「集合の考え」を使った文章題です。啓林館の教科書にはちゃんと載せられている問題です。この問題の「理解」のさせ方が難しかったのです。 「みんななら,昼食は何がいいかな。」 と聞きます。「うどん。」などと適当な答えが返ってくるので,そのとき場面の条件である「おにぎりとパン」の配り方のきまりを見せます。「おにぎりだけなら2個」「パンだけなら2個」「両方手をあげたら1個ずつ」というルールです。この確認が終わった後, 「みんなだったらどっちがいいかな。手をあげてみてね。」 と言って,実際にやらせてみました。ところが,両方に手をあげる者が一人もおらず,全員がどちらか一方を選んでいるのです。「まあ,そんなこともあるだろう。」と思いながら,場面確認を終え,問題文を最後まで板書・視写してしまいました。 もちろんこのままではできません。そこで,電子黒板に, 「おにぎりに手を挙げた人18人,パンに手を挙げた人20人,両方に手を挙げた人8人」 という条件を映し出し, 「ではやってみなさい。」 と突き放したのです。私としては,細心の注意を払った「問題理解」だと思っていました。 「できた人は,少し友達と話をしてみよう。」 とやったのです。ここで数人が正しい意見に流れると考えたのです。ところが逆で,数人いた正解者がまちがった方向に行ってしまったのです。「よくできる」と思われている児童がまちがっていたことも影響しているようです。 「この言葉を見て,おかしなことに気づかないかな。」 という最悪の発問で進めざるを得なくなったのです。 こうすれば当然,何人かがおかしさに気づきだし,それを全体に広げていく活動に入るのですが,どうも「重い空気」は払拭できません。やはり「指示」で動いていることが影響しているようです。また全体に広げるのも簡単にはいきません。よく聞いていると, 「パンに手を挙げた人の中には両方手を挙げた人も入ってるんだよ。」 というタイプの説明をする児童のものは伝わるのですが, 「18×2+8の+じゃなくて,−にしたらいいんだよ。」 という方法論の方に行った説明は全く伝わりません。そのアイデアはとても尊いのですが,理解できていない児童に対して通用することにはなり得ないのです。その結果,分かった児童の説明を聞いて,何となく分かるようになった,という児童がほとんどになってしまいました。 |
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