ちょうど1年前のこの日
彼女は夫と笑っていた
来年もクリスマスを一緒に過ごせると信じて
彼女の名は川島なお美。
54歳という若さで旅立った
水分はワインで?
(なお美)「俺は夜汽車の窓を眺めながら今ホームで別れたばかりの彼女のことを思い出していた」
(川島)やってきたわね。
偉かったわねって。
時代の流れを誰より早く読み取り時に過激に時にしたたかに世の話題をさらい続けた川島なお美
そんな彼女が何よりこだわったのが女優だった
「ええかげんにしてもらえませんか?」「うち。
うち姉さん呪い殺したる!」「一緒に死んでもいいのね?」
(古谷)「ホントだ」
女優人生を懸けて挑んだドラマ『失楽園』の成功を機に順調に見えた彼女の人生。
だが…
久々にテレビの前に現れた彼女の姿に誰もが言葉を失った
皆さんに…。
驚いたのはわれわれだけではなかった
(松)本人はとにかく…。
実はこのとき…
それでも川島なお美は言い続けた
われわれは死の3週間前に撮影された彼女の映像を手に入れた
がんに侵された体で懸命に稽古に励む川島なお美の姿がそこにあった
同時に彼女が隠し続けた真実も
なお美の膨らんだおなかにはこのとき5リットルもの腹水がたまっていたのだ
こんな体でなぜ彼女は…
夫鎧塚俊彦氏が初めて語る真実
なお美の死後夫が見つけた闘病日記があった
12時間に及んだ大手術
その前日の覚悟が記されていた
彼女のプライベート映像が夫の携帯に残されていた
それは死の1年余り前に撮られたものだった
Bいきます。
トントントントン。
トントントントン。
このときすでにがんが彼女の体をむしばんでいた
それでも笑い続けた川島なお美
そう信じて
だが…
夫だけが知らされた…
妻を支えながらただ一人余命を知らされ苦悩していた夫
なお美と交わした死の8日前のLINEを初公開
そこには…
初めて漏らした川島なお美の弱音
そして…
(鎧塚)なおはん?
(鎧塚)なおはん!なおはん。
大丈夫か?
夫婦二人きりで迎えた最期。
奇跡が起きる
夫婦で挑んだ…
あの激痩せ会見から逝くまでの17日間
今…
彼女がその人と運命的な出会いを果たしたのは10年前
クリスマスの料理対決番組だった
このときの審査員がなお美だった
なるほど。
パリの世界的菓子コンクール優勝の実績を持ち海外の三つ星レストランで腕を鳴らしたトップレベルの菓子職人
2人が再会したのは1年後
友人荒川静香氏のバースデーケーキをなお美が彼に依頼
それをきっかけに食事をするようになった
2009年6月3日。
イタリアトスカーナの地で…
なお美と鎧塚氏は永遠の愛を誓い合った
人生で最高に幸せだった瞬間
しかしそのわずか4年後
今回川島なお美の闘病生活を支えてきた夫鎧塚俊彦氏が全てを語る
その悪夢の始まりは…
その日川島なお美はいつもと同じように仕事現場にいた
・
(スタッフ)カット。
(一同)お疲れさまでした。
お疲れさまでした。
(マネジャー)なお美さん。
携帯鳴ってます。
(なお美)あっ。
ありがとう。
毎年恒例の人間ドックを受けた病院からだった
(なお美)もしもし。
(なお美)院長先生。
どうされたんですか?
(なお美)影?
(医師)肝臓内に1.7cmの影が見られます。
この腫瘍が悪性の場合肝内胆管がんでしょう。
肝内胆管がん?
肝臓でつくられる消化液を十二指腸まで運ぶ管胆管
この胆管の周囲にできるがんが肝内胆管がんだ
肝臓医学の権威高山教授はこのがんの特徴をこう語る
(高山)従って…。
これが…
黄色い部分が確認された1.7cmの腫瘍である
(医師)せっかく早く見つかったんですからすぐに手術をした方がいいと思います。
先生。
女優にとって体は楽器なんです。
それに傷を付けてしまうことはできません。
だがなお美は違った
何が最適な方法か自ら模索し続ける
そして出した答えは…
(鎧塚)ただいま。
おおー。
シナモンシナモンシナモン…。
ととはん。
(鎧塚)うん?私決めた。
手術はしない。
なお美は手術を拒んだ
夫の目を真っすぐ見据えはっきりと彼女はそう言った
自分で頑張って治すから。
(鎧塚)それは反対だよ。
仕事続けるために手術しないなんて。
取り返しのつかないことになったらどうするんだ?女優として仕事を優先させたいという気持ちはもちろんだけどそれだけじゃないの。
手術して治るなら私だってそうしたい。
でもねがんってそんなもんじゃないの。
生活態度を改めていかないとまた同じことの繰り返しになるの。
自分でつくった腫瘍は自分で治す。
手術だけに頼らずいろんな方法を探していきたいの。
体を傷つけてしまう…
この人なら命を預けてもいいと思える医師を見つけるためのセカンドオピニオン探しが始まった
有名大学病院やがんは切らずに治す医師
ラジオ波の名医から陽子線治療まで
しかし…
(鎧塚)そういうことを言われた先生もいらっしゃいました。
肝臓に影が見つかってから4カ月。
回った病院は8カ所
・
(医師)はい。
どうぞ。
(医師)データはすでに拝見していますよ。
はい。
その医師はとても誠実に事細かく説明をしてくれた
この人の言うことなら素直に聞ける
ようやく自分を任せてもいいと思える医師との出会いだった
そしておととしのクリスマス
なお美は精密検査を受ける
その結果は…
女優として生きることを望んだ川島なお美
夫婦で闘った2年間に及ぶ闘病の全記録を夫鎧塚氏が初告白
なお美は耳を疑った
「すぐ手術した方がいい」
これが…
黒い影が腫瘍である
4カ月前は1.7cmだった腫瘍は3.3cmまで膨れ上がっていた
4カ月で2倍の大きさ
それはがんの可能性が高いことを意味していた
先生。
体は女優にとって。
特に舞台に立つ役者にとって楽器そのものなんです。
その楽器になるべく…。
お願いします。
開腹手術はしないと決め治療法を模索し続けたなお美がようやくたどりついたのが腹腔鏡手術だった
腫瘍発覚からすでに6カ月近くがたっていた
あっ。
ねえ?記念写真撮ろう。
(男性)じゃあ私が撮ります。
お願い。
入って入って。
(看護師)いえいえ。
どうぞどうぞ。
いいから。
早く。
(看護師)失礼します。
(男性)じゃあ撮りますね。
3・2・1。
そのときに撮った実際の写真
川島なお美が死の9カ月前に書き残した闘病の記録にこう記されている
目が覚めたとき何か欲しいものある?笑わせてほしいな。
分かった。
じゃあね。
うん。
当初8時間とされていたなお美の腹腔鏡手術は予定を大幅にオーバー
終了したのは開始から12時間後のことだった
なおはん。
なおはん。
手術は成功したよ。
なおはん。
よく頑張ったな。
あっ。
これ?だってなおはん。
目覚めたら笑わせてって言ったから。
バカね。
手術の間病院内の理容店に飛び込んだ
目覚めたときただ妻を笑わせたくて
これはテレビで初めて見せる…
「私は困難に打ち勝ったの」
そう言いたげなうれしそうな笑み
(医師)転移はしていませんでした。
先生。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ただし…。
楽観視はできません。
どういうことでしょうか?手術から…。
偶然見つけた…
今回テレビ初公開となるその日記には手術前日のなお美の思いが記されていた
誰もが驚いた…
川島なお美。
最期の瞬間が明らかに
夫鎧塚氏が遺品を整理していたときに見つけた…
今回テレビ初公開となるその日記には手術前日の思いが記されていた
命を懸けた手術を前になお美の願いは「女優としてもっと進化したい」
なぜそこまで彼女は女優にこだわったのだろうか?
なお美は名古屋市で産声を上げた
わが子の成長を8ミリカメラに収め続けた裁判所事務次官だった父
元美術教師だった母はミュージカルに連れていきなお美の感性を育てていく
そして4歳のとき
その母と見たミュージカルが彼女に淡い夢を抱かせた
高校2年生になると自らの意思でスクールメイツのオーディションを受け…
青山学院大学入学と同時に芸能界デビュー
そしてチャンスが巡ってきたのはその1年後
「私たちも祈りたいんです」「何か変だなぁ。
ひょっとしてあの伝説もあなたたちが作ったんじゃなくって?」「はい。
オダギリ君」
念願の女優デビュー
だが事務所の方針は…
やがてなお美はグラビアアイドルとして若者の絶大な支持を集めるようになる
機転の利くトークと愛嬌のあるキャラクターでバラエティーにも登場
・はい。
じゃあなお美ちゃん。
はい。
姫路。
・姫路?はい。
姫路。
・「それは姫路姫路姫路」・「姫路のアッコちゃん」
(ブザー音)
大学を卒業するころにはアイドルタレントとしてお茶の間の人気者になっていた
だがなお美の夢はあくまでも女優
だからどんな小さな役でもドラマや映画に出演した
けれど女優としての評価はいまひとつ
そこでなお美は一大決心をする
32歳になったこの年ヌード写真集を発売
それは川島なお美の…
成熟した女へとイメージチェンジしたなお美に妖艶な役柄のオファーが次々と舞い込む
「このあほんだら!」「上納金払われへんかったらつぶされるだけや!」
(岩下)「死なせた者の家族は誰が面倒見るんや?」「姉さん。
うちの人を巻き添えにしたらうち。
うち姉さん呪い殺したる!」
仁支川峰子演じるクラブのママとのケンカシーン
なお美は女の情念を見せつけた
そしてこの作品で新たな女優川島なお美の地位を確立する
(国広)「連れて帰る」
(古谷)「凛子」
(国広)「くっ…。
あっ!?」「構わないから刺してください」
(古谷)「俺から先に刺せばいい」「やめて!あなたが殺さなくても私たち2人で死にますから」
ダブル不倫。
そしてベッドでの心中シーン
「うれしい」
体当たりで挑んだ演技は川島なお美の名を一躍有名にした
当時同行していたスタイリストはこのときなお美の覚悟を見たという
「何だって?」「つまらないケンカするのやめましょ」
続いて川島なお美が演じたのは文豪谷崎潤一郎原作の『鍵』
人間の心に潜む闇を官能的に演じ話題に
「仕事をする姿っていいなと思って」
私は女優
ようやくそう胸を張って言えるようになった
人気パティシエ鎧塚俊彦氏と結婚
この世に生まれてから48年目
ようやく手に入れた人生最高の幸せ
しかしそのわずか4年後
(医師)肝内胆管がんでしょう。
肝内胆管がん?
彼女が選んだのは体に負担が少ない…
12時間に及んだ手術の後知らされたのは…
(医師)手術から…。
手術から1カ月後
なお美は仕事に復帰
(浅野)「ご主人の女性関係なんか?」「確かめたことはないんですけれど」「一度だけ浮気の気配がした時期はありました」「もう5年も前のことです」「いいかげん吐いたらどうだ!」「私だって悲しいです」「けど私が泣いとったら店はどうするんです?」「そやから…」「そやから泣かんようにしとったんです」
手術から5カ月たった2014年7月1日
なお美はデビュー35周年記念パーティーの舞台の上にいた
あのう。
高らかながんへの勝利宣言
誰もが彼女なら克服できると思っていた
しかしその1週間後待っていたのは残酷な現実
ととはんもベストスコア更新したもんね。
なおはんもよかったじゃない。
あの7ホール目のツーオン。
フッフッフッ。
どうした?病院から。
もしもし?
(医師)先日の検査の結果でお話ししたいことがあります。
(医師)できるだけ早く病院の方へいらしていただけますか?分かりました。
まさかそんなはずない
打ち消したい嫌な予感はついに現実となる
再発…。
先生。
再発のことですが。
間違いないんですか?
(医師)間違いないと言わざるを得ない状況です。
そして鎧塚氏は最も恐れていたことを告げられる
先生。
女房はあとどれぐらい生きられますか?1年?
あまりに無情な宣告だった
そういうのは。
なお美はがんや自らの運命について何を考えそしてどんな思いを残していたのか?
それをひもとくためスピリチュアルメッセンジャー上地一美が自宅へ向かった
スピリチュアルメッセンジャー上地一美が川島なお美の思いをひもとく
生前なお美はこの自宅に決してメディアを入れることはなかった
その理由を初めて足を踏み入れた上地が解き明かす
(上地)何ていうんでしょう。
(上地)うーん。
そうですね。
(上地)もうホントにそういう…。
ものすごく必死で頑張ったのかなっていう感じが伝わってくるので。
努力する姿は決して見られたくない
ああ。
いいですよ。
上地は仏壇の下に何かを感じたようだ
これ大丈夫ですか?
(上地)ああ。
それは誰にも知られないようがんについて勉強したたくさんの名残
(上地)自分自身の。
はい。
上地は言う。
なお美は自分がどうなるかを知っていた
100冊以上のがんの医学書の向こうに彼女の悲鳴が聞こえると
さらに上地が何かを感じたのは…
(上地)ご主人のものですよね?スケジュール帳。
あっ。
僕…。
それから…。
なお美が夫婦それぞれの予定を書き込んだカレンダー
9月の日付のまま残されていた
帰ってきて。
この辺は。
あっ。
ここ。
これが…。
夫婦でよく楽しんだゴルフ
死の1カ月前とは思えない笑顔
うん。
(上地)頑張ろうっていう気が。
元気っていうんですかね。
(上地)疲れを感じてきたかなっていうのが8月で。
絶対に生きる
その思いを込めて書き込んだカレンダーにはなお美が亡くなった後のスケジュールも書き込まれていた
最後に記されていたのはことしも12月に立つはずだった舞台『クリスマス・キャロル』
去年の12月もなお美はこの『クリスマス・キャロル』の舞台に立っていた
生きるということの意味を知るクリスマスの奇跡を描いたこの舞台はなお美にとって大切な作品の一つだった
「ハハハ。
気にしないで。
よく言われるからさ」
(草刈)「よく言われるのかい?」「だって私は女優。
夢を売る仕事だから」・「ああこの世に生まれて」
ことしも『クリスマス・キャロル』で演じることをなお美は心に決めていた
ホントに…。
パティシエの夫にとってクリスマスは1年で最も忙しく最もやりがいのある日
夜を徹してケーキ作りが続く
妻は女優として舞台に立ち夫は目が回る忙しさの中遅くまでケーキを作る
夫婦のクリスマスはイブの深夜のわずかな時間
いらっしゃいませ。
すいません。
お待たせいたしまして。
寒い中。
順番にご案内してますので少々お待ちいただけますか。
すいません。
1年前のこのイブをなお美と鎧塚氏はどう過ごしたのだろうか?
そうすると…。
あっ。
見て見てこれ。
そうそうそう。
これ…。
うわー。
あっ。
これ。
ああ。
これも早速着て。
うん。
ラインがねすごく奇麗なんですよ。
いや。
ホントに…。
2人は1年前のクリスマスイブ一つの誓いを立てた
いったいそれは…
そして…
川島なお美はなぜ死の1週間前まで舞台に立ち続けることができたのか?
この後その全てが明らかに
ホントに…。
1年前のクリスマスイブ。
2人は一つの誓いを立てた
なお美の肝内胆管がんの5年生存率は50%以下
東京オリンピックは手術を受けた年からちょうど6年後
そこまで生きられたらきっと私は大丈夫
どうかそのときまで夫のそばで笑っていられますように
そして…
がんが再発した後もなお美がよく訪れた場所がある
なお美が愛した場所軽井沢
彼女が亡くなった後鎧塚氏は初めてこの地を訪れた
なお美はいつも先に訪れ部屋を暖め笑顔で鎧塚氏を出迎えた
仕事で疲れた夫がくつろげるように
そんな世話女房だった
ほら。
見て。
なお美自慢のワインセラーには今も秘蔵のコレクションが並んでいる
夫婦思い出の地でなお美が大好きだったシャンパンを開ける
女房に。
忘れてる。
女房の忘れて…。
一つ。
また一つと蘇る恋女房との思い出
ここに来てふと鎧塚氏が思い出したことがある
僕…。
一切。
夫の…
Bいきます。
トントントントン。
トントントントン。
撮影されたのは2年前の10月27日
肝臓に腫瘍が見つかった2カ月後
間奏行きます。
・「愛の予感」くるくるぽん。
くるくるぽん。
ごめん。
もう1回。
くるくるぽん。
くるくるぽん。
あるイベントで夫婦で踊ることになったAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』
鎧塚氏のレッスン用になお美が踊ってくれたのだ
そしていざ本番
しかしことしの1月突然の悲しみがなお美を襲う
どうしたの?シナモン。
やだ。
シナモン。
やだ。
やだ。
お願い。
愛犬のシナモンは何となお美と同じ肝臓のがんだった
皆さんに…。
あの激痩せ会見から逝くまでの17日間を…
なお美を襲った新たな悲しみ
そんなとこまでママに似なくていいんだよ。
ほら。
飲んで。
15年前なお美の元にやって来たミニチュア・ダックスフンドのシナモン
子供のいない彼女にとってわが子同然の存在だった
なお美の手術から7カ月後
シナモンに見つかった腫瘍
くしくも…
なお美は必死で看病し続けた
シナモン?どうしたの?シナモン!
どんなにつらいときもそばにいてくれた最愛の家族
やだ。
やだ。
お願い。
やだ。
やだ…。
この日シナモンはなお美の腕に抱かれて静かに息を引き取った
自分と同じ病でこの世を去ったシナモン
その姿が自分と重なったのだろうか
なお美はMRIや血液検査を欠かさなかった
私は絶対に負けない。
諦めない
体を温める温熱療法。
免疫療法など少しでも効果があると考えられる方法は全てやり尽くした
心配かけてごめんね。
でもね私全然大丈夫なの。
再発したとは言われたけど何の症状もないし。
ほら。
私たくさん本を読んだでしょ?だからどういう症状が出てどうなるかってよく分かってる。
まず…。
それなのに…。
このころのなお美にはある口癖があった
よし!しっかり食べよう。
うん。
食べよう。
いただきます!いただきます。
なお美は何としてもがんに勝ちたかった
シナモンの死から3カ月後
このころには…
(女性)ねえ。
再発の事実を知っているのは夫ただ一人
彼女は…
ことし5月に上演された舞台の映像がここにある
「何すんのよ!」「あんた」「子供ができるってどれほど幸せか分かってんの?」「世の中にはね欲しくたってできない人たちがいっぱいいるの。
私もそう」
テーマは命の貴さ。
そして人と人との絆
・「広い宇宙の中小さく光る命」
このとき誰が気付いただろうか?
がんが再発していたことを
そして彼女はなぜここまで演じることにこだわったのだろうか?
ただやっぱり…。
ですから…。
どんなに頑張っても憧れの倍賞千恵子のような女優にはなれない
だからこそ全力で演じ全力で生きる
なお美はがんになった後ある本にこんなことを書いている
「それが舞台の上だとしたら拍手に包まれながら最期を迎えられるわけです」
女優でいられるその一瞬一瞬をなお美は手放したくなかったのだ
がんは確実になお美の体をむしばんでいった
それはもはやはっきりと目に見える形で
《それなのに…》私…。
がんの進行に伴いおなかに水がたまってくるがん性腹水だった
腹水がたまり始めたこのころからなお美は急激に痩せていく
8月には医師にこんなメールを送っている
特別に見せていただいたそのメールには…
だがこのとき彼女にはどうしても演じたい舞台が控えていた
ミュージカル『パルレ』
「お金稼いで恋もたくさんするぞ!」
もともと韓国で大ヒットした「洗濯」という意味のミュージカル
様々な悩みを抱えながら暮らす人々の生きる素晴らしさと希望を描いた作品
3年前に初めて演じた際自身の役柄について…
暗い過去を引きずらず強くたくましく明るく生きてる下町の女性ですね。
すごく華やかで。
でも貧しくて。
でも明るくてっていう。
すごく何でしょうね。
親しみ湧く役です。
がんと闘う今だからこそ生きる勇気を与えたい
なお美はどうしても演じたかった
体調に不安を抱えながらも『パルレ』の稽古に励むなお美の姿が残っていた
今回テレビ初公開
なお美が亡くなる23日前に撮影された稽古場での風景である
驚くほど痩せ細っていた
実はこのときなお美のおなかにはすでに4リットル以上の腹水がたまっていた
よく見ると彼女の腹部が膨らんでいるのが分かる
実はこの舞台でなお美が演じるのは6役
しかもミュージカル
歌に踊り。
もちろん激しい動きもある
4リットル以上の腹水を抱えたなお美にとってあまりに過酷だった
そして…
なお美は…
このとき肝臓の8割以上ががんに侵されていた
なお美は最先端の腹水治療で知られる病院に極秘入院する
先生。
私今舞台の最中なんです。
何とか…。
(松)とにかく診察しましょう。
(松)腹水は我慢するしかないと思ってる人が多いけど治療はできるから。
お願いします。
およそ8時間かけて腹水を抜く
抜いた腹水は4.6リットル
当時なお美の体重は38kgほど
だが腹水を抜くと30kg台前半しかなかった
実際になお美の治療をした松医師は…
これは実際のなお美の下腹部のCT画像
濃いグレーの部分は全て腹水
健康な人と比較するといかに腹部が膨れ上がっていたかが分かる
さらに肝臓を見ると正常な肝臓は白く写るのに対しがんに侵された部分は黒く写る
このときすでになお美の肝臓の8割以上ががんに侵されていたのである
(松)通常だったら…。
腹水を抜いたわずか3日後
なお美は公の場に姿を現す
それが…
夫と共に出席したあのイベントだった
わずか3カ月前までは健康そうな姿を見せていたなお美。
だが…
この日の変貌ぶりに世間は驚きマスコミはこぞってその激痩せぶりを書きたてた
しかしその中で何人が気付いただろうか?
細い腕に不釣り合いなほど膨れ上がったおなか
3日前に抜いたばかりの腹水が早くもたまりだしていた
そんな中でもなお美は気丈だった
柔らかい物腰。
ゆったりとした笑顔
彼女はいつもの川島なお美を演じていた
あんときは…。
抜く前に。
このときなお美は医師にメールを送っている
そう悲鳴を上げるなお美をさらなる悲劇が襲う
あっ!なおはん!?あっ…。
なおはん?
(男性)大丈夫ですか?うっ!
このとき何と…
翌日に舞台の本番を控えての緊急事態だった
(男性)骨折したんでしょう?大丈夫なんですか?はい。
(男性)あそこを変えましょう。
洗濯物を持ってこう大きく振るシーン。
それはこの舞台を象徴するシーン
『洗濯パルレ』のタイトルどおり洗濯物を大きくはためかせる
(男性)あれはやめましょう。
あれはやります。
お願いします…。
お願いします。
舞台の演出を務めた鈴木孝宏氏は…
(鈴木)そしたら…。
横浜での3日間の公演を無事にやり遂げなお美は再び入院した
8日前に抜いたばかりの腹水を再度抜く
今回も4.6リットル
彼女の肝臓の機能は低下していく一方だった
この日いつものように鎧塚氏は店に立っていた
(バイブレーターの音)
中トロとトロタクが食べたいというリクエスト
腹水を抜いて一時的に食欲が戻った妻を少しでも喜ばせてあげたい
・
(ノック)はーい。
へい。
お待ち!どうしたの?すし屋の俊兵衛でございます。
ハハハ。
ねえ。
写真撮ろう。
写真。
ようござんすよ。
ようござんすよ。
はい。
よろしいですか?はい。
いいっすか?はーい。
はい。
マグロ。
これが実際の写真
無邪気に笑うなお美の顔
もっともっと笑っていてほしいのに…
これが2人の最後のツーショット写真となった
なお美はこの日…
立つことすらつらいはずなのになお美は歌い踊り演じていた
ここが彼女が…
その公演をこの客席から見守り続けた人がいる
なお美の20年来のファンだ
(有賀)最後はホントに。
実は…
ヒジョンママは『パルレ』の中で演じている役名の一つ
なお美は自らの死期を予感していたのだろうか?
この日事態は急変する
鎧塚氏の元に届いたなお美のLINE
「かなりかなりヤバい」「乗り切れるか分からない」
このとき彼女の体はもう限界だった
なおはん。
大丈夫か?
この日事態は急変する
鎧塚氏の元になお美からLINEが届いた
そしてこの日がなお美が舞台に上がった最後の日となってしまう
本番前楽屋からなお美が出てこない
(男性)もうすぐ開演ですよ。
心配になった共演者が声を掛けた
(男性)なお美さん?大丈夫ですか?出られますか?出るよ。
(スタッフ)あっちの方お願いします。
(スタッフ)はい。
OKです。
お待たせ。
さあ本番よ。
いつもの川島なお美だった
しかし舞台の幕が開き彼女の出番直前
(男性)えっ?何?
(男性)えーっ?
なのに…
(男性)次はケンカのシーンです。
最初のせりふは「私が好きであなたと暮らしてると思ってるの?」です。
せりふ…。
せりふ出てこない。
分からない。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう…。
「キャー!」
なお美は飛び出していった
舞台に立ってようやくせりふが蘇る
「私が好きであんたみたいな男と一緒に暮らしてると思ってんの?」「黙れ。
こんチクショー」「黙れ黙れ黙れ…」「うわーっ。
痛い痛い痛い」
だがそれも長くは続かなかった
次第にほころびが出始める
なお美と共に舞台に立っていた元宝塚女優高汐巴はこう振り返る
(高汐)それで…。
迷惑掛けた自分が。
やっぱり…。
(スタッフ)なお美さん。
こちらです。
共演者たちに助けられ何とかこなした一幕目
しかし…
(スタッフ)なお美さん?なお美さん?
このとき亡くなる8日前。
彼女を駆り立てるものは舞台への執念だけだった
せりふは何度も頭から消えた
そのたびに仲間が助けてくれた
川島なお美は決してこの舞台を降りようとはしなかった
最後まで。
そう。
最後まで演じたい
命を削ってまで懸けた舞台だから
女優川島なお美の全てを懸けた舞台だから
これが彼女が聞いた最後のカーテンコールだった
(男性)どうも皆さま。
ありがとうございました。
(拍手)
その翌日…
降板決定
長野に駆け付けた夫を見るなりなお美は言わずにはいられなかった
悔しい…。
悔しい。
もう十分過ぎるほど頑張った。
舞台を降りたくない!なおはん。
今は体のことだけ考えよう。
元気になったら今回ご迷惑をお掛けしたお返しはいくらでもできるから。
なっ?東京へ帰ろう。
もうもうもう…。
ここはねまたいくらでも…。
翌9月18日
東京に戻りそのまま入院
なお美は…
悔しさを胸の奥にしまいこんで
ブログに残されたこれが川島なお美最後の一枚となった
そして…
バナナ取ってくださる?
(看護師)栄養は点滴で取れてますから無理しなくても大丈夫ですよ。
どうぞ。
ありがとう。
(せき)
(看護師)どうしました?大丈夫ですか?どうしました?
なお美はふと思い出した
もうそのときが近づいていた
そしてその日の夜…
(せき)なおはん?なおはん?
(せき)なおはん?なおはん?
突然の吐血だった
ととはん?なおはん!なおはん。
大丈夫か?なおはん。
大丈夫か?ちょっ…。
ちょっと待ってろな。
ちょっと待って…。
なおはん。
なおはん。
大丈夫か?大丈夫か?大丈夫か?しっかりな。
(看護師)どうしました?あっ。
今先生呼びますからね。
お願いします。
なおはん。
しっかりしろ。
大丈夫か?大丈夫だから。
大丈夫だから。
これがなお美の最期の言葉となった
この晩の吐血からなお美の容体は悪化の一途をたどっていく
今意識がないようなんですが。
(松)脳が侵され意識がなくなっているので最期はすっと逝かれると思います。
亡くなる2時間前意識のないなお美の元を訪れたのが片岡鶴太郎である
(鶴太郎)そして…。
そしてまた…。
目がこうしてね…。
そしたら俊さんが…。
じゃあなお美ちゃん…。
そう言って後にするんですね。
そして見舞客が去った午後7時30分
病室には夫婦2人だけが残された
なおはん。
みんな帰っちゃったなぁ。
さあ後は二人っきりで朝までゆっくり夜を過ごそうな。
このときなお美の心拍数が急に下がり始める
(看護師)危険な状態です。
(看護師)先生呼んできます。
なおはん。
どうした?どうした?なおはん。
どうした?なおはん。
そして奇跡が起きる
どうした?どうした?
目覚めるはずのないなお美の目が開いたのだ
なおはん?
その瞳はまるで舞台に立ったときのようなそんな強い光を宿していた
なおはん?なおはん!なおはん。
なおはん。
ほら。
なおはん。
ほら。
頑張って。
ほら。
頑張れ。
その愛する人の声が再び奇跡を起こす
なおはん!フゥ…。
答えるようになお美は息を吐く
ほら。
なおはん。
なおはん。
ほら。
おい。
頑張って。
頑張って。
頑張って。
なおはん。
ほら。
頑張って。
頑張って。
なおはん。
そして…
なおはん。
なおはん。
ハァ…。
もう一度答えるように息を吐いた
なおはん。
なおはん。
ほら。
ほら。
頑張んなきゃ。
なおはん!ほら。
頑張んなきゃ。
なおはん!なおはん。
なおはん。
なおはん。
愛する人のアンコールに魂で応えたなお美のカーテンコール
なおはん。
ほら。
逝っちゃ駄目だってまだ。
「ハァ」って。
ですから…。
ホントに…。
2人が最後のときを過ごした病室
共に闘いぬいた2年間
母は娘に一つだけ言いたかった
2015年10月2日。
葬儀が営まれた
お願いいたします。
(クラクション)
(拍手)
会場には1,500人もの弔問客やファンが詰め掛け彼女の最後の舞台を見送った
なお美の死から2カ月後。
鎧塚氏は店頭に立っていた
いらっしゃいませ。
こんにちは。
フルーツのタルト今出来上がったばっかりですのでよかったらどうぞ。
神奈川県小田原市にある一夜城YoroizukaFarm
こんにちは。
ようこそ。
今日はありがとうございます。
(一同)こんにちは。
(女性)元気出してください。
ありがとうございます。
ここは素材から自分たちで作りたいと長年願っていた鎧塚氏にとっての理想郷
畑には季節の花が咲き果実が実る
相模湾が一望できるこの眺めをなお美は何より愛していた
「私はもしものときはチョウチョになってここに戻ってくるんだ」って言ってましたからね。
あの直筆日記にも残されていた川島なお美の遺言とは…
「私はもしものときはチョウチョになってここに戻ってくるんだ」って言ってましたからね。
「川島なお美」2015/12/24(木) 19:00〜20:54
関西テレビ1
独占秘話!女優・川島なお美物語〜余命1年 Xmasイブの誓い!死ぬまで舞台に…[字]
夫・鎧塚氏が涙の初告白!共に戦った闘病全記録▽あの激ヤセ会見から死までの17日間全真相▽初めて弱音吐いた最後のLINE▽腹水5l…最期の舞台秘蔵映像▽失楽園秘話
詳細情報
正式タイトル
独占秘話!女優・川島なお美物語〜余命1年 Xmasイブの誓い!死ぬまで舞台に立ちたい!〜死の直前秘蔵映像と愛の直筆日記を初公開!
番組内容
今年9月24日に、胆管がんのため、54歳という早すぎる死を迎えた、女優・川島なお美。夫・鎧塚俊彦氏以外には、病気の再発を隠し、最期まで“女優”にこだわり、“女優”として生き抜いた彼女の生き様をつづる。
今回、夫・鎧塚氏協力の下、亡くなる直前まで出演する予定だったミュージカル「パルレ〜洗濯〜」の通し稽古の様子など、秘蔵映像を初公開する!
また徹底的に女優を演じ通した川島が安らげる場所、
番組内容2
つまり“素顔の川島なお美”に一番戻れる場所である自宅を、鎧塚氏に案内してもらう。そこで、彼女の死後初めて発見された、直筆の闘病日記を独占初公開。「生きることへの執着」「がん」への思い…。その日記には、夫・鎧塚氏にさえ決して語ることのなかった川島の本音や、遺言のような言葉がつづられていた。さらに、夫も知らなかった写真を丁寧に仕分けしたアルバム、夫のためにわかりやすくスケジュールを書き込んだ
番組内容3
カレンダー、夫が忘れ物をしないように書き残した直筆メモなど…。川島の思いがあふれる空間で、2年に及ぶ壮絶な闘病生活の全貌について、支え続けた鎧塚氏が初めて語る。また、川島が好きだった軽井沢の別荘に鎧塚氏とともに訪問。また、川島が初めて見せた病への不安や恐怖の言葉がつづられていたLINEのやりとりも公開される。初めて明かされる川島なお美の人生や素顔。ぜひご覧いただきたい。
出演者
鎧塚俊彦氏
他
スタッフ
【編成企画】
情野誠人(フジテレビ)
【プロデューサー】
北條とも子
【総合演出】
渡邊宏
【制作】
フジテレビジョン
【制作著作】
ジッピープロダクション
ジャンル :
バラエティ – その他
ドラマ – 国内ドラマ
ドキュメンタリー/教養 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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