「努力」ってけっこう深いテーマやなーと思ってます。なんでしょう、あいまいじゃないですか?なんか。努力って。ぼくらは幼いことから「頑張ることはあたりまえ」みたいにされてるけど、これってほんとうに大事なことなんだろうか?
だってさ、世のなかの努力って、ほぼ報われないんですよ。努力の量に結果が比例するわけではない。むしろ結果なんてない可能性もある。でもぼくらは努力する。努力を要される。結果がないと「努力しろ!」と言われる。
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でも努力したらさ、報われるの?
ぼくは努力が苦手です。いや、努力してますけど、好きじゃないっていう。だってさ、疲れるし。
そもそも論として「努力したらじゃあなんなの?100%報われるの?」っていう疑問があります。今までの人生経験上、努力をしても報われないことの方が多かったわけです。報われることもあったけど、報われないことの方が多い。周りを見ても決して「努力したらその成果が絶対上がった」という事例はみたことがない。
圧倒的才能に打ちのめされる
ぼくの話じゃないけど、数年間必死に頑張ってきたのにも関わらず、ぽっとでのやつにメタメタにされる...なんてのをスポーツマンだったころによく見ました。
これ見て、若いながらに「なんて悲しい現実なんだろうか」と思ってた記憶があります。だってすげー頑張ってるのにさ、負けるんだよ。なんなの?って思うわけ。才能ってのもあいまいな言葉だけど「努力せずに勝てる人勝てる人」ってのは一定数いるんだと思う。
努力が報われるならみんな頑張るに決まってる
例えば社会人になって仕事を頑張るようになったとして。最近の日本はもう成熟してるから、みんながガンバればみんな右肩あがりでウハウハなんてことはないわけじゃん。新卒サラリーマンが誰もが数年後に課長部長になるわけじゃないし。
いつしかぼくが生まれる前の高度経済成長期なら基本的になにやっても金は稼げただろうし、会社員でも拡大路線だったから、人事的なチャンスをつかむ若者も多かったはず。
でも今は大企業だって一発で1万人そこらをリストラしちゃうレベルで縮小してるわけでしょ?そんなかで努力してポストをつかむって相当大変なことよ。ぼくらの親世代は、誰もが上に上がっていく時代だったから=結果が見えてるから誰もが頑張れただろうけど、僕ら世代は停滞か下落があたりまえ=結果が見えないからみんな努力に疲れちゃうんですよ。
頑張っても落ちる恐怖
今は世の中的に拡大<縮小でしょ?
仮に努力の結果のぼりつめても「落ちる可能性」も多いんです。ベンチャーいけば出世競争にも勝ちやすいけど(大企業がオヤジがふんぞりかえってるからダメ)、でもベンチャー企業自体だって限られた市場で争ってるわけだから「会社ごとポシャる」こともあるわけで。自分で起業するにしても同じ。
少ないパイを大勢で取り合う
いずれにせよ、全体が縮小してるので「イス取りゲームで取れるイス」すら減ってるんですよ。それを大勢が取り合ってもねえ。あぶれる人の方が多いんです。ぼくらはイスに座れる可能性<座れない可能性なんですよ。
そんな中で努力することって果たしてほんとうにいいことなんだろうか?それってただの「非効率なこと」じゃないだろうか?日本人は特に努力や根性論を美化するけど、だいたいそれってひと昔前の時代を生きていた人の文化だったりするよね。
頑張れ!努力しろ!という古い価値観
今はもう頑張っても報われない時代です。
若者世代はその事実に気がついてます。だから無理な努力はしないようにしてる人もいます。それが実はニートだったりフリーターだったり引きこもりだったりします。でも彼らは彼らで「効率の良い生き方」なんです。
努力が報われにくいことがわかってるから、努力しない。やりたいことだけして生きる。その方が幸せなこともたしかにあるんです。自己実現!!と声高にさけび日々頑張る人もいるけど、みんなそんなバトルタイプなわけじゃないしね。
古い価値観と新しい価値観のバトル
ひと昔前の「努力すれば報われる!」という価値観と、今現在の「努力しても報われなくね?」という価値観が今まさにぶつかってるところに感じます。
大人は若者に「もっと頑張れ!」と日々言います。で、そうしない若者を社会のゴミだとかゆとりと揶揄して批判します。「全く最近の若者は」的なね。でも逆に若者は「そんなこといってもさ、じゃあ努力したらどうなんの?」です。
これはどっちも間違ってないんですよね。実際は。ただ言えるのは、数十年前の日本と違って確かに現代は「努力しても報われにくいでしょ?」ってことです。これはぼくも切に感じてます。
でも努力をしないと報われない
これもまた真実。
努力しても報われないんだけど、努力しないと報われないんですよね。たとえばブロガーとして食っていきたいとか思ってんのに「努力しても報われないからいいやー」と言ってたらやっぱり食ってくのは難しいわけで。
少なくとも記事を書き続ける努力も必要です。努力は成果を出すのに必要な条件です。ぜも絶対ではありません。少なくとも成果を出してる人のほとんどは努力してます。一定数「どうしてもできちゃう恵まれた人」もいますが。
努力を諦めよう。努力を捨てよう。冷めた努力をしよう
ぼく自身、努力が嫌いです。人からまくしたてられるのも嫌い。
ただ、なにか成し遂げる際には必要なものでもあるので、努力はします。でも過度な期待は絶対に持たないようにしてます。言い方が難しいんですが、努力を諦めてるといいか。努力を捨ててるといか。
報われないのは知ってるけど、やれることはやる
というモチベーションです。体育会系な感じではなく、冷めた状態の努力と言いますか。うおおおお!というよりかは淡々と。必要だからやる程度の熱量。報われないことを知ってあえてやる冷めた努力。
そもそも努力は本質的に意味がない
世の中の努力の大半はぶっちゃけ意味がありません。本質的に、ですよ。無駄なものはないんだけれど「人生」において意味はない。というか意味をつけられないんですよ。
たとえばスマホだって、これを生み出す「努力」を誰かがしてくれたから今便利に過ごせてます。そういう意味では意味があるんだけど、ただ生きるにおいてはスマホは必要絶対的なものじゃないでしょ?
スマホがなくても死なないし、なくても人生は楽しめるんです。そういう意味で「スマホ開発=意味はない」です。あったら便利だけど、なくても別に?という感じ。つまり本質的に意味はないんです。
今後も本質的に意味はない
今後いろんなテクノロジーとかサービスが生まれてくると思うんだけどそれすら別になくてもいいものです。これ以上便利にならんくても生きていけるでしょ?だからいらないものである=意味はないんです。
環境問題とかそういうのを解決するテクノロジーは非常に大事だけど、それすら「そもそも便利さを追求した人間が自分で出したゴミに対処」してるだけなんですよ。極論ね。世の中は本質的に意味のないことであふれてます。
自己実現?夢を叶える?
人生をよくするためのの努力は非常に大事です。でも、それに盲目になるのはよくないねってぼくは思う。
そんなことしなくても生きることはできるじゃないですか。食べ物と家があれば生きることはできる。自己実現を追い求めるあまり、その努力に余計に時間を使って気がつけば「生きる本質的な目的を失った」なんてことになったら悲惨です。人生をよくするための努力が人生を悪くしてるなんてどう?
努力はしなくていい
努力はしてもいいけど、しなくてもいいんです。それをよしとして強要するのは教養のない盲目的な行為です。
今の時代は努力したところでたかが知れてるんです。それを美化するあまり人生をつまんなくしてしまう方が問題。現実的な等身大の幸福感をつかむだけなら、そこまで一生懸命に努力することは絶対的な条件ではありません。
もう少し冷静に努力というものを俯瞰して、適した頑張り方をしてみては?
こんなことを書いたあとにあのイケダハヤトさんが同じようなことを書籍化してることをしってびっくり。うーん、やっぱり似てるのかなあ。笑
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