319.つぼみ、つぼみ、つぼみ(8)
「それって、彼が離縁を重く見るってことですか? それじゃ、『リラの告白』は彼にとって嫌悪すべき事実だったんじゃ」
「そうです。でもあなたがうまかったのは、離縁された夫をまだ思っているだなんて臆面もなく言ってしまったことですよ」
どういうこと。あのときは、聞き耳を立てているリルザ様にあてこする目的もあったりなかったり、だったんだけど。
「ただ離縁されたと聞いただけなら、確かにグレンはあなたを嫌悪の目で見たかもしれません。けれど元夫へ操を立てたことに加えて、あなたは卑しく見えませんからね。おそらく、石女だと思ったんじゃないかな」
うまずめ。嫁いだ女性が、子供を産めないという理由で離縁されることは、おそらくどの国でも聞く話。
「緑では、それが立派な離縁の理由ってわけですか?」
「いえ。そう聞かれると、それは違う」
リルザ様は耳下に指を当てて、少し考えた。困らせちゃってるかな。興味と好奇心と、好きな相手に近づきたい気持ちでつい食い下がってしまう。
あ、今、ちょっと想像できたかも。緑が嫌うのって、こういう女性の態度なのかも。以前、リーゼに「知りたがり?」って言われたことがあるけど、あれって緑女性にとってさらに痛い意味を持つ、はっきりとした悪口だったんじゃないかしら。
「むしろ逆です。緑では、子供を産めないこと自体は離縁の理由にならない」
ややこしいかもしれませんが、と断ってくれる。
「後継ぎは父親の血さえ引いていればいいから、愛人にでも産ませればいい。その点では他国よりも寛容だと言える。ただ、例外がある」
父親の血さえ引いていればいい。リルザ様は自分の子は欲しくないと言った。しかも、父親が誰であれ、わたしが子を産んだなら大切に育てるとも。わたしにとって平面だったその意味が、少しずつ影を持っていく気がした。
「息子に恵まれなかった家の場合です」
息子のいない貴族の家。そうか。
「女性には、絶対に相続権が認められないんですよね?」
「ありません。婿なり、養子なり、ともかく男子を立てることになるわけですが、いずれにせよその家の男子の血は途絶えてしまう」
首をひねる。
「でも、その家の女性の血を繋げられれば」
「繋ぎ手は男子でなくてはならない。外の血はむしろ強く望む土地柄なんですが」
「外の血を望む?」
「ええ。近い血を残すことを嫌います。青とは逆ですね」
ふと頭にひらめく。穢れた血の忌み子と、ギギから聞いた青の古いお話。青で忌まれたのは、銀の髪じゃない子供だった。緑の祖王の髪は、何色だったんだろう。
わたしが違うことを考えていると、リルザ様も押し黙ってしまっていることに気づく。どうしたんだろう。顔色がよくないような。不安になるまま、握る手に力をこめる。
こちらを見てくれて、首を振られた。大丈夫だ、ってことなんだと思う。
「あなたの話が事実であったなら、青から少しでも離れようとした結果なのかもしれません。昔、今よりも世界に魔の力が強かった頃は、人外の血も入れたという話もあるくらいです」
話をそらそうとしてる? 見つめていると、リルザ様の手がわたしの両目を覆う。あなたの目はよくしゃべる。つぶやきが聞こえた。
「話を戻しましょうか。ともかく、緑では、一族の男子の血を繋がなければならないと考えられているわけです」
どうして? 父でも母でも、子供が受け継ぐ血は半分よね。その理屈、もしくは感覚が理解できないでいると青は女王国ですしね、と言われた。
「じゃあ結局、婿なり養子なり立てても意味がないんじゃ」
「そうなんですけどね。目こぼしとでもいうか、まあ仕方ないからその家の女性の血でも我慢することになるわけです」
「なんなんですか、それ!」
女性の血じゃだめだって言っておいて、男性がいないから女性で我慢するって、ばかにしすぎでしょう。
「そんなことで怒る女性がいないのが、緑でして」
う。で、でも、わたしは価値観まで無理して緑に変えたいわけじゃないし……って、こういうのもきっと緑の女性らしくないんだ。
「というわけで、婿取りの家は正統から外れた、という見方をされる。それはわかりましたよね?」
「はい」
リルザ先生、ってふざけたら怒られるよね。……いや、無視かな。
「その家継ぎの子供は、その負い目を背負っていかなければならないわけです。それなら、これ以上負担をかけたくない、と思いませんか?」
「負担、ですか?」
「ただでさえ一族の女性の血しか引いていないのに、その母親が正妻ではなく、愛人だったら、さらに周りから劣って見られると思いませんか」
「……だから」
やっと、話がつながる。
「緑では、子供が産めないだけで離縁はされません。ですが、やむをえず婿取りを行ったはいいが、肝心の一族の女性が子供を産めなかった場合。一族の血を引く他の女性を本妻に据えるために、子供を産めない最初の女性を離縁することがあるんです」
「グレン殿は、わたしがそんなかわいそうな女性だ、って思ったんですね……」
「古い家柄だから不貞には厳しいでしょうが、古い家柄だからこそ、家のために離縁を受け、それでもまだ夫を思うあなたに強く同情したんじゃないですかね」
「はあ……」
ほかに言いようもない。ともかく、どうやらわたしの思わないところで、ウソがうまくかみ合ったということらしい。
「でも、実際のところもそんなもんですよね。あなたは俺の子供を産んでいないし、俺の家のせいで離縁されたわけで。薄幸だとは思いませんけど。全部あなたがつっこんできた結果だし」
言い返せません。言い返せません、が。
「うまくおさまったじゃないですか。もし詰め寄られても、ああ言えば緑の男ならまず引き下がる。それまであなたが好感を稼げていればなおさらです。離縁なんてどの家もよそに漏らさないようにしますから、家名を言わない事だって対面を慮ってのことだろうとか勝手に理屈をつけてくれますよ」
しみじみうなずくリルザ様が憎たらしい。
聞いてみて思い返すと、まずガルディスさん。彼は出会ったばかりの頃、わたしが色々聞いたり意見を言ったりするといやな顔をしていた。でもなにも言わなかったのは、わたしがリルザ様の妻で、青国人だったからなんだろう。グレンフィスト殿もそういえば、似たような態度だった。なにか尋ねるとすぐ、いやな顔。セヴァドールは、あれは論外かもしれないけど、質問するだけで怒るあの性質は、つまりはその差別が特化しつくした結果なのかも。
そういえばリルザ様って、そういうことない。クロースさんも。
「リルザ様」
「はい」
「ひょっとして、リルザ様って緑じゃ変わってるんですか?」
「はい?」
「だって、わたしが質問すること自体を怒ったことって、ありませんよね」
内容やタイミングで怒らせたことは何度もあるけど。
「基本的には、誰の質問であれ答えるようにしていますよ。俺の考えは理解しておいてもらわないと、お互いやりにくい」
それは、公の立場としてだよねって心の中でこっそり補足する。だって、私のリルザ様、わかりづらいし。自分の感情についてわかってくれなんて、絶対言ってこないし。リーゼのときからそうだった。
「女性からはそもそも質問を受けることがないので、なんとも……でも、外国の人間と話すのはそういえば、子供の頃から好きでした」
「そうなんですか?」
「緑に退屈していたんでしょうね。あなたと話すのも、色々たっぷり面倒ですけど、面白いといえば面白い」
「そんなに釘刺さなくてもいいじゃないですか。調子に乗ったりしません」
口をとがらせる。リルザ様が笑った。
「そうですか。すみません」
う。やっぱり無理かも。そんな風に笑われると無理ですリルザ様がいけない。
はじめて見つけたかもしれない。相性最悪かもって思ってたリルザ様とわたしの、合うところ。知りたがりの聞きたがりでいつもうっとうしがられていたわたしが、リルザ様にとって面白かったのなら。
「ふふふ」
あったかい手を、冷えた両手で握る。ぴたっと近くに寄る。
「……やっぱり調子に乗ってません? 幸せそうですねえ」
「すっごく。大好きですリルザ様、大好きです」
頭をリルザ様の胸にくっつける。はい、とあきらめたような小さな声とともに、肩を抱いてくれた。思う存分ひたる。と、頭衣に隠していた髪を、リルザ様が一房かき出した。
「こんな髪にして、名前まで変えて。みじめじゃないんですか」
顔を見上げる。複雑そうな表情。
「すみません。おいやですか」
「いやですよ」
捨てるような言葉。浮き立っていた気持ちがすぐさま沈む。
「こんな隠れて会うような真似、情けない。あなたは本来の姿でいることもできない。何度も言ったじゃないですか、俺にはあなたを守る力はないんだって」
目を見張る。
「迎えに行くと言ったのに、まったく信じないし。ここにいられたって、俺にあなたを守る義務はもうないんですよ。なにをするにもいちいち理由を作らないといけない。それも、兄達に執着を知られないようにした上で」
ばかばかしい。苛立った声。どうしよう。
「これじゃなんのために離縁したんだか、……ユーラ?」
「どうしよう、リルザ様」
怪訝な表情が近づく。こらえられなくなってリルザ様の首にかじりついた。
「リルザ様、大好きです!」
「はあっ?」
「すみません、ごめんなさい、大好きです!」
「なんなんだ、また暴走なのか!」
思うままじゃれついて、床に散らばる氷の粒に足をすべらせたリルザ様が頭を打って、またわたしが必死で謝った、顛末。
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