悪意的な改変であったということでいいの?
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20151226/1451285155
俺は、あんまり考えずに改変したら悪意的なシーンになってしまった、というだけで、ことさら6話に悪意描写を追加しようと意図してやった、とまでは思ってないんだけど、どうやら彼の解釈ではそうなってるようなので、そこまでサムゲタンと心中しなきゃならん理由がどこにあるのか理解に苦しむ。
指摘されていたのは、ただ粥を描くことが難しいという話ではなく、出汁で炊くという珍しい粥を表現することが難しいという話だ。
「ただのおかゆではない! 出汁で炊くという珍しい粥だから描くのが難しかったのだ! そしてサムゲタンは簡単なのだ!」 ええと、これ真面目に取り合う必要あるの?w
11月24日の私のエントリに「支柱」を見いだそうとしても、その多くは先行する「支柱」を引いたものにすぎない。
アニメ画像をたくさん引いて批評っぽい体裁を盛りまとめサイトなんかでも貴方のブログは何度も取り上げられてたでしょ。貴方がどこかから持ってきたのかそれともオリジナルかってのは関係ない。貴方の体裁がそれだけウケていた、ということを言ってる。まあ、褒めてるんですよ? 貴方は自分が思ってるよりは有名だ。
キャラクターの悪意とスタッフの悪意は違うもの。
どちらにしろ原作にない悪意を導入してるんだからそりゃ嫌う人もいるだろうよ。 そして、いずれにしろ悪意の描写が追加されてることは確定って事でいいんですね?
作品の意図に沿う必要な悪意描写であり、スタッフグッジョブであり、作画の困難なパートを回避しており、むしろ作品をよくしてやったんだから感謝しろくらいの勢いだな。
『さくら荘のペットな彼女』が最初からそういう作品だということは、私ひとりの印象にすぎないのだろうか?
最初からそういう作品だよ。ただし6話に盛り込まれたのは、原作にはなく、アニメスタッフが盛り込んだ悪意だ。
6話より不快な描写があるんだから6話改変後くらいの描写はどうってことないだろ、って言ってるわけで、不快さにはまったく反論出来てねえじゃんw 原作にない不快さを導入したら嫌う人もいるだろ。原作の仁はあの時点では割とまともなのにひとつ見せ場減らされてるってことなんだよな。俺はあの中では一番仁が好きなキャラだから、そこは嫌だったんだがね。これがネトウヨだからかねえ。
悪意だけの漫画アニメなど誰が読みたいものか。友情や思いやりの話もあるからバランスが取れるんだろ。仁に共感する読者だってたくさんいたはずだ。悪意的なキャラだから悪意エピソード増やしたっていいだろ、聞き慣れない料理のアピールのついでに、って言われて納得できるか。
「蜘蛛の糸」をアニメ化するときにだ。カンダタは自分勝手な悪い奴なんだから、蜘蛛を救ったのも靴が汚れるのが嫌だったからだ、命を救った素敵なシューズ! いいだろ自分勝手な奴なんだからこのくらいの改変したって、って靴のCMにされたら、怒る人の一人や二人は出るんじゃないか?w
あのシーンを悪意的なものにしてしまったことはもう取り消せないから、やつあたりっていっても流れがあるんだとか、なんかいろいろアニメ取り込み画像使って批評くさい文章盛って
ごまかしてっけどさ
(そういう体裁だけはほんとうまいな……)。それらを表現するのにサムゲタンがどう役に立ったわけ?w いらねえだろあの改変。ここに答えられてない時点でダメだろ。そんなにお出汁で炊くお粥描くのって困難か?
あと最後に。
NaokiTakahashi氏の批判が妥当であれ、当時の批判の大勢が妥当になるわけではないという大前提を無視されたので困っていたのだが
そもそもなんで俺が「大勢」とやらを把握しそこに責任を持たねばならんのか。ネトウヨは個別に識別される資格もなく連帯責任なのか。俺は原作をそれまでは楽しく読んでいたものとして普通に感じた不快感を左派の政治的正義で押しつぶされるのが不快だから抗議しているだけだ。俺のような意見の持ち主がいたのだ、ということをちゃんと記録に残したいんだよ。
法華狼氏の反論は、流れでそうなっちったのか最初からそう思ってたのかはしらんが、踏み込んでスタッフの意志を読み取りすぎて、これではサムゲタンに改変する表現で読者がその悪意の裏にあるメッセージ性を読み取れるか挑戦した! みたいな話になっちゃってて、褒め殺しだし、返って反感買うだろ。
これは、アニメスタッフのためにもサムゲタンのためにもならない方向の擁護意見だと思うんだが、どうなんだろうねえ。ネトウヨを腐す意図だけはちゃんと伝わるが。