この映画のレビューを、私は1記事にまとめる自信がないんだけど。
チビのこと
1番印象に残ったのは、チビという犬のこと。
チビは、おじいさんに飼われていた犬なんだけど、震災後、住宅事情が変わり、おじいさんはチビと暮らせなくなってしまい、ボランティア施設に預けられている。
おじいさんと離れ離れになったチビは情緒不安定になり、自分の体に噛みつき、傷つけ、尻尾は切断しなければいけないほどの傷を負ってしまう。
おじいさん以外の人に懐こうとせず、ボランティアスタッフが近づこうとすると牙をむいて震えながら唸り、全身で威嚇する。
そんなチビ。
月に1度のおじいさんとの面会の日。
チビを乗せた車がおじいさんの家の前に止まると、チビは車からとびだし、おじいさんの元へ。尻尾はないからふれないけど、全身で喜んでいるのがわかる。
おじいさんのとなりにぴったりくっついてくつろいでいるチビの表情は、とても穏やかで、安心しきっていて幸せそうで、施設にいるときのチビとは別の犬のよう。
チビ、おじいさんと暮らせればいいのにな。
たぶん見ていた誰もが心から、そう思わされる。
犬はこんなにも、情緒も表情も豊かで、そして特定の人間と、とても深い信頼関係を築ける動物なんだということを初めて知り、驚いた。
動物愛護センターのこと
昔は『保健所』と言っていたが、働いている人の人権保護のため、『動物愛護センター』に名前が変わった。
業務内容は昔とあまり変わらず、持ち込まれた犬や猫の処分。
処分方法は二酸化炭素ガスによる窒息死で、安楽死ではない。
昔は職員の手で1頭1頭、薬による安楽死が行われていたこともあるそうだが、職員の精神的な負担や、経費の削減のため、今が機械によりガス室へ追い込み、窒息死させる施設がほとんどだ。
私は、この手の本はけっこう読んだことがあるし、写真もたくさん見たことがある。
きっと普通の人たちより興味を持っていたし、だから知識もあった。
でも今まで、動画だけは見れずにいた。
見ようと思えば動画サイトで誰でもすぐに見ることができるが、見る勇気がなかった。
この映画の中で初めて、センターの中の『映像』を見た。
R指定のある映画ではないので、ドリームボックスそのものや、追い込み機なんかは映さない。
スクリーンに映されたのは、センターに収容されている、『まだ』生きている犬たちの様子。
カメラの向こうから、こっちをじっとのぞき込む犬。
ケンカしている犬。
怯えて、震えている犬。
なつっこい犬。
この犬たちは、今はもういないんだと思うと、それだけで涙がボロボロこぼれた。
信頼していた飼い主に捨てられ、二酸化炭素が充満されていく中で、苦しみながら死んだんだと思うと、やりきれなかった。
犬は特別なのか?
昔は、狩猟犬は役に立たなくなれば山に捨てられるのは普通のことだったし、番犬じゃなくても、飼われている犬は野外につながれているのは当たり前だったし、だから犬小屋だって当然外にあった。
私が子供の頃だって、犬を飼ってる同級生の家では大抵、外でつなぎ飼いだった。
それを『可哀想』なんて言う人はいなかった。
それが今では、外で犬をつないで飼うのは『虐待』と言われる。
昔のように、不要な犬や猫を捨てるための箱が道路の脇に設置され、そこには誰もが自由に犬や猫を捨てていくことができ、そして保健所の車が定期的に回収にくるとか、そんなこともなくなった。
そして飼えなくなった犬や猫をセンターに持ち込むことは『無責任』と言われるようになった。
犬は狩猟犬や番犬などの『道具』から『ペット』へ、『ペット』から『家族』へと昇格した。
私が子供の頃・・・ほんの30年前と今を比べても、犬の『格』は、ずいぶんあがったなぁと感じる。
こんな風に完全に犬側に立った問題提議の映画がつくられるのも、時代の流れなんだなと感じた。
なんて書くと、冷酷非道人間みたい?
繁殖犬と悪徳?ブリーダーのこと
悪徳、と今は言われるブリーダーの、繁殖犬の扱いは本当に酷い。
劣悪な環境の中、散歩なんて夢のまた夢、せまいオリの中に閉じ込められて、ケガの治療も病気の治療もしてもらえず、死ぬまで子供を産ませられ続ける。
生まれた子は生後間もなく取り上げられて、ペットショップのショーケースへ。
まだ体温調節もできない小さな小さな子犬はケースの中でぶるぶる震え、歩くのだってまだよたよた。
でも、小さければ小さい子犬ほど、売れるんだから仕方がない。
人気の犬種の人気の毛色の犬は、何代も近親相姦を繰り返されるので、先天的に盲目だったり耳が聞こえなかったりなどの障害犬も多い。障害があっても子犬さえ産めば問題ないので、繁殖犬として閉じ込められ働かされる。
そんな悪徳?ブリーダーが倒産すると、そこにいた100匹以上の繁殖犬が、遺棄されたり、処分されたり。
そんな犬たちを救助しているボランティア団体もある。
ここには画像は貼らないが、『繁殖犬』で検索すると、あまりにも悲惨な犬たちの様子に目を覆いたくなるに違いない。
映画の中でもそんなブリーダーを悪者のように、鬼のように、そして繁殖犬たちの悲惨さを前面に出していたが、そんな見方も、犬の『格』が上がった現代の価値観なんだと思う。
悪徳といわれるブリーダーがいるもの、犬や猫を、お金で売り買いするシステムがあるからだ。今まではそれが当たり前だったし、そのために犬がどんな扱いを受けていようとも、気にする人は多くなかった。
戦前の男尊女卑の時代、女性がお金で売買されていたように。
昔、アメリカやヨーロッパで、黒人が売買されていたように。
動物愛護は社会をよりよいものにするため
この映画でも主張されているような『動物愛護』は、あくまで、動物のためではなく、人間社会をよりよいものにするための主張であったり、行動であるべきだと私は思う。
黒人を軽んじて売買していた過去の社会より、黒人の人権を認めて重んじている現在の社会の方がよりよいように
女性を軽んじて売買していた過去の社会より、女性の人権を認めて重んじている現在の社会の方がよりよいように
人と深い信頼関係を築き、よきパートナーとなる犬の命を、ぞんざいに扱ってきた今までの価値観を見直し、犬の売買をやめ、犬の痛みや幸せを考える余裕のある、人にも黒人にも女性にも犬にも優しい社会を、新しく築いていきましょう、ということなんだと思う。
だからそれを
犬のために!!
とか
犬かわいそう!!
とか
飼い主最悪!!
とか
ブリーダー最低!!
とかの主張にしちゃうと、
やっぱり受け入れられにくいんだなぁ。
犬を捨ててもケロッとしてる飼い主が悪いんじゃないような気が、私はするんです。
犬の扱いが酷いブリーダーが悪いんじゃないような気が、私はします。
それは、少し前の時代だったら特に悪いことと思われてなかった行為なんだから。
だからそこを責めるんじゃなく
新しい世代で、違う価値観を育てていくことの方を大事にしたい。
この映画はドキュメンタリー映画じゃない
私はドキュメンタリー映画が好きです。
ドキュメンタリー映画に1番大事なのって、中立性だと思う。
スクリーンに淡々と映し出された事実を見てどう思うかは、見た人それぞれの判断にゆだねられる。
そういう意味で、この映画はあまりにもメッセージ性が強く、見る人の受ける印象をコントロールしようという意図が明らかにある。
震災の避難所に犬を連れて避難できないのは『邪魔だから』という理由だけではない。
仮設住宅で犬を飼えないのも、やむを得ない事情がある。
原発の立ち入り禁止区域の動物がすべて殺処分になったのだって、別に意地悪なわけでも、非情なわけでもない。
悪徳?ブリーダーは、お金儲けのためにブリーダーをやっていたのではなく、生活していくためだ。倒産して路頭に迷うのは、犬たちだけじゃない。
そういう部分が、完全に、動物かわいそう!!人間酷い!!という目線からだけで表現されているのが、残念な部分ではあった。
もっと、ブリーダーの崩壊等、1つ1つの事案について、多角的な面から見せてほしかったなぁと思いました。
おまけ
チケットと一緒にもらったパンフレットたち。
メッセージ性強すぎ。
気持ちはわかるけど。
ちなみにこの映画を見るためにはドレスコードがあって、リアルファー禁止。
私そういうのも余計だと思う。
リアルファーを身に着けている人にこそ、見てもらえばいいのに。
規制してどうする。
川越の小さな映画館。
大丈夫かいな。
以上。
見に行ってよかったけど、この映画では社会は変えられないなとも。
可哀想でしょ?
酷いでしょ?
っていう価値観を押し付けるような見せ方は、一方的なデモのようで、あまり好きではない。
つくられたお涙ちょうだいでは、人も社会も動かせない。
貴重な映像だったから、それらは役者さんなど使わず、淡々と見せてほしかった。
と、私は思いました。
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