『乱歩奇譚 』のホモアニメ的要素についての検証。vol.2 [アニメ]
前回『乱歩奇譚 』のホモアニメ的要素についての検証。vol.1
3.4話を鑑賞。
「シュレーディンガーの猫としてのコバヤシ少年」という視点に基づいて本作を見てみると、その論点への解に対する障壁は驚くほど強固である事が分かる。
アケチ宅の置時計を修理する際にコバヤシ少年を肩車するハシバ(眼鏡)は足場を移動した時、バランスを崩すコバヤシ少年を掴もうとして太ももの内側、それも足の付け根近くに手を入れてしまいとっさに手を離してしまうワケだが、この時ハシバは「触ってない、断じて触ってないぞ!」とやけに動揺する様を見せる。
この「触っていない」という言葉が何を指しているのか。
一般的に人体における股間部分は恥部として認識されており、当該部分は生物学的にも社会、倫理的にも非常にデリケートな扱いを受けている。男性にしろ女性にしろ、他人が股間あるいはその周辺に物理的に触れるという行為は時間的場所的にも限定されたものである、というのは万人に共通した認識であると考えられる。コバヤシ少年が生物学的に男性であろうが女性であろうが、彼(彼女)を肩車したハシバが太ももの内側に手を入れるという行為は触れた側にとっても触れられた側とっても程度の差はあれど身構える、あるいはそれに近い反応をするのが一般的である。中学生という年齢において、性別に関係なく他人の太ももの内側に手を入れる体験などそうそうないからだ。
1.2話でのハシバのコバヤシ少年への態度も踏まえて考え、また単純にこのカットから判別できる情報から判断してみると、客観的事実としてハシバが触れているのはコバヤシ少年の太ももの内側という事になる。のだが、ここでの「触っていない」という発言を鑑みると、コバヤシ少年にとってもハシバが太ももの内側に手を入れたという事実については認識している筈なので、その時点で「触っていない」という事はありえない。つまり、逆算的または消去法として考えてみるとこれは太ももについて言及しているワケでは無いという事になる。となると、結論としてはこの時ハシバはコバヤシ少年の股間部分に手で触れてしまった可能性が高いという推論が成り立つ。
ただし、この推論が成り立ったからといってコバヤシ少年の生物学的な性別が判明したワケでは全く無い。前回の結論でも述べた様にハシバのコバヤシ少年に対する態度が何に基づいているかが依然として不鮮明であるため、例えそれが性愛に基づく恋愛感情だとしてもコバヤシ少年の性別が不明である点には変わらない。そのためこの「触っていない」という言葉自体はコバヤシ少年の性別如何に関わらず成立してしまうのである。ただ一つ言えるのは、この時点において肩車をしたハシバはコバヤシ少年が生物学的に男性なのか女性なのかを知りえている可能性が非常に高いという事である。それは同時に、「触っていない」という発言が言葉どおりハシバが本当に触っていない可能性も否定されないという事なる。なお、コバヤシ少年が13歳の時点で既に恥という概念を失くしてしまっているのは3話の時点で判明しているので、この場面で彼(彼女)が何の反応も示さない事については最早語る必要もない。
コバヤシ少年が二十面相の動画について興味を示した際、上記の様に臀部の極端なアップになるワケだが、前回でも言及した様にコバヤシ少年は男性用の制服を着用しながらその体系、特に下半身に関しては寧ろ女性的な特徴を備えていると言ってもいい。女性は男性に比べて臀部の体積が大きく、その原因は骨盤の形状にある。このカットを見てもパースによって強調されているとはいえ、その臀部の形状から推察される骨盤の横幅は明らかに女性的であり、腰から臀部にかけてのくびれやヒップのラインも非常に女性的な印象を受ける。
上記のコバヤシ少年の臀部が強調されるカットの際、彼(彼女)はなぜか腰を振るわけだがどういうワケかそれを後ろから見ていたハシバが赤面して目を逸らすという態度をとるのが見える。これまでのハシバのコバヤシ少年への反応はどれも決定打にかけるものが多かったのだが、この場面はかなり明確になっている。これはどう見てもハシバがコバヤシ少年の臀部に対して劣情を催しているという反応以外ありえない。コバヤシ少年の性別如何に関わらずこれは明らかである。ただ悲しいかな、人は例え恋愛感情が無くとも見も知らぬ他人に対して劣情を催してしまう生き物なので、この場面だけでは本作がホモアニメである事の証拠とする事には出来ないのである。
この場面でもう一つ注目して欲しい点があるのだが、コバヤシ少年の股下をよく見てみると隙間が確認できるのが分かるだろうか。股間のすぐ下、太ももの内側にある隙間。俗にこれは「股下デルタ」などと呼ばれているらしいが、この隙間は前述した女性の骨盤に特徴的なもので、骨盤が横に広い事によって足の付け根が離れている事、そして出産という行為からくる生物学的な必然として、男性に対して女性の股下には隙間が出来るようになっているのである。そこにおいてこの場面でのコバヤシ少年の両足の付け根は明らかに一般的な男性よりも離れている事が確認できる。これはかなり女性的な要素であると言える。
さて、前回の記事を書いた後に本作の今後の展開について考えを巡らせていて、おそらくはコバヤシ少年の着替えの最中にハシバが遭遇してしまうという様なシチュエーションがあるのかもしれない、などと思っていたのだが、3話でいきなり女装の展開になってしまったので流石に驚いてしまった。大丈夫かこのアニメ。
ではさっそく当該場面について検証してみよう。
コバヤシ少年が女装して犯人への囮となる提案がされた際、コバヤシ少年の身を案じてハシバが動揺するのは人として当然なのだが、この時ハシバは「女装なんてさせられるわけないだろぉ!?」と異様に動揺しながら謎の立場で反対しようとする。コバヤシ少年に女装をさせるのが嫌なのか、はたまた女装したコバヤシ少年を大衆の目に晒すのが嫌なのか、ハシバの感情がコバヤシ少年のどちらの性別に基づいたものかが不明である以上何とも言えない。
さて、当の着替えの場面だが得られる情報から判断するにどこかのアパレルショップにでも行って試着しているのだと推察できるが、となると客観的事実として男子中学生二人が女性ものの衣服を物色し試着しているという事なのだが怪しい事この上ない。
そして試着室の中で衣服を脱ぎ終わったコバヤシ少年の鏡像にかかる謎の白い光。これによってコバヤシ少年が生物学的に男性か女性なのかを判断する決定的な機械は失われたワケだが、そもそも前回言及したように上半身だけではコバヤシ少年の発育が「芳しくなかった」場合その判断は極めて難しくなる可能性があるため、どちらにせよこの場面だけで結論は出せない事になる。
女装したコバヤシ少年だが、注目すべき点は胸部の膨らみだろう。彼(彼女)の性別が不明ではあるがこここでは確かに脇から腹部へかけて曲線が形作られているのが確認できる。コバヤシ少年は女装の際自身が着用していた下着を脱いでいたが、という事は彼(彼女)は現時点で女性モノの下着を着用している可能性が非常に高いという事になる。何も穿いてないという意見もあるだろうがそれでは女装する意味が無く、またそれはコバヤシ少年の事件の興味の度合いからして考えにくい。やるならとことんやるという方が寧ろ彼(彼女)の性格に合致していると言えるだろう。
そう考えると、下着は下だけでなく上にも付けていると考えたほうが自然である。つまりブラジャーとパッドを着用していると。そうなれば胸部の膨らみにも説明が付く。それに女性らしさを強調した方が犯人の気を引ける可能性が高くなる。ただ、結果としてこの女装の場面はコバヤシ少年が女装をしているという客観的事実以外の情報が得られていないため検証に用いる程の有用性は無い。ハシバからコバヤシ少年の着替えの様子が一切見えていないという点もある。
女装後の囮捜査で犯人に誘拐された際のこの場面だが腰から臀部にかけてのラインは非常に女性的である。
事件を解決した後も女装を続けるコバヤシ少年に対してハシバは「破廉恥だ!」と焦りたしなめるのだが、これは女装した男性に対する言葉としては少々不自然さが残る。「肌色の面積が多すぎる!」という指摘についても女装した友人の男性に対する言葉としては違和感がある。ただ、これらについてはハシバがコバヤシ少年に劣情を催している可能性が高いため、その場合はコバヤシ少年が生物学的にどちらにせよ成立してしまう会話である事になってしまう。そのため依然としてコバヤシ少年の生物学的な性別についての判断は状況証拠によらざるをえない状態である事に変わりは無い。
今のところ4話目の時点で「シュレーディンガーの猫としてのコバヤシ少年」という視点について明確な解は未だに得られていない。前述した様に肩車をしたハシバがそれによってコバヤシ少年における生物学的な特徴の最たる部分を知りえた可能性は高いのだが、それはあくまで可能性に過ぎず、例えハシバが知りえたとしても箱の中、もとい服の中のコバヤシ少年の状態が我々にとって観測しえない状態である事に変わりは無い。
ハシバのコバヤシ少年に対するあらゆる態度、対応はコバヤシ少年の性別如何に関わらず成立するもので、ハシバが異性愛者であろうと同性愛者であろうと全てがコバヤシ少年個人に向けられている以上、それら状況証拠のみに基づいてコバヤシ少年のパーソナリティを判別するのは不可能に近い。これはハシバ個人についても同様である。
現時点での結論として、前回の状態から引き続き今回も本作がホモアニメであると結論付けるだけの証拠は未だ無い事とする。
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