごく正当である。

しかし、自己中である人間は、そのつど勝手に周囲の状況を判断して、「論理」を振り回したり、引っ込めたりしながら、都合のいいように生きている。ダブル・スタンダードなど当たり前、ダブルどころか、無数のスタンダードを「その時どきに合わせて着替えながら」、自分たちの好きなように生きている。

そんなの自己中だ、勝手だ、非論理的だ、言動が一致しない、これまでの理念は何なんだ、いろいろと「論理」はこの実態を非難するだろう。しかし、どんなことばを投げかけられても、日々飯を食い、呼吸をし、睡眠しながら存在を続ける人間たちの生活は、大して揺るがない。

「論理」など、人間の生活にとって、ささやかな飾り付けのことば程度にすぎないのかもしれない、などと思うことすらある。

■交換可能なのに自己中な人間
階級にしても、人種・民族にしても、国籍にしても、宗教・言語にしても。「立場が入れ替われば、逆のむごいことをされるよ」という想像力が、対等な共存のためには常に必要だと思っている。だから、私は「人間はいつでも立場が交換可能であることを予期しながら」、ささやかな抑圧に対しても敏感にアンテナを張り、その予防や除去に努めるという、「論理」重視の生き方、発言、行動をしていきたいと願っている。このこと自体は、今後も変わらない。

でも。人間って、交換可能なのに自己中だからね。立場が入れ替わったら大変だろうなとアタマでは分かっていても、つい自己中にふるまい、カンダタのように、自分でない者が切り捨てられていくことを望んでしまうことがある。その「弱さ」について、「論理」で非難するだけでなく、きちんと向き合っていかないと。

(これまた検討中の私の直感ですが。この自己中の「弱さ」に向き合わず、周囲が寄ってたかって「論理」でちくちくと個人をいじめるからこそ、非論理的な居直りの言説=偏狭な排外主義やナショナリズム=を招いているのではないかなあ。)

■この人もまた弱き「カンダタ」のひとり
冒頭に示した、アフリカ系アメリカ人のムスリム蔑視の発言に引き寄せて考える。「世界最大の経済力・軍事力をもつ国家」の大統領として、そういう人物が適格かどうかということは、とりあえず横に置いておくとして。

だれがだれに対して侮蔑したところで、ただの人間だから、まあ、一定の確率で起こってしまうできごとのひとつに過ぎない、と言うことはできるのかもしれない。「アフリカ系」という被差別の歴史をもつマイノリティだからこそ特段に道徳的に高潔であれ、と要求することは、本論の趣旨から考えたら、適していないのかもしれないと思う。いかに論理的にうるさい私とて、「マイノリティにおける負担の軽減」という観点に立てば、この点は軽視できないので、そこは譲歩することにした。

でもね。やっぱりこの人物は、「人間の立場は常に交換可能である」という原則を忘れて自己中に陥ってしまっている、ただのカンダタのひとり。自分は蜘蛛の糸につかまりつつ、下にある人たちを蹴落としたいと思う「弱い」人類たちのひとりなんだよな、というふうに見つめている。そして、普遍的な観点における解決が必要な課題であろう、とも。

では、こうした人間たちの「弱さ」をどうしたら緩和して、異なる人たちが共存しやすくできるのだろうか。それは、また別の機会に。

[付記] 万一、勘違いで受け取られることがあるといけないので付記しますと。私は、当該の大統領候補者によるムスリム蔑視発言を決して容認しません。論理的に、その発言を批判し続けます。ただし、「あんただってマイノリティ出身なんだろ、よりいっそうこういうことに敏感であってしかるべきだ」などといった「余計な圧力」をかけることはやめようと思った次第。マジョリティによる発言に対するのと同等の批判をすることにします。このような「余計な圧力」は、確かにマイノリティにのみ矛先が向きがちで、マジョリティの差別発言に対しては向かわないので、そういうのはフェアでないと考えたからです。あくまでも、ロジカルな思考に基づいた私の選択です。


2015年12月6日 (日)

■自立を促すフィールドワーク教育へ: 東南アジア学会のシンポジウムに参加して

週の始めから、漫画家水木しげる氏の訃報に接する。ああ、お化けにゃ学校も試験も何にもないんだよなあとぼやきつつ、卒論草稿の1周目のチェックをぼつぼつとこなしていた週です。週末は、たまたまですがフィールドワーク教育にまつわる会合がふたつ。

木曜日:6人の卒論を見て返し、6人の卒論計画を見て返し、博士論文を目指す2人の指導対応をした。ああ忙しい。ゼミのある毎週木曜日は、「他人の研究のための1日である」と悟っています。

金曜日:近所の役所で、とある騒動が勃発。これは、また書きます。

■子どもはすぐれたフィールドワーカー
土曜日:澁澤民族学振興基金民族学振興プロジェクト助成による「大学教育とフィールドワーク」研究会、第2回。京都文教大学にて。「中等教育とフィールドワーク」と題して、中学や高校の教育と文化人類学の関与のあり方について議論した。

一番ゆかいだったのは、「小学生はすぐれたフィールドワーカーである」という指摘。子どもはみんないい発見の感性をもっているというのに、中高生になると妙に規格化を志向し始める。で、大学生になっても中高生の規範意識を引きずっているから、大学ではフィールドワーク実習で子どもに戻さないといけない、と。なるほどね、中高生の受験勉強の知識をたずさえた小学生の感性という組み合わせ、いいかもね。

■大がかりなフィールドワーク教育の試み
日曜日:東南アジア学会の大会における総合シンポジウム「フィールドに学ぶ東南アジア: 体験学習から研究者・実務家養成まで」の招待コメンテータ、早稲田大学にて。100人ほどの来場者が参集する中、1日がかりで8人のフィールドワーク教育実践報告を聞き、10分のコメントをするという役割。みっちりと勉強しました。

お金があり、組織的なバックアップもある全国のいくつもの大学が、長期にわたって多くの学生たちを海外に送り出す取り組みを続けている。大学間のネットワーク化も進んでいて、旅行会社も専門部署を作るなど、大規模化、産業化の側面もかいま見える。

みんな、大変な時間と労力をかけてやっているんだなあと感心することしきり。それに比べたら、オカネも組織ももたない私のフィールドワーク教育の悪あがきなど、孤軍奮闘・徒手空拳といった有様である。

いえ、オカネも組織も、本学にないわけではなくて。「グローバル人材育成推進事業」の採択を受けているし、外国語学部は学内最大の部局なのだし。ただし、本学はやはり語学中心、学校ベースの留学計画が中心で、学生たちを野に山に森に村に町に解き放とう!という風潮が十分に浸透しているわけではない。だから、フィールドワーク教育を振興したいと考えて実践している教員の仲間は何人かいるものの、どうしても教員個人単位、ゼミ単位での小規模な取り組みに限られる。その分、個人的な指導が手厚くできているというメリットはあると思うけれど。

■パッケージ化がもたらしうるもの
さて。今回のシンポジウムの実践事例が示していたように、フィールドワーク教育を大学組織や旅行会社がパッケージ化して、盛大に実施するケースも見られるようになってきた。

ただ、それで学生がいっそう「他人任せのお客さん」になってしまわないかなあという危惧もちらり。学生たちが自分で判断して計画して進めるという意識が薄れ、「フィールドワークは、先生がすべて準備してくれるもの」というイメージが定着したら、これって本末転倒ではないですかね。いずれは過保護をやめて、思い切って教員が手を放し、学生各自にひとりの研究者としての「自立」を促すこともまた大切ではないだろうか。

■多様性を見守る場としての大学
また、私は、必ずしも全員が全員フィールドワークに携わる必要もないと考えている。適不適は必ずあるので、得意でやりたい人がそれを伸ばす機会を守る、くらいでよいのではと思っている。教員が丸抱えで、積極的とは言えない学生も含めてフィールドに連れて行くというのは、学生の側も、受け入れる地域の側も、あまりに負担が大きいのではないか。

(同じ理由で、かつて大学で地域貢献に関する学生参加のプログラムの原案を検討する会合があったとき、「学生全員の地域貢献の必修化」には、私は断固として反対した。そんなの、学生ばかりか、地域にとっても迷惑な話である。)

むしろ大学は、フィールドワークの得意不得意も含めて、学生の多様性を見守る場であるのがよい。学生の側の多様性、フィールドの側の多様性、どちらも包摂しつつ、適したマッチングができる場を作ろうではないか。そして、その組み合わせの選び方は、学生の自由に委ねていくことが望ましい。教員と学生の役割分担や主導権のありかた、とくに、教員がどこまで手と口を出して、どこから先は手も口も出さないかの線引きを考えることが、実は最も重要だと思う。シンポジウムで、そういうコメントをした。

え? それって、フィールドワーク教育のためのオカネと組織と制度をもたない大学人のヒガミだろうって? その通りです。(笑)

冗談はさておいて。大学としての取り組みが簡素なら簡素なりに、個人単位での放任的なフィールドワーク奨励の教育は十分にできる。そのことを、私は先日終わったばかりの「旅の写真展」の話題に関連させて紹介した。もちろん、誇るべき私たちの実績としてね。

大学と教員が熱を入れ、お世話しすぎることの、学生におけるメリットとデメリット。自分たちの大学の課題にも引き付けつつ、いろいろと考えました。

■「調査の練習台」?
もう一点、これはシンポジウムでは言わなかったが、ちらりと思ったこと。

最近は、東南アジアであれば比較的気軽に学生を連れて行ける。このため、ちょっとしたフィールド体験のステップになっていて、そこを経由していずれはアフリカなどへと旅立つ学生もいるという。あ、そうか、かつて沖縄などが担っていた(もしかして今も担っている)「調査の練習台」のようなまなざしにも近いと言えるのかな。『調査されるという迷惑』というタイトルのブックレットのことをふと思い出した。

アフリカだと、遠いということもあるし出費もかかるということで、なかなかそう気軽に、とはいかない。東南アジアという「近距離の手軽さ」がもたらす問題の一部をかいま見たような気がする。個別の事例に対する批判をするつもりはなく、調査実習というものに構造的にそなわった課題として、自分も含めて全般的に引き受けていきたいと考えさせられた。

いずれもベテランのフィールドワーカー/地域研究者の各位を前に、ずいぶんとナマイキなことを申しました。ことばが過ぎましたら、すみません。東南アジア学会のみなさま、お招きいただき、また貴重な議論と思考の機会をたまわり、ありがとうございました。



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