村岡地区(弥勒寺,小塚,宮前,高谷,渡内,柄沢,川名)の郷土史である
山川菊栄さんは1936年に鎌倉からこの地に越してきた。
「わが住む村」は第二次世界大戦中の1943年に刊行されている。
現在は面影がないのだが、上図のような地勢だったようだ。
この図をみると、次のような一節が妙に腑に落ちる。
村岡という地名は、重なり合う岡の群れからなる地勢を表している
平良文はその地名を姓として村岡五郎を名字として名乗った。
当時の写真を国土変遷アーカイブで探してみた
1946年米軍撮影(USA-R227-A-3-150)が近いかな
東海道線と水道路くらいしか有りませんね
現在の道路や当時の地物を書き加えてみた
◆が小塚さんの家あたりかと思う
・小塚の交差点の次の信号機を右に曲り一つ目の十字路を右を見た風景
武田薬品のあたりが「玉縄耕地」、「後河内」であり、
玉縄耕地へのトンネルが「小塚洞」と思われる
★が山川さんの家「湘南ウズラ園」あたりと思う
誰か旧居跡を示す石碑でも立てないかなぁ、ちょっと寂しい
・山川家は法善寺-弥勒寺間の水道路に接する畑地にあった(わが住む村)
・村岡小学校から旧弥勒寺を見るこの風景で、右手前が山川家とのこと