ビジネスパートナー化していく夫婦関係
渡辺由佳里(以下、渡辺) 明子さんの文章を読んで、自分をつくろわない正直な人だという印象を受けました。人に読まれるとまずいからちょっと変えよう、みたいなところがないんじゃないかと思ったんです。
紫原明子(以下、紫原) いや、でも本当は変えているかもしれませんよ(笑)。
渡辺 あははは、でも、誰もが本心ではそう思うよねっていう、共感できる部分がたくさんあるんですよ。
紫原 わたし、自分のことをものすごく標準的な人間だと思っているんです。だからわたしが思ったことは、結構みんなも思っているっていう妙な自信があります。わたしが育ったのは福岡の田舎の町なんですけど、中流ど真ん中のまるでサザエさんみたいな家で、うちみたいな家庭が日本で一番多いんだろうと思いながら育ったんです。そうしたら、なぜか自分の結婚生活はそういうふうにならなくて(笑)。
渡辺 結婚された時って、若かったんですよね。
紫原 18歳の時に結婚しました。家族になるからにはお父さんとお母さんはずっと仲良く、夫婦になったらちょっとくらい嫌なことがあってもずっと一緒で……そういうふうになんとなく考えていたんですけど、そうは思わない人もいるんだなっていうのを前の夫で初めて知りましたね。
紫原 わたしのお父さんは大手ゼネコンに勤めあげた昔ながらの真面目一筋なサラリーマン、お母さんは専業主婦だけど、家で英語教室をやっていました。家族は仲が良くて安定しているんだけど、自分にもし足りなかった経験があるとしたら、他の家族との交流や、両親の友達付き合いっていうのを見たことがなかったことですね。
渡辺 それ、興味深いですね。うちも外との付き合いがない家でした。両親が出会ったときにはどちらも小学校の教師で恋愛結婚だったんですけど、その後役所の公務員になった家長である父の発言が絶対で、みんなが従うっていう古い家。外との付き合いが本当になかったんです。
わたしだけが反抗的な子で、小学生の頃から勝手に友達と約束して泊まりに行っちゃったり、親が自分の誕生会をやってくれないから、自分でごはんをつくって勝手に友達を呼んだりしていましたね。
紫原 すごく活発なお子さんだったんですね。
渡辺 賑やかにやりたいっていう気持ちが、すごく強かったんです。でもそういうことをすると、うちの大人たちがみんな不機嫌になるっていう。父と母は結構会話はしていましたし、2人は仲がよかったんだとわたしは思っています。でも、父は他人の発言をネガティブに受け取るようなところがあって、わたしはその影響を取り除くのにすごく時間がかかりました。
紫原 両親の関係性って、自分の結婚観に投影されがちじゃないですか?
渡辺 おもしろいことにまわりを見ていると、女性の場合は父親に似た人を選ぶか、まったく反対の人を選ぶかのどちらかに分かれますよね。あまり中間がいないような気がするんです。わたしはどちらかというと、父のことを反面教師として見ていたように思います。
紫原 わたしの両親の世代は「離婚」という選択肢が今ほど大きくなくて、結婚生活に不満があってもなんとかやっていく人が今よりずっと多かったと思います。
渡辺 きっとそうでしょうね。
紫原 今って簡単に離婚できるから、わたしたちは以前より意識して、自制心を強く保たないといけなくなっていると思うんです。ただ、そうやってできる関係性って、フラットでイコールで健康的で、恋愛のいびつな情熱とは遠くなっていくような気がして。夫婦の行く先は、健康的なビジネスパートナーっぽくなっていっちゃうなって思います。
渡辺 あのね、わたしはそれが決して悪いことじゃないと思うんです。最近読んだ小説にもそういうテーマが出てきたんですけど、ひとつの人間関係ですべてを叶えようとするっていうのは、絶対に無理ですから。
紫原 「ひとつの人間関係ですべてを叶えようとする」ですか?
渡辺 みんな、情熱とか頼りがいとか、経済的なこととか全部を夫ひとりに求めたりするでしょう? それって絶対無理なんだから。何かひとつが良ければ、その関係は十分成功なんじゃないかな。
紫原 渡辺さんは、今の夫婦の関係性のなかで何が一番重要ですか?
渡辺 これはいつも言ってるんですけど、わたしの理想的な男女関係っていうのは、「戦友」なんです。
紫原 せ、せんゆう……?
渡辺 ファンタジー小説がすごく好きなので(笑)。よくあるじゃないですか、まわりが全部敵になっても背後を任せられるとか、世界全部が裏切ってもこいつだけは裏切らないだろうっていうふうに思えるとか。そういう絶対的な信頼関係が、わたしの理想なんです。
Facebookは、夫婦の恋愛観を変える?
紫原 それ、すっごくわかります! 素敵な関係性ですね。
わたしが離婚した時、「今、船に乗ってその船が転覆しても、まっさきに助けてくれる人がいないな」って思ったんです。独り身というのは、転覆した船で助けてくれる人がいないことだなって。誰よりも先に助けてくれる人がいるってすごく心強いと思いますし、わたしがもう一度夫婦になるとしたら、それが一番大事だなって思います。
渡辺 それさえあればあとのことは何とかなるってくらい、嘘をつかないとか、信頼できることって重要ですよ。たとえば浮気なんて、みんなチャンスはあると思うんです。
紫原 そうですよね。外で働いていたらありますよね。
渡辺 いくらでもありますよ。恋愛ってやろうと思えばいくらでもできるし、麻薬と同じで中毒になりますから。高揚を忘れられなくて、もう一度高揚したいっていう状態。そうすると段々その閾値が上がっていくから、恋愛する人ってどんどん恋愛し続けるでしょう?
紫原 うんうん(深く頷く)。
渡辺 それを、モテてるって喜ぶんじゃなくて、自分の人生のなかで、いろんな人を傷つけたり失ったりしてでも浮気する価値があるんだろうかって考えるべきなんですよ。わたしが天ぷらを食べたいと思っているのも恋と同じ情動ですけど、わたしはこれを食べると体重が……と考えて抑えているわけですから。
紫原 あの、わたしひとつお聞きしたいと思っていたんです。
渡辺 なんでしょう。
紫原 いま日本ではセックスレスが深刻だと言われていて、知り合いの男性は、「家族になると、生物的にセックスができなくなる」って言うんです。さっきの話に戻りますが、夫婦関係がビジネスパートナー化していくと、「はい、じゃあレッツプレイ」みたいな感じのスポーツのようなセックスになっていくんじゃないでしょうか?
渡辺 わたしね、それがすごく不思議なの。「性」っていうとポルノとかがどんどん出ている方がオープンだ、みたいな感覚が日本にはあると思うんですけど、私は一番性衝動が強かった時代はイギリスのビクトリア朝時代じゃないかと思っていて。当時、女性は足首までカバーしているから、足首が見えただけでときめいちゃう。セックスの手前にあるときめきって、大事だと思うんですよね。
紫原 「ときめき」ですか?
渡辺 思春期の恋愛でも、好きな子から手紙が来たとか、手をつないでどぎまぎしたとか、そういうセックス以前のときめきがあってから性に行くのが自然だし、楽しいですよね。ポルノ的なイメージのセックスや、過激で情熱的な物語ばかりに洗脳されると、奥さんにときめきを覚えなくなるんじゃないかな。そうならないためにも、わたしはもっとほのぼのとした恋愛物語があってもいいと思うんですけど。
紫原 なるほど。情動とか衝動的なものが恋愛で、それに身を投じている人の方が優位に見えてしまうのかも。
そういえば、夫婦間で恋愛感情を継続できるビジョンが描かれたロマンティックな物語ってあまりない思い当たらないですね。
渡辺 でしょう? アメリカにはそういうのが結構あるんです。シニア小説じゃなくても、40歳、50歳の女性の恋愛物語はありますし、奥さんに対する中年男性の愛情が描かれたミステリなんかもあります。ドキドキするのもいいけれど、恋愛はそればかりではないし、わたしは陶酔と愛情を一緒にしたくない。愛情はまた別のところにあると思うので。
紫原 そうですね。愛情の楽しみ方を知らないですよね、みんな。
渡辺 たとえば夏が好きだっていう気持ちも、冬のあとに春が来て、夏が来るから楽しいわけでしょう? 恋愛感情だっていろいろなんだし、そのうちのひとつだけを求めて毎日ときめきたいなんて言ってたら心臓に悪いですよ。
紫原 他人に向けて夫婦の愛を見せたり作品にしたりするような文化が日本にないのって、秘めておいた方がかっこいいとか、おおっぴらにするのはみっともないという価値観もちょっとあるのかもしれないですね。以心伝心の文化があって、言わないうちにないものとなっていくっていう。
渡辺 愛情や感情を口に出すことってすごく大切だなっていうのは、わたしもアメリカに住んで感じるようになりました。
紫原 今ふと思ったんですけど、もしかしたらFacebookによってちょっと変わってくるかもしれませんね。おじさんとかが、夫婦の写真をアップするじゃないですか。そして、それに「いいね!」がつくじゃないですか。夫婦関係を可視化して、それを評価できる文化がアメリカからやってきたことによって、夫婦の愛情って「いいね!」っていうふうに変わっていかないかな……。
渡辺 なるほど。奥さんと仲がいいところを見せて「いいね!」って言われると、価値観がちょっと変わるかもしれませんね。食事ばかりじゃなくて、奥さんの写真をあげると評価が上がるとなると、みんなどんどん夫婦愛を表現し始めるかも。
紫原 でしょう? ただ問題は、そうやって奥さんや家族の写真をアップしたりする人の中にも、浮気性な人がいることですね(笑)。
構成:宇野浩志