NHK鹿児島放送局時代。スポーツアナとしてスキルを磨くことを決意した(所属事務所提供)【拡大】
〈鹿児島から福岡、大阪両放送局をへた入局9年目、スポーツアナとしての実績が認められ、32歳でモントリオール五輪(1976年、カナダ)の担当に抜擢(ばってき)された〉
私の担当競技は水泳、レスリング、柔道でした。ラジオでしたが、競泳全種目の予選から決勝までを全て1人で担当しました。今では考えられませんね。
当時の男子100メートル自由形は“50秒の壁”を破れるか、ということが焦点でした。そこで、先輩と賭けをしたんです。負けた方が豪華な夕食をごちそうする、ということで(笑)。私が「破れます」と言うと、先輩は「君は経験がないから分からないだろうが、五輪は記録より順位、勝負が優先なんだ。だから記録は意外に伸びないんだよ」と。
そこで迎えた決勝。「人間魚雷」と呼ばれた米国のジム・モンゴメリー選手が良いスタートを切り、50メートルも素晴らしいペースで折り返しました。「先頭でゴールイン! タイムは?」と電光掲示板を見たら…何という皮肉でしょう。49秒99という世界新記録が飛び出したのです。確か「人類史上初の50秒突破なる!」と叫んだ気がします。たまたま私の後ろの席にいたその先輩から「やったな!」と背中をたたかれましてね。史上初の50秒突破の瞬間を、実況中継できたというのは非常に良い思い出として残っています。(産経新聞[話の肖像画]2015年8月5日掲載/聞き手 戸谷真美)
(紙面から)