2015年12月27日

クリード チャンプを継ぐ男/EPISODE VII 坊主の覚醒

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サーガの延長戦。親子の喪失と再生。老兵の煌めき。祝福の新世代。遺産の継承。黒人俳優へのスイッチ。そしてそれらがファンの視線に対する強烈な自意識のうちに完遂されるとなれば、その不自由による閉塞を親密感に錯覚させる確信犯ぶりも含め、あちらの7作目との意外なくらいの相似に気づかされることになったのである。サーガの先達とほとんど譜割りまでも一緒である上に、なぜ水槽のカメや目玉焼きがアップになるのか、言わずとも知れという記号化によって新しい知識や出来事を告げることの熱意をいささか欠いていたように思えたとしても、そうすることを目的としていたのだからそれを失敗と呼んでくれるなという爽やかな開き直りもやはりあちらのサーガと同様である。さしたる修練もないままマインドトリックをものにしライトセーバー戦にてレンを圧倒したレイの場合、その血が正統であることの証明として急激な覚醒が描写されたのだろうけれど、先に述べた相似はこの点においても有効であったのは言うまでもなく、アドニス・ジョンソン(マイケル・B・ジョーダン)もまたその血において無双だったのである。なぜ強いのかわからないけれどとにかく強い、なぜなら物語がそう要請するからだというこのロッキー・サーガの伝統はやはり引き継がれたままで、36戦無敗28KOでPFPランクNo.1の世界チャンピオンを場末の相手に16戦闘っただけのアドニスがなぜああまで追いつめることができたのか、長回しなどといった小手先に頼る前に、トレーニングによって築き上げたスタイルがスタイルを駆逐するボクシングの醍醐味を描くことでボクシング映画としてのアップデートを果たして欲しかったのが正直なところだったのである。ロッキーは、お前の活路はボディを狙うことしかない、しかしチャンプはお前より背も高くリーチも長い、とまでは言うものの、ではそのパンチをかいくぐる鋭いステップインを身につけるためにはどのようなトレーニングをすればいいのか、そうした積み重ねの果てにリング上で突き刺さるボディに喝采を送りたかったはずが、ボクサーであれば誰でもこなすようなトレーニングしか見せてもらえないまま、アドニスはチャンプにボディフックを叩き込むことに成功してしまうのである。なぜなら彼がアポロ・クリードの息子であって物語上そうならなければならないからに過ぎず、このほとんど水戸光圀の印籠といってさしつかえない無邪気な伝統の継承にはいくらなんでもPFPランクNo.1を舐めすぎだろうと苦笑したし、服役を前に最後のタイトルマッチ(コンプライアンスの遵守に神経をとがらす現在の団体がそもそも試合を承認するはずがないのだけれど)を自分の子供たちに記憶させるという動機からして、かつてアポロにあったような油断がチャンプにあるはずもなく実際そうした描写もなかったことを思うと、やはりアドニスはスーパーサイヤ人のごとくあらかじめ約束されたその血が覚醒したに過ぎないということになるのだろう。というわけでファイト・シーン以外は概ね良好だけれども、ワタシは『百円の恋』の泣き叫ぶボクシングを愛したい。
posted by orr_dg at 15:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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