人々は展示されたものを見て、満足する。
下手したら、文化資本が家の近くにあってよかったとか、自分は頭がいいとか思い始める愚かな人間もいるかもしれない。
実は巡回展などの企画というのは新聞社や某公共放送を含めたテレビ局などが美術館や博物館に持ち込んで行われていることが多いのだ。
つまり、美術館に行って私って文化人とか思っている人間は結局のところマスメディアに踊らされているだけだったりする。
そのようなことをレポートに書くための資料を手に入れるために、日比谷の図書館に向かった。
麹町から有楽町線に乗って、桜田門で降りればいいのに、頭が悪いので半蔵門から半蔵門線に乗ってしまった。
仕方がないので、神保町で降りて、日比谷線に乗り、日比谷に向かうことを九段下駅辺りで決めたのだった。
見ていて、腹が立って仕方がない。
皆、目元が二重なのだ。
どいつもこいつもだ。
前日に理容室で嫌という程見た、自分の垂れ下がった一重の目はなんなのだろうかと。
神保町では身重な女を見た。顔がよかった。
日比谷駅では、自分よりも男も女も背が高い容姿のいいカップルをたくさん見たのだった。
前日の理容室での自分の顔を思い出すともう、顔なんてあげて歩けないのだ。
できる限り人の顔を見ないように、図書館を歩き、資料を必死に探す。
もう泣きそうだ。
資料を借りる時、自分は区民用のカードを出す。これだけが唯一の自分が手にしている特権のようなものである。
その時には胸を強調した服を着た女が図書館から出て行くのを見た。
性的消費されて有利な立場にいる女性というのを見ると自分はどうにもならないことに息が苦しくなる。
自分は、まともに呼吸もできず、下を向いて、汚い肌やらパーツが引っ付いた大きな顔は泣きそうである。
都内も生きていけない。
一生、こんな風に惨めに生きていかなければならないかと考えるとどうにもならない気持ちになる。
母親が行って欲しがっている、経営学部への転籍を決めて、肌にレーザーを当てることと、目と鼻と頬をいじることを許諾させればいいのだろうか。
持病があって免疫抑制剤を飲んでいる。
できるのかわからない。
家に3億円の中古マンションの広告があるだけでは自分は何も救われない。
結局、マスメディアに踊らされても性的に愛され、守られ、大事にされればなんだっていいのだ。自分は容姿が醜いから素直じゃないのだ。