賠償金をもらった人ともらわなかった人――。福島県いわき市や南相馬市など避難者が多く住む町では、もともとの住民との間で、あるいは、避難者の間でも、賠償金の多寡をめぐる軋轢が発生しています。避難区域の解除は賠償金の打ち切りを意味するため、解除の先延ばしを求める声も強くなっています。(本記事はWedge11月号の記事を再構成したものです)。

 「賠償御殿」─。そんな言葉をよく耳にする。人口30万人の福島県いわき市には、双葉郡から2.4万人の避難者がやってきた。道路も病院も混雑し、アパートを借りるのもままならない。高まるストレスは、否応なしに賠償金の存在に意識を向けさせる。

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放置された双葉町。道路から生えた草の背が高い(撮影・『月刊Wedge』編集部)

 「仕事がある自分は仮設住宅。妻と子どもは避難先。事故前に同居していた両親は別の借り上げ住宅。バラバラを解消したいと、いわき市に家を建てたら、隣の老人にこう言われた。お金をいっぱいもらってるんだろって。悔しくて悔しくて」(30代のある男性)

 事故から3年半。今回の取材で最も話題に上ったのが賠償金を巡る軋轢である。昨年まではそれよりも除染の進捗や低線量被ばくだった印象が強い。「金の話はしたくない。そういう人も、最後はやっぱり金の話になる。みんな心のどこかで賠償金が引っかかっている」男性はそう語る。

 「いわきとして、避難者の方々にウェルカムというメッセージを発信することなく3年半が経ってしまった。同じ住民として軋轢を乗り越えていけない。でも、現地の人間では買えないような大きな家が建つのを見ると、『賠償御殿』と言いたくなる気持ちは理解できるところもある」。いわき市で生まれ育ったある男性は偽らざる本音を語ってくれた。

 賠償金があるから働かず、パチンコに入り浸り、高級車を乗り回す─。事故直後からこの類の話はあふれている。双葉町出身のある男性は、「そんな人はもちろんいるが、ごく一部。偏った報道はして欲しくない」と吐き捨てて、こう続けた。

 「大多数のまっとうな避難者は、事故への憤り、やるせなさを賠償金でギリギリ抑えている状態。なのに、仕事を再開しても家を建てても、そうやって前に進もうとすれば、必ず賠償金の存在がついて回って、後ろ向きな評価になるのが辛い」

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2012年1月、避難先のいわき市内の
仮設住宅で開催された「ダルマ市」

 避難先で馴染めず、いじめを受ける子どもたちは少なくない。小学校や幼稚園で、住民と避難者の母親同士が距離を取りあう例も散見されるという。多くの親たちが「双葉郡から来たとは言えない」「仕事の場でもなるべく出身は言わない」と口を揃える。賠償金のことを探られたくないからだ。

 「子どもになぜここにいるのか説明ができない。このままでは子どもたちが双葉町を忘れてしまう」

 そんな思いから、中谷祥久さん(34)は、震災の年のうちに「夢ふたば人」という団体を立ち上げた。毎年1月に開かれる故郷・双葉町の祭り「ダルマ市」を絶やしてはいけないと、2012年1月、避難先のいわき市内の仮設住宅でだるま市を開催した。子どもたちには笑顔が戻り、懐かしい音色、光景に涙ぐむ高齢者もいたという。「こういう取り組みを続ければ、地元住民と避難者のわだかまりも少しずつ消えていくのではないか」と中谷さんは語る。

避難指示区域見直しと賠償金の多寡


 2014年9月、双葉郡の沿岸部を走る国道6号線が全線開通した。開通といっても、6号線から分岐する小道にはバリケードが設置されたままだ。9~17時の間は許可証をチェックするガードマンが配置されているが夜間は警察の巡回がある程度。帰宅困難区域を通る14キロの区間は通過するためだけの道路であり、延々と続く黄色点滅の信号が他のエリアとの違いを印象付ける。

 「この道を越えると……」

 事故以来、何度この表現を耳にしただろうか。双葉郡の人々は、故郷を追われた上に、つくられた分断に悩まされてきた。道のあちら側は、夜間居てはいけない。そもそも立ち入りに許可が要る……。多くの避難者が住むいわき市や南相馬市では、賠償金の有無という分断があるが、双葉郡の人々の間には賠償金の多寡という分断がある。

 もともと福島第一原発から20km圏内は一様に警戒区域だった(飯館村などは計画的避難区域)。11年12月に福島第一原発が冷温停止状態を達成したことを受け、住民の帰還に向けて政府は避難指示区域の見直しを開始した。事故後1年の段階で、空間線量率から推定した年間積算線量が50mSv超なら帰還困難区域、20~50mSvなら居住制限区域、20mSv以下なら避難指示解除準備区域という3区分である。しかし、この区域見直しは結局13年8月までかかることとなった。

 機械的に割り出される数値で区分されるはずなのになぜこれだけの時間を要したか。最大の理由はこの区分によって賠償金に差がついたからだ。

 宅地・建物の不動産賠償で見てみよう。経済産業省は東電を監督する立場として、次のような指針を12年7月に示した。帰宅困難区域は全損扱いで、事故前の時価で全額賠償する。居住制限区域は全損の6分の3、避難指示解除準備区域は同6分の2とした。これは、放射性物質の半減期から見て、帰宅困難区域は事故後6年以上帰還できないのに対し、居住制限区域、避難指示解除準備区域の避難指示解除はそれぞれ事故後3年、事故後2年程度になるだろうという予測に基づくものだ。

 精神的損害に対しては1人あたり月10万円が支払われているが、避難指示が解除されると1年後に支払いが終了する。となると当然、区域見直しではより重い区域指定を、解除については先延ばしを求める声が強くなる。避難が長ければ長いほどより多くの賠償金が支払われるという基本構造が、帰還につながる施策に前向きになれないというマインドを生み、除染の仮置き場設置にも簡単に同意しないという住民行動まで呼び起こすこととなった。

 結局、富岡町、南相馬市は解除見込時期を事故後5年、飯館村は事故後5年もしくは4年、葛尾村は事故後4年と設定。6分の3、6分の2という賠償水準は、6分の5、6分の4に引き上げられることとなった。

 時間をかけて区域見直しを行ったものの、それによって決まった賠償金格差が住民間の軋轢を生み、時間が経てば経つほどコミュニティの合意形成は難しくなり、復興は後ろ倒しされていった。楢葉町は、除染もインフラ修復工事も終わっているが、今春示す予定だった避難指示解除時期をいまだ決められないでいる。

事実として進む「一括金」化


 「初めから一括金で良かった」

 避難期間と賠償金が結びつくと、住民の生活再建への意思決定を遅らせるのではないか。帰還だけを前提にした設計も住民を縛りつけることになる。そう考えた取材班は、「帰還か移住かによらず、ある程度のまとまった資金を一括で支払う」方式への変更はどうかと避難者に尋ねて回った。すると、こんな反応が最も多かったのである。

 実は、賠償基準もその方向に変わっていっている。原子力損害賠償紛争審査会が13年12月に示した中間指針の第4次追補では、帰宅困難区域と双葉町・大熊町全域に対して、新たに長期間帰還不能になったことによる精神的損害への賠償が追加された。さらに3区域全体に、住宅確保に伴う損害への賠償が新設された。
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9月15日に全線開通した国道6号線。以前はここから先は許可証がないと入れなかった(富岡町内、撮影・編集部)
 前者は実際の避難指示解除がいつかという視点を離れ、一括で1人700万円の追加賠償を行うものだ。従来設定されていた精神的損害への賠償とつなげると、事故後約14年半の間、月10万円を支払ったのと同等になる。

 後者は、時価を基にした従来の不動産賠償だと、とくに築年数が古く、減価償却が進んだ建物の場合、新たに住宅を確保すると資金が足りないという批判に応えるもので、元の住宅の新築価格の8~10割を賠償するという内容だ。どんなに古い家でも新築時の最低8割は賠償されるため、移住の決断もしやすくなるし、帰還の場合でも大規模な修繕や建替が可能になる。

 7月末からの受付開始で、説明会も9月に始まったばかりだから、地元ではまだ浸透していないが、これで住宅という生活再建の第一歩がやっと前進することになるだろう。

 残るは、居住制限地域、避難指示解除準備区域の精神的損害への賠償(月10万円)の終期をどうするかである。避難解除時期とリンクさせたままにしておくと、現在設定している事故後5年、事故後4年という解除見込を、さらに後ろ倒ししようとする力が働くだろう。帰宅困難区域の700万円の追加賠償との不公平もこれから問題になってくる。

 金額は別にして、これについても一括金化し、賠償に区切りをつけることが、住民の生活再建という観点に立っても、町の復興という観点においても適切なのではないだろうか。

損害賠償の限界、政府の無責任


 こうなってくると、損害賠償という枠組み自体に、そもそも限界があると言わざるを得ない。審査会を設置するなどして基準を定めてはいるが、損害賠償は被害者と加害者が個対個で交渉し、損害を確定させるのが基本。自ずと時間がかかり、不公平も生じやすい。何より損害があるかないかという議論に拘束され、必要な措置が遅れる。

 今回の賠償では、農協や漁協といった声の大きい団体賠償が先に決まり、個人賠償が遅れたという批判がある。最終的に拡充された長期帰還不能損害や住宅確保損害は、従来の損害賠償から言えば無理のある損害概念だが、同じく無理のある風評被害は早い段階で対象とされていた。これだけ広範囲にわたる原子力災害においては、損害賠償より、国家・行政による補償のほうが必要な措置を迅速に行うことができる。事業者には後で求償すればいい。

 民主党政権が損害賠償の枠組みに拘ったのは、東京電力に責任を負わせておけば、火の粉も財政負担も被らなくていいという考えからだろう。しかしそれは結局、福島の復興を遅らせている。

 そもそも原子力損害賠償法で想定していた被害を遥かに超えていたのだ。政府は特別法を制定し福島の現状に向き合わなければならなかった。「政府が前面に出る」と言った安倍政権は、早く原賠法改正に手をつけるべきだ。

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