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18時台の特集/バックナンバー

2015年7月24日

みんなのギモン「暗峠で発見!謎の標識」

大阪と奈良の県境でありえない標識を見つけました!

いつ、誰が、何のために設置したのかわからない標識、ギモンの取材をキッカケに歴史が動きました。

国道。それは、国を支える巨大な大動脈。

まさに道の中の道…のはずなんですが…。

 

「せまっ…僕が180センチですから、ほとんど僕と変わらないくらいですね…」。

 

狭い国道が大阪にあると聞いてやってきました。

ここはれっきとした国道308号。通称・暗峠(くらがりとうげ)です。

 

この道は生駒山の標高およそ450メートルを越えて、東大阪市から奈良県生駒市へとつながっています。

 

【堀田キャスター】

「近所の公園のランニングコースより狭いですね」

 

この暗峠、狭いだけではないんです。まるで滑り台のような坂も。

実は、坂道が日本一急な国道と言われているんです。

軽自動車のCMで有名になった、鳥取県と島根県をまたぐ、通称べた踏み坂(江島大橋)。

このベタ踏み坂を暗峠と比較すると…なんとおよそ5倍も急な坂道なんです。

最大傾斜角度はおよそ17度。どれだけ、きついのか歩いてみました。

 

【堀田キャスター】

「きつっ、これ国道の『国』じゃなくて、過酷の『酷』じゃないですか…」

 

【自転車を押して登ってる男性】 

Qこんなに急だと思わなかった?

「登りかかったんで、最後まで行こうかなって」

Q国道って知ってました?

「国道って頻繁に書いてあるから、まじで国道なんかなって」

 

あまりに坂道が急だったので、車で登らせてもらうことにしました。

そして、いよいよ頂上へ。

 

【堀田キャスター】

「ここから奈良県、生駒市の看板ですよね…こっから先が奈良ですね。あれ、ちょっと待って下さい。幅1.3メートルになってますけど。通れないですよね…」

 

なんと奈良県との県境に1.3メートル以上の幅がある車は通れないという何やら古びた規制標識が…

 

軽自動車でも車の幅は1.4メートル以上が一般的。

これじゃあ国道なのに、ここまで来た車は、引き返すしかありません。

 

20年前からこの標識の向かいにあるお茶屋さんに、話をきいてみました。

 

【標識の向かいにある茶屋 店主 山田末弘さん(81)】

Qこの走ってる車、1.3メートル越えてますよね?

「1.3を超えてると思うわ…大きい車は通ってるよ…2トン車までは悠々と」

Qこの先に、細い道とかがあって、そこが危ないから制限している?

「ここから奈良県むいては広い。ほとんど二車線になってるから。」

 

大阪側の道より広いのに、一体なぜ奈良県側だけこんな規制がかかっているのでしょうか。

向こうが透けて見えるほど、くたびれていて、その姿はどこか哀愁さえ感じてしまいます。

インターネットで調べてみると、道路ファンの間では有名な標識でした。

この標識を目当てに峠を登る人もいるようです。彼の産みの親は一体誰なんでしょう…

大阪府警と奈良県警に問い合わせてみると、『自分たちがつけたものではない』ということでした。

車幅制限は、道路を管理する行政が設置するもので、なんと標識を無視して通過した時点で道路法違反になり、100万円以下の罰金です。

規制されていたのは奈良県側の道でした。

奈良側の行政が設置したものなのかを確認しに奈良県の郡山土木事務所を訪ねました。

 

Qあれはこちらで建てたものですか?

「うちの方ではつけてない分になるかなって思います。

1.3メートルだと車が通れないですよね…看板だけが残っているということですね…」

 

奈良側の規制なのに、奈良県がつけたものではないというのです。

 

ということは大阪側なんでしょうか。

 

【大阪府八尾土木事務所職員】

Qあれはいつぐらいに出来たものですか?

「私どもは、境界の向こうのものなので」

Qあの部分は、奈良なんですね?

「はい」

 

大阪側の土木事務所も自信満々に「違う」というのです。

まさかの、大阪と奈良の両府県の警察、行政全てに否定されてしまいました。

 

【大阪府側 八尾土木事務所職員】

Q標識はどこかで全部管理されてる?

「一応そうですね。標識台帳は道路管理者が、通常、全部じゃないけど備えていると思います」

標識は、台帳で管理されているということで、念のため、調べてもらいました。

【大阪府側 八尾土木事務所職員】

「府の台帳にありました。おそらく大阪側でつけてるものですね。警察に確認して、撤去しないとけなくなりましたね。」

Qえ、こちらの標識だったんですか?

「そうですね。こちらの台帳に入ってますので。失礼しました」

 

大阪側の台帳にしっかりと写真が残っていました。

そこには若かりし日の彼の姿が…

いつ標識がたてられたのかは分かりませんでしたが、この写真は27年前に現像されたものでした。

しかしどうして大阪側がたてたのか、理由はわからないままでした。

 

なぜ、国道の通行を規制する標識がたてられているのか、その答えを探すため、生駒市役所で過去の地図を見せてもらいました。

 

謎の標識からおよそ120メートル奈良県側に入ったところは、今は2車線の道路ですが、生駒市役所で見せて頂いた地図を元に調べると、なんとこの道路が作られた1999年までは、すぐ北を走る道幅およそ1.6メートルの道が、国道として使われていたのです。

謎の標識はこの細い道を規制するために設置された可能性が高く、今の広い道がつくられた時に撤去するのを忘れたとみられます。

 

あれから2カ月後(7月9日)。

【堀田キャスター】

「長い間、峠を見つめ続けてきた規制標識、最後の日を迎えました」

 

奈良側の管理者もこの標識の最後を見届けに山頂に集まりました。

 

【奈良県郡山土木職員】

「歴史を感じますね」

 

【堀田キャスター】

「たくさんの人に見送られて最後のときを迎えようとしています。雨の日も雪の日も、だまって建ち続けてきました。文句ひとつ言わずこの場所に建ち続けてきました。

役割を終えていてもだまっていました。今、外されました。本当におつかれましでした」

 

 

「おかげさまでありがとうございました。」

Qさみしくないですか?

「いや、あったことも気づかんかったぐらいですからね。すいませんでした。お疲れ様でした」

 

【奈良県郡山土木事務所】

「この看板もとれましたので、皆さん心おきなく、奈良にもぜひ遊びに来てください。

よろしくお願いします」

 

【堀田キャスター】

「それでは規制標識もとれましたので、大阪から奈良方面に向かいます。今通過しました。

ありがとうございました」

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