「作らずにはいられなかった映画」がある。危うさを増す世界と対峙する映画作家の切迫感がひしひしと伝わる作品。それこそがいま「作られるべき映画」なのではないか。そのことを考えさせられた1年だった。
「いまこれを作らないと、ますます作りにくい状況になるのではないかという危機感があった」。塚本晋也監督が20年来の企画「野火」の自主製作・自主配給に踏み切ったのは、そんな時代への危機意識からだった。フィリピン戦線での過酷な飢餓状況を描く大岡昇平の小説の映画化にスポンサーは現れない。塚本は自ら資金を集め、自ら主演した。完成した作品を携え、単身で映画祭に乗り込み、自ら劇場をまわった。
戦後70年が過ぎ、過酷な戦場での痛みを知る最後の世代が消えていく。同時にこの国はだんだんと息苦しくなってきた。そして、戦争が現実味を帯びてきた。「人間の本能として残念だが、“痛い”や“怖い”を知らないから、戦争をするという動きが強くなってくる。それが今の日本の状況と重なっていると感じた」と塚本は語った。政治とはまったく無縁に、身体感覚を手がかりに世界と向き合い続けてきた映画作家だけに、その言葉は重い。鮮やかな緑の木々を背景にした兵士たちの極限状況の具体的な描写には、実感なき世界を撃つ塚本の意志が脈打っている。
「まじめに生きていても理不尽な目にあう。そんなのみ込むことができない思いを抱えた人が、この国にはたくさんいる」。橋口亮輔監督がワークショップで出会った無名の俳優たちと共に、不器用に今を生きる人々への慈しみを込めて「恋人たち」を作ったのも、そんな現代日本への絶望感からだった。
妻を通り魔に殺され精神的にも経済的にも追いつめられた橋梁点検作業員、そりのあわない義母や自分に無関心の夫と暮らす主婦、思いを寄せる同性の友人に去られるエリート弁護士。そんなそれぞれの困難のなかで、もがき苦しみながら生きる3人の物語だ。敏感な耳をもつ橋梁点検作業員のアツシは、半世紀前の東京五輪のために突貫工事で造られた首都高速の橋桁をハンマーでたたき、反響音を聴く。表面のひび割れだけなのか、中まで壊れているのか。そこには「今の日本を覆う負の感情」に耳を澄ませる橋口自身の姿が色濃く反映している。7年間、長編を撮れなかった橋口の渾身(こんしん)の作品だ。
「時間をかければ世の映画に劣らない映画は作れる。人、物、金が集まる東京でなくてもいい。むしろ東京でない場所に行くことが僕にとっては大事だった」。濱口竜介監督が演技経験のない関西在住の女性4人を主演に起用して撮った5時間17分の大作「ハッピーアワー」には、仕事や家庭をもつ30代後半の現代女性の「生」が確実に映っていた。
4人の女性は親友同士だが、1人が離婚協議中であったことがわかり、関係にひびが入る。さらに残る3人の心も揺らぎ始める、という物語だ。東日本大震災後に仙台を拠点に東北記録映画3部作「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」を仲間の酒井耕と2人で作った濱口は、2013年に神戸に移住。5カ月の即興演技ワークショップで素人俳優たちと向き合い、さらに8カ月をかけてこの作品を撮った。既存の映画製作システムによらず、実生活者と共に長期間かけて作ってこそ到達できるリアリティーがある。型破りの長尺も必要な時間と思わせる密度がある。4人の主演女優はロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した。
塚本、橋口、濱口の3作品に共通するのは、大手映画会社が見向きもしない題材であること、スターが出演しないこと、低予算・少人数で作ったこと。それでも圧倒的な力があったのは、それぞれの映画作家のスタイルにずぬけた強度があったからだ。さらに「どうしてもこれを作りたい」という強烈な意志がみなぎっていた。
そのことは作家の意志よりも、市場の好みにあわせた映画がスクリーンを席巻する今の映画状況の不毛も映し出す。
興行市場は好調だった。「記録的な夏興行」(東宝の千田諭副社長)もあって、1~10月の興行収入は前年同期比3.6%増。通年でも前年を上回り、2100億円台に乗るのは確実な情勢だ。興収20億円を超す大ヒット作品は30本にのぼり、2000年以降では09年と共に最高の本数。洋画が復調し、興収1位は「ジュラシック・ワールド」の95億円。2位は「ベイマックス」の91億円。邦画の1位は「映画妖怪ウォッチ誕生の秘密だニャン!」の78億円だった。
問題は大ヒットした30本の中身だ。洋画12本のうち11本はシリーズもの(「ジュラシック・ワールド」「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」など)かディズニー作品(「ベイマックス」「シンデレラ」など)。例外は「アメリカン・スナイパー」だけだ。
邦画は18本のうち10本がアニメ(「映画妖怪ウォッチ誕生の秘密だニャン!」「バケモノの子」など)、5本が漫画原作の実写化(「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」「映画暗殺教室」など)、2本がドラマの映画化(「HERO」「アンフェア the end」)だった。例外は「映画ビリギャル」だけ。
アニメやシリーズものが興収の上位を占めるのは近年続く傾向だが、そこへの集中度が一段と高まっている。ドラマの映画化の退潮を、好調の少女漫画の実写化(「ヒロイン失格」「ストロボ・エッジ」など)が埋めた。邦画は東宝の一人勝ちが続き、興収上位を占めただけでなく、公開した34本中29本が10億円超え、最低でも7億円台と、まったく取りこぼしがなかった。マーケティングの精度は着実にあがっている。
冒頭に挙げた3作はそうした市場の圧倒的な趨勢の対極を行く。アンジェイ・ワイダにならって言えば「灰の底に輝くダイヤモンド」だ。そこに日本映画の希望がある。
ただODS(非映画デジタルコンテンツ)を除いても年間500本以上が公開される日本映画全体を見渡せば、骨のある作品は決して少なくない。とりわけ新進監督の意欲作には目を見張った。
松永大司監督「トイレのピエタ」にはみずみずしい生の輝きが充満していた。自分なりの生き方をつかみあぐねている元美大生に、がんが宣告される。いわゆる難病ものだが、ドライな語り口に徹することで、登場人物の不寛容や心の揺れを繊細に描き出した。主人公の生き方に松永の真情がこもると共に、身ぶりですべてを語りきろうとする映画作家としての意志がすがすがしかった。
27歳の三澤拓哉監督の初監督作品「3泊4日、5時の鐘」は、映画的なたくらみに満ちた快作だった。海辺の恋愛劇で、主要な登場人物全員が恋をしているが、画面は穏やかで、物語は粛々と進行する。省略を効かせ、さらさらと撮りながら、構図はきわまっている。明確なスタイルをもちながら、女たち一人ひとりのうねるような感情をとらえていた。
安川有果監督「ドレッシングアップ」は少女の心の怪物性を具体的に描き出した。竹内里紗監督「みちていく」は女子陸上部を舞台に思春期の鋭敏さを鮮やかに切り取った。鶴岡慧子監督「過ぐる日のやまねこ」は人間の喪失感を現代の風土の中で鮮烈に映像化した。山崎樹一郎監督「新しき民」は監督が住む岡山で起きた農民一揆を現実の場所で撮るという破格の時代劇だった。いずれも新鋭らしい大胆な試みで、拍手を送りたい。
大崎章監督「お盆の弟」は53歳にしてこれでようやく2作目となる大崎と昨年「百円の恋」でブレークした脚本家・足立紳の真情あふれる作品。主人公の売れない映画監督のみならず、画面の中の一人ひとりが不器用ながら懸命に生きている姿が生々しかった。菊地健雄監督の長編第1作「ディアーディアー」は幼き日のトラウマを抱えた3兄妹の帰郷を冷徹に撮りながら、もつれていく感情をスリリングに描き出した。2人とも長い助監督経験をもちながら、確かなスタイルと人間に迫る意志を併せもつ。
その一方で、ベテラン監督のあくなき挑戦心にも驚かされた。
黒沢清監督「岸辺の旅」は3年前に死んだ夫が残された妻の前に現れ、共に旅をする物語。生者と死者が共存する一種ホラー的な設定を、50年代のダグラス・サーク監督作品を思わせるメロドラマの形式で描くという冒険だった。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で監督賞を射止めた。
廣木隆一監督「さよなら歌舞伎町」は新宿のラブホテルに出入りする老若男女の群像劇。いわゆるグランドホテル形式で現代の日本を映し出そうとする荒井晴彦のオリジナル脚本が野心に満ち、新宿という場所の魅力を引き出す廣木の演出もさえていた。
高橋伴明監督「赤い玉、」は大学で教えながら老境を迎えつつある映画監督のあがきと悲しみを、自らも教壇に立つ高橋がリアルに描いた。石井隆監督「GONINサーガ」は95年のシリーズ第1作で描いたアウトローたちの息子世代の物語で、根津甚八をはじめとする前作の出演者の年輪に20年の時の流れが鮮やかに映っていた。荒井晴彦監督「この国の空」は年寄りと女だけが残された終戦間際の東京の市井の暮らしを通して戦争と戦後を問い直した。若い身体をもてあます二階堂ふみに存在感があった。
北野武監督「龍三と七人の子分たち」は家族や社会から疎外されている「ジジイ」たちの逆襲を描いた北野の久々の喜劇。痛快な反乱劇は欺瞞(ぎまん)に満ちた現代社会への痛烈な批判となっていた。小栗康平監督「FOUJITA」はエコール・ド・パリの画家と戦時下の日本の戦争画家という藤田嗣治の二面性に、事物を見つめ続けるという独自の映画話法で迫った。後半の日本編の美しさは特筆に値する。山田洋次監督は井上ひさしの遺志を継いだ「母と暮せば」で、長崎の被爆者への祈りを込めると共に、ファンタジーという形式に初めて挑んだ。
第一線の監督たちも旺盛に撮り続けた。是枝裕和監督「海街diary」は親に去られた血のつながらない姉妹が家族になっていくという是枝らしい題材だが、淡々とした日常の光景だけで時間の積み重なりを描くというチャレンジがあった。「あん」は河瀬直美監督にとって初めての原作もの。平明な物語だが、情感豊かに自然をとらえるショットは健在で、河瀬作品としては異例のヒットとなった。成島出監督「ソロモンの偽証」は大人たちに反乱を起こす中学生たちの憤りを、オーディションで選んだ生身の子供たちから見事に引き出していた。
三池崇史監督、園子温監督は商業映画を量産しながら、そこに確実に個性を刻印している。三池の「極道大戦争」はヤクザ映画とゾンビ映画をミックスしたような怪作で、破天荒なエネルギーがみなぎっていた。園は「新宿スワン」「ラブ&ピース」「リアル鬼ごっこ」「映画みんな!エスパーだよ!」と4作が立て続けに公開されたが、どの作品も凡庸でなかった。
中堅では山下敦弘監督と呉美保監督が実力を発揮した。山下の「味園ユニバース」は記憶喪失の男を演じた渋谷すばるの存在感を見事に生かした快作だった。呉の「きみはいい子」は幼児虐待、学級崩壊、ネグレクトといった子供を巡る社会問題をふんだんに盛りこみながら、繊細で生々しい人間ドラマに仕上げていた。
東日本大震災に触発された作品は、震災から4年が過ぎて一段と深化している。深田晃司監督「さようなら」は平田オリザのアンドロイド演劇の舞台を同時多発の原発事故で全土が放射能に汚染された日本に置き換えた。無人の町や風吹く野山で終末の光景を鮮やかに描き出すと共に、避難の順番を待つ人々の物語を通して格差社会や差別意識に迫る野心作だった。風間志織監督「チョコリエッタ」は少女の自分探しの物語だが、旅先の荒涼とした光景に震災後の日本の不安と危うさが映っていた。
戦後70年の関連作品は先に挙げた「野火」「この国の空」「母と暮せば」のほか原田眞人監督「日本のいちばん長い日」など多数あったが、とりわけドキュメンタリーに秀作が目立った。ジャン・ユンカーマン監督「沖縄うりずんの雨」は沖縄戦から米軍占領、日本復帰を経て今に至るまでの沖縄の苦渋に満ちた歴史から、戦後日本の負の部分をくっきりと浮かび上がらせた。フランス在住の渡辺謙一監督の「天皇と軍隊」は象徴天皇制を定める憲法1条と戦争放棄をうたう9条はコインの裏表にあたるという視点に立ち、戦後史を検証した。
外国映画では映画表現の地平に迫る作品を挙げておきたい。
最も衝撃的だったのはジャン=リュック・ゴダール監督「さらば、愛の言葉よ」。メディアと技術に常に意識的であったヌーベルバーグの巨匠が、デジタル3Dカメラを駆使して撮った。すべてが数値化されるデジタル世界の現実と虚構を問い直すような独自のビジョンに圧倒された。
ホウ・シャオシェン監督の初の武侠(ぶきょう)映画「黒衣の刺客」は派手なCGやワイヤアクションとは無縁の、恐ろしく寡黙な映画だった。風の音や鳥の声だけが響く静粛が大半の時間を支配し、勝負は一瞬で終わる。それでいて画面のすみずみまで映画的時空が充満していた。106歳で世を去ったマノエル・ド・オリヴェイラ監督の「アンジェリカの微笑み」は死んだ少女に魅せられた男の物語だが、生と死の境を自在に超えるイメージは、あたかも映画草創期のような伸びやかさを感じさせた。
南米ドキュメンタリーの巨匠であるチリのパトリシオ・グスマン監督の「光のノスタルジア」「真珠のボタン」が一挙に公開されたのもうれしかった。星のまたたく宇宙、あるいは、生命のゆりかごである海。そんな悠久の歴史から、先住民への圧政や独裁政権による虐殺などチリ近現代史の悲劇を照射する。時空を超えた豊かなイメージが交錯する至高の映画体験だった。
クリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督「サンドラの週末」、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督「雪の轍」、モフセン・マフマルバフ監督「独裁者と小さな孫」には現代の世界と対峙する映画作家の明確な視点があった。
シリーズ10年ぶりの新作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」が年末の話題を集めたが、「マッドマックス」シリーズの27年ぶりの新作となったジョージ・ミラー監督「マッドマックス 怒りのデス・ロード」にはそれ以上の衝撃があった。ほぼ全編、疾走しながらのアクションの連続は、いささかも古びない映画的な快楽に満ちていた。
原節子が95歳で世を去った。「伝説」と呼びうる最後の女優の死だろう。永遠の処女という紋切り型の枕ことばより、スクリーンに映る美貌の多義性を読み取ることこそ、映画の豊かさを味わう営みに違いない。
(編集委員 古賀重樹)
マノエル・ド・オリヴェイラ監督「アンジェリカの微笑み」
(C)Filmes Do Tejo II, Eddie Saeta S.A., Les Films De l’Apres-Midi,Mostra Internacional de Cinema 2010
「作らずにはいられなかった映画」がある。危うさを増す世界と対峙する映画作家の切迫感がひしひしと伝わる作品。それこそがいま「作られるべき映画」なのではないか。そのことを考えさせられた1年だった。
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