伝統の医療機器が姿を消そうとしている(shutterstock.com)
医療の現場にはハイテク機器が溢れている。医療技術が高度化する昨今、医師をはじめとした医療スタッフが使う道具もハイテク化していくのは当然のことである。しかし、アナログならではの単純明快さや検査精度の正確性などから、医療関係者に愛用され続けた検査機器がある。水銀血圧計だ。
血圧の測定方法は、1905年、ロシアの軍医ニコライ・コロトコフによって開発され、その名にちなんで「コロトコフ法(聴診法)」と呼ばれている。まず、帯(カフ)で上腕部を圧迫して動脈を閉塞。その後、カフを減圧していくと動脈が開いて血液が流れ出す。その際、血管から心拍に同期した音が聞え始めるが、これをコロトコフ音(血管音)という。さらに減圧を続けると、ある時点で音が聞えなくなる。このコロトコフ音が聞え始めたときの圧力が最高血圧、コロトコフ音が消えたときの圧力が最低血圧となる。
血圧値は水銀柱の目盛りで読み取る。血圧の単位は「mmHg」だが、これは水銀(元素記号Hg)を何mm押し上げるに相当する圧力か、という意味だ。WHO(世界保健機構)のガイドラインでは、最高血圧が100~140mmHg 、最低血圧が60~90mmHg が一般に正常とされ、最大血圧で140mmHg以上、または最低血圧が90mmHg 以上が持続する場合、「高血圧症」と診断される。
この伝統の医療機器が、いま姿を消そうとしている。
理由のひとつは、正確で使い勝手のいい電子血圧計を開発され普及したこと。これは誰もが納得できる。もうひとつの理由は、環境保護のために世界的に水銀を使用しないという動きへの対応だ。
水銀が環境に放出されることで発生した公害に水俣病がある。高度成長期に九州の熊本県水俣市を中心に発生した公害病だ。化学工場から有明海に放出された有機水銀化合物が、魚介類の体内に蓄積され、これを食べた住民に健康被害が続出した。
患者の多くは中枢神経に障害が出て、身体機能が低下して自立した生活が送れなくなった。当初は原因が不明だったが、熊本大学医学部を中心とした研究チームによって、工場廃液に含まれた水銀が有機水銀化合物に変化し、これが食物連鎖の中で人体に蓄積されて発症することが判明。世界で初めての大規模な環境汚染事件だった。と同時に、水銀という金属がもつ危険性についても広く知られる事件だった。
公式に水俣病が発見・確認されて約60年――。その長い歳月の中て、公害の原因物質である水銀を、人体から遠ざける努力が積み重ねられてきた。その成果のひとつが、2013年に採択された「水俣条約」だ。
この条約の発効によって、2020年以降、水銀を使った機器の製造、輸出、輸入が原則として禁止されることになった。現在、医療現場で使われている水銀血圧計も、同条約の対象機器なのだ。
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