自由になんでも思いついたことを書いてみて。あなたは「書いてもいいのだよ」と言われて今書いている。
書くこととはこんなにも楽しくて自由なことだったのかと驚いている。今僕は新しい靴を買ったような、初めて補助輪なしの自転車に乗った時のような、どこにでも飛んでいけるという気持ちになっている。
きっとこれから僕が直木賞や芥川賞を獲るとして、その時だって今の気持ちにはかなわないはずだ。かつて幼少の頃、近所の公園の砂場で夢中で遊んでいた時のような情熱を感じている。
なぜ小学校の作文はあんなにも難しく、窮屈だったのだろう。先生に採点や批評をされて伸びた人もいたかもしれない。でも僕はそういうタイプではなかったのだと今はわかる。何事も間違いをしたくないという性格の僕は、唯一の正解がない作文というのはとても嫌だったのだ。句読点のつけかたに100%の回答がないと言われた時からもう駄目だったのだ。もっと自由に書いていいよ、正解はないから”本当に”自由に書くことが素晴らしいのだよと自信を付けさせてくれればよかったのにと思う。
この文章を書く楽しさを知った僕はこれからなにを書くのだろう。SFだろうか、ファンタジーだろうか、自伝だって自由に書いていいのだったら恥ずかしくないし、母ぐらいは読んでくれるだろう。
これまで頭のなかは3つも4つも同時にラジオから音がなるような整理されていない状態だった。だけど今はそれを自然に文字にしていくということができるようになった。自分自身の脳みそがどのように働いているのか、その理解をまず深めることに使いたい。書くというのはずいぶん僕の脳みそと相性がいいようだ。