大抵どうしようもない人が、釣りなのか釣りじゃないのかよくわからない主人公が女の文章に対してコメントするものである。
おそらく、自分が、大抵の人間にとって「自分の人生」とかいうものから排除したい存在であるからだろう。
「自分の人生を歩んで欲しい」という人間は、おそらく美しいものとくっついて、美しいもの産んで欲しいみたいなニュアンスで言っていることが大抵である。
自分は何も闘う武器もなく、同情もされない孤独な醜いものだということを考えると苦しくなる。
※追記
日比谷の図書館で、わざわざバカ大学のレポートのための本を借りる途中、日比谷駅では容姿のいい人間がカップルであること、子持ちの夫婦は皆二重であったことを経験した。図書館内では胸を強調した服を着る女を見た。
性的魅力で同情などをされようとしているし、事実それで人生を有利にしている人間を見た。
前日に、理容室で自分が肌や髪質が汚く、目は一重で垂れ下がり、鼻はつけたような、唇は分厚く、顔が大きいという醜い顔であることを散々思い知った自分は、皆の人生から切り離されるであろうことに絶望しか感じないし、このような物語は自分にはないということに震えて泣くしかないのだ。